タイム・クリスマスタイム

アンティークを思わせる歪みのあるガラスの向こうに、薄白い色の石が連なった指輪が置いてあった。クリスマス前の何処と無くそわそわした雰囲気の商店街で、愛らしい小物は今か今かと誰かの手元に届くのを待っているかのようだ。その愛らしい指輪がまだそこにあることを確認すると、山彦は意を決して店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

ドアベルの音とともに店の中を覗くと、奥から背の高い店主が出てきた。驚いたことに、外国の人のようだった。店の中は暖かく、その暖の元になっているのはどうやら薪ストーブのようだ。電気ストーブにはない、木の焦げた香りかすかに香っている。

目的のものはもちろんショーウインドウに飾られたものだったが、山彦は一通り店内を見て回った。目的のもの以上に目的のものがあるかもしれないと思ったからなのだが、しかし一眼見て欲しいと思ったものがある時は、それ以外のものを見ても、「やっぱりこれがいいな」と確認する作業にしかならない。山彦は、やはりあの指輪以外にはないと心に決めて、店主に声をかけた。

「あの、……あそこに飾ってある指輪を、いただきたいんですけど」

「ああ、あれですね。かしこまりました」

店主は快く頷き、飾ってあった指輪を飾り棚から下ろす。こちらですね、と見せてもらった指輪を山彦はそっと手に取った。

「わあ……」

それはたっぷりの透明な貴石をいくつも繋げて指輪にしたもので、その石の雰囲気もデザインも、きっと山彦が想像した通りに彼女に似合うと確信するものだった。

「これにいたしますか?」

「……はい!」

「どなたかへの、贈り物に?」

「そうなんです、えっと……恋人、に」

恋人、という言葉に山彦は嬉しそうに微笑む。恋人を「恋人」と呼ぶことができるのは、まさに恋人だけの特権だ。その特権を行使できることに、山彦は最近小さな喜びを覚えていた。彼女を誰かに見せたくはないけれど、誰かに彼女を「恋人」だと紹介したいという気持ちもある。矛盾した気持ちは人間になって感じたものだ。人間になって、人間としての生活を始めるようになって、初めて知った様々な気持ちの中の一つ。

サボテンの時はずっと家の中にいて彼女とだけ過ごしていたから気づかなかった、社会の中で愛しい人と小さな暮らしを積み重ねていく、という心地よさ。

口元を緩めた山彦の顔を、店主がどこか微笑ましいものを見るように覗き込んだ。

「では、指輪のサイズは? お直しは必要でしょうか」

「え……?」

山彦が僅かに目を見開いた。

****

今年のクリスマスはどう過ごそうか、そう言おうとして彩花は少しだけ考え込む。「今年は」と言うけれど、山彦にとっては初めてのクリスマスのはずだ。山彦は……サボテンの精霊は?、クリスマスを過ごすことをどう捉えるものなのだろう。

しかし、もしかしたらクリスマスのデートプランなんて考えているのかもしれない。そう考えると、山彦はハロウィンを過ぎてから、街がクリスマスのイルミネーションに変わっていくのと同じくらい、ソワソワとどこか浮き足立った様子で過ごしていたような気がする。期待をするわけではないけれど、期待してしまうのは仕方がないことではないか。

それにしても、クリスマスはどうしよう? そんな風に聞くタイミングって、いつなんだろう。今年のクリスマスはちょうど休みに当たっている。毎週お休みの日は一緒に過ごしているから、きっと変わらず一緒に過ごすはず。そう思うと、クリスマスの約束を改まってするべきか、流れに任せるべきか少しだけ思い悩んだ。

だが、このようなことで思い悩むのは彩花らしくなく、聞いて重くなるかなとか、鬱陶しく思われないかなとか、そういう心配は山彦にはきっとない。だから、それほど気負わずに聞いたのだ。

「山彦くん、クリスマスイブはお仕事お休みだっけ?」

「あ、……それが……」

しかし、彩花の問いに山彦がさっと顔を曇らせた。その時に「おや」と彩花は首をかしげる。みるみる泣きそうになった山彦に苦笑して、色々と悟ったのだった。山彦は、SaHOの紹介で食品などの卸売の会社に勤めているのだが、やはりクリスマス前後というのは忙しいのだろう。そのように聞くと、山彦は神妙に頷いた。

