付録

使用人はつらいよ

思えば最初から不思議な人だった。

お茶を淹れれば超一流、お菓子を焼けば城の料理人も驚きの美味しさ。余った食材で作る軽食から、本格的な食事ディナーまで。身のこなしも卒がなく、マナーも完璧。剣を持たせればスレンすら五分五分だ。

「ミーニアや……」

これが、外見は孫でもいそうな老紳士がこなすのだから、ただ者ではないことは明らかだった。

そして、彼は本当にただ者ではなかった。

「ミーニア……」

カッ……! と暗闇に包まれた裏口が青白い光に包まれ、その光の中央に小さな固まりが浮かび上がる。扉を開けてそれを発見したミーニアは、ゴロゴロと鳴り響く雷とは正反対の、しん……とした静かな無表情で、臆する事無く部屋に進み、小さな固まりを抱き上げた。

「……フレク様、いらっしゃらないと思ったらやはり急な大雨の折に外にいらっしゃったのですね」

「ああ……新しい館の進捗状況を確認にな……まさか、私の予測できない急な嵐が来ようとは……」

「あの、何かしらの力でどうにかできないのですか?」

ミーニアの腕の中には今、水に濡れて毛皮をしょぼしょぼにしたウサギがいる。ウサギは何事かをミーニアに訴えており、その度に口許がぷくぷくと動いていた。ミーニアはハンカチーフでウサギの鼻を咬ませるように拭き拭きしてやった。

「どうにかする前に雨が耳に入ってな」

「はあ……」

ウサギがミーニアの腕の中でぷるぷると頭を振っている。その声は老いた風な男のもので、耳が水滴を滴らせながらしんなりと垂れ下がっていた。

窓の外を見ると、雷はいつの間にか止まっていて嵐は静まっている。

****

「スレン、邪魔ですから退室してください」

「やだよ」

多くの針子達に囲まれているオルディナを、スレンがうらめしげに見ている。ミーニアは常の無表情をさらに深く無表情にして、しっし……と手でスレンを追い払った。

今日はオルディナの衣装を作る日である。王女であるにも関わらず、オルディナは身体に合わせて服を作ったという事が無い。いつも、何着かの既成の品を取り寄せて試着し、サイズを詰めて着ていた。人と触れ合う事が出来るようになった今、オルディナの母である王妃が喜び勇んで彼女に服を作らせている。そうした日は、オルディナの周囲にたくさんの針子が寄ってくるから、スレンはうずうずするようだ。

が、しかしそんなこと、ミーニアには知ったこっちゃない。

これからオルディナは下着姿になるのだから、男が部屋にいていいはずが無いのだ。しかし、オルディナが下着姿になるから出て行ってくださいと言えば逆効果になるだろうから、ミーニアは溜め息を吐いた。

オルディナが苦笑する。

「スレン、外に出ていて」

「でも」

「スレン」

嗜めるようなオルディナの声にスレンが、むっとして沈黙したが、ぼそぼそと文句をつけた。

「……なんで、レイクはいいのに、ワタシはダメなんだ」

ミーニアがちらりと視線を向けると、職人と話しているレイクの姿があった。レイクは太ももの下までスリットの入った装飾の少ないシンプルなドレスを着ている。

「フレ……レイク様」

「あら、なあに、ミーニア」

「レイク様も、退室してください」

「まあ! 折角オルディナのドレスを見立てようと思っていたのに?」

そう言って頬に手をあて、首を傾げる姿はどこからどう見ても美しい女性の姿だ。しかし、声は澄んだ青年のものだった。見た目は完璧な女性なのに声は男……という組み合わせが、針子がさきほどから落ち着かない原因だろう。

ちなみに、目覚めたティワルズが、その露出の高い衣装を見てうっかり頬を染めて視線を逸らしたのは余談である。(その後、レイクの男声を聞いて衝撃を受けた顔をしていたのも余談である)

