「そういえばウィーネ先輩の星巡って何ですか? 僕は海蛇なんですけど」
図書館で勉強していると、アニウスがそんなことを言い出した。星巡というのは、術者の生年月日を十四に分割して星の名前を割り当て、魔法使いの意匠や詠唱に使う魔法体系のことだ。本来は奥深い学問で、細やかな条件と決められた手順があるが、守護の意匠の一つとして取り入れやすいため、魔法使いたちのオシャレとして楽しまれている。また昨今では、星巡性格占いや星巡相性占いなど、自分が持つ星がどのような性格なのか、とか、今日はどんな一日になる、とか、そういった読み物が流行っていた。
「私は、山猫だけど……」
山猫は勤勉で真面目な努力家などと言われている。それを言うと、アニウスがパッと瞳を輝かせた。
「わあ、海蛇の僕と相性ぴったりですね? ほら、これ見てください!」
そう言われてアニウスが差し出したのは、若者向けの魔法の学術雑誌だ。主に最近発表されたばかりの素敵な魔法陣や、流行の呪文などが掲載されているが、最近では星巡りの占いが小さく掲載されることが多いらしい。
見せてもらった記事には星巡の相性占いが掲載されていて、確かに海蛇と山猫の相性は一番点数が高かった。山猫の真面目な性格と、海蛇のおっとりしたペースが合うのだとか。
「はあ? おっとりっていうより腹黒いじっくりタイプって感じじゃね?」
「ちょ、返してくださいよセルギア先輩!」
「まあまあ、待てよ、なになに、俺の星は……」
ちなみにネルウァ・セルギアの星は「兄弟」である。本日の運勢のところを眺めていると、肩越しに冷ややかな視線を感じた。
「相性、とはなんだ。誰とウィーネの相性がいいと?」
「ヒエエエ!? お、俺じゃない! 俺じゃないぞ!?」
「あ、アグリア先輩」
アニウスが呼ばなくとも、声で分かる。ネルウァの背後に立っている男は、アシュマール・アグリアに違いない。ネルウァは振り向かずに、星巡占いのページを開いたまま、背後のアシュマにそれをそっと渡した。
「こ、これだよこれ。星巡占い。最近流行ってるよな」
「星巡?」
「あ、ああ。おま、お前の星はなんだよ? なーんてな、アハ……ハ」
アシュマの星巡の星。などと言うと、なぜか胡散臭さを伴って現実味がない。魔法使いならば、一度は意識するのが星巡の星で、生年月日があれば誰しも持っているのだ。もちろんアシュマにもあって当然だが、あればあるで胡散臭い。いつも冷静で格好つけなネルウァが久々に乾いた笑いを顔に貼り付けると、勉強していたウィーネが首をかしげた。
「アシュマの星?」
「……アグリア先輩の、星?」
ウィーネとアニウスの声が重複する。その様子にうっそりと瞳を細めたアシュマが、雑誌よりも先にウィーネの顔に視線を止めた。
「俺の星、とはなんだ、ウィーネ」
「えっと……」
魔法使いでありながら星巡を知らないのか、……と、ネルウァもアニウスも思ったが、それを口出しできるほどの勇気はなかった。また、ウィーネは二人とは違う意味で不思議そうな顔をして、しかし興味深そうにアシュマの顔を見上げていた。
「アシュマって……、いつ、生まれなの?」
「いつ生まれ?」
「星は、生年月日によって決まるから、その……」
「ああ」
アシュマはニヤリと口元に笑みを浮かべ、肩をすくめた。雑誌を一瞥するとそれをネルウァに投げて返し、ウィーネを連れて行こうと二の腕を掴んで立たせる。別段生まれの月も星巡にも興味はないが、ウィーネが知りたいというならば教えてやってもいい。もちろん悪魔のアシュマに人の子でいうところの「誕生日」などはないが、学園に入るために誂えた設定ならばあった。
「夏生まれだ。……葉の月(八月)二十五日」
「へえ、それじゃ……」
取り戻した雑誌をネルウァが開くと、立ち上がったアニウスとウィーネも一緒になって覗き込む。途端に、ネルウァとアニウスがブフッと噴き出した。
アシュマが「何がおかしい」と問う前に、ウィーネが珍しく無防備な表情でキョトンと首を傾げる。
「淑女?」
ふふっ……と小さく笑ったウィーネに、アシュマが目元を緩める。その顔に気を取られて頬に指を伸ばそうとした時、ネルウァが続けた。
「アグリアに一番似合わねえ星巡だな」
「淑女ですか……理性と感覚が一致する天才肌……相性は」
ネルウァとアニウスの視線がごく自然に、同じ方向に動く。恋愛運の相性欄。一番相性のいい星巡と、一番相性の悪い星巡のランキングだ。
そのランキングの内容に、ネルウァは思わず雑誌をバン!と閉じる。
「わあ、山猫との相性は海蛇の方がいいですね!」
「ほう?」
しかし遅かった。無邪気なアニウスの声が無情に響く。
ウィーネの頬にアシュマの指が届く前に、このアニウスの放った一言がアシュマに届いてしまい、話のきっかけを思い出す。無邪気でなんのてらいもない、恐れ知らずで、しかしほんの少し得意げなアニウスの声に、むしろネルウァが震えた。
おいアニウス。お前、俺に「アグリア先輩のこと怖くないんですか?」って聞いたことあったよな。お前の方がよっぽど怖くないんですか?
