あるところに、うつくしいうた声のカナリアがおりました。
人の町でうまれそだったカナリアは、ある日、百のけものをしたがえた古い王さまに出会ったのです。
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あるところに、うつくしいうた声のカナリアがおりました。カナリアは町で生まれ町でそだち、人の手に連れられて町をでました。
カナリアは旅人とともに、さまざまな町に行きました。そうしてさまざまな国の人にうたをきかせて、さまざまな国の人にかわいがられておりました。
でもカナリアをいちばんかわいがっていたのは旅人でした。旅人はたいそうカナリアをかわいがり、かたときも離さずにおりました。かたにのせ、手にのせて、食べるものをくれて、たくましい指でそっとかわいい頭をなでるのでした。
「かわいい私のカナリア。きみを私にくれた神さまに、とてもかんしゃするよ。」
そうよんでくれるのが、カナリアはたいへん好きなのでした。神さまというのが誰かはわかりませんでしたが、カナリアがいちばんかんしゃしているのは旅人です。だってこのやさしい手が、いつもカナリアをよその国につれていってくれるのですから。
ですが、ある日のこと。旅人は動かなくなりました。
つぎの国にたびだとうと山をこえているさいちゅうでした。旅人はけわしい山道の石ころに足をとられ、がけを落ちてしまったのです。あ、と思うまもなく、旅人はがけの下に小さくなっていきました。
カナリアががけの下にはばたきおりたときには、旅人はぐったりしていました。
じぶんのむなもとにおりてきたカナリアをみつめて、旅人はいつものやさしい声とえがおでカナリアの頭をなでました。でも、いつものやさしくせんさいな動きではなく、なんだかふるえていて、カナリアはわけもわからず小さなむねが痛くなりました。
「ああ、私のカナリア。」
旅人さん。
カナリアはちいさくよびました。
きれいなうたうような声が、旅人の目をやさしくさせます。
「もう私はきみといっしょにおられない。」
小さなカナリアはくびをかしげました。いっしょにおられないとはどういうことでしょう。いままでずっとカナリアは旅人といっしょだったのに。
「ねがわくば、私のちいさなカナリアがしあわせな人の元ですごせるようにいのるよ。」
そうして、その人もまた、しあわせであるように。
そう願いをこめて旅人はカナリアをなでていましたが、やがてその手がおちました。くちびるはうごかなくなり、やさしいひとみはあきませんでした。
カナリアはうごかなくなった旅人の手をつつきました。寝ているだけだとおもったからです。いつも寝ている旅人をおこすのはカナリアのやくめでした。こうしてくすぐっていると、やがて旅人はやさしいひとみをひらいて、わらってカナリアの頭をやさしくなでるのです。
でも旅人のひとみはあきませんでしたし、その手がカナリアをなでることも、もうありませんでした。
カナリアは日がくれて、次のお日さまがのぼっても、旅人のそばにおりました。
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そうして、いつまでカナリアが旅人のそばにいたでしょうか。
カナリアの小さなからだの上に影がかかりました。カナリアがふりむくと、そこにはおおきなからだのけものがおりました。けもののかおのまわりにはたてがみがあり、そのけがわはくすんだわらの色をしています。
見たことがないけものでしたが、カナリアは知っておりました。
「あなたは王さまですか?」
カナリアはちいさくききました。けものはその声にはこたえずに、しずかに旅人のからだを見下ろしておりました。
「おちて、しんだか。」
「しんだ?」
けものはそっと旅人にちかづくと、かわいたほほにひたいをこすりつけました。そうして、その場をたちさろうとしました。
「王さま。」
カナリアがよびます。けものは足をとめて、ふりむきました。
「わしは、もう、王ではない。」
「でも、旅人さんがいっていました。」
カナリアはしっています。旅人がはなしてくれたむかしばなしに、その王さまは出てきましたから。百のけものをしたがえる、りっぱなたてがみを持ったほこりたかい王さまのおはなしです。
「お前の旅人は、しんだ。」
「しんだ?」
「こころは空の上にゆき、からだは大地にとけるだろう。」
「きえてしまうのですか?」
「きえてしまうのだ。」
「それならば私もきえたい。」
だって、旅人がきえてしまったら、もうカナリアの頭をなでてくれる人も、うたをほめてくれる人も、いないではありませんか。カナリアはさびしくなってしまいました。
「それはおまえの自由だ。」
そういって、けものはふたたび前を向き、歩きはじめました。
