あるところに、平和な国がありました。
その国は、誠実な騎士達が国を守り、優しい貴婦人達が国を安らかにする、おだやかな国でした。
王国…というからには、王さまがおりました。
しかし、この国の王さまは…なんとまだ、5歳だったのです。
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王さまの名前はエドワードと言いました。とても小さな頃にお父さまである先代王が亡くなり、仲睦まじかったお妃さまもその後を追いかけるように亡くなりました。そのため、王さまはたった3歳で王さまになったのです。それから2年たって、王さまは5歳になりました。
「エドワード陛下。今日はずいぶんとご機嫌がよろしくないようですが、何かあったのですか?」
この声は、王さまの叔父君である宰相です。先代の王さまの弟君だったのですが、宰相となって小さな王さまを助けております。とはいっても、王さまはまだ5歳ですから、難しいことはみんな宰相が引き受けてくれるのです。
それでも王さまは王さまですので、朝の予定の確認と夕方の報告はきちんとこなしていました。そうした朝の予定の確認の時、宰相は王さまのご機嫌が大層悪い事に気が付きました。
金茶色のくるくる巻き毛の小さな王さまは、紺色の服とマントを窮屈そうに気にしながら、宰相の言葉を聞いています。大方、侍従らが「王さまのご機嫌がたいそう悪い」と報告したのでしょう。
「朝ご飯のデザートがお口に合いませんでしたか? それともココアにミルクが足りなかったとか?」
「余はそんなことでわがままはいわない」
子供扱いする宰相に王さまのご機嫌はますます悪くなりました。ふん…と口元を拗ねた形にしてそっぽを向きます。
王さまが不機嫌なのにはもちろん、訳がありました。
「メグがさいきん、余とあそんでくれないのだ」
「マーガレット王妃ですか?」
ぷう、と頬を膨らませてちらちらと宰相を伺う王さまの青い瞳は、少しだけ不安そうです。
王さまにはお妃さまもおりました。同じ5歳のマーガレット王妃です。もとは隣国のお姫様でしたが、王さまが王さまになった3歳の時に、お輿入れしたのでした。マーガレット王妃にもお父さまとお母さまはおりません。
王さまとお妃さまはいつもとても仲がよくて、例えば剣の練習とかお茶の淹れ方とか、そうした男の子と女の子が別々に勉強した方がいい時以外は、一緒に勉強したり、それ以外の時でも一緒に遊んだりしていました。
しかし、最近どうしてか王さまが王妃さまを遊びに誘っても、忙しいとか勉強をするのだと言って王さまと一緒に遊んでくれません。ですから王さまは少し不安で、だいぶご機嫌が悪いのです。王さまは自分の部屋の大きな椅子に座ったまま、困ったように宰相を見ました。
「アルフレッド、余はなにかメグのきげんをそこねるようなことをしたのだろうか」
アルフレッドというのは宰相の名前です。宰相はふむ…と首を傾げて考えてみました。実は宰相には思い当たることがひとつだけあります。しかし、それを王さまに教えてしまうと、王さまと王妃さまのためにならないと思いました。ですから黙っています。ただ、王妃さまが遊んでくれない理由を王妃さまのせいにすることなく、まずは自分の非を考えてみるのはとてもよい傾向です。
ですから、このように言いました。
「さて、先日陛下とお食事をされたときは、とても仲良くされていたように思いますが」
「しょくじのときはきげんがよいのだ。…だが、それいがいのときはいっしょにいてくれない」
「お勉強のときは?」
「さいきんは、メグは刺繍や作法のべんきょうばかりだし、余は剣や馬のじかんがふえただろう」
国の歴史や王さまのお仕事について勉強するときは、王妃さまも一緒になるときがありました。けれど、最近は王さまは騎士や紳士の振る舞いを、王妃さまは刺繍のお勉強ばかりで、なかなか王さまと一緒にならないのです。同じお城にいながら何日も顔を合わせないときは、お手紙をもらったりもしました。けれどそれもありません。
「余のにわにアマリリスがさいたんだ。いっしょにみようとやくそくしていたのに」
だから今日は庭で絵合わせをして遊ばないかと誘ったのに、どうしても忙しくて手が離せないのだと断られてしまったのです。
宰相はつまらなそうにする王さまに小さく笑って、教えてさしあげることにしました。「私が言ったとは、王妃さまには内緒にしておいていただけますか?」と念を押して。
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王妃さまは、騎士団長のところにいると宰相に教えてもらった王さまは、近衛と侍従をひとりずつ連れて騎士団の方に行きました。突然現れた小さな王さまを騎士達は歓迎して、「きしだんちょうはどこだ」と気難しい顔をする王さまのために騎士団長の場所をお教えしました。
