男運なんてどうでもいいから。

私の名前は、宮間小春(みやまこはる)という。28歳のOLだ。いや、正確には、「だった。」

好きになった男には妻がいたので、そうと知れたときには急激に冷めて別れた。いくら好きだっつっても嘘つかれて裏切られたんじゃたまったもんじゃないし、そこですがりつくほどバカじゃないし。まあこういう恋があってもしかたがないよね、なんて愚痴を聞いてくれたいかにも日本男児風の居酒屋の旦那が、がんばったねってなぐさめてくれたもんだから、ナデポよろしく懐いてたら告白されたから付き合い始めた。そうしたら、その男はゲイで、詰め寄ったらあっけなく白状。カモフラージュのためにお前を選んだって言われて、人の性的思考に偏見は持ってないけど、そもそもライバルが男だろうが女だろうが二股はないわーありえないわーってあっさり別れた。しばらく異性から距離を置いてたら、そういう男を寄せ付けないってところに惹かれたとか抜かす男があらわれて、君の最後になりたい…なんていうから、うーん…って思ったけど、1人で会社起こしてがんばってたし、そういうところがしっかりしている風に見えて、それなのによくよく話を聞いたら、これからなんとか事業を立て直すからそのためのお金貸してって言われて、ここで貸すバカがどこにいる、…で、即終了。恋人にもならなかった。そうして適当に過ごしてたら、最初の男が、妻と別れるからやり直してくれってやってきたんだけど、ここで可愛く「うれしい! 私のために別れてくれたのね!」なんていうわけあるか! …って足蹴にして追い返したら、まさかストーカーになるとは思わなかった。っていうか話をよくよく聞いてみたら、あれから全然こりてなかったらしくて別の子との不倫がバレて離婚の危機。慰謝料しぼりとられそうなんだ助けてって言うから、助けてあげたよ。相手の奥さんを。相手の奥さん側の弁護士が接触してきたので、逃げずに自分が付き合ってたころのメール提出した。これで、男の不貞の時期がさらに早まって、決定打になって慰謝料さらに増加。ざまあ。…本来なら、私も不倫の相手ってことで慰謝料請求される側だし、覚悟もしてたけどね。…なんか、奥さんがすごくいい人で、慰謝料はいらないって言ってくれた。むしろ、増えた分は何も知らなかったあなたにって言ってくれたんだけど、それは辞退した。知らなかったとはいえ、不倫に加担したのは間違いないから。でもまあ、今から考えるとこれがよくなかったのかな? 男の性格考えないで、あんなことやっちゃったから男が逆上。一応警察には見回り強化しておいてくださいって言っておいたんだけど、会社の帰り道に待ち伏せされた刃物持った男に道端で襲われて、逃げる途中で階段で足踏み外して落ちて、

あっけなく死んだ。

ねえ、こんな話すると大概の人が「騙されたほうが悪い」とか「男を見る眼が無い」とか言うんだけど、私そんなに悪かったかな? 確かに、死ぬほど好きな人じゃないのに付き合ったりもした。ちょっとご飯食べに行って、ちょっといいなあって思うだけの人に告白されて、付き合ったりもした。だけどさ、男と女の関係の始まりなんてそういうものでしょう?

自分にだって何か原因があるかもしれないし、私悪くない!…って言うのはなんだか他人のせいにしてるみたいだから言わない。

だけど、

私だって、一度でいいから「幸せな恋をしているなあ」って実感してみたかったな。

****

頭が割れた衝撃は一瞬で、痛みを痛みと感じる間もなく私は死んでしまった。

いわゆる「死後の世界」というところで、うつらうつらしていると、とんでもない話を聞いたのだ。

『悪いな。…あんた、生まれてくる世界間違えてたわ。』

そう話しているのは、どうやら神様らしい。

…らしい、というのは、この話を聞いている間、私の視界は全く自由にならず、なにやら薄ぼんやりとしたゆらゆらゆらめく影しか見えなかったのだ。だから、目の前の「神様」とやらが、どのような姿をしているのかははっきり言って、分からない。

それに、なんだか眠くて…言葉が上手くつむげない。だから、黙って神様の言葉を聴いているしかなかった。

神様いわく、「世界」とは、私達が存在する以外にもたくさんあるのだという。中には「魔法」が存在したり、人間以外の種族が人間と一緒に生活していたり、そんなファンタジー小説に出てくるような世界もあるのだとか。そんな風に「世界」がいくつも折り重なっている中、生き物の魂っていうのは、死んだら次の生に適した世界へ勝手に移動して勝手に生まれてくるらしいのだけど、時々、どこが適しているのか迷う魂もいるのだそうだ。

神様達は、そうした迷った魂を拾っては、生まれてくるべき世界に送り届けているという。ご苦労様なことだ。

…で、早い話が私の魂…言ってみれば、前世の私の魂はそうやって迷っていて、神様が地球…日本に送り届けてくれたらしいのだけど、本当はこの「日本」に生まれてくるべき人間ではなかった…というのである。

『お前、男運めっちゃ悪くなかった? あれ、魂が適応してなかったからなんだわ。マジごめん。手がすべって。』

はあ? 手がすべって…?