「そういえば相性の話をしていたな。誰と誰の相性がいいと言ったんだ?」
「あ、ああ、まあ、星巡の相性なんてくだらないよな? 別段、信憑性があるわけじゃ」
「ウィーネは山猫だと言ったな」
「ちょっと離して。それがなんなの?」
アシュマがウィーネの肩を抱き寄せては、ムギュムギュと押し返されている。
「山猫と淑女……とやらの相性はどうなのだ」
ムギュムギュと押し返されながら、なおしつこくウィーネを抱き寄せようとしているアシュマのもう片方の手が、無理やり魔術雑誌を奪った。あちゃあ……という顔でネルウァが一歩下がり、なんとなく不穏なものを感じたアニウスも口を噤む。
山猫と相性のいい恋人ランキング、最下位は「淑女」である。
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十四の星が魔法使いの守護となるのは魔法理論に基づいた学問だ。しかしそれによって性格が分かれる……という占いは、統計学に基づきながらも魔法学的な裏付けは証明されていない、いわば娯楽である。だが、その娯楽を楽しむ魔法使いが多いのも事実だ。魔法の理論を信じる真面目なウィーネだって、山猫の星だからって性格が決まるわけじゃない、と思いながらも、今日の運勢がよかったらちょっと嬉しいなって思うし。まあ、悪かった時は信じないとかもあるけれど。
それにしても、アシュマの星が「淑女」というのは少しだけおかしい。あんなにいやらしくて、あんなに恐ろしい悪魔の星が「淑女」淑やかで貞淑な夫人の謂れのある星だが、悪魔のイメージに一番程遠い。
部屋で思い出し笑いをしていると、後ろからやんわりと抱き寄せられた。本当にやんわりと、だ。そうっと、まるでふわふわと浮かぶ羽根を逃がさないように細心の注意を払ったように、心地よく抱き寄せられた。
「何を笑っている」
「え?」
「口元が綻んでいる」
そう言って、アシュマはウィーネの背中を自分の身体に凭れさせる。後ろから回された手がゆっくりと唇をなぞり、耳元で楽しげで優しい声を響かせた。引き離そうと腕を掴むが、逆にその手を握られて恋人同士のように指が絡まる。
「ちょっと、離してよ」
「笑っている理由を聞いたら離してやる」
「いや笑ってないし」
「笑っていた」
「笑ってない」
「笑っていた。愛らしい顔をしていた」
「別にそんな変な顔してないわよ!」
「変な顔とは言っていないだろう」
ふっ、と笑われた。
世間一般的にいうと「愛らしい」というのは、褒められた、ということだろうか。しかし褒められたにも関わらず、アシュマが言う時はウィーネ側の心の準備ができていない。頬の温度が変わったとはっきり分かり、それをアシュマに気がつかれたくなくて無理やり手を払った。
しかし。
そのまま、トン……と、ウィーネの目の前にある壁にアシュマの手が置かれる。
壁とアシュマの間に挟まれて、片方の腕はウィーネの腰に絡みついた。相変わらず後ろから抱き寄せるように身を寄せていて、決してきつく抱擁されているわけではないのに、なぜか逃げられない。
「ウィーネ」
ひそひそ話でもするかのようなひそやかな声が鼓膜をくすぐる。観念したようにウィーネは息を吐いた。
「星巡が淑女、って。アシュマに全然似合わないから」
「それだけか」
「それだけ」
緩やかなアシュマの腕の中で、恐る恐るウィーネが振り向く。ウィーネの背中はアシュマではなく壁になり、向かい合わせの格好になった。
意外なことに、アシュマは納得のいかないような顔をして首を傾げている。
「悪魔のくせに淑女だなんて、おかしいと思わない?」
「そもそも人の子の考えたことだ。我には関係ない」
「そうだけど」
そう言う人間のおかしみが分からない様子がアシュマらしくて、上位二位の強大な悪魔が不思議そうにしている顔がおかしくて、ウィーネはまた小さく笑う。
アシュマの表情が、緩んだ。
「アシュマは、……夏生まれなの?」
