009話の次の日のお話。
ヤトウィアの侍女ベスプリムの企みが未遂に終り、城内はにわかに忙しくなった。ウラスロへは先触れを出発させ、手土産の……ベスプリムの遺体を運ぶ準備もしなければならない。
それでも、事があってから翌日には魔都へ出立するという。侍女のアンナの手を借りて、ヤトウィアもウラスロへ出立する準備を整えた。とはいえ、ヤトウィアがすることはあまり無い。もともと派手で煌びやかな服は設えていないし、入用なものはラディスが全て用意しているようだった。
あれほどのことがあったのだ。目の前でベスプリムが自害した様子も記憶に新しく、状況の速さに心がついていけない部分もあった。そんなヤトウィアの様子を気遣ったのか、休んでおいてくださいと、追い立てられるようにソファに座らされて、困ったような顔で侍女達が働いている様子を眺めさせられることになった。
何か入用のものがありますか?……と問われて、ヤトウィアは少し考えた。遠慮がちに、侍女のアンナに問う。
「こちらの……お菓子で、2歳くらいの子でも口に出来るようなものはありますか?」
その言葉に、アンナの顔がぱっと輝いた。彼女も事情を説明されている者の1人だ。それが何のために問われているのか、すぐに理解して頷く。
「それならば、リューシュを使った焼菓子がいいかもしれません。すぐに用意してまいりますね、今から焼かせれば間に合います」
「あの、無理はしなくても」
「無理などと、そんなことはございません。簡単なものですし、料理長も喜んで作ってくださいますわ」
「簡単に作れるの、ですか?」
「ええ。素朴なお菓子です。焼き立てをあとでいただきましょうね」
「いつか、私にも作れるかしら」
何気ない風にヤトウィアは呟いた。王女であっても、修道院を中心にヤトウィアは世話をしていたこともあり、手の込んだものでなければ調理も出来る。いつかレシェクに……というのは、ヤトウィアの密かな望みだった。そんな静かな呟きを耳にしたアンナの肩から力が抜け、優しく微笑む。
「ヤトウィア様。いつか、などと。レシェク様とお戻りになったら、作りましょう。私も手伝います」
「本当に?」
「ええ。きっと陛下もお喜びになりますよ」
その言葉に、ヤトウィアの頬が染まる。あれほどシグムントに愛されて、なお少女のような反応をする白妙の姫を初々しく思いながらアンナは一礼した。
「では、用意するように伝えてきます。ヤトウィア様は、ゆっくりなさっていてください」
「けれど……」
「お戻りになったら、忙しくなりますから。まだ安心……というお気持ちにはなれないでしょうけれど、お身体だけでも休ませてくださいませ」
「……分かりました。よろしくお願いします」
退室したアンナを見送る。
ヤトウィアにはまだ、現状が信じられなかった。あれほど怯えていた自分の思いが、嘘のようだった。自分とレシェクが、ラディスという国に受け入れられ、シグムントの側にいてもいいと皆に言ってもらえる日が来るとは、思いもよらなかったのだ。
それでも、ヤトウィアは首を振る。
弱い自分と決別したかった。
本来は自分が動かなければならないのだ。レシェクの居場所を作るためにも。
……ヤトウィアは、きゅ……と自分の手を握り締めた。
****
「ヤトウィア。明日にも発つが、お前の準備は出来たか」
「陛下。アンナ達がよくしてくれました」
「シグムントと呼べというのに」
「シグムント……様」
夜、ヤトウィアの寝室を訪ねたシグムントはその声に頷いた。入れ違いに控えていた侍女達が下がり、ヤトウィアの手を引いて寝台の上に座らせる。
「リューシュの菓子を用意させたと聞いた」
今日もヤトウィアはラディス風の夜着に着替えていた。その姿に瞳を細めながら、ヤトウィアの身体を自分の肩に預けさせて、上掛けを掛けてやる。そうしてやると、ヤトウィアが身を捩じらせて自分を見上げてきた。
「陛下……シグ様が、お話してくださったことがあるでしょう?」
「覚えていたのか」
「ウラスロの森を歩いていて、こんなに木があるのに実があるものが1つも無いのは面白くない……と仰って」
「そんなことまで、覚えていたのか」
