声無しの情景

ぬすっと

盗むならできれば軽くて、価値のあるものがいい。


その神殿を狙ったのは気紛れではなかったが、女に関しては気紛れのつもりだった。

神殿の神官長は下衆な男で、集めた金を不正に貯めていた。金は大きさの割に奇妙な重さの神像や使われぬ花器に姿を変えて、地下の墓地に隠されている。盗賊は神殿の不正を暴くことを目的とした組織から雇われ、いくつかの物品を盗んでくるよう依頼されていた。

盗賊にとって金目にはならない帳簿などにも、依頼主から別途報酬が約束されている。あとは神殿が持つ必要のない無駄に豪華な品を幾つか、その中に盗賊の分を上乗せする程度の自由は与えられていた。

女を見つけたのはその神殿の下調べをしていた時のことだ。ふらりと金持ちの家に入って目に付いた物を拝借するのとは違う。念入りに調査を行う予定にしていた。

標的となる建造物の大きさは他よりもあるが、神殿という種の建物はどれも同じ作りだ。外見から予測した見取り図を脳内に記憶し、最初の侵入経路を決める。

解錠できる扉があり、人の出入りが少なく、出来る限り地下に近い場所。幾つか検討をして、その日、試しに一つの扉に侵入した。

扉を開けてすぐ水を使う場所があって、奥には小さな部屋が一つある。盗賊の計算によれば物置のはずだが、意外なことに小さな寝台があって、誰かが寝泊まりしている様子だ。

盗賊は舌打ちしそうになったが、通り過ぎないわけにはいかない。時間は深夜で、神殿の人間は皆寝静まっている。

寝ている素人の側を通っても、気付かれない自信はある。盗賊は仕方なく部屋に侵入し、人間が寝ている気配を確認してそこを通り過ぎようとした。盗賊の自信は過剰なものではなく確かなものだ。常の心を保っていれば。

部屋は狭く、寝台の側を通る時に寝ている者の姿が見えた。いつもなら盗む標的以外に興味を示さない盗賊が、ちらりとその顔を伺い見る。

意外なことに、女だった。

神殿で働いている女官だろうか。暗くて髪の色ははっきりと分からないが、夜目に女の顔が端正であることは伺い知れる。なぜ女官部屋ではなくこのような部屋に一人置かれているのか、そうした疑問が心に浮かんだ瞬間、盗賊は足を止めてしまった。

そのとき、運が悪いとしか言いようがなく、女が息を吐いてゆっくりと目を開ける。

その日は月の無い夜だった。灯りも無い部屋の中で、盗賊のような生業の人間以外が夜目など利くはずがない。それなのに、女はなぜか、こちらを見た。

****

女はもともと娼館で生まれ、娼館で育った娼婦だ。初めての男のことは覚えていないが、悪い客ではなかったと思う。乱暴な客もいたが、優しい客もいた。自分の身体が商売道具として通用するまでは、この生活が続くのだろうと当たり前のように思っていた。

ところが、そうした生活は唐突に終わった。金持ちの客が一人の娼婦を巡って、娼館に火を放ったのだ。

命があっただけでも幸いで、娼婦達は散り散りになった。しかし女にだけは行き場所が決まらない。背中に大きな火傷を負い、そのせいでしばらく動けなかったからだ。

そんな女を拾ったのが、今仕えている神殿の先代の神官長だ。

祈りの日々は娼館での日々と全く違うが、穏やかで心安らぐものだった。神官長も神官も女官も、祈る彼女を気遣い、背中の傷も徐々に癒える。

そしてようやく痛みが消える頃、神官長はあっけなく死んで代替わりをした。

今の神官長になって、神殿には金の匂いが充満するようになってしまい、親しかった者たちは皆出て行った。だが女にはもう行くあてなど無い。神殿で働いていたとはいえ、娼婦上がりの自分は正式な女官ではなく、これ以上神官や女官達の世話になるわけにもいかない。もう一度娼婦をするにしても、背中に大きな火傷の痕が残っていては商売にならないだろう。

それに先代の神官長への恩義を果たせぬまま、出て行くことはできなかった。

何か自分に出来ることはないものか、思いを巡らせて幾晩も過ぎたある日、夜中に目が覚めると男が一人、枕元に居た。

黙っていれば悪い風にはしないと言われ、女は自分の知ることを全て話した。男は盗賊のようだが、普通は神殿に盗みに入る者などいない。ということは、この神殿が貯めていることを知っていて、わざわざやってきた者なのだろう。神殿の構造や見張りの有無、女が預けられていた幾つかの鍵を渡して、神官長の寝る時間や、神官長が使っている書斎や書庫の存在も伝える。