「悪魔の生まれに季節は関係ない。そもそも闇の界に暦の概念などないからな」
「それなら、葉の月二十五日ってなあに?」
「お前に、召喚された日だ」
ウィーネが瞳を丸くした。
そうしたウィーネの表情を見ていると、それを愛らしいとか欲しいとか思う前に、吸い寄せられるように近づきたくなる。魔力の香りや方向でウィーネが何を思っているのかはなんとなく感じ取ることが出来るのに、ウィーネがどういう時にそんな表情になるのかは皆目見当がつかない。そしてそれと同じくらい、悪魔の心が少女の何に引き寄せられているのか、分からない。
しかし今はそんなふんわりとした衝動に従って、壁と、ウィーネと、アシュマの距離がほとんどなくなる。アシュマの手のひらがウィーネの頬に触れ、硬い掌と柔らかい皮膚の違いが強く感じられた。
アシュマにとって人間の手中にある学校に通うなど造作もない。全ての手続きは完璧だ。そのうちの一つが生年月日などというものである。無論、設定する日はあの日しかない。あの、ウィーネの甘い魔力に誘われて姿を現し、初めてあの魔力とウィーネを味わったあの日だ。
あの声で呪文が紡がれたことを思い出すだけでも、いまだに身体の奥底の何かが震える。
「ウィーネ・シエナ……」
「あっ……」
ふ、とウィーネの耳朶に唇で触れると、感触に肩をすくめる。その反応にアシュマは距離を詰めるのを止めたが、しかしウィーネが恐る恐る身体の力を抜いた瞬間、甘噛みされた。
衣擦れの音を響かせて、アシュマの腕がウィーネの腰を弄る。夏の薄い制服は剥ぐには容易く、アシュマの手のひらはすぐにウィーネの柔らかい腹に到達する。ゆっくりとなぞって胸元へと指先を伸ばし下着の中を探せば、少し硬い心地の弾力に行き着く。そこをかすかに揺らすと、ウィーネが甘い声をあげた。
小さな声なのに、何よりもアシュマを興奮させる。
下着をずらしてもっと触れやすいように暴きながら、人の姿のまま蝙蝠羽を伸ばしてウィーネの身体を拘束する。闇色の羽の中に閉じ込めながら、そっと囁いてみた。
「山猫と淑女の相性は悪いと言っていたな?」
「んっ……あ、あれはただの占いで」
「そうだ、気にすることはない、ただの占いだ」
「えええ? 別に私そんなの気にしてないし」
漂っていた甘い雰囲気から逃れるようにウィーネは我に返った。
相性が悪いと聞いてなんとも言えない気持ちになったのは確かだが、それをこの悪魔に指摘されるのはなんだかイラっとする。近づいているアシュマの身体をなんとか離そうと、その胸板を強くギュウッと押した。
もちろんいつものようにその程度でアシュマの身体が離れるはずもない。
「案ずることはないぞ。我とお前の相性はとてもいい」
「案じてない! 案じてないってば、ちょっと離れて!」
「離れぬ。これから確認してやろう。我とお前の相性を」
「か、確認?」
ってなに? ……と、続けようとした言葉は、ゆっくりと近づいてきた唇に吸い込まれる。貪られるような強引なものではなくて、吐息だけで接続されるように重なる口づけだ。そのまま何度か食まれるように唇を動かされ、開いた隙間から舌が入り込む。
思わずアシュマの動きを追いかけて、お互いの唇の感触を味わうようにあふあふと角度を変える。アシュマが少し動きを止めてウィーネを見下ろした。
「確認してやろう、今すぐに。我とお前の相性を」
「か、確認しなくていい!」
「いや、確認する」
「待って」
「我とお前は相性がいいな?」
掠れた声で囁くと、シュルシュルとウィーネの身体に腕と羽を絡みつける。
アシュマは十中八九強引で、ウィーネの気持ちはお構いなしのはず。それなのに、なんでこういう時に限って優しくウィーネに触れるのだろう。
相性なんてどうでもいいし、アシュマに好きにされるのは嫌なのに、こんな風に優しくされるとそれが離れるのを怖く思ってしまう時がある。ウィーネは思わずぎゅっとアシュマの背中に腕を回してしまった。