001.使用人の場合

ウェルギルス王国の英雄、守護獅子ギフヴェント・リムガウ将軍と一人の女性が向き合っている。

「部署を変わるそうだな」

ギフヴェントの言葉に、女性が静かに頷いた。

「ならば、ちょうどいい機会だな」

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ウェルギルス王国に長く続いた国境の小競り合いを一気に平定したのは、ウェルギルスの守護獅子と呼ばれるギフヴェント・リムガウの功績だ。この功績を国王は大いに喜び、望むままの褒美を与えることにした。しかしギフヴェントは褒美らしきものは何も望まず、ただ自身の本家である侯爵家を継いで、領地で静かに領政を行って暮らしていきたいと申し出た。

しかし王はお気に入りのギフヴェントを中央から離すつもりは無いらしく、結局は中央司令府の作戦部司令官に納められた。ギフヴェントはまだ35歳。隠居するには早いとのことだろう。

ギフヴェントのリムガウ侯爵家は古ウェルギルスの戦士の一族を祖とする家系だ。癖の強いくすんだ金茶色の髪、その髪の一部を編み込む古ウェルギルスの戦士の髪型に、厚く鍛え上げた身体を軍服に包んだ様子は、まさに守護獅子と呼ばれるに相応しい。

戦いに明け暮れていた将軍が帰還し、国王のお気に入りで独身。貴族としても、過去には国王家とも縁戚関係があった侯爵家という由緒正しい家柄の後継であり、厳つい風貌も相まって、中央でも有名な男だった。

そのギフヴェントに、ある婚姻話が持ち上がった。

国王の娘、第ニ王女のシルウィウス・ウェルギルスが降嫁することになったのだ。

国王には五人の娘、息子がいる。一番年長の第一王女、間に王子が二人、そして第二王女、末の王子。しかし第二王女は、他の王子や王女達とは異なり公の場に姿を現したことはなく、その姿絵や公務は公表されていない謎の多い王女だった。姿の見えない王族に対して、絶世の美女なのではないか、あるいはその逆ではないかと、無責任な憶測も飛び交っている。

国王の娘は二人で一人はすでに輿入れしている。いくら公式に姿を見せたことのない王女とはいえ、外交にも内政にも重要な手札であろう王女を降嫁させるとなれば、国王はよほどギフヴェントを手放したくないのだと世間は噂した。

そうした二人の婚姻話であったから、中央でも注目を集めていた。本人らの、そして何よりも国王の意向もあり、行き過ぎた過度な宴や華美な輿入れは行わないことが決められたが、世間の騒がしさは止められない。落ち着いた環境で二人の仲を深めるためにも、第二王女は婚約者としてリムガウ侯爵家の屋敷に移り住み、世間が落ち着くまでの間正式な宴は執り行わずに、侯爵家の生活に慣れることとなった。

これに驚いたのが、当の侯爵家である。侯爵家というよりも、侯爵家に仕える使用人達であった。侯爵家に仕える者たちは、古ウェルギルスの家系に連なる家に相応しい、無骨で素朴な者たちが多かった。端的に言うと、男所帯であった。特に洗練された者たちは、皆、侯爵領に留め置かれて、領政を行っているギフヴェントの両親に使われている。ギフヴェントが中央に連れて来ているのは、無骨なギフヴェントの気性によく見合った者ばかりだったのだ。

つまり、第二王女を迎えるにあたり、邸宅を相応しい様相に整える手腕を持ち合わせた者が誰一人いないのである。

古参の使用人達の意見として新規に若い侍女などを雇い入れることが提案されたが、ギフヴェントはそれをすげなく却下した。第二王女が連れてくる侍女らでまかなえばよし、特別な措置は不要としたのだ。さらに言えば、第二王女を迎えるための新しい家具なども一切準備されていない。

