『お往き、愛し子。そうして、見つけるがいい』
『さあ行け、ぼうず。しっかりつかまえろよ』
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リーンゴーン。
街にある背の高い鐘楼が、鐘を鳴らしておりました。いつもの時間、いつものように、街のみんなにお昼を知らせる鐘の音です。
病院のそばの裏の通り、薬草の香りがするお家から元気のいい女の子の声が聞こえてきました。
「大おばあちゃん、この薬どこに届けるのー?」
「鐘楼のそばの、新しくできた家だよ。家具屋だ。ついでに家の棚を見てもらえるか、言付けておいておくれ」
「わかった! いってきまーす!」
薬屋の扉が開いて、ゆるく巻いた金髪の背の低い女の子が元気よく飛び出してきました。
「おいカリン! 薬を忘れてるよ、まったくあんたはそそっかしいね」
腰がすっかり曲がってしまった薬屋のおばあさんが出て来て、カリンと呼んだ女の子に紙袋を押し付けます。そうしてうろうろと手を彷徨わせました。カリンはにっこりと笑って、少しおばあさんに近付いて身体を低くします。そうすると、おばあさんの手がカリンの頭に触れました。おばあさんは、小さな子供にするように、ぽんぽん……とカリンの頭を叩いて、「さあおいき!」と言いました。
「はあい!」
カリンのひいおばあさんは眼が見えないのですけれど現役の薬屋さんで、カリンはその二番目の弟子です。一番目の弟子はカリンのお母さんですが、遅くにできた弟が生まれたばかりで、ひいおばあさんのお手伝いが出来ないのでした。
今日はひいおばあさんの作った軟膏を、最近こっちに引っ越して来たばかりの家具屋の夫婦のところに届けにいきます。なんでもおばあさんの薬屋の昔の常連さんだったようで、一度この街を離れたあと、こちらに戻って来たのだそうです。
街の広場を楽しく歩いておりますと、こんがりと焼きたてのアップルパイの香りが漂ってきました。いつもより少し値段が高いのは、冬のお祭りの日が近いからでしょう。広場では雪のランタンを作る子供たちが多く居て、夜には仕事を終えた大人たちもたくさん作りにやってきます。カリンもそろそろ、作らなければなりません。
「あ、あの家ね」
しばらく歩くと鐘楼のすぐそばに、こじんまりとした新しい家が見えてきました。どうやら本当に家具屋さんのようで、椅子と机の看板が出ています。
「こんにちは」
ノックをすると家の中から、美人な奥さんが出てきました。奥さんはにっこりと笑って、「いらっしゃい」と言ってくれます。
「私、薬屋のカリンです」
「まあ、お願いしていたお薬ね」
「はい!」
「入って頂戴」
扉のなかは広くなっていて、出来合いの家具がいくつか置いてありました。新しい家具にしかない木のいい匂いがします。カリンが奥さんに紙袋を渡すと、奥さんは紙袋の中をがさごそと覗いて鼻を近付け、楽しそうに「これこれ」と言いました。カリンが首を傾げると、なつかしそうな瞳で外を見ます。
「昔ね、このお薬に、うちの人が世話になったの。ねえ、あなた! 薬屋さんのお嬢さんが来てくれたわよ」
カリンが新しい机や椅子を物珍しげにきょろきょろと見渡しておりますと、しばらくして旦那さんがやってきました。トン、トン……と杖を突く音がします。男らしい顔をしている逞しいおじさんですが、足が片方悪いようで、杖に頼って歩いているようでした。
旦那さんがカリンを見ると、気難しそうな瞳が和らぎました。
「薬屋のところのか」
「はい! ひいおばあちゃんのお使いで」
「そうか、こういう商売をしていると怪我が絶えなくてな。倅も仕事を手伝うようになったし、ここの薬はよく効くから頼んだ品だよ」
「昔、こちらに住んでいたのですか?」
「ああ。17、8年前くらいになるかな」
それから少しだけ話をしました。旦那さんは足に怪我して一度街を離れたのですが、その後生まれた息子さんが大きくなったのをきっかけに、つい最近こちらに戻って来たのだそうです。ひいおばあさんの昔話にカリンは「あ!」と思い出しました。
「そうだ、おばあちゃんの家、作り付けの棚が少し傷んでしまって」
「修理か?」
「はい、一度見てもらいたいって」
「なるほど、それなら後で見に行こう」
「お願いします!」
カリンが元気に頷くと、奥さんも楽しそうに、旦那さんもゆったりと笑いました。そうして、「それじゃあ」と扉に向かいますと、急にバタンとその扉が開きました。
「きゃ」
「……おい、親父、金物屋に……っと、ワリ、お客さんか」
急に開いた扉に鼻を打ちそうになったカリンが後ろに避けると、背の高い、真っ直ぐな黒髪を短く刈った男の子が立っておりました。
カリンはきょとんと、男の子を見上げました。
男の子もまた、どこか驚いた風にカリンを見下ろしていました。
お互い目を離せないまま、どれくらいそうしていたのでしょう。恐らくほんの一瞬だったのでしょうけれど、どうしてだか、とても長い時間だったような気がしました。
「おい、マルク! 店から入るときはノックしろっていつも言ってるだろうが!」
「……あ、ああ」
旦那さんの声で、2人は我に返りました。けれど視線を外すのはなぜかもったいないような気がして、お互いがお互いを気にしながら、マルク……と呼ばれた男の子は担いでいた荷物を下しました。
「親父の言ってた道具、金物屋からもらってきたぜ」
「ああ、そこに置いておけ。そうだ、マルク」
「ん?」
「仕事だ。そこのお嬢さんとこの薬屋の棚が傷んでいるんだと。お前、行ってちょっと様子を見て来てくれ」
