『お前、名はなんという』
「え……誰?」
『儂はソアレ。太陽王の眷属にして光の精霊ソアレ様じゃ』
「どこにいるの? 見えない」
『見えぬとはおかしなことを言う。儂はお前の目の前におるじゃろう、ほれ』
「え、目の前って? 目の前、目の前……」
『それじゃ、それ、お前が触っておる……』
「え、まさか……この変なお面……?」
『変などと失礼なことを。まさかも何も、それ以外何があるのじゃ』
「イヤアアアア!!! なんで!? ちょっとなんで顔にくっついてるの!?やめてよおおおお!!」
『なっ、お面なのじゃから顔につかずにどこに付くというのじゃ、おいこらやめろ、引っ張るな、おい』
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「ああああああーーーー!もう! 外したい、邪魔!」
『やめい、やめい、無理じゃというのに、無理じゃと、やめ、おい、くすぐった、やめ』
ミヤビはお面を顔から外そうと、むんずと掴んで引っ張った。もちろんそれは外れることなく、ソアレがわひゃわひゃと涙声になるだけだ。
そう。ソアレの正体はお面。正確に言うと、お面に宿った光の精霊がソアレ。つまりミヤビに語りかけているこの声は、ソアレ=お面なのである。
「なんでお面なのよ。なんでこんな形してるのよ。せめてもっとこう、なんかあるでしょ! 精霊の力を授けるんだったらさあ!」
『仕方がなかろうが。剣や盾になったって、使いこなせるのか? 戦う気もないんじゃろ』
「それは……そうだけど! でもお面だよ!? 顔にくっついてんだよ!? セクハラじゃん」
『セクハラとはなんじゃセクハラとは。儂の知らん言葉を使うな』
ソアレがお面だという事実には今だに慣れない。初めて知った時の衝撃は大きく、顔が千切れても外すべきだと引っ張りに引っ張った。何しろ顔に張り付いているのである。ソアレの顔?に該当するのがどの部分かはわからなかったが、意識のある生命体?が顔に張り付いているのは極めて恥ずかしかった。感受性の強い女子中学生には耐え難い。
もちろんお面は外れる事なく、そもそもソアレ自身は精霊という力そのものの存在であり、顔とか手とか、そういった概念はないのだから安心せよと諭されて、全く納得できない。
「もう……なんでお面かな……剣とか盾とかじゃなくても、ペンダントとか腕輪とかいろいろあるでしょ……」
『む。そんな顔をするでないミヤビ。ペンダントや腕輪が欲しいなら、神官共に言えばいくらでも用意してくれるじゃろ』
「そういうのはいいよ……ってか、そんな顔するなって、ソアレやっぱり顔見えてるんじゃない、なんなのそれ、どんな距離感で見えてるのよ、止めてよー!!」
『お、お、待て待て待て、今のは無し、見えておらぬ、言葉を間違えただけじゃ、おいミヤビ! ミヤビ!!』
拗ねて見せるのはワザとである。
ひとりぼっちで家にも帰れず、周囲の人間には「夜闇王を懲らしめてほしい」といわれるだけのミヤビにとって、ソアレとの会話は孤独を癒す大切なものになりつつあった。光の精霊だというのに意外なことだが、ソアレはミヤビに一言も「夜闇王のもとに行け」とは言わなかったのである。もともと人と話すのが苦手で内向的なミヤビだったが、こうして誰かと話すことによって、気を紛らわせるのは初めてのことだった。
「ミヤビさま。どなたかいらっしゃるのですか? 随分と大きな声でお話をされていましたが」
ソアレと騒いでいると、いつの間に部屋に入ってきていたのか、二人(正確に言うとミヤビ一人とお面)の前に男が跪いている。
「ディルさん」
「ディルミナエルです、ミヤビさま」
「呼びにくいんだもん……」
「申し訳ありません。しかしどうか、ディルミナエル、と」
ディルミナエルというのはミヤビの世話係の神官だ。首筋あたりで無造作に切っているらしい少しクセのある金髪と、くっきりとした目鼻立ちの背の高い青年である。美しいが線が細いというわけではなく、いわゆるアイドルのような雰囲気ではないが、海外の映画で見る俳優のように真面目そうな男の人だった。
だが、ミヤビ的には格好よすぎて逆に直視できない。しかもミヤビよりもはるかに年上で、容姿に自信がない女子中学生のミヤビにとっては、はっきり言えば近寄りがたい存在だ。お面があって本当によかった。途中からこのお面を被らされると恥ずかしさもこの上ないが、最初から被っていておまけに自分の顔は晒してないからまだ恥ずかしくないし、開き直っていられる。
「やっぱりディルさんは、ソアレの声が聞こえないんですね」
「ソアレ?」
「光の精霊、だそうです。太陽王の下僕なんですって」
「ふむ……ミヤビさまには、その声が、聞こえるのですか?」
「はい」