騎士団長は、馬をつないでいるところにいるそうです。そうして、王妃さまもそこにいらっしゃる…とのことでした。
厩に行ってみると、確かに騎士団長と王妃さまがいらっしゃいました。
アレクスという騎士団長はとても背が高くてとても強くて、とてもかっこいい、王さまがこっそり憧れている騎士です。王さまはもちろん王さまですから、この国でいちばんえらい人です。ですが、王さまはまだ5歳ですから難しい事もあまり分かりませんし、作らせたばかりの剣はまだとても小さいですし、馬に乗るのも1人では出来ません。ですが、騎士団長は剣を振れば誰よりも強く、馬に乗れば誰よりも速いのでした。王さまも剣を教えてもらっています。
その騎士団長が王妃さまの側に膝をついて、王妃さまの小さな手をそっと両手で包んでおりました。
王妃さまも頬を赤くして、とてもうれしそうに笑っております。
その2人の姿を見て、王さまはぎゅう…と胸を掴まれたように思いました。
だって王さまはまだ5歳ですから、剣だって馬だって騎士団長に比べて上手ではありません。まだ背の高さは王妃さまと同じ位ですから、膝をついたら見上げるほどになってしまいます。騎士団長は膝を付いても、王妃さまと同じ位の大きさなのです。
王妃さまは王さまと一緒に遊ばずに、騎士団長といっしょににこにこ笑っているのです。
そう思うと、なんだかとても王妃さまのことが憎らしくなりました。
「メグ!」
とても乱暴な声で、王さまは王妃さまを呼びました。そうすると、王妃さまはとてもびっくりしてこちらを見ました。王妃さまの赤みの混じった薄金色の髪はまっすぐに下ろされていて、王さまの服と同じ紺色のリボンを頭に飾っております。騎士団長は王妃さまから手を離し、そのまま王さまに向かって頭をさげ、臣下の礼を取りました。
「エド、どうしたの?」
言いながら、王妃さまは騎士団長に取られていた手をぱっと後ろに隠しました。王さまに何か隠し事をしたのです。それを見て、王さまはますます腹が立ちました。
「…いま、なにをかくしたのだ」
「なにもかくしてないわ」
「余とにわをみるのはいやなのに、アレクスとはなかよくするんだな」
「陛下、これは」
「アレクスはだまっていろ」
王妃さまをかばおうと、僅かににじり出た騎士団長を制して、王さまは大変怒っていました。しかし、何に腹が立つのかはよく分かりませんでした。ですがともかく、嫌な気分だったのです。むう…と口元をへの字に曲げて、王妃さまを睨みます。王妃さまは少し困ったような、泣きそうな顔をしていました。
「なにをかくしたのだ、余にみせろ」
「なにもかくしてないってば、エド」
「うそをつくな」
「陛下!」
王さまが後ずさる王妃さまに近付いて、その肩をつかもうと手を出した時でした。す…と騎士団長が腕を出して、王妃さまをかばいました。5歳の王さまが騎士団長の腕と迫力に叶うはずがありません。これではまるで王さまが悪いことをしているようです。
王さまは手を下ろして、じろりと王妃さまを再び睨みました。
「もういい」
「エド、あのね?」
「もういい、メグなんてきらいだ」
「エド! きいて、あした…」
「うるさい! もうエドなんてよぶな、おまえなんてきさきじゃない!」
思わずそう言って、王さまは王妃さまと騎士団長に背中を向けて駆け出しました。
ひどいことを言ってしまいました。でも楽しそうにしていた王妃さまのことも、自分ではとうてい叶わない騎士団長のことも、なんだか悔しくて、口から出た言葉は止めることが出来なかったのです。言った瞬間、ひどいことを言ったと王さまにも分かりました。だから、すぐに背中を向けてしまったのです。
慌てて侍従と近衛が追いかけてきます。そうして随分離れたあと、ひどい言葉を投げた自分の心が傷んで振り向いたら、王妃さまが両手で顔を覆って肩を震わせていたのが見えました。きっとそのときに引き返しておけば、よかったのでしょう。でも子供の王さまにはそれが出来ませんでした。
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夜になっても王さまは王妃さまと食事をするのを嫌がりました。どういう顔をすればいいのか分かりません。
ずっとずっと、王妃さまが泣いてる姿が心に刺さって離れませんでした。ひどい言葉を投げて悲しい思いをしているのは王妃さまのはずですが、王さまの心もまたしくしくと傷みました。寝室で1人になると、急に不安になりました。本当に、王妃さまが王さまの妃ではなくなったらどうしたらいいのでしょう。もしも隣の国に帰ってしまったら、もう一緒に遊べなくなるではありませんか。不安で不安で、怖くて怖くて、そしてとうとう我慢できずに、王さまは声をあげて泣いてしまったのです。