その手がすべったミスのおかげで、私の男運が悪くなったってことだろうか。しかも、それが間接的とはいえ原因で、私、死んだんですけど。…そう言い返そうとしたが、声が出ない。しかし、何が言いたいかは伝わったようだ。神様もさすがに申し訳ないと思ったのか、救済措置を用意したんだ…と、もごもごと言った。

『ほんっと、すまん。今度こそ、あんたの身体ごと、生まれてくる予定だった世界に送る! あ、転生とはちょっと違くて、生き返らせる扱いな。』

…ん? 生き返らせる扱い…?

『しかも …なんと、生き返る身体はピッチピチの16歳! 記憶はそのままで、言葉の心配も要りません…と、きたもんだ。』

え。ちょっと待って、なんで16歳に戻る必要が?

『まあ普通に生き返らせるって手もあるんだけど、今回は身体の時間を巻き戻すことでそれに代行してみたんだわ。つか、男運がいい人生をやりなおすなら、これから恋が始まります…くらいの年齢がいいだろ? これ、すっげーサービスな。』

いやいやいやいや。もう男運がどうのこうのに振り回されるのは嫌なんですけど…っていうか、男運いい人生というなら、せめて、その運を上げる…みたいなオプションは付かないの?

『あ、ちなみに男運を上げる…とかいうオプションは悪いけど無しな。』

無しなのかよ! …というか、それならいっそ、16歳っていう中途半端な状態で異世界で生き返らせるのではなくて、0歳からやり直した方が怪しまれなくて…

『その代わり、俺様(=神様)の声が聞こえる加護付きだぜ! よろこべ!』

「それが一番いらないです。」

『えっ。』

なぜかそこだけはっきりと言葉にする事ができて、私と神様の最初の会話はこれで終了。意識が暗転して、…気が付くと、私は、とある神殿の祭壇の上に転がり落ちた。

****

グリマルディという世界にある、シャンカラ…という名前の小さな国の小さな神殿。私の一日はここから始まる。

「あー!…いい朝。今日は一日洗濯に使おうかな。」

私は今、ここ小国シャンカラの片隅にあるカカラ神殿で働いている。例の神様の計らい?で、16歳に若返ることによって生き返った私は、カカラ神殿の祭壇の上にものの見事に落とされた。お供え物やらお花やらお水やらを思い切り頭から被った状態で、神官長様に発見されたのだ。

神官長様は御年92歳になられる髭の長いお爺様で、昔はシャンカラの首都の大神殿で要職についていたこともあるそうだ。大層な人格者らしく、私の姿を見たときも慌てふためくことなく、事情を聞いてくれた。事情…といっても、まさか男運の悪さのせいで死んでしまい、神様に生き返らせてもらいました…などという話をするわけにもいかず、ここではない別の国の出身で、だが、どうやってここまで来たのか、気が付いたらここに寝ていました…という体で、誤魔化す必要があった。…だからどうせなら0歳から生まれ変わらせてくれって言ったのに…。

ともあれ、明らかに怪しい氏素性であるにも関わらず、ありがたいことに神官長様は受け入れてくださった。

もちろん、働かざるもの食うべからず…だ。

私がこの神殿で得ている仕事は「女官」だ。神職ではないが神殿の世話をする職で、偉い人に食事を運んだり、洗濯をしたり、掃除をしたりといった、いわゆる下働きだ。下働きといっても、カカラ神殿は小さくとも国の公式な神殿なので、国の正式な官位を持った人間になる。私のような怪しい人間が働けるのは、ひとえに、神官長様が身元の引受人になってくれたためだった。

私達女官は、朝早く起きて掃除や洗濯を交代で行った後、神官のお部屋に食事を持っていって、それからまた掃除や洗濯の続き、合間に神官のお使い、お供え物のお世話などをする。朝と晩に神官長様の祝詞を聞きながら一緒にお祈りを捧げるのが、唯一、神殿の仕事っぽいもので、それ以外は普通の…いわゆる、メイドや使用人、といったような仕事をしている。

神殿で働く人は雑用係といってもかなり優遇されていて、仕事の暇を見つければ神殿でのお祈りは自由だし、書庫にある本は許可を得て借りる事が出来る。羽目を外さなければ街に下りて買い物もできるのだ。勉強もできるし、行儀も身に付く。首都の大きな神殿にもなれば、貴族の娘さん達が行儀見習いにも来るような職なのだ。

この世界のことを知らない私にとって、勉強も出来て衣食住を保証されている女官の仕事は、本当に助かっていた。

それだけではない。なんといっても、死ぬ前は男に振り回されて心落ち着かない日々を送ってきた私にとって、このカカラ神殿での慎ましい暮らしは実に穏やかで清らかで楽しい。男といえばサンタクロースみたいな御爺様か、気難しい顔をした神官ばかりだったし、携帯なんかも無いから連絡メールにびくびくすることもない。部屋の前に男が座っていることもない。こんな田舎ながら神官長様を慕う参拝客は多いが、世代的にはお爺ちゃん世代で、そんな方々とお話しする時間はゆるやかなものである。

