傭兵将軍の嫁取り

001.旅程

北の辺境の地へと向けて、ガラガラと2頭立ての黒い馬車が進んでいる。馬車は表情の乏しい騎士が守り、同じく表情の乏しい御者が手綱を引いていた。その黒い馬車を守るように前方と後方を固めているのは、1個小隊ほどの戦士達だ。雇い上げの傭兵か……と思われる粗野な風貌の集団だった。ただし、その動きは規律が守られている。みな、思い思いの格好で得物を身に着けていて、髪も髭も手入れをしていないという意味で身なりも調っていなかったが、周囲に配る視線は程よい緊張に満ちていた。

その先頭を率いる馬上の男もまた、この集団にふさわしい風貌だ。

「ジオリール閣下」

若い声を向けられ、馬上の男……ジオリールは視線のみで振り返る。伸び放題になっている髪は風と湿気で少し巻き気味で、濃い茶色に見えるがところどころ金色が混じっている。鋭い視線の奥は薄い青だ。少し張った風に見える頬は、旅の疲れで痩せたのかもしれない。しかし首筋と馬を操る腕は太く、鎧を着ていても分かる見事な体躯の男だった。

「昨日はシリルエテル様にお会いできましたか?」

声を掛けた男はジオリールよりも数段若い。彼もまた馬に乗っていて、ジオリールの青馬に並ぶ。

「ラクタム、閣下と呼ぶな気持ち悪ぃ」

ジオリールは自分の隣に並ぶ男を見やると、鼻の下と口元を彩る無精髭の下でニヤリと笑う。ラクタムも旅の間で手入れなどしていないのだろう。ジオリールに比べて学者のような細面の顔だったが、顎に髭が生え始めている。もっともそれは、この馬車を守る男たちは一様にそうだった。

「高貴な未亡人は、俺のようなむさくるしい男はお嫌いらしい」

笑ったまま、ジオリールはざらりと顎を撫でる。ラクタムはその顔と後続する黒い馬車とを見比べた。

「まあ、傭兵将軍ジオリールがお相手ならば仕方ありませんかね……」

「言うな、てめえ」

あーあ……と大げさに首を振るラクタムを見たジオリールは、ふん……と鼻を慣らして不機嫌な声で返す。声は不機嫌だが表情はそうでもなく、ラクタムの声を楽しむ風でもあった。

ジオリール・グレゴルはカルバル王国の傭兵隊をまとめる男だ。傭兵というと金だけで動く粗野な男らだと思われがちだが、まさにその通り。ここ10年ほどのうちに、カルバル王国は2度ほど大きな戦に見舞われており、その際、大量の傭兵が雇われたのだが、その傭兵をまとめ、戦略的に動かしたのがジオリールの父グレゴル伯爵と、その養子であるジオリールだった。グレゴル伯は1度目の戦で命を落としたが、齢70だったのだから大往生と言えるだろう。

傭兵のとりまとめを引き継いだのはジオリールで、彼もまた幼い頃は傭兵だった。実力と才覚を認められてグレゴル家の養子になった男だ。その傭兵隊はもはや傭兵とは呼べず、名誉や金銭よりも、ジオリールとその亡くなった養父を慕う者で構成されるようになった。それらの頭であるジオリールは傭兵将軍と呼ばれ、2度目の戦で活躍した。

その戦にて、カルバル王国の第2王子が率いる師団が壊滅的な打撃を受けたが、ジオリールの傭兵隊が敵軍の右翼を突いて態勢を崩させ、機動力を持って敵隊の将軍を討ち取り戦は勝利を治めた。その功績は大きく称えられたが、もちろんそれを面白く思わないものも、いる。

カルバル王国の宰相、そしてその息子。息子はカルバル王国の騎士の一人で、此度の戦の戦績によっては将軍職に取り立てられると言われていたが、実際に活躍したのはジオリールだった。政だけではない、軍事も掌握したい宰相にとって、息子の出世を阻むジオリールの存在は邪魔だった。

