それなり女と魔法使いの手紙

手紙

遅い昼食……という時間に食事をしたため、夕方少し前くらいの時間に二人はジーノの部屋に戻ってきた。おそらく夕食の時間になってもお腹は空かないだろう。ジーノのところにいると食事の時間がバラつくことはたまにあって、例えばすごく遅い時間にちょっとお茶をしたりするのは、それはそれで楽しい。

「ただいま」

「タダイマ?」

二人で帰宅した時に思わず言ってしまった言葉にジーノが首をかしげる。先に入った結菜が居間の扉の手前で振り返ると、ジーノがふわりと抱きついてきた。

「ジーノ?」

「ユイナ、タダイマ、とは?」

「えっと、自分の家に戻ってきた時、ただいま、おかえりって言わない?」

「自分の家に戻ってきた時、タダイマというのですか?」

「そう。それで、家で待ってる人がおかえりって言うの」

「なるほど、待っている人が、ですか」

ジーノは無表情で淡々としているので子供っぽいところがあまりないが、こうやって結菜に抱きつく時は、ほんの少し、子供っぽくて可愛いと思ってしまう。優しく抱き寄せられたり、強く引き寄せられたりするのとは、また少し違う。何が違うのかと問われると返答に困ってしまうが、いつもとは少し違って、切羽詰まった風を感じて胸がキュンとするのだ。

「ジーノ、どうしたの? お茶淹れる?」

「ユイナ」

「ん?」

抱きついていたジーノが少し腕を緩め、結菜の身体を反転させると、そのままトン……と壁に追い詰めてきた。少しだけ上にあるジーノを見上げると、眼鏡の透明ごしに灰色の瞳がじっと見つめている。

ふ、とその灰色の瞳が細くなった。

「タダイマ、ユイナ」

言われた途端、どうしてか、カア……と頬が熱くなる。

「お、おかえりなさい」

そして思わず言い返す。だって「ただいま」って言われたら「おかえり」って言い返すものでしょう。そういう習慣が、日本人の結菜には染みついている。

だが口に出した瞬間、その特別感がざわざわと身体中に広がっていく。その言葉は決して特別なものではない、普通に口にする言葉なのに、この部屋でジーノと交わすと特別なことのように思えるのだ。

心のどこかで、ジーノと結菜のこの関係は歪なものなのではないかと感じていた。「普通」ではないのだと。確かに普通ではない。ジーノと結菜が暮らすのは、遠いだけではない、異世界だ。それはこの安心する腕の中でいつも小さな不安として心に残っている。

だが、今感じたのは不安ではなかった。

「ユイナ、また顔が赤いですが、私は何か言いましたか?」

「えっ」

目を丸くして、結菜がジーノを見上げると、驚くほどジーノの顔が近くにある。いつの間にか結菜を腕と壁に閉じ込めていた。

「え、っと」

結菜は視線をキョロキョロと移ろわせると、少しだけジーノの身体に距離を近づけた。ジーノの頬に自分の頬を寄せるように俯いて言葉を探す。うまく言い表す自信がない。困ったように考え込んでいると、ジーノの吐息を感じた。

近づいてきた体温に、結菜が少し顔を持ち上げるとジーノの唇がやんわりと触れる。ちゅ、ちゅ、と小さな音を立てて唇を咥えるように幾度か啄ばまれた。そうして、僅かに唇を離して囁かれる。

「そういえば、ユイナ。ユイナも時折、師匠に対して赤くなったりしていますね」

「えっ?」

声のトーンの低さに、あれ?と思って身じろぎしたが、再びジーノの唇が触れて声を封じられた。今度は愛らしい啄ばみではなく、深い口付けだ。大きく唇を喰まれ、ぬるりと舌が入り込む。繊細な余裕はなく、どこか荒々しくて強引だ。入り込んできた舌が、結菜のそれを絡め取る。人間の舌の長さなんて知れたもの、それなのに、ほんの少し触れ合わせるだけで、まるで絡み合い、結び合うような濃密な交わりを感じてしまう。