国王からの命により受け入れた政略の妻だからだろうか。第二王女受け入れの直前になっても特別な準備も行われず、普段と全く変わらぬ様子のギフヴェントに、これはなんと心無い対応であるかと使用人達の方が逆に慌てた。

しかし、ギフヴェントが第二王女に対してやや冷めた対応をするのも致し方ない事情もあった。それは政略の妻だという理由だけではない。

「やはりギフヴェント様はお別れになるつもりはないのか……」

ギフヴェントに仕えて2年の使用人ティエル・オイレンは、ため息を吐く。

ティエルを悩ませる種、それは1年ほど前から存在するギフヴェントの愛人のことだ。

中央司令府に勤めるギフヴェントには、愛人が一人いる。勤め先を同じくするギフヴェントの同僚だと言われている。しかし、ギフヴェントはゆくゆくは侯爵家を継ぐ男であり、守護獅子と呼ばれる英雄だ。身分の違いから言えば女は迎えられにくく、かといってギフヴェント自身も彼女を手離すつもりはないらしい。双方ともそれについては合意という噂があり、ゆえに恋人ではなく「愛人」と呼ばれているのだ。

その入れ込みようは相当らしく、その証拠にギフヴェントは屋敷に愛人のための離れを作った。休日ともなれば彼女を伴って離れで1日の大半を過ごしている。離れに女性を連れ込んでいる、というのはティエルを始め屋敷の皆が知っていることで、「愛人」の存在は本物だ。

つい先日の休みも愛人と休日を過ごしていた。

つまり、ギフヴェントが第二王女に対して本腰を入れることができないのは無理からぬことなのだ。いくら割り切った関係といえど、今まさに手離せない女がいるのに妻を迎える気にもなれないだろうし、それが政略ともなればなおさらだ。

身分の高い、それも英雄ともなればある程度の醜聞スキャンダルも致し方のないことか。お飾りの正妻が一人に、愛人が一人、正義とはいえないが全くあり得ない話ではない。男の甲斐性だという者もあるだろう。しかしそれでも、やはり己の主人には愛する人一筋の男であってほしいのが本音であった。

そうでなければ、政略のために輿入れする第二王女とて哀れではないか。父親の命で結婚相手を決められて、国のため、将軍を繋ぎとめる手札として送り込まれ、しかしその相手には古くからの愛人がいるのだ。

世間体のためにも、第二王女のためにも、侯爵家のためにも、ギフヴェントには出来ることなら愛人と別れ、政略とはいえ第二王女と仲睦まじくして欲しいのが正直なところであった。

いや……主自身の幸せを思うと、本来ならば政略結婚など断り愛人とやらと一緒になるのが良いのだろうか。しかし、よくよく考えてみれば、ギフヴェントの生真面目な性格からみても愛人を結婚相手にと言い出してもよさそうなのに、これまでそうした話が一切無かったのは、やはり愛人の存在はあくまで愛人。結婚相手としては別物と割り切っているのかもしれない。

ギフヴェントの様子は普段と変わらぬまま、それに反して侯爵家は微妙な雰囲気のまま、第二王女は迎え入れられることになった。

****

ティエルが心配した通り、特に何の準備もなされないまま第二王女がギフヴェントの婚約者としてリムガウ邸にやってきた。連れてきた侍女はたった二人で、まだ正式な婚姻の儀を迎えていないとはいえ、王女が英雄に降嫁されるにしては慎ましすぎるものだった。しかし、第二王女自身もそれを望んでいるというのだから、リムガウ家も派手な出迎えは出来ない。

もしかしたら、愛人の存在を気にしてそれほど華やかで目立つことができないのだとすれば、なんとも気の毒な話だった。

それにしても、初めて見る第二王女……シルウィウス王女は、姿を知っている第一王女や王子たちと比べるととても地味……いや、慎ましやかな容姿だった。栗鼠のような灰色がかった栗色の髪は、驚いたことに他の貴族の令嬢達のように伸ばしておらず、肩に触れるか触れないかのところで短く切りそろえている。そして、眼が悪いのか眼鏡を掛けていた。その眼鏡もまた、王女をより控えめそうな容姿に見せている。