「それなら、ちょっと豪華めなご飯作ろうか」

「うん、あの……!! じゃあ、僕ケーキを買ってくるから、待っててくれる?」

「わかった」

彩花が笑顔で請け負うと、山彦が意を決したように顔を上げる。

「クリスマスの日はお休みだから、……夜、駅前に、イルミネーションを観に行かない?」

「うん、行きたい!」

実を言うと、最寄りの駅前のイルミネーションはハロウィン終了直後から美しく飾られていて、夜二人で出かける時に何度も目にしているものだった。最寄りだから徒歩で行けるし、買い物帰りにも目に入る。山彦はそれをたいそう気に入っていて、いつも足を止めては憧れの眼差しで見上げ、夜ご飯が終わった後に二人でわざわざ出かけて観に行ったりもしていた。

だから別段珍しいものではないのだが、しかし山彦が見たいと言うときは必ず付き合っていた。イルミネーションと同じくらいキラキラとした眼差しで見上げる山彦を見つめるのも嫌いじゃない。

さて、それならどんな晩御飯を作ろうか、山彦が好きな献立を頭に浮かべながらイブの過ごし方を考えていると、後ろからキュッと抱きしめられた。二人が入れるほどの大きな大きなブランケットで身体を包み込んでくる。そのとろりと柔らかい素材の手触りを楽しんでいると、山彦が彩花の首筋に甘えるように鼻を擦り付けた。

「ごめんね彩花さん……イブ、お休みできなくて」

「大丈夫だよ、いつも平日だから去年は普通に仕事してたし」

「でも、僕、初めてのクリスマスなのに」

「そうだよ、だからすごく楽しみ。シチューにしよっか、山彦くんの好きなブロッコリーが入ってるやつ」

「本当?」

「うん。その代わり美味しいケーキ買ってきて」

「彩花さんの好きなやつ買ってくる」

それでもまだ寂しそうに、山彦がため息を吐いた。

****

だって、人間になってから初めてのクリスマスだから。

いろんなものを用意して楽しく彩花と過ごせるようにしたかったし、人間のカップルっぽいことをたくさんしてみたかった。今年は珍しくクリスマスがちょうど週末に当たるねって言ってたのに。

「おかえりなさい、山彦くん」

「彩花さん……」

だから、急いで仕事を終わらせて、急いで帰宅して、切ない気持ちがようやく彩花と過ごせるという安堵に変わる瞬間、部屋の扉を開けた時に出迎えた彩花の姿を見て、山彦は危うく手に持っているケーキの箱を取り落としそうになった。

抱きしめたい。

少しはにかんだ風に微笑む彩花が、早く入ってと山彦の袖を引っ張る。我に返った山彦は、慌てて扉を閉めて鍵をかけると、ケーキの箱を持ったまま彩花の身体を抱き寄せた。

「山彦くん?」

「彩花さん、ただいま」

「おかえりなさい」

「彩花さん、どうしたの? それ、すごく可愛い」

「へへ、いいでしょこのドレス、髪はさすがにアップには出来なかったけど……」

彩花は結婚式に呼ばれた時などに着る、パーティー用のドレスを着てドレスアップをしていたのだ。肌触りのいいネイビーのドレスは、シンプルな形ながら彩花の女性らしいラインを際立たせていて、柔らかなレース編みのストールからチラチラと覗く剥き出しの肩と、デコルテのラインが白くて目に毒だ。

少し離れてまじまじとその姿を眺めて、ほう、とため息を吐いた後、もう一度そっと抱きしめる。

彩花が優しく背中をポンポンとしてくれて、山彦はようやく離れた。

「ご飯にしようか。疲れてるなら、先に何か飲む?」

「ううん、いい匂いする……お腹すいた」

「シチューの匂い」

空腹を訴えたのは、本当に空腹だったかというとそういうわけでもなく、彩花で満たしたいという気持ちもあったのかもしれない。けれど彩花は純粋に山彦がお腹が空いていると思っているようだ。楽しそうに笑って、種明かしをするように山彦の手を引いた。導かれると、部屋の中は電気が落としてあることに初めて気付く。カウンターには二人で買った小さなクリスマスツリーが置かれているのだが、そこにはミニサイズの愛らしい灯がほんのり灯っていた。それからテーブルの上にはキャンドルが置かれていて、そこにもゆらゆらと炎が揺らめいている。