ジーノは片方の手を壁について、結菜のすぐ横に置いている。もう片方の手は結菜の腰を引き寄せた。

「んっ……」

「ユイナ……」

絡ませた舌を少し離すと、名残惜しげに糸を引く。その糸が切れない距離で、ジーノが再び唇を開く。今度はそれと分かるほど、不機嫌な声だった。

「私以外に照れたり、顔を赤らめたりしないでほしい」

「え?」

「師匠はいろいろな意味でああいう人です。杞憂と分かっていても心配でならない。心がざわつきます」

不機嫌な声なのに、全然怖くない。ジーノは結菜が何か反論する前に、再び唇を塞いだ。怒ってるのかとか、嫉妬しているのかとか、聞きたいことは色々あったが、それらはすべて口付けに飲み込まれる。結菜の舌をジーノの舌が持ち上げて、つつきあって落ちていく。時々溢れそうになる唾液を舐め取りながら角度を変える触れ合いは、舌の濡れた感触を感じるたびに身体の奥が疼いた。

「は……ぁ」

「ユイナ……」

舌も息も絡め合いながら、ジーノの手がやや大胆に結菜の腰回りを触れ始めた。履いているスカートをたくし上げると、下着のラインを指先でなぞる。

布ごしでも指先が触れると、あふ、と甘い吐息が溢れてしまう。今は寝室ではなく、玄関を入ってきたばかりの廊下だ。こんなところで触れられるなんてダメと思っていても、身体は拒絶することを拒絶する。ジーノの指も唇もいつもより強引なのに、触れられる結菜の身体はその先を期待してうずうずと反応した。じわりと奥から何かが湧き上がるように感じて、ジーノの肩に顔を隠すように俯く。

壁についていた腕が、結菜の身体を抱きとめるように回された。

「濡れていますね。唇に触れただけなのに」

「ん……だって」

下着を少しずらして、ジーノの指先が結菜の花芽を擦り始めた。途端に結菜の身体がびくりと震え、仰け反った白い喉にジーノが唇を這わせる。喉に感じる柔らかな唇の感触は、濡れた舌の感触に変わり、その刺激に結菜が息を吐くと、今度はジーノの歯がかすかに触れた。

コツンとジーノの眼鏡が当たり、我に返ったように少し顔が離れる。だが指先は結菜の蜜液を楽しむように秘部を往復し始めた。最初は浅く、少しずつ深みに沈めながら、焦らすように何度も触れる。

「ん、あ、ジーノ……っ」

「は、い? なんでしょう、ユイナ」

余裕と思わせていたジーノの息も上がる。触れているのは結菜の身体なのに、結菜の吐息と喘ぎを耳に感じるだけで男の中心に熱が溜まるのが分かった。

その熱に、今度は結菜の指先が触れる。

「っ……ユイナ……」

今度はジーノが過剰に反応してしまう。結菜の首筋から唇を離すと、片方の手で結菜の腕を掴んだ。そのまま誘うように……いや、誘われたのはどちらか分からないまま、結菜の手を自分の熱に導く。服の上からではもどかしすぎて、長衣の下の履き物の中に手を入れさせる。

は、と結菜が喘ぎともため息ともつかない声を上げた。大きく勃ち上がったジーノの楔に手を這わせ、先端を確認するように指先が遠慮がちに触れる。いつもジーノのものに触れる時、結菜の最初はおずおずと慎ましやかだ。それが焦れったいが、今は唇も結菜の愛撫に忙しい。だから代りに、結菜の溢れるそこに指を深く沈めた。

あ、と結菜の高い声が上がり、その声が、長くさえずるように震える。

膣内なかで指がとろりと動く。溶け具合はジーノの動く指にも伝わるが、結菜の身体にも伝わってきた。ジーノに触れる結菜の指先もまた、滑らかに動いている。ひっかかりのない滑らかさは、ジーノの熱量の先端が濡れていることの証拠だ。

「ユイナ、もう」

「あ!」

もう、何なのか。それを結菜が認識するより早く、秘所の奥で泳がせていた指が引き抜かれ、結菜の太ももが持ち上げられた。

「ユイナ、私のものを、出して」

「え、え、あ」

服の中で触れていた結菜の腕を動かさせると、ジーノの履き物が少し下に下がる。羞恥に真っ赤に染まった結菜の顔をじっと見つめると、結菜の手がゆっくりと動いてジーノの履き物を下ろし、触れていた熱を外気にさらした。

ジーノは取り出されたそれを結菜の足と足の間に触れさせる。下着を下ろして、場所を確認するように擦り付けた。

結菜が身体を少し低くする。

たまらずジーノが抱きしめて、ぐ……と腰を密着させると、ひどく色っぽい声で結菜が呻いた。

「んん……っ、あっぅ……」

とろりととろけるような熱に包まれて、ジーノがはあ……と長い息を吐く。立ったままの交わりは深くはないが、なぜか性急なジーノの気持ちが直接伝わってくるようで、結菜の女の部分を艶な意味で刺激した。

