「お前、コーデリアと喧嘩でもしたのか?」
雨王宮の執務室で、姿勢を崩した皇帝が面白そうにバルバロッサに問うた。試合後、夕刻の執務に戻った皇帝からバルバロッサは呼び出されたのだ。バルバロッサは不機嫌な顔を隠そうともしない。
「陛下には関係無いでしょう」
「言うな。女たらしめ。振られて己の心にでも気付いたか?」
バルバロッサは大きく舌打ちした。身体を投げ出すようにソファに座って、苦い顔で赤い髪を払う。いつもとは異なる、余裕の無い様子に皇帝がふざけた表情を止めて静かに語りかけた。
「どうした、図星か」
「いいえ」
「ならば、」
「逆だ」
「は?」
「逆。私から別れを告げた」
丁寧な口調を止めて吐き捨てるように言ったバルバロッサに、皇帝は目を丸くした。執務机から離れると、身を乗り出すように向かいのソファに座る。
「バカか、お前は」
コーデリアと同じことを言った友人に、バルバロッサはさらに顔を顰めた。皇帝と2人きりのときに礼を取らないのはいつものことだ。
先代が老いてから出来た子である帝国皇帝はまだ若く、バルバロッサと年の頃はほとんど変わらない。威厳はまだ足りないが、甘く見えがちな容貌にも段々と男らしさが見え隠れしている。背が高く、茶色味の濃い金色の髪が若々しいすっきりとした姿だが、深い群青色の瞳は経験を重ねれば思慮深いものになるだろう。
もっとも今はまだ、若い君主にありがちなやんちゃな態度が、古い官吏を不機嫌にさせている。だが、公務を怠ったことは一度も無い。君主としてはこれからの男だ。
「お前から言ったくせに、なぜそんな苦しそうな顔をしているんだ」
「コーデリアと同じことを……」
「お前が分かりやすいからだろ?」
分かりやすいのは、恐らく皇帝やコーデリアの前だからだろう。幼い頃からの友人と自分が心から愛している女の前では、コンプレックスの固まりを押し殺した自分の態度もすぐに化けの皮が剥がれてしまう。ここ最近、バルバロッサは嫌というほどそれを自覚した。
「手に入れられぬ理由でもあるのか」
「それは……2人の問題だ」
「ああ……そうだな」
言葉を詰まらせたバルバロッサの様子に、皇帝はすぐに引いた。どんなに茶化した態度を取っていても、彼は人が踏み込まれたくないところには、決して踏み込んでこないのだ。皇帝はソファに座り直して、話題を変える。
「なあ、バルバロッサ」
「なんだ?」
「もし側室に子が出来たら……」
改まった真摯な瞳だった。バルバロッサも思わず、深い群青を見返す。
「いずれ、お前に預けるかもしれん」
「……なぜ」
「そんな顔をするな、いずれ……かもしれぬ……の話しだ」
「かもしれぬ話ならば、今するな」
「いつできるか分からんから、今するのだ」
皇帝は柔らかに笑って、真剣な表情を崩した。側室……この歳若い皇帝が愛しているのが、たった一人の側室だ。
彼女は後宮をほとんど出ることの無い大人しい女性だ。細やかな心遣いとたおやかな優しさ、それを現したかのような繊細な容姿。平民とほぼ変わらぬ身分の低さは、宮廷の貴族たちからは軽んじられていたが、騎士達にはその儚さが人気だった。そして、コーデリアはこの側室に宮廷や貴族たちのあしらい方を教えると共に、友として、守りの要として、側に付いている。皇帝とバルバロッサが気の置けぬ友人であるように、コーデリアとこの側室もまた仲がよかった。
その身分の低さから皇妃になることができず、本人も決して身体が丈夫とはいえない女性だ。しかし、おとなしやかな態度は皇帝の心を癒していた。
彼女を皇妃に上げないのは、皇帝の意図もあった。宮廷はきな臭い場でもある。若い皇帝に自分の娘を差し出す貴族が多いのは世の常であったし、この不敵な皇帝よりも、御しやすいであろうまだ少年の皇帝の弟を擁しようとする声もあった。それらを全て抑えるには、皇帝はまだ若すぎる。そして、この皇帝はそれを理解していた。だから、側室を自分の権力で無理矢理皇妃にすることをせず、無用な争いを側室に届かせることの無い様、静かに守っているのだ。
今は、まだいい。