「わあ……彩花さん、これ……」

「クリスマスイブだから」

「すごい」

「ふふ、シチュー食べよ、そんなに本格的なものじゃ……あっ」

たまらなくなって、山彦はぎゅっと彩花を抱きしめた。そっと髪を撫でると、その手触りまでいつもと違う。

「彩花さん、髪の毛ツルツルだね」

「あ、分かってくれた? 美容院に行って、今日は一番いいトリートメントもしてもらっちゃった」

「一番いいやつ?」

「うん、山彦くんが喜んでくれるかな、って、……んっ」

彩花が全てを言い切る前に、山彦は唇を重ね合わせた。唇だけではない。腰に回した腕をぐっと深く引き寄せて、互いの身体がピタリと密着するように重なる。首筋に手を這わせると、おろした髪の手触りが滑らかで心地がいい。その間も重ねた唇を味わうように舌で舐めとると、潤んだグロスの味がした。

少し離れて彩花の瞳を覗き込むと、少し驚いたように目を丸くして山彦を見上げている。何度見ても吸い込まれそうな綺麗で深い色。その瞳に自分の瞳を重ね合わせるように、もう一度唇を近づけると、彩花が小さく笑って山彦の唇を指先で押さえた。

「もう、グロスついてる」

「彩花さんのだから、平気。もっと貰いたい」

「ダメよ、せっかく綺麗にしたのに」

山彦としてはもっと味わいたかったけれど、シチューが冷めちゃう……と言われると、引き下がるしかない。彩花がシチューをよそっている間にコートだけを脱ぐと、ネクタイを締めなおして、襟元を正した。

その様子を見ている彩花に、照れたような仕草で笑う。

「彩花さんも綺麗な格好してるから」

「正装して食べるのも、なんか素敵じゃない?」

「うん!」

シチューはとても美味しかった。少し小さめに切った人参と、大きめのブロッコリー、とろけるような歯触りになった鶏肉に、それから奮発して買ってきたというカンパーニュ。付け合わせはアボガドとエビのサラダ。そんなに手間はかけてないと彩花が苦笑しているけれど、どれも山彦が好きなものだ。シチューは二杯お代わりして、カンパーニュは二回焼いた。

何もかも準備してもらったから後片付けはやると申し出たが、結局いつものように肩を並べて一緒に洗った。その方が早いから、と彩花はいつも言う。

その代わり、食後のコーヒーとケーキの準備は山彦が請け負った。

豆の香ばしい香りと彩花が好きなロールケーキは、ダイニングテーブルではなくてソファの前のローテーブルに置く。たくさん食べた後でもロールケーキは美味しく食べてしまった。

デザートまでお腹におさめ、少し苦めに淹れたコーヒーを飲みながら、彩花に言われるより先に提案する。

すなわちクリスマスのメインイベント、贈り物だ。

「彩花さん、あの……僕、クリスマスプレゼントを用意してるんだ」

「私も。ちょっと待ってて」

彩花がソファから立ち上がって、スツールの引き出しを開けた。何かを手にして、戻ってくる。その間に山彦もカバンから小さな箱を取り出した。

お互い、同じくらいの大きさの箱だ。どちらも手のひらに乗るくらいの箱を、愛らしいリボンでラッピングしてある。山彦がプレゼントを彩花の手に乗せて、彩花のプレゼントが山彦の手に乗る。そっと彩花を窺い見ると、どうやら向こうも同じタイミングで視線を持ち上げたようだ。

そうっと唇が重なる。

睫毛の震える様子まで伝わってくるほど、静かな空気が流れて、山彦はなぞるように唇を動かす。舌は使わない。ただ小さく息を吐いて、啄ばむように触れ合わせる。

先に離れたのは彩花の方だ。

「開けてみていい?」

「僕も開ける」

先ほどまでのどこか静謐な空気が少しほぐれて、ウキウキした気持ちが戻ってきた。自分の選んだプレゼントを相手が開ける瞬間というのは、どこか期待と不安の混じるものだ。彩花がリボンを解く様子をチラチラ横目で見ていると、箱を開けた彩花が大きく目を見張った。

