キスの日小話。サボちゃんと彩花が一緒に暮らし始めて、すぐのお話。
「うわあ! あやかさん、ここが、コンビニですか!」
「ちょっと、そんな大きな声できょろきょろしないで、シーってば、シー!」
「はい!」
人差し指を唇に当てて慌てる彩花に、山彦は頷いて、真似して人差し指を唇にあてた。
彩花は山彦を連れて近所のコンビニにやってきていた。山彦はSaHOから支給された細身のジーンズにリネンのシャツを着こなして、彩花の隣に並んでいる。しっかりと彩花の手を握り、恋人つなぎで指を絡めていた。離してといっても聞かないし、離したら離したで後ろから抱きついてくるので振り払えない。
山彦は彩花より少し背が高い、という程度だろうか。柔らかそうな髪は真黒で、少しだけ青みがかかっている。瞳は茶色に近いけれど、よくよく見たら光彩に少し緑色が混じっていた。
何度か外に一緒に出掛けるようになって、その度に山彦の反応は新鮮だ。大概が恥ずかしくておとなしくして、と言ってしまうが、好奇心丸出しで歩く山彦の姿は、どうしてか憎めない。
「これが、新作のスイーツ?」
「うん。他に買いたいものある?」
「あ、コンドームも」
「ちょっと!」
普通のトーンで言ったのに、彩花はぎょっとして思わず過剰反応してしまった。ちらりと近くの客がこちらを見た気がするけれど、恐らくバカップルの会話だと思われただけだろう。それを買う事の意味も分かってはいるが、買わなくてもいい!……と自信満々に言えないのも、また、かなしい。彩花は今、山彦の顔に似合わない低い声で甘く迫られたら、それに流されない自信が無い。
山彦が悪気の無い顔でコンドームを一箱買い物かごにいれたのを許しながら、一通り店を一周した。お茶とお酒と、それからチョコレートなんかを買って帰路につく。
「たのしい、あやかさんと、こうやって普通に歩くの」
「いつも歩いてるでしょう」
「うん。そうだけど」
楽しそうに、山彦が笑う。本当にこの男がサボテンだったかなんて、彩花にはまだ信じられない。当たり前だろう。そんな突拍子もないことが、信じられるはずが無いのだ。しかし、何度か訪問にやってきたSaHOの職員の方の話や、置いて行った「人と精霊の暮らしのしおり」というパンフレットを見てみると、だんだんと「こういうこともあるのだろうか」という気持ちになってくる。
部屋について、灯りを付ける。1人の方が気楽だと思っていたが、誰かが居る……という感覚も不思議と嫌なものではない。
「あやかさん」
「ん?」
呼ばれて振り向くと、すぐ側に山彦の顔があった。驚いて避ける間もなく、ほんわりと唇が重なる。
「……?」
「……ん、む」
むぐむぐと山彦がくぐもった声をこぼしている。身体の重みで押され、2人して床にごろんと転がった。何をするのと身体を押し退けたいが、そんな感情とは裏腹に、甘い味が口の中に広がる。
「チョコレート……?」
ようやく離れた唇に、解放された声が疑問を投げると、山彦が爽やかな笑顔で頷いた。
「キスって書いてたから」
彩花を押し倒したままの山彦が、ひらひらと手の中に持っている袋を振ってみせた。それは「kiss」と書かれたパッケージで、小さなチョコレートのようだ。
「僕、ずっと人の受粉のこと調べてたんだよ。そしたら、キスするものなんだって。キスって甘いって。これのこと?」
「ち、ちがうわよ! 何言ってるの、ちょっと重い!離して!」
「ちがうの……?」
山彦が、眉を下げてしょんぼりした。奇妙な罪悪感に襲われて、彩花も言葉に詰まる。……というか、言葉に困る。
「ち、がうわよ。チョコレートとキスと、甘い、っていうのは別のこと。キスが甘いっていうのは例えで……」
「ってことは、普通にしても甘い、ってこと?」
「だからそれは」
ものの例えだから……という彩花の言葉は、山彦の唇が塞いだ。大好きな人との触れ合いは、チョコレートよりも甘い。山彦がそれに気が付くのは、このすぐ後の事。コンビニで買ったコンドームが功を奏したか……と言えば、それはまた別の話である。