だが、いずれ側室に男子が出来れば、その子が皇帝の弟を抑えて皇太子になるかもしれぬ。陽王宮に置いておけば、それは争いの種になる。皇帝に愛されるということは子を為す可能性がある……ということであり、そうなれば側室もまた、標的となるのだ。
「子など要らぬと思っていたのだ。あれは身体が弱いからな」
それに、自分に子が出来なくてもまだ皇族は居る。それでも、子を抱かせてやりたい。それが皇帝の子であったとしても。……皇帝は苦笑したまま押し黙った。バルバロッサも沈黙した。
自分は好いた女に子を産ませることが出来ず、幸せにしてやれぬ。
友は好いた女に子を望めば、何かを失う元になるかもしれぬ。
皮肉なものだ。バルバロッサが思索に沈んでいると、皇帝がぽつりと呟く。
「自分の側に居ることが、つらくはないかと問うたら、あれに言われたのだ」
「何を?」
「心配するな、と」
バルバロッサが首を傾げる。
「自分は望んでここに居て、自分の幸せを見つけているのだ……とな」
「……」
「2人にとって何が幸せかは、あなたが決めることではなく、2人で決めることだ、と。……そう、怒られた」
ああ……と溜息を付いて、バルバロッサは額に手を当てる。
「怒られたあとに、謝られた」
「謝る?」
「自分勝手で、すまない……と」
そんなはずがあるものか。自分の望むものも、同じなのに……と皇帝は小さく呟き、俯いた。
「女というのは、強い生き物らしい」
視線を外していた皇帝が顔を上げた。難しい顔をしているバルバロッサを見遣り、今にも泣きそうな顔で、笑う。
「私はあれに無理をさせてしまうかもしれん。子が出来れば、それにもな。だが、それを幸せだと側室が望み……そして、私の幸せもそこにあるのだから……出来れば末永く……自分の側に居てほしいのだ」
だから、狙われる危険性のある子が出来たり、もしもの事態に陥ったら、……その子を守って欲しいとバルバロッサに頼むのだ。
「約束してくれるか?」
「ああ」
バルバロッサは立ち上がり、皇帝の側に膝を付いた。短く祈りの言葉を唱えると、清浄な空気が満ちる。
「神の名の下に……この剣に代えても、守ると誓おう」
皇帝は君主らしい威厳を纏って真剣に頷き、その誓いを受けた。本来神殿騎士は皇帝に忠誠を誓う者達ではない。だが、互いに敬い尊重しあう存在だ。だからこそ、これは主君と臣下の誓いではなく、ただの友人としての、武人としての誓いだった。そして、バルバロッサは思う。自分は何を馬鹿げたことで思い悩んでいたのか。コーデリアは言っていたではないか。「私の幸せは私が決める」……と。
友もその妻も、歩き出している。ならば、自分は。
幸せにしたい女が、自分と一緒にいることを幸せだと思っていてくれる。それ以上のことが……あるだろうか。
今までの雰囲気を取り払うかのように、皇帝は茶目っ気を含ませた瞳で言った。
「コーデリアと共に、守ってくれるか?」
「そこは、保留だ。これから行ってくる。陽王宮に行っても?」
「しかたがないな、許可してやる。コーデリアはお前にはもったいない女だ。振られても落ち込むなよ」
「うるさい」
皇帝は楽しげに声を挙げて笑い、執務室を出て行く真紅の後姿を見送った。
****
「コーデリア!」
丁度コーデリアが陽王宮から霧王宮へ出てきたところを、バルバロッサは捕らえた。相変わらず頑ななコーデリアは、何も思わぬ風な表情で首を傾げる。
「バルバロッサ殿。こちらに何かご用向きが?」
「私の用件は貴女だ」
「私に?何のご用件でしょうか」
バルバロッサはコーデリアの腕を掴んだまま、手近な一室へ向かって歩いていく。強引なバルバロッサの行動にコーデリアが抗うと、再度腕を強く引いて互いの身体を近づけた。
「バルバロッサ殿、待て、何の用だと聞いている!」
「コーデリア、話がある」
「……だから何だ。ここでは駄目な話……っ」
バルバロッサはもう片方の腕も掴んで、自分の身体に回させるように引き寄せた。
「すまないがここでは駄目な話だ。霧王宮の真ん中で押し倒されたくは無いだろう」
「なに……!」
「こっちへ」