「かわいい……」

箱から彩花がそれを取り出す。

山彦が贈ったのは、銀色の細い鎖に小さな水晶クリスタルをいくつも付けて、幾重にも重ねたブレスウォッチだった。丸みのあるクリスタルガラスの文字盤が、とろけるような輝きで美しい。石はどことなく冷たい感じもするはずが、どこか飴のようにも見えて、口に入れたら甘いのではないかと錯覚しそうなほどだった。

「彩花さん、着けてみて」

うっとりと眺める彩花から時計を取り上げて、山彦は腕に回して留め具を付けてあげた。思った通り、彩花の腕に着けるとより温かみが増して、肌の色にしっくりと馴染む。澄んだ水晶色と銀色の組み合わせは、華やかすぎず、かといって地味でもない。とてもよく似合う。

彩花が楽しげに腕を揺らすと本当に小さくシャラリと鳴って、また微笑む。愛しい恋人の優しい笑みを見て、山彦はどうやら自分の贈り物が成功したらしい様子にホッとした。

「これ、自動巻きって言うんだって。知ってる?」

「えっ、そうなの? ……うれしい、山彦くん……すごく綺麗だし、それに……」

「それに?」

言葉を止めた彩花に、山彦がキョトンと首をかしげる。その様子を見て、彩花がまだ山彦が持ったままのプレゼントを「開けてみて」と頷いた。

自分がプレゼントのリボンを引くときの楽しみも、人になって初めて知ったことだ。リボンはホロリと解けて、包装紙を開いた。箱を開けると、そこにはサテンのクッションに腕時計が通されている。深い青色の革のバンドに、シックな銀縁のケース。繊細な針は複雑な模様を描いているが、文字盤はシンプルだ。

「これも、自動巻きなの」

それを聞いて、山彦が目を丸くする。

「本当? 彩花さんのとおんなじだ……」

「うん、時計っていうだけでも同じでびっくりしちゃったのに。……贈りたいものが一緒だったのね」

山彦は人間になってから、腕時計をする習慣がなかった。社会人として適応するために時間の意識は大切だが、携帯端末を確認すれば分かるし、特に困ったことにはならなかった。けれど、自分の元が植物だったからか、時間の経過とか時の流れには強い憧れがある。だからこそ、腕時計をしてみたいと思うものの、どのようなものを選べばいいのか分からなかったのだ。

「山彦くん、雑誌で自動巻きの時計を見たときにすごく興味を持ってたから、それで、って思って」

「覚えてたんだ……」

「うん。自動巻きって高価すぎてちょっと手が届かないかなって思ってたんだけど、ちょうどいいのを探せたの」

山彦が、ほう……と溜息を吐いて、彩花の腕にあるそれと、自分の手の上にある時計を見つめる。片方は華奢で甘く、もう片方は逞しい。いずれも雰囲気が全く異なるが、その中の仕組みは同じだ。

自動巻き、という時計の仕組みを雑誌か何かで見たとき、山彦は強い憧れを抱いた。身につけて、生活することによって動き続ける時計。ずっとひとところに植わって動かないサボテンには動かせない時の針。もし自分が身につけるなら絶対に自動巻きの腕時計がいいと思っていた。毎日時計を合わせないと針の進みが狂ってしまうというが、そんな生活すら憧れだ。けれどいざ手に入れるとなると、自分でどのようなものを選んでいいか分からない。

彩花に似合うものなら、すぐに見つけるのに。

「山彦くんも、着けてみて」

神妙に頷いて、厳かな気持ちで腕につけてみる。深い青色をした革を山彦の腕に巻いてみると、少しずっしりとした重さと、まだ堅い革の感触を感じた。

耳に近づけてみると、チチチチ……と細やかな音がする。

「同じように時計で、自動巻きなんて、すごいね。嬉しい」

「うん……毎日つけないと」

「ほんとね」

少し顔を近づけると、ほのほのと笑っていた彩花が笑みを止めて、真剣な眼差しで山彦を見つめている。ごく自然に距離が失われて、唇が重なった。性的な楽しみではなく、手を繋いだり、頭を撫でたりするのと同じような感覚で、軽く触れ合い、小さく音を立てて離れる。愛しみのこもった口付けに心がほんのりと暖かくなって、そして、どことなく気まずげに山彦は告白した。