不安定な姿勢でゆるゆるとジーノが動き始めると、結菜が支えを求めるようにジーノの首に腕を回す。

浅いところを抽挿しているからか激しい水音は聞こえないが、たっぷりと濡れたその場所は、触れていただけで繋がる身体の快感を押し上げる。立ったまま揺さぶられると、昇り詰めたいのに昇り切れないもどかしさが募る。欲望と愛情の境界が無く、むしろ溢れる情欲が愛情に上乗せされて愛しさが募った。こんな場所でこんなに強引につながりあっているのに。

ジーノが先を求めて、結菜の身体を壁に押し付ける。

片方の腕に結菜の足をかけたまま力を込めると、結菜が堪えるように息を詰めた。自身の熱がさらに奥へ挿入されたが、奥といってもいつもの交わりのように最奥に届くわけではない。それが物足りなくて、結菜がさらにきつくジーノを抱きしめる。

「っく、ユイ、ナ……っ」

「ジーノ、あ、もっと……もっと、おくぅ」

強請る甘い声に、ジーノが苦しげな息を吐く。動きを止めてゴクリと喉を鳴らすと、ゆっくりとつながりあった箇所を離した。

唐突に離れた物の寂しさに、結菜が切なげにジーノの名を呼ぶと、結菜が見上げる暇もなく、ぐ……と腕を引っ張られた。

着衣の乱れも直されないまま、もつれ合うように廊下を進み、扉を一つ開ける。

あ、と思う間もなく、結菜の身体が寝台に投げ出され、ジーノの身体が被さった。

「ユイナ……」

うつ伏せにさせられた身体は容易には抵抗できず、かといってもちろん抵抗することなど考えてもいなかったが、ジーノの手はやすやすと結菜のスカートの中を探って下着をつかんで引き下ろした。

そうして、転がすように仰向けにされて、足を掴まれ、開かれる。

「ジ……んぅ……っ、ああ!」

いつの間にジーノも履き物を下ろしたのか、先ほどまで焦らされていた部分に、今度は奥までみっちりとジーノの熱が入り込んだ。二人の腰がピタリと触れ、溢れた結菜の蜜がジーノの付け根を濡らしている。挿入された刺激に達してしまった結菜の背中がビクビクと仰け反り、鼓動のような締め付けにジーノが息を飲む。

一気に貫いたジーノの先端は結菜の子宮を押し上げて、圧迫感で息苦しいほどなのにつながりあった悦びに身体が震える。

「イ、きましたか、ユイナ」

「ん、だって……あ、気持ちい、くて」

「私も……」

一度大きく引き抜いて、再び奥へと己を戻す。肌がぶつかり、今度は大きく粘着質な音を立てた。結菜の膣内なかは今だに達した余韻に震えていたが、ジーノの熱の塊が内側を擦り、突き上げると、すぐに愉悦を追いかけ始める。

今度はジーノも我慢できそうにない。

誘うようにひくつく結菜の中は、ジーノの禊を独特の感触で包みこもうとする。この温もりと感触の中にずっと包まれていたいと思う反面、解放したいという強い欲望に溺れそうになる。

限界を感じて動きを早める。

どれほど結菜を抱いても、挿れる瞬間と高みに駆け上がる瞬間は慣れないし、飽きない。さして計算しているとも思えないのに、結菜はジーノの昇り詰める瞬間に合わせて、巧みにジーノを飲み込んでくる。

「っは、あ、ユイナっ……!」

しびれるような強い愉悦を感じて、結菜の再奥で動きを止める。同時に結菜が幾度目かの絶頂に息を詰めて、ジーノを抱きしめる腕を強くした。荒く息を吐きながら、お互いの身体にしがみつく。汗ばんだ結菜の首筋に鼻と唇を寄せながら、一気に気だるくなった指を持ち上げて、もぎ取るように眼鏡を外した。

つなげたまま、結菜の頬を両手で包み込んで見下ろす。

何かを言おうとしたが、次を求める欲がそれを塞ぐ。柔らかな唇を重ねると、つながった箇所が再びきつく力を持った。

****

あれからすぐさま服を脱がされ、幾度も抱き合って、ようやく二人の熱情が落ち着きを取り戻しつつあった。一体何がスイッチになったのか、ジーノは優しく、容赦がなかった。けれど今は、裸の肌を触れ合わせながら寝台でゴロゴロと気だるさを楽しんでいる。うつ伏せで頬杖をつく結菜の前にあるのは、結菜が持ってきたクマノヌイグルミと、ジーノに買ってもらったネコッポのヌイグルミだ。

