傭兵将軍の嫁取り

002.拘束

「弓が得意なものは下がって首を狙え。仲間に当てるなよ! その他は左足を攻めろ、まずは身体を倒すぞ!!」

魔物の咆哮と、それにも掻き消えぬ程のジオリールの怒号が峠の道に響いた。ジオリールが振り返りざまに剣を翻すと、耳障りな悲鳴と共に小鬼ゴブリンの頭が飛ぶ。眼前には薄っすらと光の線が走る鎧を纏った食人鬼オーガの巨体が両腕を振り回して暴れており、その足元では小鬼ゴブリンが右往左往して兵士達の邪魔をしている。食人鬼が着込んでいる鎧は魔法の力を帯びていて、その部分は刃も矢も通らないようだ。

「……魔法鎧マジックアーマーを着込んでいるとは厄介な……。おい、ラクタム! 5人連れて小鬼の掃討にあたれ!」

「了解です、お前ら!」

横から飛び出してきた小鬼を蹴り倒して心臓に剣を突き刺すと、ラクタムは周辺の傭兵らに怒鳴った。言葉に従い4,5人の傭兵が武器を持って小鬼の掃討に連携し始めたことを認めると、視界の端に黒い塊が映る。先ほどまで自分達が守っていた、シリルエテルの乗っている馬車だ。無事なのだろうか……と意識が一瞬向いた時、異変に気付く。

「隊長! 馬車が……」

ラクタムが全ての言葉を言い切る前にジオリールが動いた。ジオリールもまた、ラクタムと同時に気付いたのだ。あれほどぴたりと黒い馬車を守っていた公領の騎士が居ない。

「おい、3人、馬車をまも……っ」

馬車を守れ!……とラクタムが命令を出そうとしたときだ。

オオオオオオオ……!

唸るような食人鬼の咆哮が轟き、魔物が一歩踏み込んだと同時に腕の片方を振り回した。巨大な拳が馬車にぶつかり、ギシ!……と木が裂けるような音がして、ぐらりと傾く。ジオリールは舌打ちしながら、馬車へと駆けた。だが、馬車が転倒するのは免れない。峠の道に申し訳程度に生えた茂みに飛び込むように、ドン!……と破壊音を立てて馬車が転倒する。

「弓手! 斜め後方に回って気を引いてくれ。矢は馬車側に落とすなよ!」

弓手がいっせいに斜め後ろに回り、馬車を逸れる位置に向けて矢を放ち始める。弓を持たないものは咆哮を上げ、盾を叩いて大きな音を立てた。知能の低い食人鬼は誘導につられ、ぐるりと馬車とは逆方向に姿勢を変える。

「ラクタム!」

「了解です。さっきの5人は小鬼を始末しろ!」

ラクタムがジオリールの代わりに食人鬼退治の指揮に回り、その隙にジオリールは転倒した馬車へ張り付く。扉は後方だ。

「おい、無事か? 聞こえているなら扉から離れろ!」

歪んで開かなくなった扉の蝶番を剣で破壊して扉の向こうの気配をうかがい、側に人が居ないのを確認すると乱暴に扉を蹴り飛ばした。馬車の中は暗かったが、光が差し込むと2人の女が転がっているのが分かる。1人は柔らかな赤金あかがね色の髪の若い女、もう1人はまっすぐな黒い髪に強い黒い瞳の、それよりは少し年上らしい女だ。横に転がっている様子を見てまずはホッとする。しかし次の瞬間、2人の惨状にジオリールは息を飲み込んだ。

2人はどちらも両手を後ろ手に拘束されていたのだ。

ジオリールは目を見張ったが、すぐさま身体が動いた。側面に倒れこんでいる、まずは黒い髪の女の身体を抱き寄せる。手が触れると身を竦ませるように女の身体が緊張したが、それをなだめるように抱き寄せる腕をきつくして、拘束している縄を解く。

「おい、大丈夫か!?」

覗きこんだ女の顔は蒼白で、薄い唇が震えるように動く。何かを訴えるように開いた唇はかすかに乾いていて、白く柔らかそうな首筋がこくりと上下した。喉も唇も動くが、声が出ない。その様子に眉をしかめる。

「しゃべれねえのか?」

女がジオリールの手を持って、自分の首筋に触れさせた。手に触れた滑らかな肌の感触のすぐ下に、呪いの言葉がびっしりと刻まれた革の首輪が付けられている。ジオリールは盛大に舌打ちした。

「これでしゃべれねえのか!? ……くそっ、ちょっと待ってろ。動くなよ」

ジオリールは魔力を帯びた短剣を腰から抜くと、慎重に、女の白い肌と首輪の間に入れた。ぷつ……とそれを切ってやると、けほけほと女が咳き込む。かなりゆっくりと刃をいれたつもりだったが、僅かに白い肌に朱が刻まれる。

その様子を見ながらジオリールは苦い後悔に苛まれた。騎士の言い分など無視して、無理やりにでも馬車を暴いておけばよかったのだ。1週間もこの状態だったのか、縄で縛られていた手首にも痛々しく血が滲んでいて、化粧もしていない顔には隠しきれない疲労が浮かんでいた。このままでは逃げることもままならなかっただろう。

思わず女の頬を撫ぜ、上を向かせる。弱っているかと思ったが、濡れたような黒い瞳は思いのほか強い眼差しでジオリールを見上げた。自由になった喉で息を吐き、身体を支えているジオリールの腕を掴んだ。

