006.いっしょに

フレデリクのからだからいつのまにか痛みがきえていました。そうして、どれだけ探してもいなかったウルリカの気配がそばにあるのが分かりました。けれどもからだはうごかずに、ウルリカをよぶこともスイカズラの花をわたすこともできません。

なんとかからだをうごかそうとしておりますと、頭のなかにやさしい声がきこえました。

『フレデリク、あなたを助けたいという人がいます』

いったいだれ? そう聞こうと思いましたが、声がでませんでしたから聞けませんでした。やさしい声はつづけます。

『ですからフレデリク、あなたのおねがいをかなえてあげましょう』

俺のねがい?

元気なときのフレデリクであれば、おねがいごとはたくさんあったでしょうね。けれども今、フレデリクはからだじゅうをけがしていて、今にも息がとまりそうなほどでした。ただひとつはっきりしていることは、ウルリカがよろこぶだろうと思ってスイカズラの花をとりにいったことだけです。スイカズラの花があれば、ウルリカはもういちど刺繍をしてくれるかもしれません。フレデリクはウルリカにおねがいしようと思っていました。じぶんのハンカチに、スイカズラの刺繍をしてくれないか、って。

ウルリカはとてもやさしいおんなのこです。
お話するのがゆっくりになってしまったのならば、フレデリクもゆっくり待てばよいのです。これからはウルリカにあわせてゆっくり、言わなければならないことはさいごまでことばにしようと思っていました。
けれども、ウルリカはどこにもいなくなってしまいました。もうあのきれいな灰色の髪も、刺繍をする横顔も、見ることはできないのでしょうか。

そんなのはいやです。

だって、フレデリクはウルリカにスイカズラの花をわたしていないのですから。

そう思って、フレデリクはゆっくりと目をあけました。
「俺は、ウルリカといっしょにいたい」
天使さまは、フレデリクのねがいをかなえてくださいました。

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部屋の中が目もくらむほどに真っ白になりました。なにごとかと思って、大人たちは思わず目を閉じました。おそるおそる目を開いてフレデリクを見ると、そのかたわらに灰色の髪のほっそりとしたおんなのこがおりました。おんなのこはフレデリクの片方の手をにぎって、ひざをついておりました。

フレデリクの息がすこしずつ元にもどってきて、ウルリカがにぎりしめている手がぴくりとうごきました。部屋のなかのお医者さまが目をまるくして「呼吸がもどってきている。しんじられない」とか、庭師のおじさんが「よかった、たすかったんだな!」などと言っているのが聞こえます。

けれどもウルリカには、みなのことばは耳にはいりませんでした。フレデリクがたすかったということだけが、ウルリカにとってたいせつなことでした。

そう思っていると、フレデリクがウルリカの方をむいてスイカズラの花をさしだしました。

「ウルリカ、これをやるよ」

<フレデリク?>

どうしてでしょう。ウルリカのすがたはだれにも見えないはずなのに、フレデリクはまよわずウルリカの顔をのぞきこみました。フレデリクはすっかりげんきになったようで、頬に赤みもさしています。やさしくわらって、ごつごつしたゆびさきで、そうっとウルリカの灰色の髪にふれました。

「ウルリカ、泣くなよ」

<わたしのこと わかるの?>

ウルリカは泣いておりました。なぜだかわからないけれど、涙がでるのです。

「わかるさ。だって会いたかったから」

<わたしも あいたかった>

ウルリカはほんのりとわらって、フレデリクからスイカズラの花を受け取りました。

「なあ、それで俺のハンカチにも刺繍をしてくれないか?」

<私がすると ゆっくりに なってしまうけれど いい?>

「いいんだ。ウルリカにゆっくり刺繍してもらいたいから」

そう言ってふたりがほほえみあっておりますと、司祭さまのおどろいた声がきこえます。

「ウルリカ? どうしてここに?」

<しさいさまも わたしが みえるの?>

見えますとも。

フレデリクや司祭さまだけでなく、いまや、部屋にいるみんなにウルリカのすがたは見えております。

なぜなら、フレデリクが「ウルリカといっしょにいたい」と言ったものですから、天使さまがそれをかなえたのでした。フレデリクを元気にして、ウルリカの姿をもとにもどしたのです。元気で姿が見えなければ、ウルリカといっしょにいられませんものね。

こうしてウルリカはもとのように、みんなに見えるようになりました。それから、ウルリカはいやがらずにオルガンをれんしゅうするようになり、刺繍のしごともがんばるようになりました。領主さまのおたんじょうびにうたったのはソフィアですが、オルガンはウルリカがそれにあわせて上手に弾きました。

さて、ウルリカはいまでもうたうことはできません。

髪はもとの灰色のままで、やせっぽちのからだもそのままです。刺繍のしごとは…だいぶんがんばるようになりましたが、まだすこしおそいのでした。それに、いっしょうけんめいお話をするれんしゅうはしましたが、ちいさなかすれた声はもとにもどりませんでしたし、どんなにがんばってもゆっくりとお話することしかできません。このため、ほかのひとよりも苦労をすることがたくさんありました。

けれども、ウルリカのそばには、いろんな大切なひとがおりましたし、なによりもフレデリクがゆっくりなウルリカを待っていてくれます。そのことをウルリカはたいへん幸せに思うのでした。

ウルリカはもう自分をみじめだとか、のろまだとか、そんな風には思いませんでした。





ある国のある街に、とてもうつくしい天使さまの像がかざられた聖堂がありました。この聖堂はむかし火事でもえてしまったことがあるのですが、いまはすっかり元のとおりになおっています。

この街にはたいへんにすばらしい聖歌隊があります。そして、聖歌隊のためにじょうずにオルガンを弾くおんなの人がおりました。オルガンをじょうずに弾くおんなの人は、ふだんはこどもたちに刺繍をおしえております。とてもゆっくり、ていねいにおしえてくれるので、こどもたちはじょうずに刺繍が作れるようになるのです。

おんなの人は、お話をするのもごはんをたべるのも刺繍をするのも、いつもたいへんゆっくりでしたけれど、どれもとてもていねいにこなすのでした。

スイカズラがきれいに植わった聖堂の中庭で、とおくの山につもったゆきのようなきれいな灰色の髪をしたおんなの人が、ゆっくりと刺繍をしております。そのすがたをおだやかなまなざしで見つめているおとこの人が、中庭の世話をしておりました。

そうして今日もかわらぬやさしさで、天使さまの像はほほえんでいるのです。