『おい、そのディルなんとやらと親しく喋るな、ミヤビ。まったく、年若い娘じゃからといって、ちょっとばかり見目のいいものをあてがってきおってからに』
「なに言ってるのよソアレ」
「何と言ってるのですか?」
途中で割り込んできたソアレの声を鬱陶しそうに払う様子に、ディルミナエルが首をかしげた。なぜかソアレはディルミナエルに対して、変な対抗心というか敵愾心を持っているようなのだ。ディルミナエルがミヤビと話す度に、親しく話すな、気を許すな、見目がいいからと言って心を許すなとうるさい。ディルミナエルに聞こえなくて本当によかった。もし聞こえてたとしたら、ミヤビの方が恥ずかしい。
「な、なんでもないです」
「ふうむ。……それならよいのですが」
本当は、もしかしたらちょっと疑ってるのかもしれない。ソアレなんて本当はいなくて一人でしゃべっていると思われているのかも。複雑そうな表情のディルミナエルに、ミヤビは慌てて取り繕った。
「ところで! ディルミナエルさん、今日はなんの御用ですか?」
ソアレとの会話はミヤビの孤独を忘れさせたが、それでも面と向かって(お面ごしではあるが)話すことはできない。そんな中、ディルミナエルとは普通の人間としてのコミュニケーションを取ることができる。ディルミナエルもまた、彼自身は「夜闇王のもとに行け」とは言わなかった。もちろん、彼の立場もあるだろうから、完全にミヤビの味方……真の意味での味方ではないのだろうけれど、いくらかはミヤビの気持ちを慮ってくれる。この数日、人間らしいやりとりを数度しただけでも、ミヤビを安心させるに足りた。
ただし、まだ十五のミヤビをまるで王様のように扱って傅いて来るのには慣れない。
この日もまた、用向きを伝える時にディルミナエルはミヤビの前で膝をついて頭を下げた。
「神官長らがお会いになりたいと」
「今日もですか?」
「ミヤビさまに是とお答えいただくまでは退けませぬゆえ。お許しを……」
ミヤビはため息を吐く。この国の人たちが困っているのは分かるが、夜闇王のもとに行く勇気なんて無い。そもそも夜闇王と対決だとか、そんなこと急に言われて決断ができるはずもない。
「何度も言っているように、家に帰る方法が見つかるまでは何もしませんし出来ません」
「しかし……ミヤビさま」
「帰る方法がないんでしょう? それは何度も聞きました。でもそれなら探してください。見つかって、それが確実に帰る方法だと分かったら協力するかどうか考えます」
「……そう、でしょうな。かしこまりました。伝えておきます」
「お願いします」
そしてこのやり取りは何度も繰り返されてきたことだった。何も言わなかったら、神官達はひっきりなしにミヤビの元に現れては、早く夜闇王の元へ行けと言う。しかし帰る方法を聞くと誤魔化すか、あるいは何も答えずに帰っていくか。だからミヤビも考えて、取引をすることにしたのだ。すなわち「帰る方法と引き換えに」と。
これを提示すると、神官達は何度か儀式の方法や道具、文献を持ってきたものの、それらの全ては嘘か確証の無いものだった。なぜ分かったのかというと、精霊ソアレが「インチキじゃな」と耳元で囁くからだ。冷静に考えればソアレの言うことだって神官達と同じくらい信用ならないものだったけれど、ソアレの力と一部が一体になったミヤビにはやはり「インチキ」だと理解できた。
つまり神官達は、嘘の情報で騙してミヤビを夜闇王のところに行かせようとしているのだ。そうじゃなかったかもしれないし、何か事情があるのかもしれないし、真剣に調べたのかもしれないが、ミヤビにはそうとしか見えなかった。
神官達は誰も信用できないのだ。
「あの、ディルみなエル、さん」
部屋から退室しようとしているディルミナエルを、ミヤビは拙い発音で呼び止めた。ディルミナエルは「は」と短く返事をして、下がろうとしていた身体をこちらに向ける。
「夜闇王……っていう人のところに行ったら、戦わないといけないのでしょう?」
それを聞いたディルミナエルが、眉間にしわを寄せて答えた。
「過去の騎士達は皆、太陽王の加護を授かった剣で、夜闇王の影と戦ったと聞きます」
「その剣はどこにあるのですか?」
「文献によれば、こちらに来た時にはすでに携えていたと」
「……私、何も持ってないんですけど。あ、お面しか……」
「……」
ディルミナエルが黙り込んだ。
「私が倒せるわけないですよね?」
「ミヤビさま。しかしミヤビさまは……」
「お願いです、もう帰りたい……」
数え切れないくらい言ったお願いと、しかしどうしても叶えられない言葉に、なぜかディルミナエルが沈痛な表情になった。それを隠すように頭を一度深く下げて、何も言わずに部屋を出る。
取り残されたミヤビは、深くため息を吐くしかなかった。