片方の腕を離して再び強引に腕を引くと、いつも逢引に使っている騎士の詰め所に連れ込んだ。扉を閉め、鍵を掛ける。バルバロッサはコーデリアの腰と頭に手を回し、均整の取れたその身体をきつく抱き締めた……まではよかったが、次の言葉が告げない。
しばらくの間、そうしていた。騎士として鍛えているコーデリアの身体は、少し痩せたようだ。
「……少し痩せたか」
「いや、変わりない」
「嘘を付くな。私には分かる」
「……バルバロッサ、何の用だ。仮にも神職者ならば、女を誘うときに少しは言葉を選べ」
「私は貴女しか誘わない」
その言葉に、腕の中でコーデリアが身動ぎをした。バルバロッサの顔を見ようと、身体を動かしているのだ。だが、バルバロッサはそれを許さず藍色の髪を抱え、自分の肩に押し付けた。こんな顔を見せられるものか。
「コーデリア」
再び落ちた長い沈黙を、バルバロッサの掠れた声が破った。
「勝負は貴女の勝ちだ」
「バルバロッサ……」
「私以外の男が、貴女を幸せにするなど耐えられないのだ」
「ああ……」
「私でいいのか」
「貴方は本当にバカな男だな」
バルバロッサの肩に熱い吐息がかかり、コーデリアが溜息を付いたのが分かる。
「バル以外の男が、私を幸せに出来るはずが無い。負けを認めたくせに、まだ分からないのか」
「だが、私は……」
「貴方がいいんだ」
「コーデリア」
「貴方がいいんだ、バルバロッサ。だから……もう言わないでくれ。私だって自信が無いんだ」
驚いたようにバルバロッサが腕を緩め、コーデリアの顔を見つめた。いつも自信に満ちた凛々しい瞳が涙に潤み、悲しげに自分を見上げている。瞳が合うと、涙を見られないようにコーデリアが視線を外したが、バルバロッサは思わず頬に手を添えて、その顔をこちらに向けさせた。それでも瞳を逸らしたまま、涙を堪えているようだ。コーデリアは震えた声で、搾り出すように言った。
「自分勝手なことを言って……私は……私は、貴方を傷付けたのではないかと」
「そんなはずが……。傷付けたのは私だ」
コーデリアをこのような顔にさせたのは自分だ。最初に手を離そうとしたのはバルバロッサで、悪戯にコーデリアの心を揺らして傷つけ、未練がましくこうして追い掛けてしまった。バルバロッサはコーデリアの瞳の下をそっと指で拭った。その指で頬をなぞり、藍色の髪を掻き分ける。
ここに来ても、いまだバルバロッサは迷っていた。だが、その迷いも自分だけのものではないと知った。
焼け付く胸の痛みは、喉の詰まるような愛しさに変わり、これからどのような道を歩いていくべきなのか……、迷うと分かりきっているのに、その迷いすらもコーデリアと共に得るものならば、大切なものになるだろうと確信する。
自分と愛する女の、目指すものは同じなのだ。
「2人で……私と共に、幸せになってくれるか。コーデリア」
「当たり前だ。私達のやり方で……。貴方とそれを探すのも、楽しみじゃないか」
名残惜しく身体を離してコーデリアの手を取った。バルバロッサはその手の指先を自分の額に付け、そして口付ける。祈りの形だ。コーデリアの指先を咥えるように口付けたまま、味わうように唇を動かした。
「神と……そして、貴女に誓おう。コーデリア、愛している」
バルバロッサが今まで見た中でも一番美しい表情で、コーデリアが微笑む。その表情を自分だけのものにするかのように、真紅が藍に重なった。
****
「ほら動いたわ」
「ああ、そうだな。本当に動いたな」
真剣な表情で、アルハザードがリューンのお腹に触れている。繊細に……恐る恐るといった風だ。
臨月のリューンのお腹はすっかり大きく、中の赤ん坊は元気よく動いている。特に2人が話をしていると必ず蹴ってくるのが楽しく、リューンはアルハザードにそれを触らせるのが好きだった。当のアルハザードは、自分の力強い手がリューンと腹の子に障りはしないかと、獅子にあるまじき程にびくびくしているのだが。