その背中をカナリアはじっと見つめておりました。けものの後ろすがたは小さくなっていきます。カナリアは旅人を見上げて、おなかに頭をすりよせました。そうして、今度は落ちている手のひらの下にもぐりこむように、頭をすりよせます。こうしていると、いつか旅人がカナリアをなでてくれたことを思い出すのでした。そして、もういちど旅人のうごかないかおを見上げて、カナリアは飛び立ちました。
カナリアはけものが歩いたほうへと羽ばたきました。
けものはゆっくり歩いておりましたから、すぐに追いつきました。
カナリアはけものに追いつくと地面に降りてあるき、離れるとまた羽ばたいて追いかけました。
けものはなにも言いませんでした。
カナリアもなにも言いませんでした。
でも、あるとき、けものが足をとめてカナリアに向けて頭をおろしました。カナリアはしばらくそれを見上げておりましたが、ちょんと地をけってそのたてがみのうえに乗りました。
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こうして、けものとカナリアはいっしょにすすみました。
けものはライオンといいました。くすんだたてがみの色と毛皮のやわらかさは、そのライオンが長いじかんを生きていたことをあらわしています。老いたライオンと小さなカナリアは、どこにいくあてもないまま、いっしょに旅をしました。
老いたライオンはときどき、ネズミやウサギをつかまえてたべました。小さなカナリアは道すがら、木になる実や花をたべました。二匹はあまりものをいいませんでしたが、夜になってねむるじかんになると、小さなカナリアがきれいな声でうたいます。野生の老いたライオンは、聞いたことのないうたでした。
老いたライオンは小さなカナリアのうたをいつもだまって聞いていましたが、ある日小さなカナリアが言いました。
「王さま。うたは旅人さんがおしえてくれたんです。」
「そうか。」
…と、老いたライオンはこたえました。たったそれだけの言葉でしたが、小さなカナリアはとてもまんぞくでした。
それから、少しずつ、老いたライオンと小さなカナリアは話をするようになりました。
小さなカナリアはじぶんがいったことのある国とみたことのある町の話をしました。生まれたときにはたった一羽で、小さなかごの中にいたことや、そのかごを旅人が買ってくれて、それからずっといっしょにいたことを話しました。旅人がはなしてくれた昔のおとぎ話もたくさん話しました。カナリアが話すのは、人と町の話でした。
老いたライオンは、ゆっくりと、自分がいきてきた長い野生の生活の話をしました。りっぱな王のもとにうまれ、やがてじぶんも王となり、いきるために狩りをして、おおくの妻をめとり、おおくのこどもにめぐまれたことをかたりました。老いたライオンの話は小さなカナリアにとって、とてもふしぎでした。小さなカナリアには親というものがおりませんでしたし、子というものもおりませんでしたから。
老いたライオンは教えてくれました。
「親というのは、お前をうんだものだ。」
「では、私には親はおりません。」
「どのようないきものにも親はいるのだ。」
小さなカナリアはうつむきました。カナリアはうたをうたって人を楽しませるためにうまれてきたものですから、親があるかどうかはわかりません。はずかしそうにそう言うと、老いたライオンはやさしいまなざしを向けました。
「そうか。ならば、小鳥よ。おまえはそういうやくわりに生まれてきたものなのだろう。」
「やくわり?」
「小鳥の鳴き声はうつくしいと、わしは思う。」
「ほんとうですか。」
「わしは、嘘はいわない。」
それで、カナリアはとてもうれしく思いました。
「では、王さまは王さまのやくわりなのですか?」
「もうわしは王ではない。」
老いたライオンは言います。王さまは、かつては百のけものをしたがえた王さまでした。しかし、こがね色にかがやいていたりっぱなたてがみは、今はわらの色になってしまったのでした。そこで、りっぱにそだった自分のこどもにその仕事をまかせ、群れからひとり、はなれたのです。
「なぜ、はなれたのですか?」
「もう、王ではないからだ。」
「でも、王さまは王さまです。」
「小鳥よ。わしは、王ではなくなり、大地にとけてきえるのだよ。」
「でも、王さまです。王さまが百のけものの王さまでなくても、王さまは私の王さまです。」
小さなカナリアがいっしょうけんめいそういうと、老いたライオンはもう何もいいませんでした。
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そうしてたくさんあるきました。
