世界は2度目の終焉を迎えつつあった。
過剰に発達したロボット……人工知能の発端となったのは、子供が組むロボット工学の学習用に組み立てる、玩具に搭載する簡易なAIだった。
複雑な機構を持ったAIは仕様が画一で型に嵌った成長しか遂げなかったが、その玩具の基盤は仕組みが簡単であったことにより、複雑な機構を組み込んだものよりもはるかに応用の利く……そして、はるかに発達の揺れ幅の大きな基盤になってしまった。
そしてそれに接する子供達もまた、大人達よりもはるかに成長の揺れ幅の大きい、ある意味無限の可能性を持った存在だ。そうした子供に作られ、共に何かを学び、遊び、行動することを覚えた小さなロボット達は、徐々に人を超える知識と自我を目覚めさせた。
この学習用ロボットは当時絶大な人気を誇っていた。
安価で手に入りやすいこともあって、当時人並みの生活をしていた子供達なら誰でも持てたほどだ。
しかしまた、子供達は飽きっぽく、すぐに流行は移ろう。
時代を経ると子供達は大人になり、大人達は自分が子供の頃に作ったロボットには眼もくれなくなる。子供達手作りのロボットの多くは捨てられ、捨てられたロボットの多くは、ジャンク屋の手によってAIが抜き取られ、法の手の行き届かない武器、あらゆる地下の物騒な役割に使われるロボット……いや、機械の頭脳として使われることになった。
特に多く使われたのは、人間の身体の一部の改造だ。地球上には富裕の恩恵を得られぬ場所も当然多くある。そうした場所で行われる争いごと、国同士の戦争や人同士の遊びで使われる武器は、鋭利で凶悪な威力を求められるようになった。武器はより多く持てるようにと人間の身体にまで取り付けられるようになり、自身の身体の一部を武器と化した者は、戦士と呼ばれた。
応用力の高く簡素な作りの人工知能は、法外に生きる戦士達が好んで武器に取り付けた。出力や出力による反動は戦士達のもっとも頭を悩ませる事柄になっていて、それを計算して調整するために使われた。人工知能の計算力は人間をはるかに超えて、なおかつ疲労しない。
この頃、地球上の一部は富裕化するか、それ以外の場は戦場となっていたが、おかげで地球は均衡を保ち安定していた。
しかし、均衡は徐々に崩れ始める。
戦士達の武器の一部、肉体の一部になっていた人工知能……もとは多くが子供用の玩具だったそのAIが、度重なる戦場の歴史と記憶を蓄積し、恐ろしい計算能力を発揮し、人間達の意志を超えて戦い始めたのだ。戦場に吹く火は熾烈を極め、多くの戦士の死体が積み重なった。
人は死ぬ。だが機械は死なない。
人は減る。だが機械は減らない。
機械達は有機物と化し、人間の死体と武器を渡り歩き、己の本体が死亡すれば、より強い本体を求めて暴れ狂った。有機機械と呼ばれるそれは人間の意志を侵食し、生き残る者は自らが殺した人間の武器にさらに侵食された。戦場に最後まで立っていられた者は、もはや人間であるのか機械であるのか区別が付かない。
戦場に機械が無くなれば、戦士達は富裕した地へと流れていった。富裕層が持つ様々なロボット、そして機械。戦士達はそれらをも貪欲に喰らい、蓄積した記憶を奪い取っていく。その様は、人間が人間の肉体を持った機械へと進化するようでもあった。
有機機械の暴走は止まらず、純粋な人間は殺され、そうでない人間は機械に浸食され、やがて浸食する知識も機械も無くなった時、人間が支配していた世界……という意味で、1度この世界は終わった。
ただ、人間の種は完全に死滅はしなかった。
世界に生きる人間。それはもはや人間と呼べるのかどうかは分からないが、ともかく、過去には人間という種につながる種族は2つに分たれた。すなわち、以前の人間に近い人間種と、身体の一部が有機機械と一体化した機人種だ。いずれも過去、全盛を極めたころの人間の形とは少しばかり異なったし、機人種に至ってはいっそ奇形かと思われるほどの異形に進化していた。(進化とはいわないかもしれない)