「えっ?」
「ついでに街を案内してもらえ。悪いが、お嬢さん、ちょいとマルクを店まで連れてってやってくれないか」
いいかい? と、旦那さんがカリンの方を見ながら言いました。マルクを見ていたカリンは、慌てて頷きます。マルクはどうしたらいいのか分からない風に突っ立っておりましたが、カリンが隣に並ぶと急にそっぽを向いて、旦那さんに「行ってくる」と、ボソボソ言いました。
こうして2人は、おまつり前の街へと出掛けることになりました。
「明日、おまつりなんだな」
「うん。……マルク、くん? は、この街のおまつり、初めて?」
マルクくん、なんて呼ばれてびっくりしたように、マルクは足を止めてカリンを見ました。しかしすぐに頬を赤くして、「ああ」と言って向こうを向いてしまいます。
そうして、「マルクでいい」と言いました。
「え?」
「呼び方! マルクでいいって、言ったんだよ」
「えっと、……私、カリン」
ゆっくりとマルクがカリンの方を向きました。改めて顔を見合わせて、初めてまっすぐにお互いの瞳を覗き込みました。薄い青いカリンの瞳にマルクの顔が、黒い鋭いマルクの瞳にカリンが映っています。
瞳が合うのはとても照れくさい気がしましたが、それを逸らすのは間違っているような気もしました。だからお互いに頷きます。
「ん、カリン」
「うん」
なんだか急に、2人の距離が近付いた気がしました。
そうして再び、歩き始めます。広場に出ると子供も大人も、いろんな人達がランタンを作ったり、恋人たちが寄り添って歩いたり、ベンチに座ってアップルパイを食べたりしておりました。
「ランタンだっけ、雪で作るんだな」
「そうよ。おまつりの夜にね、夜中にいっせいに灯を灯すの。すごく綺麗よ」
「そうか。……カリンは作ったのか?」
「ううん、まだ」
お祭り前に薬を買っていこうという人が多くて忙しくて、今年のおまつりのランタンはまだ作っていないのだとカリンは言いました。マルクの家でもそういえば、久しぶりに作ろうかと言っていたのだという話をします。
「そうだ」
「ん?」
「今日の夜、一緒に作る?」
「え?」
「エドガー先生に教えてもらうといいわ。仕事が終わった後、ここでいつもみんなに教えているから」
「エドガー先生?」
そう、と言ってカリンが頷きます。街で一番のランタン作りの名人は学校の先生をしていて、いつまでたってもまるで子供みたいにやんちゃな人でした。自慢の妹さんはこの街の看護婦さんをしております。
「ふうん」
楽しそうに話すカリンの様子に、少しばかり面白くなさそうにマルクが返事をしました。
「どうしたの?」
「別に」
ちょっとだけ2人の間に沈黙が降りました。しかしその間も広場は忙しなく、往来を歩く人達は増えていきます。
カリンもマルクも、人が多くなっていく道々を黙って歩いていきます。2人とも何かとても大切なことを忘れているような、少しだけ焦った気持ちになりました。けれどそれが何かは分かりません。
人を避けていると、カリンとマルクの肩がぶつかりそうなほど近くなりました。
お互いの手の甲が、こつんと触れ合います。
ほんの少し触れただけなのに、カリンとマルクの手がびくんと震えました。胸がきゅっと狭くなったような心地がして、カリンは思わずマルクを見上げましたが、マルクはこちらを見ていませんでした。
けれど。
ぎゅ、とマルクの手がカリンの手を握りました。思わず「あ」と言ったカリンの方を相変わらず見ないまま、マルクは頬を赤くしておりました。
「人ごみ!……はぐれるから」
「うん……」
カリンはマルクの手を握り返しました。
カリンとマルクは今日初めて会ったのですけれど、こうして手をつないでみますと、なぜか手をつながずに歩くのはとても変なことのように思えました。手をつないでおまつりを見て回るのは、2人にとって当たり前の、それでいてどこか特別なことでした。
カリンとマルクは手をつないだまま、広場をぐるりと一周してみました。そうして、おまつり前の楽しげな雰囲気を味わいます。
いい匂いにつられてついつい少し高いアップルパイを買ってしまい、交互にかじって半分こしました。
開けた所に行くと小さい子供たちにランタンの作り方を教える大きな子供たちがいて、その器用な様子を覗き込んでは感心します。
ちらりと木陰に視線を移すと、身体を寄せ合う恋人たちが見えてしまって少し顔を赤くして、慌てて視線を逸らすとお土産を持って家路を急ぐどこかのお父さんにぶつかりそうになりました。
それから途中でエドガーに掴まって、頭をぐしゃぐしゃと撫でられたりしました。
カリンには見慣れた風景であるはずなのに、マルクと一緒だととても特別な風景に見えました。マルクには初めて見た風景で物珍しかったのですが、それよりも広場を見ているカリンから目を離す事ができずにいました。
今やしっかりと、2人の手は握られております。
「ねえ、マルク。おまつり、一緒に見ようか」
「なあ、カリン。おまつり、一緒に見ないか」
2人はどちらからともなくそう言って、同じ事を言ってしまったことに気が付いて、クスクスと笑い合いました。まるでそれが昔々から約束されていたことのように、すとんと綺麗に胸の奥に納まって、何だかとても安心しました。
マルクの大きな手がカリンの手を包み込みます。
カリンの細い指先が、マルクの手をぎゅっと頼りました。
しっかりと手をつないで歩く2人を見送って、どこからか白い鳩と黒い鴉がバサリと空高く飛び立ちました。