「ミーニアの言う通りだ、レイクは退室しろ」

「あら、折角のオルディナのドレスなのよ、女の子らしいデザインなら私が」

「お二人とも」

ミーニアの声が低くなり、ぎろりと冷たい視線を2人に向ける。

「どちらも出て行ってください」

男共はそそくさと退散した。

****

「ミーニア、大丈夫? 赤いぶつぶつ出来てない?」

「館は綺麗ですから大丈夫ですわ、というかフレク様、その子供言葉を止めてくださいと何度もお願いしているのですが」

「だから! 僕ゲーリだってば!」

心配そうな顔でミーニアを覗き込んでいたゲーリが、台拭きを持って跳ねるように動いている。一つ一つ戸棚を拭いて、ミーニアの掃除を手伝ってくれているのだ。

「ミーニア、この台拭き、もう床拭きにしちゃおっか!」

「……そうですわね」

どうせならばフレクの姿で掃除してくださればいいのにと思ったが、家令のフレク……美しい居住まいの老紳士であるフレクが台拭きを広げながら「床拭きにしちゃおっか!」などと言う様子というのも想像つかないし、掃除を手伝ってもらうなどということになれば恐縮してしまうから、まだゲーリの姿でいてくれる方が心の平安にはいいのかもしれない。

掃除を念入りにするのは、ミーニアの趣味……というか、癖みたいなもので、ミーニアが勝手にやっていることだ。だからフレクの手を患わせてしまうのは本意ではないのだ。ただ館を掃除する人員はかつては少なく、ゲーリがこうして手伝ってくれるのは正直助かっていた。

「これが終わったらビスケット焼こうよ!!」

「はあ……かまいませんけど」

ただ、この無邪気なゲーリ少年が、あの老紳士のフレクかと思うとやはり複雑なのである。

****

ミーニアがオルディナの為にお茶菓子を持って、主の自室の扉をノックしようとした時だ。

「これ、ミーニア」

ノックしようとした手を、節くれだった手がそっと止めた。見上げると、フレクが片眼鏡の下に苦笑を滲ませたような表情で首を振った。

「今はスレンが来ておる」

「そ……」

スレンが来ている……ということの意味を考えると、ミーニアは無表情の顔を珍しく盛大にしかめた。スレンはかつてオルディナの幼馴染みであり護衛だった。神だかなんだか知らないが、護衛から伴侶に格上げした途端これだ。

もちろんミーニアはオルディナの恋心にもスレンがオルディナばかり見ている視線も気が付いていたから、こうした事態に驚きはしなかった。国王が認めたというのであれば伴侶として側にいるのは致し方なく、しかし場所とタイミングを考えないスレンの馬鹿っぷりには常々一言申したいと思っていたのだ。

「それならばますます……」

「まあまあ、姫も最近は忙しくしておられたようだし、よいではないか」

おおらかに笑うフレクに、ミーニアは顔をしかめたまま首を傾げた。いつもならば護衛候補らへの稽古をさぼったり、オルディナの仕事を邪魔しようとしたりすれば、さりげなく阻止していたのに、今日はなぜか甘いようだ。

しかし、宮の全てを仕切っているフレクが大目に見るというのならば、ミーニアは引き下がるしかない。

「……フレク様は、スレンに甘いのではありませんか?」

「ほっほ。そうだろうか」

フレクが誤摩化すように肩をすくめてみせ、ミーニアはようやく諦め、ドアノブから手を離した。止めていたフレクの手も離れて、「さて」と、咳払いをする。

まるでミーニアをエスコートする紳士のように、フレクがすっと礼を取った。フレクは家令でミーニアは侍女なのに、時々フレクはこうした態度を取る事がある。おふざけなのか、こういう性格なのかはミーニアには把握できない。

「さて、ミーニア、時間が余ったのならば、お茶でもいかがかな?」

「オルディナ様に用意もしていませんのに?」

「ティワルズ殿下からオルディナ様に頂いたお茶があるのだが、我らが主君らのために味見しなければ」

それに隣国の茶葉はアルフォールのものと少し淹れ方が違うのだ。美味しい淹れ方を主のために勉強するのも、ミーニアの仕事である。ミーニアは仕方が無い、という風に頷いてフレクのエスコートに従った。

