ギリ隠れる

男は城の秋の庭を任されている庭師である。王城自慢の五の庭、真・春・夏・秋・冬を任されている5人の庭師の中でも、昨年の秋、就任したばかりのもっとも若い男だったが、紅葉を中心とした気品のある庭を造ると、庭師長も認める腕のいい男だ。

その男が、丁度自身の世話をしている秋の庭を見て回っている時の事であった。

今は夏である。男の担当は秋の庭だが、夏だからといって仕事が全く無いわけではない。また、秋の庭だからといって、それは秋が一番の見ごろである……というだけであって、他の季節に見たとしても、王城の庭として一定の水準を保っていなければならない。ゆえに仕事は通年、多いのだった。

空を見上げれば高い夏の空。

何かが落ちてきた。

真っ白いそれは非常に細やかな美しい細工を施したレースだった。羽根の様に軽やかで、穢れの無い純白に見える。

「えらく高そうな布だが、なんだこれは。ハンカチか?」

そう思い、端をつまんで広げてみる。

バランスの取れた二等辺三角形。

絶妙な刺繍は中の何かを隠すように、あるいは隠さぬように、いやいや、むしろちらりと見えるか見えないか程度に? ……ともあれ、そういう目的で透けるか透けないかの密度の濃い刺繍になっている。

両脇には紐が二本ずつ、計四本。丁寧に蝶々結びになっていて、その紐すらもレースだ。細い布であるくせに贅沢にドレープをつけていて、結んだ時にくしゅりとした形を為す様は完璧な計算のもとに成り立っていると思われた。

そして全体的に透けていた。

全体的に透けていた。

太陽に透かして見たから間違いないが、全体的に透けていた。

「……下着か」

下着だ。

紛うことなく、それは女性ものの下着であった。しかも上か下かと言われれば、下である。下を隠すための用途に使われるものである。しかし透けている時点で隠す用途を為していない。いや、ちょっと待て、さっき確認してみたところ丁度隠すんだか隠さないんだかの部分は刺繍が濃くなっていたので多分隠れるんだろうけれど、隠れるかな? 隠れないかな?くらいの位置であって、つまり恐らくギリ隠れる。

隠れる。

こうした情報から推察するに、この白い布は、相当高級な総レースの下着。そしてここからが最も重要な推理なのであるが、この下着は隠さない目的ではなく隠すという目的で使われるものだ。

もちろん下着であるからして、隠すのが妥当な使い方であろう。だが世の中には隠さないという目的で使われるそれもある。男とて嫌いではない、むしろ好きだ。だが、そうした目的でこれを使うような機会はそうそうお目に掛かる事の出来るものではない。

話が逸れた。

ともかく、ありとあらゆる情報から推察するに、これは。

「実用品か」

なるほど。嗜好品ではなく実用品。

しかしそこまで思い至って、男は思わずその布を隠した。

なぜならば、先ほど男はこの下着を、いや布を、いや下着を、太陽に透かして見ていたのである。もちろん悪気があったわけではない。そもそもこれを太陽に透かしていた時は下着だと思っていなかったのだから、男の気持ちはただの布を透かしていたということなり、そこに悪意などあるはずがない。

ただし、結果的には下着を透かしていたことになる。男にそんなつもりは無くとも、もし第三者に見られていればそれは、下着の端を両手でつまんで、太陽に向かって透かして見ていた男だったはずだ。

****

しかし、幸いなことに男が下着を太陽に透かしたところは、誰にも見られていなかったようである。

それならば、次に重要な事は、……これこそがもっとも重要なことであるが、この下着の持ち主が一体誰であるか……というこの1点に尽きる。

さらなる情報収集が必要なようだ。……男は、ぐっと下着を握りしめ、ちょっとだけ顔を近づけてみた。

男の名誉のために言っておくが、この行動に他意は無い。あくまでも推理のため、情報収集のためである。そしてこの情報収集は極めて重要だ。ここから得られるものは多く、一気に解答に近付く可能性すらある。

「ふむ」

花のようなよい香りがする。

「……ということは、だ」

これが残念なのか幸いなのかの言及は行わないことにして、ともあれ、この下着は洗濯直後である……ということが判明した。まるで女物の香水か何かのようにほんのりと香る香り。男にも分かるほど、大切に手入れされている。