だが、あれほどの活躍を見せ、さらには平民出身とあって、城下でも人気であろうジオリールをないがしろに扱うわけにはいかなかった。何かしらの褒章を与えなければならない。そこで、傭兵将軍ジオリールはグレゴル伯爵を継ぐことを許された。元々グレゴル伯爵領で現在はホーエン侯爵の管理におかれている、北の領地を与えられることになったのだ。

また、これには別の話も付随した。ノイル侯爵という男の妻であったシリルエテル・リーンという女が与えられる……という。ノイル侯は5年も前に死んでおり2人の間には子供もおらず、シリルエテルは領地でひっそりと過ごしていたそうだ。侯爵領は既にカルバル王国領となっており、そこに付随する元侯爵夫人は王国にとっても取るに足らない存在だ。これ幸いとジオリールに押し付けて、魔物の多い荒れた辺境の地を守れと命じられた。

要するに、領地と女を与えるから田舎で大人しくしていろ……という、命令だ。

もちろん、ジオリールにとって魔物の多い辺境の地に赴くのは苦ではない。ただ、自分のような男……45歳にもなっていまだに妻がおらず、しかも貴族とは名ばかりで作法も知らぬ自分のような男に、嫁がなければならないシリルエテルという女のことは哀れに思う。

元侯爵領に迎えに行った時、シリルエテルは既に黒い馬車に乗っていた。屋敷で歓待されるでもなく、家人に引き合わされることも無かった。連れて行くのは侍女と、護衛の騎士だけだという。道中言葉を取り次ぐのはその騎士のみだった。慣れぬ馬車に乗っていて体調が不良だと、ちらりと顔も見せない。

妻になる予定の女と言葉を交わすことなく、姿を見ることもなく、ましてや手を触れることも無い。休憩で止まったときに騎士に守られて降りてくるのは、花摘のためだけで、それすらもいつ行われているかわからないほどひっそりとしていた。食事も馬車の中で取っているようで、運んでいるのが魔物であってもジオリールには分からない。

元侯爵夫人のような貴婦人を隣に侍らすには、ジオリールは余りにも荒くれた男だ。伯爵と言ってもそれに相応しい言動や態度を身に付けているわけでもなく、身に付けるつもりもない。傭兵らとの交流にも戦の場にもそんなものは不要だし、この年齢にもなってそれが今更身に付くはずもない。

妻になる女が自分の前に出てこないのも理解できる気がした。有能な魔導師の家系に生まれた子爵家の長女シリルエテルもまた、魔導師だという。その身分で侯爵夫人になったのだからそれなりの地位の貴婦人であるに違いない。彼女もいってみれば若い年齢ではない。自分のところにしか嫁ぐ先が無かったのかもしれないし、無理やりなのかもしれない。いずれにしろ侯爵夫人として生活してきた女に荒れた北の地での生活は優しいものではないはずだ。

何が乗っているのか分からない黒い馬車を守りながら、ジオリールは何の感慨も無く旅程を過ごしていた。

「年下の妻も抱けんとは、新婚の旅程とも思えんな」

ジオリールは、普通の男よりもさらに低い野太い声で、はっはと笑う。

「隊長はまだ婚姻していないのですから、新婚とは言えないでしょう」

ジオリールの副官ラクタムが呆れたように言った。傭兵将軍の部下らは、ジオリールのことを親しみを込めて隊長と呼ぶのだ。

****

「……ならば、北の地にやってしまうか」

「それがよろしいかと」

カルバル王国の首都王城にて、宰相は主席魔導師に意見を問うていた。話題は傭兵将軍のジオリールの処遇だ。何らかの褒章を与えなければならず、だが、宮廷に置いておくには邪魔な存在だ。宰相の息子は軍人で、それほど無能というわけではない。だが、先だっての戦でジオリールは活躍しすぎた。国王、そして王子の覚えも目出度く、あれがいる限り息子の宮廷での出世は望めない。そこで、北の地へ封じてしまえ……という主席魔導師の意見を取り入れる。宰相にとって、あれが叛意を起こさない限りは宮廷から遠ざけておくだけでいい。国王や王子の面目も立つだろう。