修羅場などもってのほか。空気も綺麗で、労働の後に食べる食べ物は美味しい。毎日が淡々と過ぎて、そのくせほど良い緊張感があって、充実していて好きだった。16歳というお肌の曲がり角前でこうした健康生活をしてるものだから、肌もぴちぴちぷりぷりだ。

「今日も一日心穏やかに過ごせますように。」

神官長様による一日の始まりの祝詞、それが終わった後に私は一人で神殿に残ってお祈りをする。祭壇の前の空気はいつだって少し冷ややかだ。静謐で澄んだこの冷たい空気は、深呼吸すると肺の奥まで綺麗になる気がした。その感覚を味わう。

死ぬ直前のごたごたした緊迫感と、ギスギスした自分の感情が嘘みたいに洗われていく。

「コハル、いつもあなたは熱心ですね。」

「神官長様。」

祝詞を終えて神殿を出て行ったと思っていた神官長様に声を掛けられた。振り向くと、見慣れない一人の大男と神官長様が並んでいた。

誰だろう?

「コハル、ちょうどよかった。先日言っていた新しい神官が、こちらに赴任してきたのですよ。」

言われて私は頷いた。確か、シャンカラ首都の大神殿から、若い神官が赴任してくる…という話だったはずだ。このカカラ神殿の神官らの平均年齢は高い。噂はすぐに広まり、若い女官達がそわそわと浮き足立っていたのを覚えている。私? 私はもちろん興味ない。男のごたごたなんてもうこりごり…って思いながらここで過ごしているのだから。

その噂の若い神官が、到着したらしい。

私は、神官長の隣に並んでいる大男にちらりと視線を向け、その出で立ちに思わずのけぞる。

筋骨隆々の体躯に錫を構え、左眼には眼帯。不適に笑う口元。彫りが深くて大味な厳つい顔。そして頭に毛が無かった。

…言い換えよう。

スキンヘッドだった。

その毛が無い…いや、ハゲ…じゃない、スキンヘッドの左から顔…腕、胴体に掛けて、大きく刺青が彫られている。

それに、この大男の年齢はよく分からない。言われて見れば若いのかもしれないのだが、「若い神官」というイメージではない。…多分、私だけではなく、若い神官に興味津々な女官達も同じことを思うだろう。

…が、そこは私とて、享年28歳の大人の女だ。努めて表情をまっすぐに戻し、頭を下げてみせた。神殿長がいたって穏やかな声で、私の下げた頭に向かって話し掛ける。

「部屋の準備はどうですか?」

「整っております。」

「案内できますか?」

「もちろんです。」

「よろしい。…ではシャンハ殿、この女官に案内させます。今日は長旅で疲れたでしょう。部屋に戻って、少し休まれるといい。」

神官長様は92歳だが、背も曲がっておらず大柄だ。…というか、この世界の人間はみんな総じて大柄なのだが…それに比べても、比にならないくらいこのシャンハ…という男は大きい。私自身、日本ではどちらかというと小さい方だからか、並ぶと余計にその大きさが際立つ。

しかも、スキンヘッドで半身が刺青だから迫力もすごい。そして何より、悪役面をしているくせに、纏う気配がハンパないほど神々しい。神官長様と並んでも引けを取らないくらい、高潔な気配をむんむんに発しているのだ。高潔な気配をむんむん…って、言葉が変かもしれないが、ともかくむんむんしている。それなのに、スキンヘッドと眼帯が男くささを演出している。

まあ、こういう系統が好きな人にはイケる口かもしれない。マッチョ気味で男くさい系が好きな人って、一定数いるし。

「コハル、こちらはシャンハ殿です。そそうのないようにお願いしますよ。」

「はい。コハルと申します。シャンハ様、こちらへどうぞ。」

顔が怖かろうが、悪役だろうが、眼帯だろうが、ハゲ…じゃないスキンヘッドだろうが、尊敬すべき神官様であるには違いない。私は顔ににっこりスマイルを貼り付けて、シャンハ様を見上げる。銀色の隻眼と眼があって、こちらを認識していることを知る。それを確認してから、もう一度頭を下げて背中を向けた。

礼拝堂の裏から外に出ると細い石畳の道が続いて、その先が居住区になっている。神官…シャンハ様の部屋は頭に入っていた。神官用の部屋が並んでいる、その一番手前だ。歩いているとすれ違う使用人や女官が、多分、シャンハ様の姿に驚いているのだろう、ぎょっと顔を上げて、神官の服装を認めては、ハッとした表情に改めて礼を取る。その度に、少し後ろについてくるシャンハ様も神官の礼で答えている。悪役の顔をしていても、神官としての礼節は完璧だ。さすがだと素直に感心した。