つまりである。

この下着は、かなり高級な洗剤で洗濯した後、干して、乾いた頃合に飛んできた……ということだ。

飛んできた時間、その時に吹いていた風の方向、強さなどを鑑みて、この下着がどこに干されていたかを予測する。

王城内で下着を洗濯させるほどの身分で、しかも現物はかなりの高級品。このレースの手触りから言っても、恐らくこれは王族が身につけても遜色ないほどのものだろう。しかし、王族の身に着けているものを洗濯する場は、この下着が飛んでくるような位置にはない。

可能性が高いのは侍女達のものだろうか。

王城にて王妃や王女に仕えている侍女は多くいるが、そのどれもが身分のある貴族令嬢ばかりである。

「くそう」

男は悪態をついた。

「こんなけしからん下着、どんな令嬢が着てるんだ!」

普段は貞淑な淑女然としているくせに、ドレスを脱がせたら下着は透けるか透けないかの、極小の純白総レースとは。

もしくは、それほど派手な装いではない地味そうな令嬢のドレスを脱がせたら、透けるか透けないかの、極小総レース……というのも悪くない。

いやまて、逆に、逆にだ。男なんて何人も相手にしそうな妖艶な女が派手な装いの下に、この初心な純白を身に着けていたとしたらどうだ。

「しかしどうしたものか」

どうしたもこうしたも、やらねばならぬことは1つだけだ。

この下着を持ち主に返さなければならない。それも、こっそりと気付かれぬように……。例え持ち主が見つかったとしても、下着を持ってきた庭師など下手をすれば変態扱いだ。下手をしなくても変態扱いだ。つまり総じて変態扱いだ。さすがに変態扱いされると仕事に支障が出る。男はこれでも秋の庭の庭師であることに誇りを持っているのだ。そのためには、やはり持ち主を探すのが先決であろう。

「洗濯した後……か」

1度は使用した、ということになる。

****

さてその頃、第三王女付きの女騎士達をまとめる騎士隊長は、切羽詰ったような足取りで王城の外周を歩いていた。きりりと美しい横顔に、1つに束ねた金色の髪。涼やかで切れ長の水色の瞳が印象的な女騎士は、すいの隊長と呼ばれている。女騎士は周囲を見渡し、踵の硬い長靴でありながら音も無く颯爽と進んでいた。

「見て、すいきみよ」

「おはようございます、すいの隊長」

時折すれ違う侍女達が、蕩けるような熱いまなざしを注ぎ、翻る長衣コートの裾を名残惜しげに見送る。

いつもの女騎士ならばそうした侍女たちにもにこやかに、そして爽やかに、笑って挨拶をするのだが、今はそのような余裕は持ち合わせていなかった。

なぜならば、彼女は探し物をしていたのだ。

「確かこのあたりだろうか」

女騎士は足を止め、石畳のすぐ向こうにある美しい庭に目を向ける。先ほどまで歩いていたのが夏の庭の近くだ。女騎士が勤めている第三王女の宮の最も気に入りの夏の庭と、その隣の秋の庭の片隅がもっとも怪しい。

丁寧に植えられた芝を踏まないよう、踏み石と小道になった部分を選んでゆっくりと秋の庭に入っていく。

小道の周辺には愛らしい花が規則的に植えられていて、少し遠くには今は緑が美しい薄い葉の樹が植えられている。小道から見たその樹のバランスは見事で、丁度今の時間は太陽の光がきらきらと薄い緑ごしに指し込んで涼しげだ。あれが秋になれば濃い紅に変わり、少し日の陰った部分には控えめで静かな花が咲くことだろう。

女騎士が仕えている第三王女はまだ幼く、その周辺に侍る淑女達も少女のような年齢であるため、普段は春の庭や今見ごろの夏の庭に出向くことが多い。こうして秋の庭をじっくりと見るのは初めてだった。

実に真面目で、よい庭だ。さぞ誠実な庭師が作ったのだろう。そういえば五の庭を任されているそれぞれの庭師の中でももっとも若い者だと聞いたことがあった。若くしてこの五の庭の1つを任されているのだから、庭については大した腕なのだろう。