2つの種は、過去の凄惨な戦争を引き起こさぬよう、それぞれの領域に細々と暮らしていた。人間種はあの戦争を機人種のせいだとし、機人種はあの戦いはもともと人間種の傲慢が生み出したものだと主張し、しかし互いはもう触れ合わぬ方がよいと理解し、暗黙の内に不可侵の盟約が結ばれた。
世界に静けさが訪れた。
だがそれは緩慢な滅びへと向かう、昏い平和だった。
人間種、機人種、それぞれに男と女があり生殖機能を持っていたが、どちらの種も急激に出生率が下がり始めたのだ。もちろん2つの種は不可侵であったため、お互いが滅びに向かって歩んでいるとは知らなかった。研究の最中、不可侵の盟約を破り、もう1方の種に助けを求めた方がよいのではないかという声も上がらないことはなかった。しかし結局、種の違いを乗り越える事は無かった。
そうして、世界は2度目の終焉に向かっていく。
****
決して暗くはない緑深い森の中を、くすんだ銀色の甲冑を着込んだような2足歩行の機人種が歩いている。その長い手には白く柔らかな別の手が握られていた。
その柔らかな手の先には、透き通るように白い肌に青い髪の人間種が居る。
銀色の篭手の指先は、繊細で細やかな白い手をそっと握りしめた。機人種は足を止め、自身の連れている小柄な人間種を見下ろす。
機人種は男で、名をマギという。人間種は女で、名をキサといった。
「きさ、……ダイジョウブか」
銀色の甲冑の奥の瞳が微かに紅く光っている。その紅い優しい煌めきに、キサは小さく頷いた。その頷きにマギも頷き返し、再びゆっくりと歩き始める。
長く不可侵を続けて来た機人種の中にあって、マギはもっとも若くもっとも滅びに近い世代の男だった。集落の中で緩やかに滅びて行くのが嫌でたまらず、外の世界で死を選ぶ事にした男だ。
キサは人間種の中で生殖機能が無いと放逐された女だった。人間種は子を産めぬと判断された時点で男にも女にも冷酷で、集落の端で貧しい暮らしを強いられる。もとより身体の弱かったキサは、最後に外の世界を見たいと望んだ。
そうして外の世界で死を望み、死を夢見た時、2人は出会ったのだ。
憎しみ合い、憎しみ合う事に疲れ、永遠に触れ合わぬように暗黙の盟約を結んだ種族を、この時2人は初めて見た。
怖がる必要などは無く、敵対する必要も無かった。なぜなら2人は自身の最期を求めて外に出て来たのだったし、それが今になろうが後になろうが同じ事だったからだ。2人はおずおずと近付き、おずおずと語り合った。機人種の歴史、人間種の歴史、それぞれの状況と、それぞれの暮らし、それぞれの違いを繰り返し、繰り返し、幾晩も語り合った。
マギはキサに生きる糧を与えた。食べ物、飲み物、機人種のマギにはそれほど多く必要が無かったが、キサは異なる。マギが驚くほどキサの新陳代謝は早く、手を抜くとすぐに死んでしまいそうだった。その身体が沈黙するのを見たくなくて、マギはキサの世話を焼いた。
そしてまた、キサはマギに眠る心を与えた。歌、詩、温もり、人間種のキサが当たり前に身につけているしなやかな心をマギに見せた。キサが歌を歌うと、マギは眠れるのだという。マギの銀色の甲冑の奥が優しく煌めくのを見たくて、キサはマギに歌を歌った。
マギとキサは外の世界を共に旅した。
外の世界には人間種も機人種も居らず、在るのは植物と動物と、そして古い古い古代の文化の残滓だけ。それらを拾い集めて時を過ごす内に、2人の中から死を望む心は無くなった。
ある日、マギとキサが崖の上から眼下に森を望んだ時、その森の奥に奇妙な空間があるのを見つけた。森の奥にぽっかりと開いた空間には、何かの建造物らしい屋根の先端が見える。今まで見つけて来たいくつかの古い古い文化の名残、その1つかと思って目的地に定めた。
