006.決まっておるじゃろう

ミヤビの日常は、今日も変わらず過ぎていく。

ジシャノーテから帰還したとき、ミヤビは召喚される直前と同じ時間同じ場所にいた。ミヤビの家の自分の部屋の自分の寝台の上で、朝、目が覚めたのだ。

何事も無い朝の様子に、ジシャノーテでの出来事は夢ではなかったのかと疑うほどだ。ミヤビの手にはジシャノーテを思い出すような品物は何も残っていなかったし、お腹も空くようになっていた。ミヤビは帰還した一日だけ、お腹が痛いと嘘をついて学校をズル休みした。

それからは、普通に生活している。異世界に行く……なんていう突飛な体験をしても、人間って案外普通に生活できるものだ。

日々の様子は相変わらずで、ミヤビは少しも変わっていない。内向的で周囲の人とうまく距離感を作れないまま、そんな距離感をわざわざ計るのが面倒なままの性格だ。異世界に行ったからといって、勇敢になったとか、積極的になったとかそんな風なこともなく、友達を作らなきゃ、なんていう価値観に変わることもない。何かの異能が残ってるわけでも勿論ないから、運動神経も勉強も相変わらずだ。

相変わらずのまま季節が過ぎて、ミヤビは静かに中学校を卒業し、近所の高校に進学した。

高校生活も相変わらず……といいたいところだが、こちらは少しだけ変化した。ミヤビ自身の性格も能力もなんら変わったつもりはなかったが、妙な友人は数人出来た。果たして友人と呼んでいいのかは甚だ疑問だと思っているが、彼ら彼女らもまた、ミヤビとは別の意味で学校に溶け込めていない類の人種だ。飄々としていたり、クール過ぎたり、髪の色が違い過ぎたり、そんな理由で本人自身が学校に馴染もうとしない生徒達と一緒に居るのは、割と心地がよかった。勉強も教えてもらえるし、運動が出来なくても笑われない。一般的で標準的な生徒のグループからは浮いているが、ミヤビはそもそもそんなことは気にならないし、まあまあ楽しい学校生活を送っている。

そんな友人らの一人と下校して、いつものように別れて、自宅のあるマンションの前に戻ってきた時のことだった。

大きなトラックが一台止まっていて、ちょうど引越しが終わった家族だろうか、一組の夫婦と、どうやらその子供と飼い犬が並んでいる。夫婦は外国人の方のようだ。男の人は綺麗な金茶色の髪で背が高く、スラリとしている。女性の方も背が高くて、黒く長い髪に豊満な胸が色っぽく……そのどちらにも、見覚えがあった。

あ、と思った瞬間、二人が連れていた子供が振り向く。

濃い金色の髪に白い肌の、まるで天使のような男の子だ。

「ミヤビ!!」

男の子の声は、ソアレの声だった。振り向いた男の人はディルミナエルで、こちらに気がついて微笑んだ女の人はノアフュテ。連れている黒い犬はカイネだろうか。ブンブンと大きく尻尾を振って、男の子とともにこちらに走ってくる。

先にミヤビのところにたどり着いたのはカイネだった。

「カイネ?」

ミヤビに呼ばれたカイネが、小さく低い音で甘えるように鳴いた。ジシャノーテの夜に見たときはあんなに大きかったのに、今では柴犬くらいだ。小さくて可愛くて思わず頭を撫でると、むふー……と満足げな顔をした。

「おいカイネ! 儂よりミヤビに先に触るな、ミヤビ! 儂を差し置いてカイネを愛でるとは何事じゃ!」

「ソアレ?」

そして、この小さな男の子……といっても十歳くらいだろうか。聞き慣れたソアレの声で、憎まれ口とは反対の満面の笑みを浮かべている。

「そうじゃ、覚えておったか!」

ソアレの声の男の子が、タタタ……と走ってきて、ぼふっ……! とミヤビの身体に抱きついた。十歳の姿で引き剥がす気にもなれず、思わず撫で撫でと頭を撫でると、ミヤビを見上げてニッと笑う。

「そうじゃそうじゃ、撫でろ、愛でろ」

「ソアレーレ様、ミヤビ様が困っておられるでしょう、ちょ、ちょ、っとノアフュテ、少し離れて下さい……!」

十歳のソアレにじゃれつかれていると、ディルミナエルとノアフュテが追い付いてくる。ノアフュテはちゃっかりディルミナエルと腕を組んでいて、ディルミナエルは迷惑そうにしながらも強引に引き離せないでいるようだ。離して下さい離して下さいと言いながら、ミヤビを見てはニッコリと頷いている。