部屋に辿り着いて扉を開ける。

「シャンハ様。こちらになります。」

「ああ。ありがとう。」

思ったよりも低くない中低音の声。なんとなく聞き覚えがあるな…と思い、首を傾げたが思い出せない。なんだか腑に落ちないものを抱えつつ、食事の時間、掃除の時間、礼拝の時間、洗濯が必要なものをどうするか…などの説明を行って、最後に分からないことがあったら遠慮なく女官や使用人に聞いてください…と付け加えた。

そうして、「では失礼します。」…下がろうとした時に、腕を掴まれた。

「待て。」

「はい?」

振り向くと、すごく近くにシャンハ様の服が見えた。ほとんど零距離だ。いつのまにこんなに近くに来ていたんだろう。…しかも、服を着ているというのにはちきれんばかりの胸筋が見える。ああ、もう。

「なんでしょうか。」

「お前、思い出せないか?」

「は…?」

急にくだけた口調になり、反面、シャンハ様の纏う気配がいっそう濃く清冽になった気がした。顔を向けると、私を見下ろす銀の隻眼が面白そうに笑っている。思い出せないか…? と言われても、私はこちらに来てまだ半年だ。しかも私の世界はこの神殿とカカラの門前町だけ。思い出さなければ忘れてしまうほどの人には会っていない。

つまり。

「思い出せません。」

だって思い出せないから。…きっぱりそう言うと、シャンハ様はあからさまに「えーーー…。」…という吹き出しが貼り付きそうな、愕然とした表情を浮かべた。驚きのあまり声も出ない…という風で、口の動きだけで「マジデ?」と言う。

…マジで?

なんだその、現代日本人のスラングは。

咄嗟に表情が隠せなかったのだろう。私の顔を見たシャンハ様は、ニヤ…と笑って、ふんぞり返った。

「まあいい。コハル。ひさしぶりだな! 来てやったぜ! 俺だよ、俺。オレオレ。思いだしたか?」

「…ああ…!」

「思いだしたか!」

「オレオレ詐欺…?」

「ちがうわ!」

だって、それしか思い浮かばない…。

****

グリマルディはシャマ、クンダクンダ…という2柱の神様を主に信仰している。国造りの女神がシャマ。その夫がクンダクンダ。この2柱が中心になってグリマルディを作り、最後に自分達の屋敷を置くために作った国がこのシャンカラ…なのだという。しかし、神様にはこの2人だけではなく、この2人に仕える神様も多くいる。そうした神様の一人、シャンカラの守り手と呼ばれる戦神がシャンだ。

だからシャンカラではこのシャンの信仰も盛んだ。シャンカラにある神殿には必ず、その入り口にシャンの像が飾られている。筋骨隆々の体躯に錫を構え、片方の眼には眼帯。これは、かつてシャンカラを守るために、別の神に射抜かれたのだという謂れのあるものだ。そして顔を覆うたてがみのようなもじゃもじゃの髪と髭。守り手の名にふさわしい、雄々しい戦士の姿。門を守るその像は、小さなカカラ神殿のものであっても迫力があり、本当にならず者から神殿を守っているようだった。

「あー。やばいわー、俺の像今日もかっこいいわ、やばいわー。」

門をくぐりシャン神の像の横を通り過ぎた時、私の頭の上から低くてふざけた声が聞こえた。呆れて見上げると、ニカッと笑ったシャンハ様…いや、シャンハの憎たらしい顔がある。

「いよう! 今日もかわいいな、コハル!」

「…おはようございます、シャンハ様。」

「様! シャンハ・様! …様なんてよしてくれよ、俺とコハルの仲だろ?」

「朝から元気ですねシャンハ様。」

「そりゃあ、コハルの夢を見たからな!」

そう言って、シャンハがくしゃくしゃと私の頭を撫でた。せっかく整えた髪が乱れるから、やめて欲しい。

シャンハが私のすべてを知っているかのように馴れ馴れしいのには訳がある。…知っているかのように…ではなく、シャンハは私のことを知っているのだ。

…あの日、部屋に案内した後、シャンハは驚愕の事実をのたまった。

『俺、ほら、お前の魂間違って別の世界に飛ばしちまったって言った、あれ。俺。』

つまり、シャンハは、私が日本で死亡しこの世界に16歳の身で生活するようになったきっかけを作った、「神様」だったのだ。

要するに、このグリマルディで「シャン神」として信仰されている本人なのである。私は、シャン神の像…つまり、自分の像をうっとりと見上げて満足げに息を吐いたシャンハに、ため息交じりで答える。

「…ほんっと、神様のクセになんでこっちで遊んでるんですか。」

「遊んでねぇよ。コハルが一生懸命、毎日お祈りしてるからお出ましになってやったんだろ。」

「私が祈りをささげてるのは、シャマとクンダクンダで…」

「それに、言ったろ? 俺様(=神様)の声が聞こえる加護付きだって!」

「ちょっと聞いてます? だから、私、その加護、いらないって言ったじゃないですか。」

「聞こえねーなー。」

はあ…とため息を吐きながら、道を歩く。

シャンハがシャン神である…という話は、最初はもちろん信じられなかったが、そもそも私がこの地にいる経緯、日本で死ぬ前に男運が最悪だったことを知っている時点で、本当でしかありえない。シャンハは本当に、シャン神の化身なのだ。だからこそ、纏う気配は尋常ではない。こんな様子であっても、神殿内で立って祝詞を唱える声は朗々としていて心を打ち、神官としての振る舞いは完璧だ。…もっとも、元が神様なのだからあたりまえなのだが。

