プロローグ ある夫婦の物語

「おかえりなさいませ、旦那様」

「ああ、ただいま、クロウ」

黒い身体、黒い手足のロボットが頭を下げて男を出迎えました。作業着を着た男は、人の良さそうな笑みを浮かべて頷きます。

「今日の晩ご飯は何だい?」

「ヒヨコマメのシチューです、旦那様」

「ああ、あれの好物だ」

「はい。奥様が、久しぶりに食べたいと」

世界の果てに忘れ去られた小さな村の、そのまた奥の小さな森に在る小さな家で、いつものように健やかな1日が更けていこうとしていました。

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男が「それ」を作ったのは、自分の妻のためでした。

男の妻は年をとってから足を悪くして、ちょっとした日常生活を送るのにも不便な生活を強いられていて、それを少しでも楽にしてやりたいと思ってのことだったのです。

男はしがないロボット工学の技術者でしたが、既に引退していました。彼が活躍したのは一昔前。それも別段すごい技術の持ち主だったわけではなく、畑を耕したり掃除をしたり、そういう仕事をするロボットを作っていたのです。

しかしもはや彼の知っている技術は最新のAI技術に取って代わり、世の中にはリアルで人と変わらぬ愛玩ロボットが増えています。そうでなければ銃や剣を持っているおかしな形のロボットです。ですが男が作ることの出来るロボットは、立ち姿こそ二足歩行の人型をしているものの、無骨な姿で美しさとは程遠く、力は強くても、剣も銃も持てません。

そんな男が、自分の持っている技術を駆使して大きな黒錫のロボットを作りました。そして昔の弟子が手慰みにと送ってきた、子供が組み立てる学習用玩具ロボットのAIチップを埋め込みました。いくつかの言葉と作業が記憶できれば便利かしらと思ってのことです。

このようにして、黒く光る大きな二足歩行のロボットが出来上がりました。小さな頭に幅広い肩。長い腕に長い足。見た目は無骨なこのロボットは、妻の身体を起こしたり、男と一緒に料理を用意して運んだり、掃除をしたりすることが出来ました。

もちろんそれ以外にも様々なことが出来ます。

本を読んで言葉を記憶し、男や妻の話し相手になることです。老夫婦は「クロウ」と名付けたそのロボットと、いつもおしゃべりを楽しみました。

子のいない男と妻にとって、無骨な姿をしていてもクロウは自分の子供のような存在になっていきました。妻は編み物が得意で、機械の身体が冷たそうだからと、クロウに肩掛けを編んであげたりもしました。男はとてもうれしそうに「子供というには大きく作ってしまったけれどね」と照れて笑っていましたが、男と妻……老いた2人の晩年はクロウのおかげで楽しく過ぎていきました。

クロウは「執事」という、今はもう無い昔々の職業を老夫婦から与えられました。主人と主人の生活を守り、家の用事を様々に取り仕切る職業です。クロウは淡々と、そして忠実に、「執事」としての仕事をこなしました。

「いってらっしゃいませ、旦那様」

「おかえりなさいませ、旦那様」

「おやすみなさいませ、旦那様、奥様」

「おはようございます、旦那様、奥様」

男が庭に作ってあるささやかな畑仕事に出向くとき、畑仕事から帰ってきたとき、老夫婦が寝台の上でそっと眼を閉じるとき、2人揃って目覚めるとき、決まってクロウは挨拶をします。

「今日のスープは燻製肉ベーコンを少しいれました」

「デザートは奥様の好きなものにいたしましょう」

「編み物をなさいますか? 道具を持ってきましょう」

クロウの出来るお話は段々と人間に近付いていきます。もともとは子供の学習用玩具のAIであったはずなのに、老夫婦が愛情を込めて接しているからか、覚える動作も言葉もとても人間に近いものになっていきました。

しかし、やがて別れはやってきます。

老夫婦は人間で、クロウはロボットだからです。

多くのロボットがそうであるように、クロウもまた、主人である老夫婦と別れる日が来たのでした。

「おはようございます、旦那様、奥様」

クロウがそう言って部屋の扉をノックしたある日の朝。部屋の奥からは何の返答もありませんでした。

部屋の寝台では、2人がいつものように寄り添っています。

ただ、いつものように目覚めるはずの老夫婦の瞳は、もう2度と開きませんでした。

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クロウには分かっていました。

これは自分の知識にある、人の「死」であるということを。

クロウは老夫婦の身体を新しいシーツに包んで、2人並べて地面に埋めました。そうして、森の奥にあった大きな石を削って大きな石碑を作りました。いつだったか本で読んだ中にありました。人間というのは、死んだ後お墓を作るのです。

クロウは何日も掛けて、本に載っていた美しい彫刻を真似して石碑を彫りました。ずっとずっと、何日も何日も、そうやって石を彫りました。

そうして出来た石碑を、老夫婦を埋めた地面の上に置きました。男の妻が作っていた花の種をそこに植え、水をやり、やがて芽が出て、美しい花が咲きました。石碑の周りにはいつしかたくさんの花が咲き誇り、季節が巡ると枯れ落ち、再び種が出来、いくつかの種はそのままに、いくつかの種は拾って綺麗に撒き直し、やがて再び花が咲きました。