泣きたいのは王妃さまだったでしょうに、大泣きしている自分の子供っぽさが身に染みて、慌てて飛んできた侍女にも侍従にも恥ずかしくて訳を話すことは出来ませんでした。
「どうなすったのですか、エドワード陛下」
ひっくひっくと喉をいためてしゃくりあげていると、いつのまにか宰相が王さまの寝室にやってきて、背中をさすってくれていました。あたたかなミルクを手に持たせてくれて、王さまが何も言わないのでずっとそうしてくれています。
ミルクにはシロップが入っていて、甘いよい香りがしました。それを長い時間掛けて飲んでいる間、宰相は何も言わずにいてくれます。そうしていると、徐々に王さまの頭の中に王妃さまと仲直りしようという思いが浮かぶのでした。
やがて王さまは温かくて甘いミルクを全部お腹にいれると、心配そうに自分を覗きこんでいる宰相に首を振りました。
「だいじない」
「そうですか?」
「うん。でも…アルフレッド、おねがいがあるのだがよいだろうか」
「なんなりと、陛下」
宰相は王さまの考えを聞いて、なるほど…と頷きました。しかし、是とは言いませんでした。
「では、陛下。それらは、ご自分で手配なさいませ」
泣きはらした真赤な眼で宰相のことをじっと見ていた王さまは、うん…わかった…と素直に頷きました。
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翌朝、王さまは侍従がびっくりするほど早起きしました。そうして、王さまの庭を世話している庭師のところにやってきたのです。
朝の仕事をしている時に王さまが来るなんて、とても珍しいことです。庭師はとても驚きました。
「このアマリリスを花束にしてもらいたいのだが、きってもよいだろうか」
「もちろん、これは王さまの花ですから。どれにいたしましょう。」
「おまえがきってよいとおもう花でよい。きりすぎると、メグといっしょににわでみられなくなるから」
決まり悪げにそのように言う王さまに、庭師はとても優しく笑いました。
「でしたら、こちらとこちらにいたしましょう」
「まて。余がきる」
王さまは庭師からハサミを借りて、切ってもいい花と切る場所を教えてもらいながら、何本かの花を切りました。それから庭師に教えてもらって、アマリリスに合いそうな小さな花も切らせてもらいました。
そうして水を含ませた綿も付けてもらって束にした花を持ち、今度は侍女たちが働いている所に赴きます。
侍女頭はとても気難し屋な女性で、王さまは少し苦手でした。いつだったか王妃さまに蛇の抜け殻を見せて泣かせてしまった時は、ひどくしかられたのです。けれど、今日はとても真面目にお願いをしました。
「花束をつくりたいから、レースのかみとリボンをわけてくれないか?」
「まあ、陛下。もちろんですとも。少しお待ちくださいませ」
いつもの悪戯をする顔でなく、とても真剣な様子に侍女頭の厳しい顔は優しく綻びました。そうして他の侍女達に命じて、レースの紙とリボンをいくつか運ばせます。
「どれにいたしますか、陛下」
「…メグはどういうのがすきなのだろう」
あまりにたくさんの種類にびっくりして、王さまは途方に暮れてため息をつきました。けれど、自分で選ぶと王さまは侍女頭に言って、小鳥をあしらったレースと王妃さまの瞳の色と同じ薄緑色のリボンを選びました。そして、侍女たちに教えてもらいながら、花束をレースの紙で包んで、リボンを結びました。
こうしてすっかり準備を終えると、王さまはお妃さまをお城の散歩とお昼ご飯に誘いました。
来てくれなかったら王妃さまの侍女に頼んで部屋を訪ねよう、そう思っていましたが、王妃さまは王さまのお誘いに応えました。王さまは今日は金の縫い取りをした濃い翡翠色の服を着て、先日作らせたばかりのりっぱな剣を腰に佩きました。王さまがお部屋で待っていると、王妃さまがやってきました。王妃さまは綺麗な真珠色のドレスを着て手には何かを提げています。
「メグ!」
正装した王妃さまの可愛らしい姿に、王さまはもじもじとしていましたが。すぐに立って、扉でちょこんと礼を取った王妃さまに駆け寄りました。王妃さまの手を取ろうとして、すこしだけ躊躇いました。「エドなんて嫌い」って言われたらどうしよう…と思ったのでした。けれど、出しかけた王さまの手に王妃さまはいつもの通り自分の手を乗せました。
「ごきげんよう、陛下」
「ごきげんよう、メグ」