他の神官達の噂に寄れば、首都の大神殿にいた頃は「シャン神の化身」とか呼ばれていた程の、立派な神官様だったとか。何も知らない頃に聞いていれば、「なるほど」と思ったかもしれないが、いまさら聞いたとて、シャン神の化身て…そのまんまじゃないか、と新しいタイプのギャグとしか思えない。

今日はお祈りの後、午後の仕事が空いたので門前町に下りる予定だった。仕事をする必要は無いけれど、気分転換に祭壇に供えるお酒を買いに来たのだ。いつもお供えに酌んでいるお酒は届けてもらっているのだが、今日買いに来たのはそれとは別。私が個人的にお供えしている。小さくて可愛い器に入っているのが気に入っていて、3日ほど供えてから自分で飲む。お酒が飲める年齢というものが定められているわけではないが、さすがに16歳ではおおっぴらに飲ませてもらえない。しかし、神饌は別なのだ。器も可愛いし、ひそかにコレクションしている。シャンハは、その買い物に付いて来るらしい。

「俺のために酒買ってくれるなんて、やさしいねえ、コハルは。」

「別にシャンハ様のために買うんじゃないですよ。」

「またまたー。祭壇にささげるんだろ? 俺のため以外の誰のためになるんだよ。シャマもクンダクンダも下戸だしー。」

「下戸かうわばみかは関係ないでしょう、お供えなんだから。」

「いやいやいや。毎回お供えされる側にもなってみ? もうちょっとなんか無いのかって思うぜ? 正解は、シャマは甘いもの。クンダクンダは甘いもの。」

「どっちも甘党ですか…。」

「大丈夫、俺はなんでもいける口だ!」

「聞いてません。」

神様と軽口を叩き合う…という非常に珍しい体験も日常化してしまった。

シャンハは、この神殿においては神官長の補佐をする立場だ。かなり偉い人。そしてなぜか、主にその世話をするのは私になってしまっている。他の女官は恐らくその風貌に若干引き気味で用事が無ければ近づかず、そもそもシャンハが呼びつける女官は私ばかりなのだ。

「それにしても、暇なんですか? なんで私に付いて来るんです。」

「そんな…言わせんな、恥ずかしい。」

この類の質問をすると必ず大げさに顔を逸らしてみせる。

「神官の仕事は大丈夫なんですか?」

「神官長に、『コハルの護衛です(キリッ)』って言ったら、すっげえご機嫌顔で許可してくれたぜ。やっぱ俺の人望ってやつだよな?」

しかも、神官長のお墨付きで性質が悪い。

「…他の女官のお買い物に付き合ってあげたらいいじゃないですか、私はプライベートで来てるんですプライベートで。」

「プライベートだから一緒に来てるんじゃねーか。なあ、コハル、これってデートだな、デート!」

はあ…とため息を吐く。そしてこうした台詞の後には、必ずこう続くのだ。

「このグリマルディで男運が悪いってのはありえないな! 何せ相手が俺だからな。神だし。」

そういいながら、シャンハが強引に肩を抱く。それをぐいぐいと押しやりながら、私は動かす足を速めた。

シャンハの言い分は、男運の悪いのは自分のせいなのだから、責任を取って私の恋人になってやる…ということらしい。斜め上の理論展開だ。俺様も甚だしいことこの上ないが、それを訴えれば「俺って神だし、強引なの当たり前じゃね?」という。ごもっとも。

私も言い返す言葉が、ついついくだけたものになる。

「神様だからって、いい男とは限らないでしょ。…それに、もうそういうので苦労するのはヤなんだってば。」

「苦労なんてさせねえって。安心しろよ、コハル。俺、持久力も集中力も神の中でもトップクラスだし。」

足を速めても、シャンハの長い足は当然追いつく。少し疲れたと思って歩調を緩めると、ごく自然に向こうも歩調を緩めてくる。軽い調子のくせにそういう気遣いが出来るところが、なんだか憎たらしい。

「全く、俺の何が不満なんだよ。このガタイ。身分。優しさ。勇敢さ。紳士っぷり。どこをとってもパーフェクトじゃねーか!」

「…まずそのガタイがヤダ。」

「ええっ…!」

ガーン!

