盗賊と刃

キスの日小話。


乾いた砂の香りがする集落に、1人の男が歩いていた。

男は砂漠の民によく見られるように、砂除けの布を頭と口に巻いている。片方の眼も布に覆われていて、ただ一つ覗く鋼色の瞳の鋭さが、男の雰囲気を近寄りがたいものにしていた。

男は一軒の店の扉をくぐった。店の中は外とは違って、金属特有のどこか生々しい硬い匂いが充満している。壁にはたくさんの種の武器が並んでいて、どうやら武器を扱う店のようだ。

男の訪問に、うとうとしていた店主が顔を上げた。往来から1つも2つも路地を下がった、誰の目にも止まらないような店である。客足はほとんど無く、店主も時間を持て余しているのだろうか。

「品を」

声を発したのは男の方で、店主は黙って立ち上がった。すっかり曲がった腰をさすりながら部屋の奥へと一度入り、鞘に納められた2本の剣を持ってすぐに戻ってくる。店主は投げるように2本の剣をカウンターに置いた。まだ新しい革の剣帯と、質素だが質のよさそうな黒塗りの鞘の片方に男が手を伸ばす。

キ、と音をさせて刃を覗かせて、戻した。もう一本も同じようにして、再び戻す。

刃の様子に満足いったのか、男が口許を隠していた布を少し下ろした。無精髭に覆われている口許が微かに動く。

「代金は」

店主は首を振った。

「いらねえ」

「……」

沈黙する男に促されて、言葉を続ける。

「あんた、魔女の男になったんだってな。魔女から金は貰えねえ」

店主は男が昔から贔屓にしている武器屋だった。男が使う全ての武器は、この店主が産み、研いだものだ。男が若い折から、店主は腰が曲がっていて、男の年齢よりも店主の年齢の方が得体が知れない。

「あれと、何か関係が」

「別に。だが、俺ぁ、若ぇ頃に魔女に助けられたことがあるんだ。あん人から、お代は貰えねえ」

「……」

男はそれ以上追求することを諦め、口許を再び布で覆った。カウンターに置かれた2本の剣の革帯を掴み、懐から小さな袋を取り出して、何も無くなったカウンターにそれを放る。

「魔女からだ」

「……」

皺に埋もれていた店主の瞳が見開かれ、小さな袋にしわくちゃの手が伸びた。

「剣の切れ味を確認してから、次は古い剣の研ぎを頼みに、また来る」

「へえ」

背後で店主の声が聞こえたのを確認し、男は外に出た。

****

街の外れにある小さなオアシスに戻るとつないでいたはずの砂馬が居らず、砂の上には人の足跡と馬の蹄が大量に残っていた。男がしゃがみこみ、砂に残った足跡を指でなぞる。人の足跡は1人ではないようだ。風が少し吹いている。

「よーう、久しぶりだな」

下卑た声が背後から聞こえた。男が立ち上がり振り向くと、数人の賊が剣を抜いて立っている。男は首を傾げた。

沈黙に苛立ったように、賊の頭が一歩前に出る。

「忘れたか? ああ、あんときはお前の眼はまだ揃ってたもんなあ! 無くなった方の眼に俺の顔も持っていかれちまったか?」

「……」

「黙ってんじゃねえぞ、クソが」

どうやら賊どもは、男に何かしらの恨みがあるようだ。若しくは男の持っているものが欲しいか。後者かもしれぬ。大いなる人殺しは砂漠の方で、その力の前にあれば個人に恨みなど持っている暇など無い。盗るための殺しの方が現実的だ。賊はそうした中で、ただ単に男に面識がある、というただそれだけなのだろう。

しかし男の方に覚えが無かった。男の行動のほとんどが恨みを持たれる行為だ。いちいち覚えておられるはずがない。

賊どもが剣を抜き、男に向かって吠える。人数が多い事を何よりも心の拠り所にしているのだろう。勝利を確信したふざけた怒号は、男にとっては滑稽なものにしか映らない。

どこで剣の切れ味を試そうかと思っていたが、思ったよりもその機会は早く訪れそうだ。

そうして、また、男は恨みを買われるのだ。

いや……1人も残さなければ、恨みなど買う事など無い。

「てめえ、魔女とつるんでいるんだってな……お前を殺りゃあ、女は俺のも」

賊の口が裂けて飛ぶ。
静寂はすぐに訪れて、計ったようにさくさくと蹄が砂を踏む音が聞こえる。遠くから戻って来た黒い砂馬に手を伸ばし、男がその横面を優しく叩いてやった。

****

しかし、どんなに身体を洗っても血の匂いは消えないのだろう。魔女の泉で念入りに身体を清めて戻っても、必ず気付かれた。

争って来たのか、とは言われない。
血を流したのか、とも問われない。

ただ、黒いローブを脱いで露わにした銀色の瞳が、盗賊の鋼の瞳を、心を配るように見つめるのだ。だから盗賊は言う。

「怪我などしていない」

誤摩化すように盗賊は魔女の身体に手を伸ばし、指を絡めて押し付ける。

魔女の柔らかな唇に自分の唇を触れさせると、ふつふつと血が流れ始める。己にこのような血があったのかと気付かされる。急かすようにぬめりを侵入させると、魔女のそれもおずおずと答える。この乾いた砂漠に、魔女の身体だけが濡れていて、温かい。

幾度触れても初めて触れた時のような心地で、盗賊は魔女の身体を寝台に沈める。

そうしてひとしきり堪能した後、眠る魔女の健やかな顔を片方の瞳で眺めるのだ。

盗賊は無防備に投げ出された魔女の掌に、自分の手を重ね合わせた。指を絡ませてつなぎ、自分の口許へとそれを引き寄せる。

手首に口付けて血の流れを感じ、てのひらに口付けて甘い香りを堪能する。

そうして手の甲に口付けて、時の流れを誓うのだ。