ノアフュテがディルミナエルにしなだれかかりながら、うふ、と笑った。

「ふふ。ミヤビ、驚いたかえ?」

「ノアフュテさん、ディルさん、どうして……?」

「向こうの世界ではもう妾達の力は用済みになってな。晴れて自由の身になったぞ」

「自由の身……?」

言葉の続きはディルミナエルが引き取って、空いている片方の手を胸に当てて、丁寧な一礼を取った。

「ミヤビ様が帰還なされたあと、太陽王と夜闇王の加護が止まったのですよ」

「えっ!?」

枷から解き放たれた夜闇王は自由になって、太陽王の呪いも解き放った。二人は自由の身になって、夜と昼を守る加護の魔法に魔力を供給することを止めたのだ。

当然のことながら神殿は大混乱に陥ったが、百年に一度の天候の異変は、三週間ほど昼が極端に短い日が続いて気温は下がった以外のことは起こらなかった。もちろん農作物などに影響はあったが、乗り越えられぬものではない。ソアレーレとノアフュテはディルミナエルの協力を得て神殿の禁書を紐解き、全てを明かし、この世界から去ることを宣言したのである。

「そんなことをして、三人とも、大丈夫だったんですか?」

正直に言えば、ジシャノーテ自体の心配はしていなかった。それよりも、三人が神殿から非難されたり、無理やり追い出されたりしたのではないのだろうかと心配になったのだ。三人……それにカイネも、向こうの世界が故郷のはずだ。

「私はもとより天涯孤独の身ですし、あの世界に一人取り残されても全ての責任を押し付けられるだけですからね」

だから逃げてきました。そう言ってディルミナエルは肩を竦めた。その表情は本当にあの世界に未練は無いようで楽しげだ。

「それに、永遠に帰れぬというわけではないぞ。力を取り戻した妾と兄上ならば、たまに帰還することも出来る」

「……というわけなのです」

「ディルミナエルが夫で妾が妻、兄上が子供で、カイネが飼い犬。どうじゃ、家族構成としては完璧であろ?」

フリですよ、あくまでも「フリ」……とディルミナエルはお堅い様子だが、段々とノアフュテに絆されているのではないだろうか。いい大人なのに、振り回したり振り回されたりしている様子に、色恋に疎いミヤビも楽しく笑う。

事情はだいたい飲み込めた。詳しい話は後でたくさん聞くとして、一番不思議なことがある。

「ソアレは……身体を失ってしまったのではなかったの?」

聞かれたソアレがようやくミヤビから離れ、代わりに手をつなぐと自慢げに踏ん反り返った。

「実はな。あのときノアフュテを解放した時の魔力。それがお前を通して、儂にも流れ込んだのじゃ」

その時、とっさにソアレは自分の身体を構成した。量はわずかだったが強い魔力で身体を再構成して、ソアレは再び身体を得たのだ。ただし、いくら太陽王ソアレーレとはいえすぐに万全の身体に構成できるわけではない。

「だからちっちゃいの?」

あまりの可愛らしさに、くすくす笑うミヤビに、ソアレはムッとして腕を組んだ。

「うるさい。あと二、三年もすれば魔力も戻ってお前と同じくらいの大きさになるわ。それまで待てい」

「待てって、何を待つのよ」

「決まっておるじゃろう」

キョトンと首をかしげるミヤビに、ソアレが子供にしては悪そうな笑みをニンマリと浮かべる。二人の足元ではクンクンとカイネが走り回り、二人を見守るディルミナエルとノアフュテが顔を見合わせて微笑んだ。

かくして、ミヤビのなんの変哲もない日常に、ちょっと不思議な外国人夫婦のご近所さんが加わることになる。

ミヤビはこの外国人夫婦の連れている男の子と飼い犬に大層懐かれ、時に友人を交え、時に家族ぐるみで仲良くなった。なぜか三年後、男の子が外国に留学して、代わりにミヤビと同い年くらいの、男の子とそっくりの青年が兄と称して帰国したりするのだが、それらも全て含めて、概ね楽しい日々である。