ギフヴェントのエスコートで馬車から降りた王女を最初に見たときは、失礼ながらその地味……慎ましやかな装いに、使用人一同が別の意味で静まり返ってしまったほどである。もっとも王女の降嫁など体験したことがないのだから、どのような態度が正しいのかは分からない。

「……」

「……」

妙な沈黙が続いた。ギフヴェントも王女に何か一言二言言葉をかければいいのにそれもなく、名前も呼ばなければ労いもない。なぜか居並ぶ使用人達をじろりと睨んで、次に第二王女を恐ろしい形相で見下ろした。そして義務的にその手を取って、黙々と使用人達の前まで連れてくる。

家令のスウェイク・ジェイルが前に進み出て、第二王女に一礼をした。

「リムガウ家一同、シルウィウス様とギフヴェント様のご婚礼を、心よりお祝い申し上げます」

「こちらこそ、急なお話の中、迎えてくださりありがとう。ギフヴェント様の良き妻となるよう努めますので、よろしくお願いしますね」

スウェイクを前にすると、王女は随分と親しみやすい言葉と態度で、使用人達はほっと胸を撫で下ろした。本当はもっと派手やかでプライドの高そうな女性が来るかと思っていたからだ。しかし王女は全くそんな態度は見せず、常に慎ましい。むしろもっと主張してもよいのではないかと思うほどだ。

さて、この二人である。

ギフヴェントという男は無口というわけではないが、必要以上のことは喋らぬ性質たちである。笑わぬわけではないが、必要以上の笑みや愛想は浮かべない。そして王女もまた、慎ましやかで物静かな女性の様子だった。

一応は婚約者という立場だからだろうか。ギフヴェントは王女と寝室を同じくしていない。そして、これは使用人だからこそなんとなく察することができる情報なのだが、おそらくギフヴェントは王女の部屋を訪ねたり、その逆もなかった。つまり同衾していないのである。

彼女は第二王女であるからして、結婚してから同室になるというのが筋なのだろうけれど、この二人が夫婦同室になり、仲良くする状態がなんとなく想像できない。

……というのも、二人揃っていても特にめぼしい会話がないのである。

朝食のときなど、どちらも沈黙していてまるで葬式のような雰囲気だ。

時折ちらちらと王女がギフヴェントの表情を伺っているのがいじらしい。しかしギフヴェントはそっけなく、ちらりと王女に視線を向けてはすごい形相で睨みつけて、また朝食に集中する。一度など王女自ら紅茶を淹れたのにも、美味いともなんとも言わずに相当気難しい表情を浮かべ、ただ黙々と一気飲みしただけであった。

ギフヴェントが仕事に出かける時などもそうだ。

「いってらっしゃいませ」

「……」

「今日はお早いお帰りですか?」

「いや、寄るところがあるから遅くなる」

いちいち恐ろしい形相で王女を睨みながら、これでも長く話した方である。

それにしたって新婚(まだ婚礼はしていないが)なのだから、早く帰宅する努力くらいして欲しいのだが、ギフヴェントはそっけなく言っただけだった。

それを聞いた王女がそっと瞳を伏せる。

ほら、悲しそうな顔をさせてしまったではないか。そう使用人の誰もが思ったが、ギフヴェントは王女に背中を向けて行ってしまった。王女が顔を上げてその背中を見送っている。

寄るところ……とは、一体どこなのだろうか。まさか愛人のところではあるまいな……。

そうしたティエルの心配は的中してしまった。そのまさかであった。

帰宅したギフヴェントは、そのまま王女に挨拶することなく、離れに入ってしまったのである。

離れを使っているということは、愛人を連れてきているということだ。案の定ギフヴェントはそのまま朝まで、離れから出てこなかった。