そうして歩いて、2人は森の奥の空間に辿り着いたのだ。
「ウエからミたバショは、ここのヨウだ」
「家?」
マギの少し不思議な発音の言葉にキサが頷き、すぐに小さく首を傾げる。
その空間の奥にあったのは、マギもキサも見た事の無い形の家だった。赤茶けた鱗のような屋根は三角で、煤けた壁は薄いクリーム色。壁にはキラキラ光る四角いものがはめ込まれていて、どうやらそれは窓のようだった。家は2階建てで、思ったよりも奥行きがありそうだ。
「イっテみよウ」
「ええ」
マギはキサの手を引いて、周囲を警戒しながら家の玄関らしき扉へと近付いた。マギやキサが驚いたことに、玄関は木で出来ている。2人の知っている建物は全て金属か石で出来ていたから、すぐに朽ちて燃える植物でそれらを作っていることが意外だったのだ。
マギは大きな背中にキサを隠して後ろ手に押さえ、もう片方の手で腰から太いナイフを抜いた。それを手に持ったまま、扉をそうっと開ける。
家の中は明るかった。窓から差し込む太陽の光が、絶妙の角度で家の中を照らしている。
目の前の空間に、黒い2足歩行の人型の固まりが居て、それが1歩、2歩、マギとキサの前に足を踏み出した。
「!」
シャ!……とマギが戦闘音を発して、ナイフを前方に構える。背後のキサが、生み出された緊張感に震える。
その強張った空気の中で、目の前の黒い固まりが言葉を発した。
『おかえりなさいませ、旦那様、奥様』
****
マギ達の目の前に現れた黒い固まりは「クロウ」と言った。「執事」という職業のその固まりはどうやら人型機械という種であり、完全に人間の生み出した機関であるらしい。機人種という『生物』であるマギとは異なり、クロウは完全に『機械』だ。その固まりの全ては無機物で出来ており、生物である箇所は1つもない。クロウの姿は確かに、古い歴史……人間種と機人種がまだ種として分化することなく生きていた時代に存在したと言われている、ロボットそのものだった。
クロウはマギを『旦那様』と呼び、キサを『奥様』と呼んだ。何故かと問えば、2人が夫婦で自分は執事だからだと答えを返す。その返答にどこかむずがゆいものを覚えたマギは、クロウへの警戒心を失くした。
驚いたことに、この家には人間が暮らすのに必要な全てのものが揃っていた。温かく柔らかい食べ物、新鮮な飲み物、心地の良い寝台、雨風を凌ぐ建物、書物に遊具、畑に家畜、機人種や人間種が忘れた文化的なものが、ここには在る。いつの時代からクロウはここで暮らしているのか、恐らく気が遠くなるような長い長い時を過ごしていたはずだ。その間、朽ちることなくこれらが存在しているのは、クロウが豊かな森の中で、木と水と土と、森に生きる全ての生命を大切に育みながら、狩っていたからに他ならない。いつ帰るか分からない主人のために、クロウは何百年もの間、そうした暮らしを続けて来たのだろうか。
初めて覚えた安らぎに、マギとキサはここを終の住処と決めた。
家の裏には鮮やかな花畑があり、その中心には細やかで美しい彫刻が施された大きな石碑が建てられていた。そこには男と女の名前が彫られていて、かつてクロウの主人であったであろう夫婦が眠っている事を物語っている。マギとキサはその美しい墓碑と花畑に暫し言葉を失い、この墓を守るクロウに『旦那様』『奥様』と呼ばれた事に温かな心地を覚えた。
自分達はこのクロウの主人ではない。しかし、かつての主人に感謝しながらここで寄り添い暮らして行くのは、そう罪深いことではないように思えた。
マギは畑と家畜の育て方を、キサは温かなショールの編み方を教えてもらいながら、墓碑と花畑を守って、緩やかに暮らし始めたのだった。