「……を。スフィル、も」

疲労の見える顔色で唇を震わせる様子と漆黒の眼差しは、切迫した状況であってもジオリールの意識を奪ったが、すぐにそれを引き戻す。残りの女がスフィルというのならば、ジオリールの視線を奪ったのが妻になる予定のシリルエテルだろう。ジオリールは鋭く頷き、シリルエテルの身体を囲ったまま、もう1人の女の拘束も解く。

外では魔物達の暴れる声と傭兵らが戦っている声が響いている。シリルエテルらの様子は気になるが、外をこのままにしておくわけにはいかない。ジオリールは瞬きの間だけであったが、シリルエテルの肩に腕をまわし僅かに力を込めると、すぐに引き離した。

「おい。……悪ぃが、しばらくの間ここで大人しくしておいてくれ」

言ってすぐさま、ジオリールは外に飛び出した。状況は先ほどとはあまり変わっておらず、どちらかというと傭兵達が押され気味だ。

「ラクタム、どうだ」

副官の側で小鬼を一匹始末すると、ジオリールは鋭く視線を這わせる。

「食人鬼は会ったことのない敵というわけではありませんが、やはり魔法鎧が」

「急所も覆われているか。這い登る手も使えんな。倒れそうか」

ジオリールが食人鬼の首下を仰いで、声を低くする。食人鬼の急所とされている箇所は、左耳から首にかけて走る腱だ。常ならば這い登って急所を刻む作戦を取るが、首全体が魔力に覆われている現状のままでは有効ではないだろう。

「よろめきはしますが、かろうじて……」

オオオオオオオオオオオオオオオン!

食人鬼の咆哮でラクタムの声が掻き消える。

魔法鎧は魔法でしか破壊することはできないが、魔法を付与されたような高級な剣を持つ傭兵などは居ない。ジオリールの短剣だけでは時間が掛かりすぎる。やはり外に晒されている皮膚を攻撃して体力を減らすしかない。長期戦に向け陣形を立て直そうと、ジオリールは頭をめぐらせる。

そのとき。

「スフィル」

「はい! シリルエテル様、了解です!」

戦場に全く似つかわしくない、涼やかで凛とした女の声と、華やかではしゃいだ風の女の声が聞こえた。ジオリールとラクタムが振り向くと、そこには貴族の女が外出するときに着るようなドレスに頭から外套マントを羽織った女と、侍女が着るような黒いドレスにエプロン姿の赤金色の髪の女が立っていた。

どちらも顔色は当然悪く、喉も手首の傷もいまだ痛々しくさらしたままだ。それなのに声は緊張からか張っていて、視線はまっすぐに敵の方に向けて立っていた。

「何を……」

何をしている……と叫ぶ前に、黒髪の女が先制した。

解呪ディスペルします。スフィル、貴女は誘導を。狙うのは右脇腹の光が集中している箇所。詠唱の予定時間は40秒。誘導時間は最後の10秒に重ねてちょうだい。準備は?」

「誘導は<retrahitur>(集中型)でいきますね!」

先ほど助けたシリルエテルとスフィルという女だ。呆気に取られたのは一瞬で、すぐにジオリールは我に返りシリルエテルの肩を掴み、自分の背に回しながら食人鬼と引き離す。

「何をしてんだ! 下がってろ!」

「ちょっと、シリルエテル様に乱暴しないでよ!」

相手が女だということを忘れ、部下に向けるような厳つい声で怒鳴ってしまう。シリルエテルを庇うようにスフィルが間に出たが、それはラクタムが前に出て腕で押さえた。ジオリールは再び怒鳴ってしまいそうになったが、シリルエテルは怖がる風も無く、男の鍛えられた胸元にそっと手を当てた。

「貴方が傭兵将軍ですか?」

「……あんたは……」

「私は魔導を得手としております。食人鬼の魔法鎧の解呪を」

それは頭に血が上ったジオリールの心を急速に冷やす……いや、冷静にさせる声だった。冷たいわけではなく、軽やかで涼しい声色だ。ジオリールもさすがに幾つもの戦場を渡り、ごろつきに近い傭兵達をまとめてきた男である。すぐに戦況と目の前の「魔導師」とを脳内に引き合わせた。

怪訝な表情は隠し切れないが、決断するのは一瞬だ。

「出来るか」

「詠唱開始から40秒で鎧は壊れます」

「他には?」

「鎧が壊れた直後は暴れると思いますので、速やかに止めを」

「おめえら、聞いたか!」

小鬼を掃討していた数名がいつのまにかジオリールとラクタムの周囲に集まっていた。2人の会話を聞いていた者達が、おう、と応じる。

「作戦はいつもの食人鬼用に切り替える。俺に付いて1人来い。短剣を使って左肩によじ登れ。俺が真ん中だ。残りは詠唱中の2人を守れ。弓手には魔法鎧が外れるまで引き付けて、腰より下に集中させろと伝えろ。俺に当てるなよ」

「了解!」

「あんたがシリルエテルだな?」

潰れた低い声が名前を呼び、シリルエテルが視線を上げる。女の傭兵も多くは無いが見てきた。だが、このような細く貴族然とした女が、戦場で取り乱した様子を見せないのは余程肝が据わっているのか。ジオリールは鋭い瞳をなお細めた。

「詠唱開始は俺の合図を待て」

シリルエテルが黙って頷いたのを確認すると、すぐさま食人鬼の足元へと駆けた。