僅かに決まり悪げな表情を浮かべたシグムントに、ヤトウィアの顔が少しだけ綻んだ。ウラスロで再会してからずっと沈うつな表情しか見せていなかったヤトウィアの、徐々に豊かになってくる顔に改めて愛しさが込み上げ、ヤトウィアの身体を本格的に抱き寄せる。
もちろんそれは抗われず、シグムントの厚い胸に体重を掛かってくる。
子をあやすようにその背を撫でていると、ヤトウィアが心地よさげに息を吐いて腕の中で穏やかに答える。
「いつか、食べさせてやりたい……と仰ってくださいました」
「ああ」
「それにアンナが、疲れが取れる……と言って、飲ませてくれたのです。とても美味しくて」
「アンナが?……俺が取ろうと思っていたのに」
「取る?」
「城の庭に生えているのだ。小さい頃はプロントと一緒によく登って、食べてクラクスに怒られていた」
「まあ」
笑みを含んだ声に、シグムントが思わずヤトウィアの名を呼ぶと、銀色の瞳が自分を見上げた。こうしてシグムントがヤトウィアを腕に抱いて名を呼び、それに呼応してあどけない顔で自分を見上げる。3年前に戻ったようだ。
「ヤトウィア……」
自分を見上げる銀色に吸い込まれるようにシグムントが唇を寄せる。軽く音を立てて重ねたそれが離れると、ヤトウィアの身体を寝台に沈めた。
「ずっとこうしたかった」
体重を掛けないように気を使いながら、手の甲でヤトウィアの頬にそっと触れる。
ずっとこうしたかった。
優しく抱いて、互いの温もりを感じたかった。
それなのに、ヤトウィアと再会してからというもの、シグムントはその身体を怒りに任せて酷くきつく抱くばかりだった。
「それなのに、ずっとお前の身体に無理を強いていた」
「シグ様。……そんなことは……。私が、」
悪いのです……と言おうとしたヤトウィアの唇を塞いで、シグムントは首を振った。
「それを言い出しては埒が明かぬ。もう止めだ。遠回りをしてしまった。だが、お前はもう俺の側を離れぬのだろう?」
「シグ様がそれを……」
言いかけて、ヤトウィアは言葉を止め、頬を染めながらもう一度言い直した。
「ヤトウィアは、何があってもシグムント様のお側に……ずっと居たく思います」
その言葉を聞いて、シグムントは何も言わずにヤトウィアの身体に逞しい自分の身体を重ね合わせた。片方の手首をやんわりと押さえて唇で首筋に触れるように近付くと、もう片方のヤトウィアの手がシグムントの背に回される。シグムントが押さえた手首を離すと、そちらの手もシグムントの背に触れた。
シグムントが首筋への愛撫を深くすると、堪えるようにヤトウィアの喉元が逸れて、背に触れた手が、きゅ……とシグムントの服を掴む。たったそれだけのことなのに、まるで初めて女を抱いたときのような目眩むような感覚だ。
シグムントは一度身体を離すと、自分の夜着を脱いだ。身を起こそうとしたヤトウィアを優しく押し返して、その夜着も剥ぐ。今度こそ何も身に付けないまま肌を合わせ、その滑らかな心地を身体全体で味わった。
首筋に耳元に舌を這わせると、徐々に息が上がってくる。誘われるように舌を下ろしていき、鎖骨の窪みをなぞり、柔らかな胸の片方に吸い付いた。一度唇を離し、もう一度。小さく口付けしながら、色づいた頂を含む。
ヤトウィアからは小さな喘ぎ声が零れている。それは、本当に零れている……としか形容できないほど繊細な声だ。自然、ヤトウィアの手がシグムントの黒髪に埋まり、身体が逸れ、ねだるように胸が押し付けられる。
柔らかなその感触を楽しみながら、太腿に片方の手を沿わせる。ごつりとした手と相反して、ヤトウィアの肌はどこも柔らかい。時折足と足の間の際どい部分に触れると、自然と足が開かれる。びくんと身体が跳ねる様子を楽しみながら、濡れた花弁をひとつひとつ開いていく。
やがてほどけたそこに指を挿れた。糸を引くほど濡れていて、音をたてるほどに溢れている。ヤトウィアの細やかな声に煽られるように、シグムントの息も荒くなる。少し抜くと溢れ、奥に挿れるとまた溢れ、そうしてじっくりと指だけの抽送を行いながら、さらにヤトウィアの足を開かせた。
愛撫していた胸から唇を離すと、身体を下ろして開かれたそこに舌を這わせる。
なお溢れてくる蜜を舐め取りながら、再び掻き分けるように指を埋めていく。ヤトウィアの息が激しくなった。指を動かすたびにヤトウィアから小さな声が上がり、痺れるような甘い感覚が、挿れてもいないのにシグムントの中心に伝わってくるようだ。秘所から舌を離すと、再びヤトウィアの耳朶を味わう。ふっくらとした胸の柔らかさを自分の胸板で押さえて、擦り付けるように揺らした。