…という効果音が聞こえそうなほど、ショックを受けた顔をしてシャンハが立ち止まった。

「なんで? 女はみんなこういうの好きなんじゃないの? こう、なんていうか、逞しい胸筋と割れた腹筋と硬い二の腕とか好きなんじゃないの!?」

ずささささ…と私の前に回りこみ、がっしと両腕を掴む。シャンハは掴んだ私の腕を引っ張って、自分のご立派な胸筋に当てさせた。「ほらほら!」…と、アピールするのもちょっとウザいのだが、人目を気にしないところもちょっとデリカシーが無い。…まあ、神様にデリカシーなんかあったら、信者の前に現れないと思うけど。

それはいいとして、私はこういう、ガタイのいい男が苦手なのだ。なんだかまともな人体とも思えないし、なんでこんなところに段差があるのって場所に極端な段差があるし、硬いし…。加えてシャンハみたいな大きな男の人も苦手。普通に中肉中背がいいんだよね。スキンヘッドとか眼光鋭いのとか、眼帯とかは気にならないんだけど…。

「眼帯とかハゲとかは気にならないのにねえ。」

「ハゲっていうな、ハゲって! っていうか、普通はそこ気にするだろ!?」

「なんでそこは自覚があるのよ。」

ちなみに頭髪が無いのは、神格から人格へと姿を変えるとき、神気を外に出さないようにするための処置だとか。半身に施した刺青に見える文様が、存在感を押さえているそうだ。どう考えても存在感は押さえられていないような気もするが。

シャンハは私が言ったことが気になったらしく、しゅん…と肩を落とした。

「マジかー…」

「人の趣味だもん、いろいろあるよ。」

「そりゃそうだけどよー。俺様の自慢なのになー…てか、戦神だぜ? 俺。身体ゆるまってるのヤじゃね? ご利益なさそうじゃね?」

それはまあ、そうだ。シャンハは落ち込んだ様子で、唇を尖らせながら再び私の隣に並ぶ。街に入り人通りが多くなってきたからか、壁際に私の身体が来るように位置を変えてくれた。徐々に膨らんでいく雑踏の中で私達の声は掻き消える。

「人、増えてきましたね。」

「今日は首都から行商がくる日だからな。みんなそっちに興味があるんだろ。」

「シャンハもそこに用事があるんですか?」

「俺? 俺は、コハルの護衛だっていってんじゃん。」

言いながらも先ほどの発言が尾を引いているのか、ちょっと拗ねたような口調だ。シャンハは神様のクセに、こういうときは何故か子供っぽい。まるで子供をいじめたみたいな気分になった。ガタイがいいっていうのは、戦神シャンにとってはアイデンティティなのかもしれない。ちょっと言い過ぎたかなあ、などと反省する。

…と、折角反省したのもつかの間。シャンハはやっぱりシャンハだった。

「なあ、こうしてみたらやっぱり恋人同士?」

ぐ…と、シャンハが私の腰に手を回して引き寄せた。ああもう。こういうときに、「きゃっ」などと可愛い声を挙げて初心な真似も出来ないのが、実年齢28歳の悲しいところだ。恐らくシャンハは人ごみから私を守ってくれているのだろうが、それを分かっていて代わりに出てくるのは、憎まれ口くらいだ。

だが、手をつないだり腰を抱いたりしてくっついても、大男とちび女では色気がない。

「どう見ても、子供を引率している保護者でしょ。」

「えええっ」

再び、ガーン。

シャンハってば、神様なのにこんなに表情豊かで大丈夫なんだろうか。私が抱いていた神様とは大分イメージが違うが、そもそも魂の送り先を間違えてしまうような人?だ。案外、人間くさいのかもしれない。

「16歳って若すぎたかな? …でも、コハル、あんま雰囲気変わんねーんだもん。」

「うーん…どうせなら、0歳とか、生まれ変わる…とかだったらいいのになって、ちょっと思ったけど。」

「…0歳だったら、ちっこいし弱いし、死んじまうかもしれねーじゃねーか。それに、生まれ変わりは無しだ。その…お前が…お前じゃなくなるんだから。」

「シャンハ?」

後半の言葉はもごもごと小さくつぶやいた。いつも自信満々なシャンハの口調が弱弱しく聞こえて、思わず「様」という敬称を忘れて見上げると、困ったように私の顔を見下ろしている。

「…なあ、この世界に、若返らせて、生き返らせて、迷惑だったか?」

迷惑だったか…と問われれば、困ってしまう。けれど、それを言うなら人間の人生というのは、基本的にままならないものなのだ。私は神様の仕組みを知らない。だから、男運の悪さ…なんていうけど、それだってよくあることで、別に私だけに限ったことじゃないんじゃないかって、今でも思っている。だからやり直せる…と聞かされても、本当にやり直せるとは思えないのだ。自分がしてきた恋の失敗が神様のせいで、ここから先、失敗しないなんて、誰が言えるのだろう。それなら何を反省すればいいの? 私に反省すべき点は、無かったのだろうか。

どう答えていいのか分からなくて、私はシャンハが抱いている腕を外してわざと大きな声で言った。

「シャンハ。お酒売ってるところ見えてきました。ちょっと買ってきます。」

自分がどんな顔をしているのか分からなくて、見られたくなくて、私は人ごみを押しのけるようにいつもの酒屋へと走っていった。うしろで「おい、コハル、迷うから!」と声が聞こえてきたが、振り向くことも出来なかった。…平気な顔して半年間やってきたのに、不意にこうして自分の境遇を思い出して、受け止め切れなくて悲しくなる。いつもこんな思いは1人でやり過ごしてきた。…しかし、なぜかそれをシャンハにだけは、…私を生き返らせて、グリマルディで生きる機会チャンスを与えてくれた神様にだけは、知られたくなかった。そう。この生き返った人生が、自分にとってチャンスだって分かっている。それなのに、素直に受け止めきれないことが、後ろめたかった。