「かの北の大地は一度人の住まう地を外れれば、食人鬼オーガ単眼巨人サイクロプスが跋扈する魔物の地。それらの牽制になればよし、死んだら死んだでかまいますまい」

「そうだな……」

逡巡する宰相に、ひっそりと、しかし追い討ちをかけるようにイリドは続けた。

「傭兵将軍などと……戦しか知らぬ、元は平民の男。しかも率いるのは、騎士とも言えぬ粗野な男の集団です。わざわざ北の地まで追いかけて行く者もおりませんでしょうし、妻と伯爵の位を与えれば、有頂天になって領地へ赴くでしょう」

「妻?」

宰相が顔を上げて、眉をひそめた。

「5年ほど前に不名誉な亡くなり方をした侯爵がいらっしゃるでしょう。その奥方などはどうでしょう」

「ノイルか。……妻が居たか?」

「おりましたよ。ノイル候よりも40も年下ですが」

その女も元はノイル侯爵に仕える子爵家の娘だったという。魔導師の家系の血が珍しがられ、侯爵の妻になったらしい。随分な手を使って女を得、随分な死に方をした男だ。血筋だけは高貴で古くからの貴族だというだけで侯爵という高い地位にあった男だ。その顛末は貴族の醜聞となり、未亡人になってしまった女も大人しくしているという。

「ノイル領は既に公領となった地。役に立つか立たないか分からないくせに、魔力を持っているのは何かと目障りでしょう」

「魔導師か?」

「そのように聞いております」

「腕は」

「実際に奮ったことは無いらしく、腕の程は知りません。いずれにせよ、北の地に送ってしまえば邪魔にはなりますまい」

ふん……と鼻を鳴らして、宰相は考え込んだ。魔導師ともなればそれなりの地位もかなうだろう。侯爵の正妻となるのも頷ける話だが、……さて、ノイル侯爵は随分な年齢で、死ぬまでに何人かの妻が居たと記憶している、その何番目の妻だったのか。

「にしても、魔導師か。……血筋でも求めたか」

「しかしながら、子供を得ることも叶わず捨て置かれた……という辺りでしょう」

「哀れな女よ」

「では手配を?」

「任せる」

「御意」

宰相はちらりと瞳を上げて下がる魔導師を見、「待て」と声を掛けた。

「お前は確か、かの傭兵将軍と懇意にしていたな」

魔導師が帰る足を止めて振り返った。

「あれを懇意というならば、かつては。しかしそれが何か?」

「友人を魔物の跋扈する北の地に送るとは、酷な男だな」

「恐れ入ります」

「だがしかし」

宰相が執務机をコツコツと叩く。魔導師は顔色の一つも変えず、宰相を見ている。その視線を受け止めて、宰相は嘘を許さぬ問いを掛けた。

「よもや、現在もその交流が続いているとは言うまいな」

「あのような下賎の男と友と呼ばれるのは、心外ですね」

「ほう」

コツン……と宰相は執務机を叩く音が止まった。

「まあいい。北の地に赴く傭兵将軍に、私からも祝いを贈ろうではないか。……確か、妻にする……という女はノイルにいるのだそうだな」

「ええ」

「腕の知れぬ魔導師だ、と」

「はい」

宰相は掌を組み、そこに顎を乗せた。

「北の地に赴く際は、公領から護衛の騎士を付けるとしよう」

「それは感謝されることでしょうね」

「道中何事も無いよう。……魔法鎧マジックアーマーと、沈黙呪サイレントを準備しておけ」

「では、そのように」

「お前の忠義を今一度確認させてもらおう、イリドよ」

主席魔導師イリドは細面の顔にかすかに笑みを浮かべて、再び深く一礼した。今度こそ執務室を後にする。

執務室を出た瞬間イリドの顔から笑みが消え、僅かに眉間に皺が寄った。