たがいにぎこちなくそう言って、王さまは王妃さまと並んでソファに登りました。ソファは大人用ですから、2人が座ると大きくて足が届きません。なんとか座って、王さまは一番最初に言いました。
「メグ、きのうは…余がわるかった。すまぬ」
紳士であり騎士でなければならない王さまが、貴婦人に対してあのような態度を取ってはなりません。そう思って、王さまは心から王妃さまに謝りました。
王妃さまは少しの間、ぽかんと王さまの顔を見ていましたが「いいえ」と首を振りました。
「わたくしも、陛下のおさそいをことわっていて、ごめんなさい」
「こんかいは余がわるいのだ。これは、あの、わびのしるしだ」
そう言って、王さまはソファの脇に隠していたアマリリスの花束を王妃さまに渡しました。王妃さまは「わあ」と言って、それを受け取りました。鼻を近づけて、にっこりと笑います。
「とってもいいかおりがするわ、エド」
「うん。きょうのあさ、余のにわにさいていたのだ」
ちゃんといつものように「エド」と呼ばれて、ほっとして、王さまは肩に入っていた力を抜きました。
「あさ?」
「あさだ。ほかにもちいさな花がさいていた」
「みてみたいわ」
「アマリリスがさいたら、みるとやくそくしていたろう」
そこで、あ、と王妃さまは言いました。アマリリスが咲いたら王さまと一緒に見ましょうと約束していたことを、思い出したのです。それを言うと、ならば今日をその日にしようと言って、さっそく王さまの庭にお散歩に行く事にしました。
「ちょっとまって、エド」
ぴょんとソファから飛び降りた王さまが、王妃さまに手を差し出します。その手を借りてソファから下りた王妃さまは、傍らに置いていた小さな包みを王さまに渡しました。
「わたくしも、エドにおくりものがあるの」
「余に?」
王さまが王妃さまから受け取った包みを開けてみると、それは金色と青紫色の糸で編まれた飾り紐でした。でも、少しだけ形がいびつで、あちこち短かったり長かったりします。
「それ、わたくしがつくったのです」
「メグが、余に?」
「エドは、このあいだけんをつくったでしょう? そのかざりひもに…っておもって」
この国では、貴婦人が心を込めて飾り紐を編んで、それを愛する騎士に贈るという習慣がありました。騎士は愛する人が編んだ飾り紐を自分の剣に付けて、お守りにするのです。
「…きしだんちょうのアレクスがいるでしょう? アレクスのかざりひもが、とてもかっこいいって、エドがいっていたから」
だから、王妃さまは騎士団長に飾り紐を借りて、どういう形に編めばいいのか、いろいろな人に聞いて教えてもらっていたのです。でも、うまく編めるかどうか分かりませんでしたし、作っている事が王さまに分かるのはつまらなかったので、秘密にしていたのでした。昨日は、騎士団長に飾り紐を返していたのです。
その時に、王妃さまは作った飾り紐を騎士団長に見せてみました。
あまり綺麗にできなかったのだけど、エドは付けてくれるかしら? と心配そうに飾り紐を見せる王妃さまの手を、騎士団長はそっと励ましてくれたのです。
それを聞いて王さまの心はほんのりあったかくなりました。
「メグ、ありがとう。余はとてもうれしい」
「エド、よろこんでもらえてよかった」
「きらいだなんていって、その、わるかった」
「わたくしも、エドのおさそいをなんどもことわってごめんなさい」
「まだ余のきさきでいてくれるか?」
「もちろんです、エド。だってわたくし、あなたのおきさきですもの」
「そうか、よかった。またあそぼう」
にっこりと笑って王妃さまは大きく頷きました。そうしてふたりは手をつないで、お昼の時間になるまでお城のいろいろな場所を探検したのです。
別段、記念日でもないですが、正装をした小さな王さまと王妃さまが、お城のいろいろなところを見て回ります。お辞儀する人たちに声をかけ、どんな仕事をしているの? と質問しました。アマリリスの咲いている庭に行って庭師に他のお花の名前を教えてもらったり、騎士団長に馬を見せてもらったり、宰相の仕事を邪魔したり、そして、お父さまとお母さまの肖像画を見たりして、王さまと王妃さまは楽しい時間を過ごしました。
城の皆は、そうした小さな王さまと王妃さまを見て、今日も楽しい気持ちで王国の仕事に就くのでした。
王さまはそれから先も、剣を作る度に王妃さまに何度も飾り紐を編んでもらうのですが、一番最初にもらった飾り紐を付けた子供用の剣だけは、大人になってもずっと身に付けておりました。
王妃さまはそれから先も、王さまが作った花束を何度ももらいましたが、その度に王さまが選んだリボンとレースの紙を大切にとっておりました。そして、一番最初にもらったアマリリスは栞にして、一生大切にしたのだということです。