そのまま振り向かずに酒屋さんまできて、女将さんにいつもの小さなお供えのお神酒を頼む。「いつも熱心だねえ、コハルちゃん。」という気風のいい女将さんに、曖昧に笑ってすぐにお店を出てしまった。いつもだったらおまけのお菓子とか、綺麗な造花とかをもらうのに。

雑踏に戻ると、すぐ側に行商の商隊がお店を広げているらしくすごい人ごみだった。人の波から逃れると、大きなガタイのいい身体にぶつかる。シャンハかな? と思って、「シャンハ…?」と声をあげると、全く別の、どう見てもチンピラ風の男が自分を見下ろしていた。しまった…と思い、すぐに身体を離すと礼を取る。

「失礼しました。」

「…ああ? 失礼しましたじゃねーよ、嬢ちゃん」

その声の鋭さに思わず身を竦めると調子付いたのか、男は下品に笑って私の持っているお神酒に眼を留めた。

「はあん。随分ちっちゃぇくせして、酒飲むのか。どうせなら俺らと飲むか? ん?」

「これは、カカラ神殿の祭壇にお納めするものですので。失礼いたします。」

「おいおい、待てや…話は終わってね…」

…なんだこのチンピラは…と辟易して、警備の神官兵を探そうと視線をめぐらせたのと、チンピラが、ぐぅ…と、口を閉ざしたのは同時だった。私のお腹が優しく抱えられて引っ張られ、身体ごと誰かの背中の後ろに隠される。その誰かは後ろ手に私を支えたまま、別の手に持っている錫で地面を叩いた。錫の上にかかっている銀環の飾りが、シャランと音を立てる。

「私の連れがどうかしたか。」

低い声は相手を威嚇するようだったが、諭すように穏やかにも聞こえた。怒ってはいないが、いっそ怒られたほうがマシだと思う程に容赦がない。単に怖いとか強いとかそういう怖さではなく、全く別次元の恐怖だ。そうした何かを感じ取ったのか、チンピラは絶句して視線を逸らした。

「私はカカラ神殿の神官だ。こっちは女官。何か問題でもあったのか。」

「い、いや…問題なんてもんはどこにも…えらいすんません、私はこれで。」

チンピラは視線を逸らしたまま、そそくさとその場から駆け出した。すぐに人ごみに混じって消えてしまう。つまらないチンピラにはすぐさま興味を失ったのだろう。助けてくれた神官…シャンハが振り向いて、私の頭に手を置いた。さっきまで厳かな口調はすっかり鳴りを潜めて、いつもの軽い調子で顔が低くなる気配がする。

「おい、大丈夫か、コハル。人ごみに混じるなって、あれほど言っただろうが。まあ、俺だからコハルがどこに居ても…コハル?」

思いのほか、怖かったのかもしれない。対面していたときは平気だったのに、守られたことにはほっとして、先ほどまでの偉そうな自分の態度は棚に上げて、助けてくれたシャンハの服を思わず掴んだら、シャンハが驚いたように声を止めた。シャンハが自分を覗き込んでいるのが分かって、顔を上げられないまま「ありがとう。」と、ぼそぼそ言う。

「おう。怖かったのかよ。ほら、来い。酒は買ったんだろ、行こうぜ。」

シャンハの手が、私の手を無理やり包んで引っ張った。思わずシャンハを見上げたが、どんな顔をしているかは全然見えない。スキンヘッドが見えるだけだ。ああ、なんか触り心地よさそうだなーなどと思っていると、こんなときなのに…こんなときなのに、その後姿が実にファニーに見えて、私は思わず「ぶはっ」…と、噴出してしまった。その笑い声がシャンハに届き、むっとして、…そしてなぜか顔を赤くして、こちらを向く。

「なっ…お前、なんなんだよ。さっきまでしおらしくしてたのに、何がおかしいんだよ!」

照れているらしい。神様でも照れるときがあるのか…と思うと、なおおかしくてますます笑う。

…だけど、まさか、あんなにかっこよく助けてくれたのに、頭に触ってみたくて笑ってしまったとはさすがに言えず、私は笑いすぎて出てきた涙を拭きながらシャンハを見上げた。

「ねえ、これってデートみたい?」

私の言葉に今度はシャンハがぎょっとしたみたいだ。まじまじとしばらく私を見つめて、やがてお日さまのように笑った。

「おうよ。そうだろ? デートみたいだろ?」

「じゃあ、シャンハ、私のお願い聞いてくれますか?」

「え?」

まさか「おねがい」される、などと思っても居なかったのか。「お、おう。なんでもいい、言ってみろよ。聞いてやる。」などと言いながら背筋を伸ばした。私はシャンハの手を引いて、丁度お酒を買ったお店の、通りを挟んで斜め向かいにあるお店へと引っ張っていく。揚げ物や焼いた野菜のいいにおいがする、日本で言うところのお惣菜屋さんみたいなところだ。

