ミヤビ……青木雅実は、どこにでもいる普通の中学三年生である。
……と言う月並みな言葉があるが、この場合どこまでが普通で、どこまでが普通ではないのだろうか。ミヤビは小学生のときはそれなりに話したり挨拶したりする友人はいたし、ミヤビなりに彼女らと仲良くしていたし親しかったつもりだったが、家に呼んだり放課後公園で遊んだりはしなかった。当時はそれが普通だと思っていた。家なんて自分のパーソナルスペースだし、放課後の時間を他人に拘束されるのはまっぴらごめんだ。
そんな性格のせいで、中学生になって半数が進学校へ、半数が校区の学校へ進んだ今となっては、親しく話す友人もめっきり少なくなってしまった。人付き合いのスキルが平均よりもかなり低いミヤビは、学校では普通に「孤立」していた。 普通に、というのは語弊があると感じるだろうか。しかしクラスに一人くらいはいるだろう。特に積極的にいじめられている訳ではないが、いるのかいないのか分からない目立たない生徒。それがミヤビだ。
ミヤビもミヤビなりに努力したのだが、元来の内向的で冷めた性格と、自己評価の低い薄い見た目を、コミュニケーション能力や運動能力、勉強の能力、その他、思いつく限りの自力で覆すことはとうとう出来なかった。それらのいずれか一つでいいから平均値以上の実力がミヤビにあれば、もう少し何か自信を持って学校生活を送れたかもしれないが、どれだけがんばっても人並み程度かそれ以下なのだから仕方がないし、それを努力不足だと笑われたところでどうしようもない。
いろいろと諦めて、ミヤビは一人で居る方が楽だと結論付けた。周囲の生徒とグループを作ることを至上の命題とした、互いに神経を擦り減らす心理戦に参加する戦闘力はミヤビには無い。ドラマと髪型とアイドルの話にがんばって混じるよりは、一人で好きな本を読んでゲームをして、自分のペースで勉強をした方が心地がよかったのだ。
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そのミヤビが一体今、なぜこんなところにいるのかさっぱりわからなかった。昨日はいつものように図書室に寄って本を返却し、家に帰ってカレーを食べて宿題をやって少しゲームをして普通に就寝したはずだった。
「ミヤビさま、どうかお願いします」
それなのに、今、ミヤビは、見たこともない豪奢な部屋で、ミヤビの親よりも年上のおじさん達に頭を下げられているのである。
「ミヤビさま、どうか、夜闇王を封じるためにお力を貸してください」
「ミヤビさまでなければならぬのです」
「百年に一度の奇跡がミヤビさまを喚んだのです」
延々と続くおじさん達の土下座と、心のこもらないお願い事に、さすがのミヤビもうんざりしていた。
さて、なぜ自宅の寝室で寝てたはずのミヤビがこんなことになっているのか……ということについて。ミヤビ自身もよく分からないのだが、ミヤビは目の前のおじさん達……年嵩の神官達の力と願いによって、ここに「召喚」されたらしい。
ここ……とは、ジシャノーテという国である。
太陽王が空の青を生み出す国ジシャノーテ。晴れた空と恵の雨を司る太陽王の力により、豊穣を約束された国だ。
ジシャノーテには王がおらず、国は神殿が治めているのだという。神殿が信仰するのは太陽王。この国に青空と恵の雨をもたらす神であり、その神の名代として神殿の神官達が政を執り行っている。
太陽王は神殿の奥に常におわし、1日の半分の間、空に青を生み出し時折恵の雨を降らせる。人の子はその恩恵を受け取り、昼に働き夜に眠るのだそうだ。
しかし太陽王は一日に使った力を癒すため一日の半分は眠らねばならない。その間は別の王が国を支配する。それが夜闇王だ。
夜闇王は国を治める太陽王を妬み、己もまた、その力で国を支配したいと考えた。そこで太陽王が休んでいる間、自らの力で夜闇と星を生み出して空の青を覆い隠す。太陽王を信仰する者は力を奪われ、その間は夜闇王が愛でる者らが目覚める時間となった。
しかし太陽王が1日の半分を休まねばならぬように、夜闇王もまた一日の半分を休まねばならない。それゆえ、この世界には昼と夜があるのだった。
この国は太陽王の治める国だ。一日の半分の活動を妨げる夜闇王を信仰する者らを神殿は邪教と罵り、夜闇王が愛でる者らは太陽王を不当に夜闇王を虐げる独裁者だと非難した。太陽と夜闇の表にも裏にも広がる争いは、国の歴史と同じだけ続いており、決着はつかずに膠着している。
しかし長く続く争いの中、均衡が傾くことが数度あった。
百年に一度、……いや、正確に言うと百年と二年だったり百年と五年だったりと周期は違うが、夜闇王の力が太陽王の力を抑え、一日の大半を夜闇で塗りつぶすことがあった。空の青は隠れ、国中の気温が下がる。こうした日々が長く続けば作物は実らず、昼に生きる人の子はすぐに弱ってしまうだろう。
この危機を乗り越えるため、神殿はある秘術を作り上げた。