それにしても。

「この辺りだと思ったのだが……」

女騎士が捜しているもの。それは早く見つけなければ、女騎士の威厳に関わる重要なものであった。

その時、がさりと音がした。背の低い常緑の生垣が揺れ、その脇から1人の男が出てきたのである。

女騎士の見た事のない男だったが、着ている服に付いている紋章から、秋の庭の庭師であることが分かる。秋の庭の庭師はまだ勤めが浅く、女騎士は見た事の無い顔だった。先年の秋の園遊会に庭師も参加していたらしいが、女騎士は出向して参加する事が出来なかったから、これが初めての邂逅だ。

「お、おおお、っとこれは、し、失礼」

男が慌てた風に言って小道の端に寄り、紳士的な礼をした。

「いや、こちらこそ失礼」

女騎士もそれに丁重な礼を返した。常日頃から見知らぬ者とは一定の距離を取り、まず怪しきところは無いかと疑って掛かってしまうのは職業病というものか。女騎士は不躾には見えない程度の視線を向けて、男を観察した。

「貴方は秋の庭の君か」

すいの隊長殿に覚えていただいているとは光栄です」

噂に聞いていた通り、秋の庭師は随分と若い男だった。女騎士と同じか、少し上かと言ったところだろう。女騎士自身は、この王城で官位を頂いている者のうち、一番若い位だ。背の高さは女騎士と同じ位で、庭仕事を生業としているからか程よく陽に焼けている。よくよく見れば端正な面立ちで、しかし優男という風にも見えない。そういえば城の女達が噂をしていたのを聞いた事がある。

もっとも女騎士は、男の顔にも性格にも興味は無かったので、儀礼的な礼に儀礼的な礼を返すにとどめた。

そうして、道の向こうに足を進めようとして止まる。

女騎士の落とし物は、秋の庭に落としたと予測される。それならば、この庭師ならば何か知っているかもしれない。よもや、先に拾われている……などということは無いだろうか。

コホン……と女騎士は咳払いをひとつ。

「この辺りで、何か、見かけなかったか?」

ピクリと男の肩が揺れた。

****

誰にも見られる事無くひっそりと洗濯場まで行き、すみっこに、まるで洗濯の籠からぽろりしました、とでもいうように、そんな風に決して怪しまれる事無く、さりげなく置いていくはずだった。

いやもちろん、男とて持ち主を探そうと思っていたのだ。だがよくよく考えれば、返した男が一番怪しいではないか。いや、よく考えなくても怪しいではないか。ということは、やはり誰にも見つかる事無く、そっと大量の布の端に返しておいた方が安全に決まっている。

少し、かなり、いや大分、あの純白の持ち主を見てみたいという気持ちも無くは無い、むしろ大有りである。が、それにはかなりの危険が伴う。もしも道を踏み外してしまったら、自分の庭師としての身分をも失いかねない。

それなのに、よもや、王城でもっともお堅く美しい女、すいの隊長に見つかるとは。

女騎士は男に聞いた。

「この辺りで、何か、見かけなかったか?」

……と。

何か見かけたに決まっている。見かけたからこそ動揺しているのだ。それなのにその気も知らずに相変わらずお堅い綺麗な顔で、「何か見かけなかったか?」ときたものだ。

いやまてよ。

ということは、だ。

このお堅い顔の女は、何かを探している、ということになる。いやそうに決まっている。何も探していない女が「何か見かけなかったか?」と聞くはずが無かろう。そしてこの辺りで落とし物といえば、あれしかないではないか。

いやまて。慌てるな。ここで早合点して、ポケットに突っ込んでいる純白のあれを差し出したとして、それが女の探しているものと異なったらどうする。男は女騎士に洗い立ての純白の下着を差し出す変態ではないか。ここは慎重にいかねばならぬ。

「……何か、とは?」

恐る恐る男が伺うと、女騎士は、ぽ、と頬を赤らめた。

「そ、それは……」

まて、なんだこの反応は。

よもやこの反応は本物か?本物なのか? 早く続きを聞かせろ。いやここで急かすと男の怪しさが倍増である。ここは辛抱だ。粘りだ。待たねばならぬ。男が辛抱強く待っていると、女騎士は観念したように瞳を逸らしながら言った。

「わ、私のものではないのだ。私は、あんな……あんなヒラヒラした小さいものは使わない!」

「ほ、ほう」

ヒラヒラした小さいもの。

「白いからすぐに見つかると思ったのに……」

こちらは独り言だったのだろう。男に向けられたものではなかったが、決定的な情報だった。つまり女騎士が探しているのは、白くてヒラヒラした小さいもの……ということだ。今のところ例の純白に完全に一致している。