リューンの前ではすっかり甘いアルハザードの様子に、コーデリアは微笑んだ。今日は夫のバルバロッサと共に、身重のリューンを見舞いに来たのだ。部屋に通されると、動いた動いたと楽しげなリューンと、その表情をじっと見つめているアルハザードが居た。バルバロッサはコーデリアを伴い向かいに座ると、ニヤリと笑ってアルハザードを覗き込む。
「名前は決めているのか、アルハザード」
バルバロッサからの早速の話題にアルハザードがリューンから手を離し、両腕を組んで、むう……と唸った。
「候補はありますが……」
「教えてくれないんですよ」
リューンが首を傾げると、コーデリアが頷く。
「おやそれは。楽しみが増えていいのではないか」
それを聞いたリューンが、ふふ……と笑って楽しげに頷きを返す。席を立とうと、身動きをした。
「お茶をお淹れしますね」
「リューン!」
慌てたような声がアルハザードから上がり、リューンの手が掴まれた。
「立っては駄目だ、茶なら別の者に淹れさせろ」
「いや、多少は動かないと」
「駄目だと言ったら駄目だ」
「お茶くらい、すぐそこでしょう」
「駄目だ、言うことを聞け」
アルハザードが有無を言わせぬ口調と共に、リューンの手を握る。リューンの妊娠が分かってから、アルハザードはずっとこんな調子だ。コーデリアに窘められて少しは納まったが、お腹が目立って大きくなってくると、動くな、歩くな、走るな、立つな、……と、側についている間は一歩も動かさせてくれない。攻防を続ける2人にコーデリアが割って入った。
「ならばリューンは私がエスコートしようか。茶を淹れるのだろう? 手伝おう」
「コーデリア殿!」
アルハザードが抗議の声を上げるが、リューンの手はコーデリアに取られている。コーデリアは立ち上がったリューンの肩を抱いて、ゆっくり歩くように導いた。追いかけるようにアルハザードが立ち上がったが、それはバルバロッサに止められる。
「まあ落ち着け、アル坊」
「だから、その呼び方は止めて下さい。バルバロッサ卿」
「女のことは女同士に任せておけ」
その大らかな言い方にアルハザードが何かを言いかけるが、やがて諦めたように息を吐いてソファに座った。
茶器を置いている棚にリューンと2人並んだコーデリアは、やっと大きな身体をソファに沈めたアルハザードをちらりと振り返り、くすくす笑った。
「まったく、あの甘やかしには困ったな」
「本当ですよ、もう……。ちょっと動くと、すぐあんな風です」
「リューンを心配している証拠だ」
「それはそうですけど……」
苦笑しながら茶葉を調えているリューンを見て、コーデリアは思い出す。
バルバロッサとコーデリアが先代の皇帝と肩を並べた時代。もう30年以上も前だ。
明朗で若々しい皇帝の元に側室が寄り添い、バルバロッサのような騎士が多く集った輝かしい時代だ。
だが、それもすぐに幕を閉じる。
あれから、先代皇帝と側室の間にアルハザードが生まれたが、傷ましいことにその母は産後の肥立ちが悪くてすぐに亡くなってしまった。明るく奔放だった皇帝は自分を責め、私人としての心を閉ざし、公人としての責務を全うすることに全力を傾けた。皮肉なことにその治世は全盛を極め、渉外においては頼る国を救い、攻める国を黙らせ、内政においては、周囲から野心を植えつけられた哀れな弟皇子をよく抑えた。そして皇妃が無理矢理立てられた時、先代皇帝はアルハザードをバルバロッサとコーデリアに預け、ますます政治に没頭する。
先代皇帝は生き急いだ。
何かに急かされる様に生き、何かを追いかけるように亡くなった。アルハザードが為政者として立てるであろう年齢……自分が皇帝に立った年齢に達したのを見届け、病に倒れてそれきりだった。バルバロッサとコーデリア、そして、アルハザードは、その最期に立ち会った。
自由で朗らかな父を知らず、公務に没頭する皇帝と、愛の無い皇妃、そして、自分の命を耽々と狙う皇弟派を見て育ったアルハザードは、凡庸と裏切りを許さない獰猛な獅子のような為政者となった。魔力と剣をこれまでにない程磨き上げ、一度味方から外れれば、決して容赦を見せない態度であり続けた。それは、畏怖や尊敬だけではなく、恐怖もまた人々に与える。それでも、母親の細やかな優しさを少しは受け継いでいたのか、シドやライオエルトという友人が出来、頼もしい部下や実力者達が吸い寄せられるように彼の元に下ってくるのは幸いなことだった。