太陽王の光で夜闇王を照らし、夜闇王の力を弱める……あるいは封じることのできる者を、このジシャノーテに喚び出す秘術だ。
この国に生きる者は、太陽王の力か夜闇王の力か、いずれかを纏っているという。つまり神殿が用意できる戦士は太陽王の力を持っているのだ。しかし太陽の力では、夜闇王には触れられない。
そこで、太陽の力も夜闇の力も帯びぬ者を異界より召喚し、夜闇王の力を封じる勇者として派遣するのだ。
喚び出した者にはありとあらゆる武器を与え、見事その力を果たした者には思うがままの報酬を与えた。その者は「陽王の騎士」と呼ばれ、死ぬまでこの国で長く讃えられ、名声と名誉を得ることができる。
そして此度、ジシャノーテには幾度目かの危機が到来し、かねてより準備していた神官達によって喚び出しの儀式が執行された。
その者が生まれた日、時間、そして座標。条件に合致したものを喚び出した結果が、ミヤビだったのだ。
倒れこんでいるミヤビに、「まだ子供ではないか……?」と戸惑っていた神官達だったが、ミヤビが起き上がり顔を向けた途端に平伏した。
「なんと……やはり貴女様は陽の御使い! ……どうか、失礼な言動をお許しを」
「どうか我らをお救いくだされ」
敬う言葉とは裏腹に、神官達は化け物を見たような顔で土下座したのだ。
その様子に、ミヤビは自分の顔に何か付いているのかと思って手で触れてみる。しかし指先は顔の皮膚にまで到達することなく、ざらりとした木の感触に遮られる。
「なにこれ」
ミヤビはなぜか、お面らしきものをかぶっていたのだった。
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「いつ見てもこのお面なんなのってなるよね」
『だから偉大なる精霊様じゃと言っておるじゃろ』
「偉大なるソアレ様ってこんな顔してんの」
『こんな顔言うな。大事なのは力じゃ。功績じゃ』
「どうせならもっと可愛いお面にして欲しかったのに」
『何が悪いというのじゃ、こんなにも美しく完璧な3面1対の面じゃというのに』
自分の姿を鏡に映して、ミヤビは数度目のため息と感想を吐いた。
ミヤビの目には今、貧相な体型の女子が写っている。白一色のシンプルな作りのワンピースに、少し凝った刺繍が施された上着を羽織らされ、その顔は珍妙なお面に邪魔されて見えない。
ジシャノーテに陽王の騎士として喚び出されたというミヤビだったが、そのような事情に到底納得出来るはずもなく、そもそも自分に夜闇王と戦うだかなんだかの力なんてあるわけがない。事情を飲み込むのにも、何らかの反応を返すにも、ミヤビは数日を要したが、結局最終的に返せた答えが「そんなの無理」と「家に帰してほしい」だった。
しかし、それではジシャノーテ側は納得できなかったようで、毎日のようにミヤビのところにやってきては土下座をして、夜闇王のところに行けとか、いかにジシャノーテが危機なのかを、説き伏せるというより説教するのだ。
なぜいい年をしたおじさん達が、いくらジシャノーテを救う騎士だとしてもミヤビのような子供に頭を下げるのか、それはどうやらミヤビの被っているお面の効果らしい。
そのお面は、目にあたる部分が四つあり、口にあたる部分が三つある、三つの顔を模したお面のようだった。少し説明が難しいのだが、端的に言うと
(°-°∀°-°)
こんな形で一つのお面に三つの顔が構成されている。
素材は木で、色は目と唇の部分が赤く、額の部分に何か額冠のような飾りが施されており、その色は金色だった。顔色は、真ん中が木の色で、両側が少し黒ずんでいる。なんというか、こう、ミヤビの世界でいうところのお土産でもらって困る南国民族の木彫りのお面みたいな感じで、最初に見たときはあまりの恐ろしさに叫んでしまったほどだ。今はだいぶ見慣れてきて、怖いというよりも、こんなのお面にされても困るし、非常に微妙な気持ちになってしまう。
そもそもこのお面は外れないのだ。顔の皮膚に触れている感じが無く、それでいて顔から浮いているという感じでもない。後ろに紐が付いておらず止まっている部分はないのだが、両脇を持って引っ張っても全く取れない。何か不思議な力が働いているとしか思えず、その力はミヤビのこれまで体験したことのないものだった。やはり、この世界は異質なのだと感じて、心許なくなる。
「はあ……」
もう何度目かになるため息を吐いた。
「帰りたい」
『すまんのう。それは儂では叶えてやれんのじゃ』
「いいよ、もう」
ミヤビに答えているのは、太陽王に仕える精霊ソアレ。喚び出しの儀式の時に、媒体とされる力のことで、太陽王の力の一端なのだそうだ。説明されても何がなんだかわからないが、ともかく、ミヤビがこの世界で言葉が通じるのも、……そして、この地に来た影響なのか、ミヤビには不思議な力が宿っているのだが、それらは全て、ソアレの力によるものらしい。太陽王の力をソアレを通してミヤビが行使できるのだそうだ。
そして、一番重大な問題がここにある。
ソアレの本体こそが、ミヤビの被っているお面なのだった。