「……あのね、実は……」

実は山彦は、最初は腕時計を送ろうとは思っていなかったのだ。クリスマスのプレゼントはSPNに頼らないで、自分で調べてみようと決めた。しかしどのようなブランドの何を贈れば彩花が喜んでくれるのか思い付かず、途方にくれた。きれいなものならばたくさん売っている。それこそ、少し高そうなアクセサリーをたくさん並べた店はいくらでもある。彩花ならばきっと何を贈っても喜んでくれるが、そうであればあるほど悩ましい。

そんな折、会社の帰り道に小さなアンティークショップを見かけた。その時の山彦は、少しでも愛らしいものを売っていそうなお店があるとチェックせずにはいられなかった。そんな思いで覗いたショーウィンドウの向こうに、絶対に彩花に似合うと確信を持ったものが、あったのだ。

それは指輪だった。

「指輪?」

「そう」

細かで透明な貴石をいくつも連ねた指輪。絶対に彩花に似合うと思った山彦は、それを是非にと思ったのだが、店員にこう聞かれた時に、しまった、と思った。

曰く、

『指輪のサイズは? お直しは必要でしょうか』

……と。

当然のことだった。指輪は繊細なものだ。指にぴたりと合う指輪を買おうと思ったら、サイズを知っていなければならない。アンティークショップにもかかわらず、品のお直しまでしてくれるという親切さだというのに、山彦は彩花の指のサイズを答えることができなかった。かといって、改めて問えば指輪を贈ると分かってしまう。

どうしよう……。しゅんとした山彦に、店主が一つ提案をした。

それならばこちらはどうでしょう、と。

それがこの時計だった。指輪を作った作家と同じ人が作ったもので、同じデザインの時計だ。時計と聞き、さらにそれが珍しい自動巻きだと知って、山彦はこれだと確信したらしい。店主は、腕時計を気に入っていただけたら、恋人を連れて店に来て、指輪のサイズを測ってはいかがかと提案したのだ。

「だから、今度……そのお店に一緒に行こう?」

時計とお揃いのデザインの指輪だなんて、すごくロマンチックで、すごく素敵だから。そう言って、山彦は彩花を抱きしめた。

クリスマスって不思議だ。

恋人と一緒にいる夜はいつもと変わらないはずなのに、どうしてだか、いつもより甘くて優しい気持ちになる。

****

抱きしめられたまま、距離が近くなるに任せて彩花と山彦の唇が触れ合った。山彦が語ったアンティークショップの店主とやらは、ずいぶん商売上手だなと思ったが、しかし時計が素晴らしく気に入ったことには間違いがない。シャラシャラと音が鳴るほど細やかな石がたくさんついているのに、なぜか華美には見えず、腕にしているとシンプルにすら見える。

背中に回っていた山彦の手が、ワンピースの首筋へと移動する。口付けながら、何かを探すように指先が細やかに動いて、ファスナーの先頭を探り当てた。引っ張られる感触がして、ファスナーが下ろされた。

唇が彩花の首筋に移り、食んでいるのが分かる。時々、舌が肌を味わい、その感触にぞくぞくと背筋が震えた。

山彦の指先と舌先は、驚くほど彩花の愉悦を拾い、柔らかに責め立てていく。いつのまにか肩から引き下ろされて剥き出しになった肩に、山彦の荒い息がかかった。

「あやかさん、可愛い、この下着」

「あ……」

いざっていう時に使おうと思っていた勝負下着、……と言うわけではないけれど、女には一枚や二枚お気に入りのランジェリーがあるものだと彩花は思っている。今日身につけているのはそんな一枚で、薄い黄緑と淡いピンク、それを繋げるアイボリーの立体レースが気に入りの逸品だ。山彦は下着は取らずに少しずらして、器用に舌先を入れた。

「んっ」

ツンとした刺激が、肌を這う。乳房の先端を山彦の舌が捉え、突き始めた。舌を上下に這わせて、尖ってきたその部分を咥える。もう片方は指先がしっかりと触れていて、舌で嬲るのとはまた別の感触で触れていた。

「あ、っあ……」

声が上がるのを止められない。

ワンピースはもう全て下ろされて、山彦の手が誘導するままに腰を浮かせて全て取り払われる。

「わあ……やっぱりこの下着、見たことないやつだ、可愛い」

いつのまにか上下の下着だけの姿になっていて、悔しくなった彩花は山彦のスーツに手をかけた。上着を脱がせ、ネクタイの結び目を解く。彩花が何をしようとしているのか分かって、山彦も協力的だ。