****

「フレク様は、どのお姿が本当なのですか?」

爽やかな香りの湯気を顎に当てながら、ミーニアは溜め息を吐いた。そばに座っているのは家令のフレクで、品の良い笑みを浮かべたまま2煎目を自分のカップに注いでいる。

注ぎ終わった茶器を置いてカップを手に取り優雅に口を付けると、フレクは「ふうむ」と何か考えるように息を吐いた。

「それはまた、難しい質問だの。ミーニア」

「でも、名前も4つあるでしょう。フレク様にレイク様、ゲーリ……」

それから、神の名前。彼は金色の馬に仕える神なのだというが、いまだにミーニアには信じられない。もちろん、教えられた事実として受け入れて入るが、ミーニアにとってフレクは家令として何でもこなす、憧れの上司である。しかも素敵な老紳士だ。それなのに、彼が少年の姿で無邪気に笑い、若い青年で女装をし、女言葉で微笑んでいるのかと思うと混乱するではないか。

「しかし、そのいずれもが私なのだよ、ミーニア」

「でも、どれもフレク様なのだと思うとこんがらがりますわ」

「フレクはフレク、レイクはレイク、ゲーリはゲーリでよかろう?」

「うーん……」

よかろう、と言われても、やはりミーニアは腑に落ちない。オルディナは素直に受け入れて、1人3役をこなす3役の個性を尊重しているけれど、ミーニアには今となっては、フレクが女言葉をしゃべったりしているようにしか見えないのだ。

しかし、その難しさをどのように言葉で表現すればいいのか分からず、表情の薄い顔で首をひねっていた。

「それか、ミーニアにはこっちの方がいいかな?」

言ってフレクの姿が、ふわりと変わる。今までフレクが着ていた服とよく似た衣装に、結わえた髪は、男装をしたレイクの姿だ。ふっと笑うレイクにミーニアが目を丸くして、突然、はっと何かに気が付いた顔になった。

「ミーニア?」

「フレク様、私分かりましたわ」

「……今はレイクだけどね、何?」

姿を変えれば口調まで変わるのだろうか。いつもの老獪な口調ではなく、どことなく軽めの青年らしい口調でフレク……ではない、レイクが首を傾げて楽しそうに笑う。

その笑顔に、ミーニアはあくまでも真面目な顔でしみじみと言った。

「フレク様、私、多分3人……4人?(ウサギも含めて)の中では、フレク様のお姿とお声と雰囲気が好きなんです」

「……え?」

レイクの顔がきょとんとした。

「だから、折角お姿が変えられるならば、ずっとフレク様でいてくださってもいいのにって、そう思うから違和感が気になるのですわ」

まるで当たり前のことのように言って、納得したような顔でミーニアは1人頷く。姿も声もまるで違うのにフレクとの違いが気になるのは、折角の素敵な老紳士姿になってくれないからだ。

しかも、紳士だと思っていた人が、女装してみたり子供だったりすると混乱するではないか。そういう趣味があるのかな、とか……。

真剣にそう語ったミーニアに、レイクが困ったような顔をして口許を両手で覆った。

「そ、そうか」

「そうですわ」

相変わらずミーニアは無表情でお茶を一口飲む。しかし、どうしてフレクはこうしてややこしい姿形を取り、1人3役をこなすのだろうか。

だが……。

「この姿は嫌いかい?」

「え?」

いつもはどのような姿をしていてもどことなく余裕と自信のある雰囲気なのに、今は少しだけ不安そうな顔だ。ミーニアはそんなレイクの素直な表情に苦笑して首を振る。

別に、そういう問題ではない。

「いいえ」

そういえば……とミーニアは思い出す。老紳士のフレクと最初に会ったときの事、まだ行儀見習いとして来たばかりの頃、ニコリともしないミーニアに嫌な顔ひとつせず、美味しいお茶の淹れ方を教えてくれた。家庭教師と名乗ったレイクは、オルディナに勉強や作法を教えるだけではなく、ミーニアにもお洒落の方法や美しい所作を習わせてくれた。馬屋のゲーリは、正式に侍女になって忙しくなったミーニアだけでは行き届かない掃除を一緒に手伝ってくれた。

どれも家令のフレクだけでは出来ない、3人の仲間だからこそ教えてもらえた数々の教養と仕事だった。だけど、それをたった1人でがんばっていたのか、と思うと……。

ミーニアは小さく笑う。

「そうですわね。どの方も嫌いではありませんが……それがお1人なのだと思うと、……愉快ですわね」

「愉快か」

「ええ」

そうして、ミーニアには珍しくクスクスと笑い始めた。ふっくらした唇が孤を描き、垂れ目がちの瞳が細くなった横顔に、なぜかレイクは決まり悪げな顔をして沈黙したのだった。