ただ、アルハザードは友人も臣下も得たが、家族というものだけは望まなかった。コーデリアの目から見れば、諦めていたようにも見える。身体を交わす女が居ても長続きせず、側室を囲おうともせず、無理矢理作った後宮には通わない。皇妃など、もってのほかだ。父親の姿が、賢王でありながら家族の情に恵まれぬように見えていたからかもしれない。
間違ってはいない。だが、アルハザードは知らないだろう。父が母を愛した様子。そして、どれほどアルハザードが望まれて生まれ、その側にあってほしいと父が願い続けたか。先代皇帝は確かに父にはなれなかった。だがそのありようは、アルハザードに政治と戦と宮廷での生き方を教え、それ以外のことを、バルバロッサとコーデリアに任せたのだ。
「コーデリア様?」
物思いに耽っていたコーデリアを、リューンが黒い瞳で覗き込んだ。その光を同じように覗き込んで、軽く頷く。
「ああ、持っていこう、リューン。向こうで淹れておくれ」
「はい」
そしてリューンのことを想う。獰猛な獅子が唯一寵愛する妃だ。一途で実直な女の愛し方は父譲りだったのか、アルハザードは彼女を帝国に迎えてから他の女を置かず、リューンと共に居るときは、その低い気配も少しばかり穏やかになった。
コーデリアはトレイに茶道具を乗せてアルハザードの元に戻るリューンを再びエスコートしながら、そっとその横顔を伺う。リューンもまた、家族に恵まれてはいないはずだ。父も母も愚王、狂王と呼ばれ、疎まれ、20年もの間外に出ることが許されず、国民からすら忘れられた幽霊王女。両親と彼女の関係の詳細はほとんど知られていないが、恐らくまともな愛情は無かっただろう。そのような状況下で、リューンは奇跡のような女性に育ったと、コーデリアには思える。彼女の祖国での20年間に一体何が起こったのかは分からないが、1ついえるのは。
「おい、リューン、こちらへ来るんだ」
「大丈夫よ、すぐに淹れるから」
「湯など使って、火傷したらどうするのだ」
「もう、大丈夫だから」
「いいからこちらに来い」
「リューン、座っていなさい。私が淹れよう」
「でも、コーデリア様」
アルハザードにそっと手を引かれ、ソファに連れ戻されたリューンは、困ったようにコーデリアとバルバロッサを交互に見た。いくら身重といえど、枢機卿夫妻の手を煩わせるのは気が引けているのだ。この皇妃は、どんな作業も自分の手でやりたがるところがあって、侍女や護衛を困らせる。
「コーデリアに任せておけリューン殿。それよりも、アル坊の方ばかりではなく、私の隣にも座っていただけると嬉しいが」
「え」
「バルバロッサ卿……!」
リューンに構うアルハザードを見て、顎を撫でながらバルバロッサが悪戯げに笑った。その言葉に頬を染めたリューンに、アルハザードが顔を顰める。そんな獅子王の様子に、バルバロッサはさらに楽しげだ。
真紅の騎士の様子を見て、ふん……とコーデリアは眉を上げて笑った。
「バルバロッサ、仮にも神職者ならば、女を誘うときに少しは言葉を選べ」
「何を言うかコーデリア。私が誘うのはあ……」
ガチャン……と音を立てて茶器を置き、何かを言いかけたバルバロッサの耳をコーデリアが引っ張った。「おう、痛い痛い」「バル……!」コーデリアが珍しく顔を赤くしながら、切れ長の瞳でバルバロッサを睨みつけると、彼は肩を竦める。2人の様子を見て、リューンとアルハザードは首を傾げて顔を見合わせた。
自分達は、アルハザードに教えることが出来ただろうか。
「バルバロッサ卿とコーデリア様はいつも仲がよくて、憧れます」
「リュー」
自分達だって仲がよいだろうとでも言いたげな獅子王に寄り添いながら、その伴侶である月宮妃は笑った。
1ついえるのは、代が変わって、今、陽王宮に住まうこの2人が幸せそうであることだ。
その2人を見て、今度はバルバロッサとコーデリアが、顔を見合わせて幸せそうに頷いた。