ワイシャツのボタンを一つ一つ外して脱がせ、中に着ていたシャツも引き抜く。逞しく引き締まった身体が露わになり、山彦はズボンも脱いで、お互い下着だけになった。

ソファの上で、山彦が彩花の体を少し持ち上げて膝の上に乗せ、後ろから抱き寄せた。肌の触れ合う感触は楽しいが、山彦の膝の上でバランスを取るのは大変だ。思わずしがみつくと、山彦が彩花の肩を抱き寄せて耳元にそっと唇を寄せた。

その唇の感触がいやらしい意味ではなく心地よくて、小さく笑みをこぼすと、まるで動物か何かのように山彦がスリスリと頬をすり寄せる。

抱き寄せている手のひらが、優しくお腹を撫でた。

「あやかさんて、柔らかくて気持ちいい」

「お腹はやめて」

「だって」

女子の嗜みとして、お腹周りは年中気になるものだ。特に山彦が結構引き締まって均整のとれた体つきをしているから余計に気になる。彩花は山彦の腹筋を撫でて、ため息を吐いた。

「山彦くんは引き締まってていいなあ」

「そう?」

山彦がサボテンから人間になって一緒に暮らし始めた時から、彩花の日課のストレッチを一緒にやるようになったが、それでなくても最初からキレキレの体をしていたように思う。それをいうと、なぜか照れたように頬を染めてモジモジした。

「僕、サボテンの中では結構引き締まってる方だったんだ」

「そ、そうなんだ」

言われてサボテン時代の山彦を思い出してみたが、結構丸くてふっくらしたタイプだったような気がする。身体?の部分が引き締まっていたかどうかは(触れていないので)思い出せないが、それでいったらサボテンって全体的に引き締まっている子が多いのかもしれない。

「だけど、人間になったらちゃんと気をつけないといけないって聞いて、腹筋とかしてるんだ」

「そう言えばそうだね」

彩花のストレッチに付き合うと同時に、山彦は筋トレメニューもこなしている。なんでもSPNスピリッツネットワークで検索したりアドバイスをもらったりして、精霊から人間になった後は身体の構造が人間のものになるから、これまでとは異なる筋トレ方法(つまり人間がよくしている筋トレ)を継続的に実施しなければならないのだとか。これまでと異なるって、サボテン時代にサボテンに適した筋トレをしていたのかどうかは定かではないが、そもそも精霊って筋トレが必要なのだろうか。

それはいいとして、ともかく山彦が筋トレなどをするので、今度は彩花もそれに付き合って、腹筋を数回、メニューに取り入れるようになった。

だからといって、ちょっとハイカロリーなもの食べたり飲んだりするとすぐにお腹周りが柔らかくなるような気がする彩花は、例に漏れず甘いものが大好きなので油断はできないのだ。つまり、ミルクたっぷりシチューとロールケーキを食べた今となっては。

「大丈夫だよ」

「もう、何が大丈夫なの」

「運動いっぱいしよ」

そう言いながら、山彦がゴリ……と何かを押し付けて来た。もうとっくの昔に元気になっていた、山彦のアレである。山彦が少し彩花の身体を持ち上げて向かい合わせに座らせると、グッと押し付ける。他の何処とも異なる硬さは、いつ感じとっても不思議だ。下着越しに互いの敏感な部分が触れ合い、それだけで甘い声が漏れた。

山彦の手が腰の丸みを掴み、ゆっくりと揉みしだきはじめた。時々裂け目を広げるように指を押し付け、下着のクロッチ部分を探ってくる。揺れる彩花の体に合わせて触れられる唇は、首筋から徐々に下がり、デコルテの凹みになぞって動かされ、ちゅ、と胸の先端に到達した。

やがて下着の中に指先が入ってくる。襞をかき分けるように指が動き、自分の奥が濡れていることを感じた。中を弄ろうとする指の動きは何もかも知っていて、それでいて何かを探るようだ。激しくはなく、静かにゆっくりと、山彦の長い指先が、彩花の蜜壺をかき混ぜ始めた。