ちょっと待て。

ということは、なんだ。あれは、あの純白の下着は、あの純白のけしからん下着は、このすいの隊長が使っているのか。まさか、そんな。

男は我知らず、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

肌の少しも見えぬ騎士服に身を固めた女が。
時に露出など少しも無い甲冑に身を固める女が。

その下には、あれを身に着けていると。

そういうのか。

そういうのだな。

「それはいかん」

想像しただけで何回か、いや何でもない。

「え?」

「いや」

思わず声に出しそうになり、男は口を閉ざした。女騎士は明らかに動揺している。自分があの下着を使っている事を知られたく無いのだろう。そうに決まっている。羞恥を演出するなど、なんという高度な技術テクニックなのか。油断するな、ここで男が女騎士のあれを持っているとバレたなら、早朝、城の堀に浮くことになりかねない。ここは、バレぬようにもう少し情報収集をだな。

「つまり、白くて、小さくて……ひらひらしたもの、ということでしょうか?」

「くっ……」

水の隊長が、頬を赤らめてそっぽを向いた。いつもは冷静で強気そうな横顔が、少し困ったように照れている様子は年相応の女性に見える。確か年齢は庭師の男と同じくらいか、少し歳下だったはずだ。はっきり言って可愛く、美しい。

そして、ふ……と悲しげな顔をしたのだ。

「もういい。……仕方が無い」

「は?」

「どうせ……どうせ、私には似合わぬものだったのだ。身の丈に合ったものを持てばよかったのに、少し浮かれてしまったのだ……」

「だ、大事なものだったようですな」

聞くと、頬を染めたまま俯いた。まるで乙女の恥じらいではないか。いや確かに乙女の恥じらいだ。男も思わず赤面してしまいそうになる。同時に、水の隊長の持つ思わぬ女性らしい表情に、鼓動が高鳴るのを感じた。普段は男にも負けぬほどの凛々しい立ち居振る舞いであるのに、女らしい下着を恥ずかしながら持つ一面……それが似合わぬからといって嘆く小鳥のような愛らしい表情。

なんだこの胸の挙動は。ドキドキが治まらない……。

「貰ったもので……お前に似合うだろうから、と……」

「な、なに!?」

似合うから、もらった……だと……?

一体誰に。一体誰が。

一体誰が、この水の隊長にあんなけしからん下着を贈ったというのか。いやしかし辻褄は合う。似合わぬと思っていた女らしい下着を愛する男からもらったとする。「あんなものは使わない!」とむきになる。しかし大事なものだから失くしたら探す。そして似合わぬからといって悲しむ……。

なんてこった……。

それを聞いて、心が波立つ。

水の隊長の女らしい横顔を、自分だけが見たとうぬぼれるところであった。しかしそれは間違いだ。少なくともこの下着を贈った者は、水の隊長のあのような表情を知っているに違いない。

それを考えると何故か僅かに苛立った気持ちになった。恐らくこれは嫉妬というものだろう。言葉を交わしてしばらくしか経っていないというのに、愛らしい下着を持っているという意外な一面を手に入れただけで、なんという気持ちを抱いてしまったのか。そして男は同時に、どうにかして水の隊長を慰めたくなった。

「似合わぬなどと、そのようなことはないでしょう」

気が付けば、男は真顔でそんな風に口にしていた。

「え?」

「貴女に似合わぬなどいうことはないと思う。貴女はとても美しい、女性らしい顔をしているし、きっとドレスなどもよく似合うでしょうな」

総レースのちょっぴり透け感のある白い下着は全ての女性の味方である。いや、白だけではなく黒も赤も男は嫌いではない。しかし原点は白のレースだ。全ての憧れであり、似合う似合わないなど関係無い。白く愛らしいレースを身に着けるということが大事なのだ。つまり全ての女性のために総レースの白い透け感のある下着はあるのだ。水の隊長があの純白を身に着けていたら、むしろギャップ。ギャップ萌えだ。喜ばぬ男などいるだろうか。いや、いない。

水の隊長が不安そうな表情でぽつりとつぶやく。

「似合う……だろうか」

「愛らしいものが似合わぬ女などいない」

……ふ、と男は水の隊長に微笑んだ。

ハッとした表情で水の隊長が顔をあげる。男の……心からの言葉と微笑みに、水の隊長もまた……自信を得たように微笑んだのだった。