「それで、これがあなたの見立てた服というわけ?」
目の前の女主人……いや、今は主人とは一見して分からない……むしろ主従でいえば、シルフリードの方が主人に見えるであろう格好をしたイェルルージュが、少し拗ねたような表情で腕を組んでいた。
いつもならその表情に苦笑を返すのだが、シルフリードはやや傲慢にも見える笑みを浮かべ、意地悪そうに瞳を細くした。
「腕を組むのはよくありませんね」
「……」
まあ……とでも言いたげな可愛らしい表情で首を傾げて、イェルルージュが組んだ腕を解いた。彼女は今、長く美しい深緋色の髪を白いシニヨンキャップの中に丁寧にまとめて隠し、黒を基調にした装飾の少ないワンピースの上に、たっぷりとしたフリルをあしらった白いエプロンを着けていた。つまり、侍女のような服装だ。
ワンピースの裾は長く足首まで届くほどで、露出は殆どない。黒い詰襟とまとめ髪の調和が絶妙にストイックで、逆にそそる。禁欲的な服というのは、どうしたって暴きたくなるものだ。中にあるのが、シルフリードの愛する女であるのならなおさら。
一方で、シルフリードの格好はというと、今は「シルフリード・グローリアム伯爵」だった。シルクハットにモーニングを少し着崩し、長めに仕立てたインバネスを羽織っている。ゆるく巻いたスカーフには薄翠色の宝石が一粒、留められていた。
「さて、出掛けますか、《イェルルージュ》」
常よりも尊大な態度でシルフリードは微笑んだ。イェルルージュはシルフリードを胡散臭げに見つめていたが、やがてニッコリと笑って首を傾げた。
「あなたのことはなんとお呼びいたしましょうか? ご主人様? それともマスター?」
それに目を丸くしたのはシルフリードで、しかしすぐに立ち直って、いたずらに乗る子供のように大袈裟に頷いた。
「お好きなように」
「では、参りましょう。《ご主人様》」
呼ばれた《グローリアム伯爵》は少し驚いて、ううむ……と唸った。せっかくならば《シルフリード様》の方がよかったのだが……。
「まあ、それも悪くはありませんね」
シルフリードは腕を伸ばしてイェルルージュの腰にぐるりと回した。イェルルージュの着ている侍女服はシルフリードが見立てたものだ。色気という意味でも色彩という意味でも色の無いロングスカートに、隠された見事な髪、全てが隠されていて、暴くことのできるのはこのシルフリードだけ……というわけだ。
……が、しかし。
回した手は掴まれて解かれ、イェルルージュはスッと離れた。
「人前で侍女に触れるのは、お行儀がよろしくありませんね、ご主人様」
おや、この姿ならば好きにできると思ったのに、付かず離れずはいつもと同じだ。いささか残念に思いながらも、用向きが終わってまた屋敷に帰ってきたならば、イェルルージュにこの衣装を着せたまま、もう少し遊びを続ける楽しみに取っておくことにしようか。
今宵、シルフリード・グローリアム伯爵とその侍女は、金持ちの男だけが出席することのできる夜会へと参加する。参加条件は自慢の侍女を連れてくること。それゆえ、今日だけ戯れに二人は主従の立場を交換したのだ。
その夜会の奥には庭園が一つあり、魔獣の気配がするという。
愛らしい侍女が剣を振るう様を見るのも楽しみだが、それ以上に、今宵主従の立場を交換して振舞う様をみるのもまた、
「楽しみですね」
シルフリード・グローリアム伯爵がニヤリと口角を上げ、その侍女イェルルージュは形のよい眉をピクリと動かした。