「ここ、ここのポメアの揚げたやつが食べたい。」

「え、食べ物?」

「サカルムの粉がかかってるの。買ってくるから待ってて。」

「おい待て、さっき言っただろうが、俺が買う、離れるな。」

私がわざとシャンハの手を離してみせると、あわてて腕を掴んで引き寄せ、今度はシャンハが私を引いてお店の前まで連れて行ってくれた。気難しそうな顔をしたおじさんが奥で、たくさんのお惣菜を揚げている。おじさんに揚げポメアのサカルム掛けを一袋頼むと、たった今揚げたやつをたっぷり袋に入れて渡してくれた。熱々だ。

一度食べてみたかったのだ。

揚げポメア、というのは、さつまいもそっくりのお芋を小さく切って、ふわふわの衣を付けてほくほくに揚げたものだ。一回蒸してから揚げているらしくて、外側の衣がふんわりさくさくしているのに、中はほっこりとろみがある。上にはバターのようなものを掛けたり、お塩のようなものを掛けたりと、味はいろいろ選べるのだが、食べてみたかったのは、サカルムの粉…つまり、粉砂糖っぽいものが掛かっているもの。揚げ物なのに冷めても美味しいらしく、塩気のある味のものはたまに神殿の食事のときにも出るが、サカルム掛けはおやつのような感覚なのだろう、食べた事がなかった。

人ごみから離れたところに二人並んで歩きながら、がさごそと揚げたてのポメアを取り出す。長い楊枝のようなものを付けてくれているから、それにぷすりとひとつを突き刺してほおばった。

熱い。

でも美味しい。

「うまいか?」

「うん、あひゅっ」

「おい、気をつけろ。」

さくさくした衣を砂糖の甘さと共に噛むと、口の中に、自然な甘味が広がった。熱くて甘くて口の中を思い切り火傷したけど、さつまいものような味が懐かしくて嬉しくなってしまった。心配そうに顔を低くしたシャンハの悪人面から今度は目を離さずに、ほら…と言って、1個差し出す。

ぱくん、とシャンハが口に入れた。熱くて、はふはふしている様子がおかしくて、また笑ってしまう。

「うほ、うっめ。ひゃにこれ、うめえ、あひゅい、うめえ!」

「でしょ? 美味しいよね。熱いけど、揚げたてが美味しいよね。」

「人間やべえな。神殿でも出してくれないのか、これ。」

「甘いものだから、食事のときには出ないんだよね。…前から食べてみたかったんだけど、あの店サービスがよくて量が多くて困ってたんだ。」

「コハル、たくさん食べないと大きくなれないぞ。」

「う・る・さ・い。」

美味しいものを一緒に食べることで、互いの緊張が解きほぐれる。憎まれ口を叩きながらも、もう一個食べる? と言って差し出すと、やっぱりぱくんと口に入れて、シャンハが楽しげに笑った。あまりにも楽しそうだったから、シャンハが私の腰にさりげなく手を回していることも今はとりあえず置いておく。

「お供え物にしてあげようか?」

「冗談! こんなもん、シャマとクンダクンダに食わせるのはもったいねー。あいつらは、あー、いつもの供物の野菜とか、そんなんでいいんだよ。」

「あはは。ひっどい。でも、お酒は飲めないのでしょう? 何か、長持ちするお菓子を買っていこうか。」

「うまいのはダメだ、あと、このポメア? の揚げたのもダメ。」

「なんで。」

「俺が食うの。」

「でも、神殿じゃ出してくれないわよ。この甘味の具合はね、多分、あのおじさんじゃないと出せないと思うの。…ちょっと…!」

シャンハが人の少なくて少し影になっている花壇の縁に腰掛けて、私の腰を引っ張った。シャンハの膝の上に座るような形になってしまう。

「いいんだよ。食いたくなったら、コハルとまた買いに来る。1人じゃ食べきれないんだろ? 一緒に食べてやるよ。」

「…シャンハ、調子に乗らないで、降ろして!」

「コハル、もう1個食べたい。」

「私も食べるの!」

調子に乗ったシャンハが私を膝に乗っけたまま、私が食べようとした揚げポメアをぱくりと食べる。ひどい! と抗議すると、今度は「ほれ」とシャンハが1個取って差し出した。なんだか子供みたいで癪に触る。…だが、私もぱくりとそれを口に入れた。熱くて甘い。

「また来ような。」

「…シャンハのおごりならね。」

思わずそう言ってしまった私の頭の上で、はっは…と大きな笑い声が聞こえて、子供のように髪を撫でられる。日本での生活も嫌な思い出も、男運が悪かった…なんてことも、何もかも吹っ飛んで、こっちの人生で何が起こるか…なんて不安も今は消えて、ただ、「まあ、こういうのも悪くないかな」…と思った瞬間、私は自分の顔が赤くなったのを自覚した。