盗賊は最初訝しんだが、嘘なら嘘で利用しようと思ったようだ。女のいる部屋を通って、何度か下調べにやってくるようになった。

そして幾度目かの夜、逞しい腕が女を抱いた。

気が昂ったのか、街で好みの女を買えなかったのか。しかし女に拒む理由も無い。女も盗賊を利用してこの神殿を潰そうとしているのだ。今代の神官長が神殿に溜めた汚物を掃き出してもらうのだから、この身体を差し出すくらい易い。

拒まない女に、盗賊の手は遠慮が無かった。後ろから抱き締められ、解いた長い髪を掻き分けられ、首筋に男の渇いた唇が押し付けられる。ざらついた無精髭と盗賊の温い息が耳元をくすぐり、女の背筋がぞくりと震えた。悪寒とは全く違うそれに思わず声が出そうになるが、枕に顔を押し付けてやり過ごす。

盗賊が女の着ている服の留め具をむしるように外した時、手が止まった。

せわしなかった気配が急に収まり、慌ただしい動きが止む。盗賊が息を飲んだ気配が伝わり、女は微かに苦笑した。

背中に残る酷い火傷痕を見ているのだろう。腐った神官長ですら、見た瞬間気味悪がって遠ざけた酷い傷だ。あの日、客を逃がすために何人もの娼婦がこうした傷を負った。女もまた、例外ではない。

しかし盗賊は意外な行動に出た。

その火傷の痕をそっと撫で、誰にも聞こえぬような小さな声で、痛みが無いか問うたのだ。女が首を振ると、行為の続きが始まった。

服の隙間から盗賊の手が侵入し、女の肌をなぞり始める。剣も弓も持ち慣れているのだろう。こうした生業の者が長年積んできた経験の証にごわごわと硬くなった皮膚が、女の肌を引っ掻いていく。柔らかい肌に硬い指先の感触の違いが、女の身体の奥底に響き、触れられているところと全く違う箇所から、何かが湧き出るように感じた。

乳房の膨らみを楽しむように指先が動き、先端をかすめるとそこが弾力を帯びる。盗賊の指がそれを摘んで揺らし、戯れるように弾いた。細やかに揺れるたびに、強い愉悦が下腹に走る。重いものを飲み込んだように喉が痛み、下半身がねっとりと熱を帯びた。

盗賊の唇に耳たぶを噛まれ、歯と唾液の感触に気をとられていると、胸に触れていた指先が下へと下りてきた。その手がどこに触れようとしているのかが分かって、女はこくりと息を飲む。

腰回りを撫でていた手がするりと下着を下ろし、太い指先が女のぬかるみへと触れた。

乾いた感触も引っかかりもありはしない。滑らかで、濡れている。

そこを味わうかのように、指が何度か裂け目に沿って動かされた。触れるたびに、指の位置が深くなっていく。優しく少しずつ進むその指が、女の膣内なかに入ったのは、何度動いた時だろうか。指が動くたびに奥からは蜜が溢れ、とうとう根元まで入った時には、女の太ももにもそれを感じるほど雫が零れていた。

その間も盗賊の吐息は、ずっと女の耳元を温めている。時折戯れるように首筋に噛みつき、舌を這わせた。片方の手は女の胸の柔らかさを楽しんでいて、与えられる愉悦は絶え間ない。柔らかく、硬く、きつくて、優しかった。

盗賊の指が秘部を押し広げるように、もう一本入ってくる。奥を確認するように念入りに動いていて、内膜の襞の一つ一つに、丁寧に触れた。

達しそうになるが、まだ限界を感じたくなくて、女はぎゅとシーツを握りしめてやり過ごした。盗賊の指先は無骨なそれにそぐわぬほど繊細に動き、与えてくる感触は、刺激というほど激しいものではないのに、確実に女を押し上げる。

盗賊の指が少し曲がって、思わず声をあげそうになる。

声をあげてはいけないという恐怖が勝り、歯を食いしばってそれに耐えていると、胸に触れていた盗賊の手が女の髪を軽く掴んだ。うつぶせの顔が上げさせられて、盗賊の瞳と視線が交わる。その途端唇が重なって、盗賊の熱が女を貫いた。