ネコッポのヌイグルミはこちらでは「シルフェ」と呼ばれている猫によく似た動物の人形で、ちょうどクマノヌイグルミと同じくらいの大きさで、ジーノの部屋にクマノヌイグルミを置く代わりに、結菜が部屋に持って帰っていた。それが何日か前からジーノに持ってくるように言われ、預けておいたものだ。結菜が「猫っぽい」と言ったのを聞いたジーノは、それからずっと「ネコッポ」と呼んでいる。

同じようにうつ伏せの格好で、ジーノは片方の腕で結菜を抱き寄せている。

「これでジーノに手紙を届けることができるの? クマノヌイグルミとネコッポで?」

「はい。片方の手紙を届ければ、その魔力でもう片方の手紙を送れます」

「それって……離れててもジーノに連絡できるってこと?」

「そうなりますね。多少制約はありますが」

期待に満ちた結菜の瞳にジーノが唇を寄せて、ちゅ、と音を立てる。くすぐったげに瞼を閉じて、開くと、覗き込むジーノのフラットな灰色が見えた。

どうやらジーノは先日結菜が風邪を引いて喉を痛めたまま召喚された時のことが、よほど堪えていたらしい。自分のいないところで結菜があんなひどい状態になってしまったら、心配でならない。結菜と少しでも連絡を取ることができれば、もっと早く召喚するとか、何か方法があったのにというのだ。

病気になったからといって召喚されてしまうのは困ったものだが、僅かでも連絡が取れるのは嬉しい。

「どうやって使うの?」

問うとジーノは寝台を下りてガウンを羽織り、書物机から二枚の紙を持って戻ってきた。その間に結菜もゴソゴソと起きだしてガウンを羽織る。寝台に座ったジーノから一枚を渡してもらって、裏表を確認してみる。表は便箋のようになっていて、裏は結菜には分からない魔法陣のようなものが描かれていた。

「私がクマノヌイグルミとこの便箋を使ってネコッポへと手紙を送ります」

「うん」

二枚の紙のうち一枚を、ジーノがクマノヌイグルミのお腹の上に乗せる。そうすると、白い紙の表面がほんのりとオレンジ色に光り、ふっと消えた。

「あ」

そうして消えたと思った便箋が、今度はネコッポの背中の上に現れる。(クマノヌイグルミは仰向け、ネコッポはうつ伏せの状態だった)

好奇心で瞳を丸くした結菜の頭をジーノの手が一撫でした。ネコッポの上の便箋を退けると、別の便箋をその上に乗せる。

「この状態で、今度はこちらをネコッポの上に乗せます」

すると今度はネコッポの上の便箋が同じように淡いオレンジ色に光り、クマノヌイグルミのお腹の上に現れた。

「ネコッポ側の方は結菜の世界に置くので、私の方から手紙と一緒に魔力も送らなければ使えないのですが、連絡の取れる手段はあった方が安心でしょう。本当は箱のようなものを使って作りたいのですが、まずは安定した魔法の定義を確立して……」

「うん……うわあ、すごい……すごい、ジーノ!」

「すごいものではありませんよ? もともと召喚と転送の定義は古くから基礎がありますし、少なくともユイナの世界のユイナの場所までであれば、転送位置の特定も難しいものでは……」

「そういうことじゃなくて!」

きっとジーノは淡々と、事実だけを言っているのだろう。ジーノが言うほど簡単なものでは絶対にないと思うが、ジーノの言う通り、不可能を可能にしたという類のものではないのかもしれない。けれど、結菜が喜んだのはそういうことではないのだ。

そういうことでは、なくて。

ギュ、とジーノに抱きつく。

「何か、こう、上手く言えないんだけど……嬉しくて」

「嬉しい?」

「異世界の向こうにジーノがいるって、これで確認できるから」

「ああ」

そうですね……と、抱きつく結菜の身体をジーノが抱き留める。抱きとめてくれた胸板の温度をふんふんと楽しむ。手紙という手段で連絡がとりあえれば、もしかしたら、すごーく会いたい時とか、「会いたい」って言ったりすることもできたりするのだろうか。それはやっぱりわがままかな。