「……っん……は……あ……」
「ヤト……声をあげてもいいんだ。俺しか聞いていない。……聞かせてくれ」
お前が高みに登るときの声を。……そう囁いて、指の刺激を深くする。途端に、開いた唇から激しい息が零れ、ヤトウィアの手がシグムントの身体に巻きついた。
「……や……あっ……シ、グさまあっ……」
「ああ……ヤトウィア」
挿れた指すら動かせないほど中が収縮していた。昇り詰める瞬間に自分を呼ばれて、その心地がシグムントの胸を打つ。すでにこれまでにないほど己は張り詰めている。達したヤトウィアの収縮に合わせて指をゆっくりと抜き、休む暇を与えることなく入れ違いに自分を挿れた。腰がぴたりと密着すると硬く猛々しい陽根はヤトウィアの奥まで届き、少し小刻みに動かすと温かく締め付けられる。
「う……あ……」
「ヤト……あまり締め付けてくれるな……」
幾度も味わったはずだ。それなのに、今宵はどうしたことだろうか。どれほども保ちそうになかった。それは3年前のあの夜と、そして気を失っているヤトウィアを抱いたあの時と同じだ。愛する女と愛し合ってつながりあうのは、こうして包み込まれているだけで溶けていくようだった。
ヤトウィアの表情を見つめながら、じわりと動かす。動かせばそれに合わせて、ヤトウィアの優しい銀色の瞳が官能に揺れる。自分とてどのような表情をしていることやら。だが、そんなことは2人の間には関係無い。
「ヤト、ヤトウィア……愛している。ああ……」
「シグムント様……わ……わた、しも…………う……」
シグムントの動きが堪えきれぬように激しくなり、吐息もそれに合わせて荒くなる。ヤトウィアの腰を浮かせ、奥を穿つ。寝台が2人の動きに合わせて軋み、重なり合う吐息が艶やかに響いた。シグムントはヤトウィアの足を抱え、身体を下ろして包み込むように抱擁する。
「……くっ……ヤトっ……」
「シグ……さま、あっ…………あ……」
最後の瞬間に向けた動き、互いを呼び合う声。長く続く絶頂を迎え、ヤトウィアの身体がシグムントに縋りつき何度も震えた。その身体を逃さぬようにシグムントもまたヤトウィアを強く抱きしめ、達した愉悦の吐息を零す唇を夢中で塞ぐ。舌も身体もきつく絡ませ合っていると、徐々にヤトウィアの身体から力が抜けた。シグムントはそれを受け止めながら、いまだ脈々と打つ猛りで中を揺らし、熱い精を注ぎきった。
激しく甘い時間は一瞬のようでもあり、長い感覚でもあった。シグムントが名残惜しく己を引き抜き、ほどけたヤトウィアの身体を両腕で優しく抱き寄せる。そうしていると、息を整えているヤトウィアが肌を摺り寄せ、シグムントの漆黒をそっと見上げてきた。何かを言いたげに、唇を震わせる。
「ヤト……?」
その眼差しを受け止めて、シグムントが僅かに首をかしげる。遠慮がちに、ヤトウィアが口を開いた。
「……シグムント様……」
「ん、どうした」
「目が覚めても……夜が明けても、……このまま居てくださるのですね」
まだ荒い吐息で訴える、その願いに、シグムントは驚いたように漆黒を見開いた。
3年前に別れたあの夜。一度の交わりが終われば、夜明けを待たずに別れると知っていたあの時。ヤトウィアは、あの交わりが終わるのが怖かった。離れたくないと心から思い、そして身が引き裂かれるような心持で離れた。それが心細くて仕方が無かったのだ。
それはシグムントとて同じことだ。
「ヤトウィア。……大丈夫だ。お前の目が覚めるときも、側に居る」
「シグムント様」
「だから、俺の目が覚めるときも側に居てくれ」
シグムントを見上げていたヤトウィアの瞳が潤み、何かを言いかけたがそれは言葉にならなかった。ただ逞しい胸にことんと体重を掛けて、何度も頷く。
月はあの時と同じように細く輝き、2人の心も同じように繋がりあう。あの時と異なるのは……このまま抱き合って共に眠り、目が覚めてもその腕が失われない……ということだ。まだほんの少し、怖い。しかし、ヤトウィアは静かに目を閉じた。シグムントの手がゆっくりとヤトウィアの髪を撫でている。
漆黒王と白妙姫の、それは、本当の最初の夜の話。