老いたライオンと小さなカナリアはおたがいの身の上をすっかり話して、どちらがどのような生を送ってきたのか、そらで話せるくらいになりました。人のためにうたって生きてきたカナリアと、百のけものをしたがえて生きてきたライオンと、どちらの物語もまったくことなるものでしたが、それは、どちらがいいとかわるいとかではなく、ただ、そういうものなのだとニ匹は知っているのでした。
老いたライオンは言いました。
「小鳥のうたはうつくしい。」
小さなカナリアはうたいました。
「王さまはとてもりっぱな王さまです。」
それだけでじゅうぶんでした。
やがて、二匹はちいさないずみのほとりにある、大きな木の下にたどりつきました。小さなカナリアの初めてみる、うつくしいいずみでした。二匹がそこについたとき、お日さまが西の空にかくれようとしておりました。
老いたライオンは大きな木の下にゆっくりと横になりました。前足を組んで、その上にゆったりとあごをのせます。たいそう年をとり、ながいながい旅のはてに、老いたライオンのからだはずいぶんとくたびれてはいましたが、いまだにりっぱな王さまのふうかくと、やさしいまなざしをしているのでした。
老いたライオンは小さなカナリアにいいました。
「小鳥よ、ここでおわかれだ。」
小さなカナリアはそのことばにおどろいて、はねをふくらませて答えます。
「王さま。なぜですか。」
「わしはここで大地にとけてきえるだろう。」
「きえてしまうのですか?」
「きえてしまうのだ。」
「王さま、いやです。」
小さなカナリアはしくしくと泣いて、きれいな声でうたいました。老いたライオンがうつくしいとほめてくれた声でした。うたをうたい終わると、老いたライオンのたてがみにからだをすりよせます。
「王さま、いやです。」
「それがうんめいなのだ。」
「ならば、私も王さまといっしょにきえたい。」
いつか旅人がきえてしまうとしったときと同じように、小さなカナリアはねがいました。老いたライオンは小さなカナリアをしずかに見ています。
「しかし、おまえはまだ大地にとけることなくうたっていける。」
「いいえ、いいえ。」
小さなカナリアはくびをふりました。
「私は王さまのためにうたいたいのです。」
「わしは大地にとけてきえるのだ。」
「王さま、私はうたうことがやくわりなのです。王さまがそういってくれたのです。」
老いたライオンは小さなカナリアのけんめいなことばをしずかに聞いておりました。
「王さま。私はずっと旅人さんと生きてきました。これからは王さまと生きていきたいのです。」
小さなカナリアだけの王さまは、そのことばを聞いて、前足においたあごをもちあげました。
「そうか。」
それは小さなカナリアが大好きなことばでした。カナリアは泣くのをやめて、老いたライオンを見上げます。
「それはおまえの自由だ。」
老いたライオンは前足をのばして、小さなカナリアをひきよせました。
そうして、やさしくひくい声で、ためいきをつくように言ったのです。
「おいで。」
小さなカナリアが老いたライオンのたてがみの下にはいると、ライオンはふたたびあごを前足にのせました。小さなカナリアのからだはあたたかいライオンのたてがみのなかに、すっぽりとくるまります。そこは、お日さまと大地とけもののよい匂いがしました。
ずいぶんとながいじかんがたったように思えました。
しかしほんのいっしゅんだったようにも思えるのでした。
なんどかお日さまがのぼり、おなじ数だけお日さまが沈みました。
今、老いたライオンと小さなカナリアの上には、きれいなほしが出ております。
二匹の息はだんだんとゆっくりになっていきました。
「わしの小鳥。」
老いたライオンがそのように言いました。
長く息を吐くここちとぬくもりがカナリアの小さなからだにつたわります。
そうしてライオンは、もうニ度とうごきませんでした。
「わたしの王さま。」
ライオンがうごかなくなったおなじときに、小さなカナリアがそのように言いました。
きれいな声でくるると鳴くと、そのここちとふるえる空気が老いたライオンの耳につたわります。
そうしてカナリアは、もうニ度とうたいませんでした。
百のけものをしたがえた王さまは、さいごのおともに、人のためにうたうカナリアをつれていったのでした。
人のためにうたったカナリアは、百のけものをしたがえた王さまに、さいごのうたをうたったのでした。
こころは空の上にゆき、からだは大地にとけるだろう。
いつか王さまがカナリアに言ったとおりになりました。
ライオンはちいさなぬくもりをそのおおきなからだにかかえ、カナリアはおおきなぬくもりにそのちいさなからだをつつまれて、おんなじふうに大地にとけてきえたのでした。
二匹がとけた大地のうえには、きれいな星がいつまでも、やさしくまたたいておりました。