そんな風に一気に考えが傾いて、でもわがままだったらどうしようなどと思って言葉を探していたら、ジーノの手のひらが結菜の背を撫でる。

「私が、会いたい、と言って、あなたも会いたいと思ってくれたら、会えるでしょう」

「あ、私も」

「ユイナも?」

「そう、思ってたから……」

いつもジーノは結菜の気持ちを先回りして、率直な言葉を伝えてくれる。同じ風に思っていたことに気がつくことはよくあって、そういう時、不意に気持ちが重なったと感じる時、甘く恋人同士の実感が湧くのだ。

そこには、異世界を隔てているとか、相手が魔法使いだとか、そういう不思議で特別なことは何も感じない。自分たちは普通の恋人同士なのだと、そう思える。

おかえりとただいまを言い合った時、心のどこかにあった「普通ではない」ことへの不安が少し消えた気がしたのだ。こうやって少しずつ、ジーノと一緒にいることの日常に近づいていく気持ちがする。

「ジーノ」

「ユイナ?」

「今度召喚されたら『ただいま』って言おっと」

「タダイマ?」

「うん」

「ユイナは時々謎かけのような話し方をしますね」

ジーノが結菜を身体全体で抱き寄せてくれている。特別な香りをつけているわけではないのに、ジーノの匂いがしてホッとした。結菜の耳元で「オカエリ、タダイマ」と練習している声が聞こえて嬉しくなる。次の召喚がすごく楽しみで、今日の終わりの切なさも、きっと我慢できると、そう思った。




結菜の目の前に横たわったネコッポと一枚の便箋が置いてある。便箋はジーノから送られてきたものだ。異世界を隔てる実験は成功ですね、との声が聞こえてきそうだが、結菜はとてもとても重大な問題に気がついて頭を抱えた。

「嘘でしょ」

便箋には何やら不可思議な文字が書かれている。

「読めないよ! ジーノ!!」

****

「ふむ」

ジーノは目の前に現れた便箋を取り上げると、眼鏡の位置を直した。先日構築した手紙の転送は概ね成功したようだ。グレイの執務室から魔法に関する冊子を借りていたのも、この術の構築の参考にするためだ。急ぎ構築したものだったが、結果は上々だった。

……が、当然のことながら解決しようのない問題もあった。便箋にはジーノにも分からない言葉が書かれており、非常に精密な絵が貼られている。絵の上下には、これもまた精密な絵の描かれた細いものが貼られており、どうやらこれが大きな絵を留める役割を成しているようだ。

精密画には花のような何かが描かれていたが、リュチアーノにはないものだから何かは分からない。また、その精密画の説明か何かを書いているのか、おそらく結菜の手書きで文字が書かれていたが、その意味も分からなかった。

「文字解読の魔法を作らねばなりませんね……しかし」

それには、ある程度結菜の世界の文字を知らねばならない。結菜の世界の文字を見たことはあるが、翻訳していたわけではないから術を構築するには不完全だ。

もちろんジーノとて文字の読み書きを失念していたわけではないが、結菜に十分な説明ができていなかったのは失敗だった。まず文字のことは置いておいて、構築した魔法を早く試してみたかったという理由もあるが、ある程度の説明はしておくべきだった言い訳にはならないだろう。

おそらく結菜はジーノの手紙を読めていないはずだ。読めないならば返事など書きようもないだろうに、結菜は「何か」を送ってきた。

この手紙にはなんと書いてあるのか、なんのためにこうした絵を送ってきたのか、深い意味はないのか、だが間違いなくこれはジーノのために結菜が書いたものだ。

結菜へ書いた手紙の内容を思い出して、ジーノは微かに笑う。事務的な書簡ならば何度も書いたことがあるが、あんな風な手紙を書いたのは初めてだった。その内容が結菜に伝わっていないのは残念だが、結菜はきっと聞くはずだ。「何を書いていたの?」と。

そういえば結菜は次に召喚されてきた時「ただいま」と言おうと言っていた。「タダイマ」と言われたら、さて何というのだったか。

「ユイナ、オカエリ・ナサイ」

どういう意味なのだろう。結菜に聞くことはたくさんある。話したいこともたくさんある。結菜をこちらに引き寄せるだけではない、ジーノもまた、結菜へと近づくために。

もう一度「ユイナ、オカエリ・ナサイ」と口の中で唱えて、ジーノは次の魔法の構築へと取り掛かり始めた。