ぐちゅり……と、粘膜が触れ合った音が一度、鳴る。

ゆっくりと引き抜かれ、ゆっくりと奥へと戻って来る。女の内膜が盗賊の抽動に沿って動き、その度に互いが擦れあった。子宮を押し上げてくる男の形がはっきりと分かるほど、きつく絡み合っている。

交わっている箇所を盗賊の手が確かめるようになぞり、小さく膨らんだ花芽が押しつぶされる。大きくうねるような愉悦に、細かで激しい愉悦が重なり、シーツを握る手が強くなる。

盗賊の手の片方が女の手の甲に重なった。

腹や胸を触れられた時よりも、盗賊の手のひらのごわつきを感じる。

指先が絡められて握られて、盗賊の息と動きが激しくなった。奥を突くたびに、身体のどこかが昇っていく。激しい動きの中に、なぜか優しさのようなものも感じる。女は無理矢理ではなく、確かに盗賊と……今、自分を抱いている男と同調して、共に快楽に落ちていった。

息が止まるほどの愉悦が走り、同時に盗賊の鍛えた体躯が女の身体を抱きしめて、奥を突いた欲望が熱い白濁を放つ。繋がっている部分はほんの一部なのに、身体の全てが飲み込まれ、重なり合っていく。

背中に盗賊の重みを感じ、胸板の上下が荒い息を伝えてきた。盗賊はしばらくの間そうした後、首筋に一度吸い付いて身体を離す。

サイドテーブルに小さな石の付いた首飾りが置かれていたことに気付いたのは、朝になってからだった。

****

女には世話になった。最初は訝しんだが、女がどうやら本当に神殿を潰したいのだと考えている様子に哀れさと興味を覚え、そして利用した。

女を抱いたのに大した理由は無い。仕事が終わり、もう会う必要が無くなる前日に、急に惜しくなった。それだけだ。背に火傷痕があったことには驚いたが、それで止めるほど肝の小さい男でもない。女の身体は好く、盗賊は飢えていた。

その翌日、盗賊は別の経路から侵入し、目的を果たし、別の経路から逃走したため、以降女に会うことは無く、依頼主に成果を渡して仕事は終わった。

依頼の結果には関与しないのが盗賊の信条。しかし、何故か女の行方が気になった。依頼主が神官長を捕縛するため部下を率いて神殿の出向く日、盗賊もまた、神殿に足を向ける。

攻め入ろうとする依頼主と、神官長。睨み合う両者に隠れて盗賊が伺っていると、神官どもが首謀者であると引き連れてきた者を見て、盗賊は我知らず舌打ちをした。

あの女だった。

女の服を半ば裂いて、胸元に下がる小さな首飾りを、先代の神官長から盗んだものと口上する。

しかしそんなはずがない。あれは盗賊がくれてやったものだ。盗んだものではなく、盗賊が街でふと買った安物だった。しかし神官長は依頼主が呆れているにも関わらず、女の首からその飾りを千切ろうと強く引っ張る。

その途端、神官長の悲鳴が響いた。

女が神官長の手に噛み付いたのだ。

一瞬心臓を掴まれたように感じた。馬鹿な女だ。あんな安物、おとなしく渡せばよかったものを。

案の定女の力など知れたもので、顔を赤くした神官長は女の頬を張る。それを見た瞬間、盗賊の身体が考えるより早く動いた。

盗賊が懐に忍ばせていた投擲ナイフを神官長に向かって投げる。それは神官長の肩に刺さり、先程よりも大きな悲鳴が響いた。ナイフがどこから投げられたものか一瞬探す神官達、倒れ込んだ女から皆の視線が外れ、その隙を狙って依頼主が引き連れてきた兵に合図した。

依頼主と共謀していたわけではなく、盗賊の行動は依頼主にとっては予測不可能な出来事だっただろう。しかしその契機を利用した瞬発力だけは大したものだ。もちろん盗賊もこの機を逃すはずがなく、神官側と依頼主側の戦闘のどさくさに紛れて女を奪う。

奪う品への上乗せは当然盗賊の取り分だ。

依頼主もそう思ったのか、追いかけてはこなかった。

盗賊は盗みを行うとき、それらを奪う比重を計算して仕事をする。できれば軽くて、価値のあるものがいい。ならばこの女はどうだろう。

盗賊の腕の中、抱き寄せる女は軽くて重い。たった一晩の慰みに盗賊がくれてやった安物を大切に身につけて、奪われぬように抗うような

そんな女を、盗賊は自ら選んで盗んだのだ。