「……すごい、すごく、濡れてる、彩花さん……」

「……あ、はっ……あ、やま、ひこくん……」

彩花もまた、山彦のボクサーパンツの表面をそっと撫でた。途端に「あ」と山彦が声をあげて、背中を震わせる。男の人が感じている姿というのは、なんというか、無防備でとても可愛らしい気がする。彩花は山彦の下着の中に手を入れて、硬くなっている彼の熱を握り込んだ。

先端に触れると、少し濡れている。つるりとしたその部分を撫で回すと、山彦の手が止まり、はあ……と息を吐いたのが分かった。

山彦の顔を見上げると、期待と焦りのようなものを浮かべた瞳が潤んでこちらを見ていた。なんだかもっと触れたい気持ちになって、彩花は山彦の下着を下ろす。

「あ、っ、あやかさん!?」

彩花はソファから降りて膝立ちになった。背もたれに身体を預けて傾いでいる山彦からは、先ほどまで彩花が触れていたものにキスするように唇を触れさせた。

「っう、あ」

ビクッと身体が揺れて、山彦が思わず腰を引こうとする。彩花はそれを捕まえて、ぐっと奥まで口に含んだ。そうして舌を当てがって、ぬるりと口から引き出す。しかし完全には引き出さずに先端を口に含んだまま、つるりとした部分を舌で大きく舐める。生々しい味がするが、少しも嫌ではない。

「ふっ、あ……あっ」

つ、と段差の部分に舌先を這わせ、もう一度先端に戻る。先走りの滴るそこを優しく舐めると、山彦はとても好いらしい。いつのまにか握り合っている手が、ぎゅっと強くなる。執拗に先端を舐めていると、山彦のもう片方の手が彩花の頭を優しく撫で始めた。

「は、あ……あ、あやか、さん……」

「んっ……」

気持ち良さそうな山彦の声に、身体の奥から何かが湧き出す。じわじわと濡れるのが分かるが、もちろんそれは自分の口腔内ではない。もっと奥、触れられているわけではないのに濡れている。先ほど触れ合っていたからではない、新たな蜜が、触れられてもいないのに。

もう一度喉の奥まで咥えこんで、片方の手で竿の部分を緩く握り、唇と舌も合わせて上下する。

ぐ、と彩花の髪を撫でる手が強張った。

「ふ、あ、あやかさ、んっ……! それ、っ、もう、出っ」

ぬちゅ、といやらしい音がしたのは、彩花の唇からこぼれた唾液が、頬張った山彦の熱に纏わり付いた音だ。その音が激しくなると、山彦の喘ぎが何処か焦ったものに変わる。それが何処か嬉しくて彩花が夢中になっていると、ぐっと強く頭を押さえつけられた。

「……っく、うっ……」

彩花の口の中で山彦のものが大きく脈打つ。同時に、口の中に生温いものが広がって、その勢いに思わずゴクンと咀嚼してしまった。今まで口淫はしたことがあっても、口に出されたことも飲んだこともない。喉に絡みついて、ケホケホと咳をしてしまうと、山彦がハッとした様子で腰を引いた。

「あっ、彩花さん!! ごめ、ごめんなさい」

「んっ、いいよ……大丈夫、山彦くんのだし……」

「あやかさん……」

カップに残っていたコーヒーを飲ませようとソファから降りた山彦は、彩花の口元をティッシュで拭いてあげながら、そのセリフを聞いて呆然とした。

「山彦くん?」

山彦は彩花にコーヒーとティッシュを押し付けると、ババッと立ち上がってテレビ台の引き出しから何かを取り出す。何かを噛み千切りながら戻って来ると、床に座り込んだままの彩花の背中を押して、四つん這いにさせた。

「あっ……!」

「あやかさんが悪い。あんな、あんな風に可愛く、するから……」

勢いよく下着が下ろされて、彩花の背中に広く逞しい身体が覆いかぶさる。身体を重ね合わせながら、山彦の指が彩花の秘部を後ろから探った。

「すごい、さっきよりも濡れてる、どんどん濡れてくる……ねえ、あやかさん、僕のを、舐めたから?」

「あっ、ん……っ」

「もうこんな、ぐちゃぐちゃ……挿れたい、挿れるね」

何度か裂け目に合わせて指を上下させていたが、指よりももっと重量のあるものに入れ替わって、慣らすように動かす。ねちゃ、と音がして、ゆっくりとそれが入ってきた。

「あ、おおき」

「あやかさ、ん、が、いやらしいから……」

いれただけでいきそう。

いつもの可愛らしい山彦からは想像できないくらい、妖艶で意地悪な声で囁かれた。その言葉通り、……実際には達しそうなのは山彦のはずなのに、彩花の子宮が反応し、思わずぎゅっと手を握りこむ。その手に山彦の手が重なって、ゆるゆると動き始めた。先ほど出したばかりなのに、常よりも怒張している気がして、膣内の壁が掻き分けられ、奥に進んでくる感触がひどくリアルに感じられる。グツグツと柔肉を押し広げ、押し広げられる度に愉悦が沸き起こる。

ゆっくりとした抽動は、やがて大きく速いリズムに変わった。四つん這いの身体を、後ろから激しく突かれている。少し浅い部分を細やかに、子宮口に届くほどの奥は押し込むように揺らしながら、弓なりの背中に山彦が抱きつく。

一突きされる度に、背筋に重く、甘い、快楽が這い上る。

「は……うっ、く、すごく、興奮する……あ、もう……」

「や、あ、っあ、わたしっ、も」

「ねえ、いって、いってよ、僕も、いっしょに……っ!」

彩花の身体が快楽の最も高鳴った場所でぶるぶると震えて、それと同時に山彦が膜の中に白濁を放つ。本当はすぐに引き抜かないといけないけれど、ずっと留まっていたいという強い欲求に勝てない。

気持ちが良くて、事後の余韻が愛しくて、触れ合う身体が温かくて、ゆるゆると息を整える。やがて名残惜しく山彦が彩花の身体から出ていき、起こすように抱き寄せられた。

「彩花さん、大好き」

「ん、私も……」

「床でしちゃったね」

悪びれもせずに山彦が言って、彩花が顔を真っ赤にする。そんな顔も可愛い、という風に山彦が彩花の頬にキスをして、後ろからギュウッと抱きしめる。

「お風呂はいろ、いっしょに」

「え……」

「それから、ベッドで、もう一回しようね」

すんすんと、山彦が彩花の首筋に鼻を突っ込んでくる。最初の頃は流されまいと決めていたのに、今ではすっかり山彦に甘くなってしまった。

ソファに掛けてあった大きなブランケットを引っ張り出して、山彦が彩花の身体ごとすっぽりと包んだ。

****

ベッドの中で彩花の裸の身体を抱いたまま、山彦は目が覚めた。いつもと違う重みに気がついて、彩花を抱き寄せている片方の腕を持ち上げると、そこには昨日彩花からもらった時計がチチチ……と時を刻んでいる。昨晩はお風呂で身体を洗いっこしたあと、入浴剤を入れていっしょに入って、それからベッドで何度も抱き合ったのだ。最初は激しく交わりあったけど、最後は奥を味わうことに専念してゆっくりと揺らした。寝入った時間は分からない。疲れていたわけではないけれど、彩花のまろやかな温もりを肌に感じていたら、身体は自然に眠くなる。

夜になったら眠くなって、朝が来たら目が覚める。人間には当たり前のこの日常が、当たり前に身につくまでに、さほど時間はかからなかったけれど、今でも隣で眠る彩花の顔を見ると、その愛しさと大切さに胸がキュンとするのだ。

サボテンだった頃は、鉢植えの中から眺めるしかなかった彩花の寝顔。夢での時間は、ただ抱き合うだけの時間だったから、こんな風に日常を重ねることはできなかった。

時計の針は10時を指している。ずいぶん寝坊してしまった。

「ん……」

愛しい恋人も、もうじき目覚めそうだ。

ころんとこちらに向かせると、山彦の胸に投げ出された腕に、同じように時を刻む時計がある。その腕を手にとって、手のひらを合わせて指を絡ませていると、その向こうで瞼が震える気配がいた。

「おはよう、彩花さん」

「う、ん……おはよ、山彦くん」

「メリークリスマス」

山彦の言葉に、彩花の瞳がはっきりと覚醒して、そうして山彦が大好きな笑みを象る。

「メリークリスマス、山彦くん」

シャラリと腕時計の音がして、彩花の手が山彦の髪を優しく撫でてくれた。