aix story

001.outside:ジャパン第13都市

あなたといっしょにいたかっただけなの

わたしのことだけをみていてほしかったの

おいていかれたくなかったの

じぶんのことをえらんでほしかったの

みんなといっしょにあそびたかったの

じゆうにだれかをあいしたかったの

あのひとのねがいをかなえてあげたかったの

もういちどあなたにあいたかったの

ごめんなさい

ごめんなさい

こんなおねがいをしてごめんなさい

さようなら

そして

****

西暦…という暦が使われなくなった程度の未来。
地球において、国の形と、人類が世界と折り合いを付ける様は変わった。

だが、そこに住まう一般的な人々は、さほど大きな進化をせずに暮らしていた。数百年前は、爆発的な技術革新…などと言って、あらゆるマシンの小型化、サービスのユビキタス化、娯楽の高水準化がもてはやされたが、人の感覚が受け入れて、快適に過ごすことができる環境というのは今も昔も大きくは変わらない。もちろん、コールドスリープや、人体のアンドロイド化など、遥か過去…夢だとされた技術も実用化されていたが、大半が一般庶民には夢のような話だ。

人工現実ヴァーチャルリアリティといった、空間と時間の共有、自己投射可能な仮想世界…という技術も現実のものとなり、娯楽や通信世界に応用され、人々のコミュニケーションの新たなインターフェースの1つとなっている。だが、娯楽…つまりゲームなどの業界での応用については、その効果があまりに過激になりすぎて規制された。規制される前は、ガンシューティングや、剣や魔法の世界を舞台とした戦闘行為も含めたロールプレイングゲームが大流行したのだが、その世界が現実世界の人間にフィードバックする刺激の強さが、身体に影響を与えたのだ。

[death due to sensory feedback]

感覚的フィードバックによる死。…という、それは、当時の若者に最も多い死因の一つだった。仮想世界に没入し、仮初の戦闘によってもたらされるショック死は、当然のことながら大きな社会問題に発展し、ヴァーチャルリアリティによる過剰な世界表現と、感覚の表現は規制された。

今、仮想世界として流行しているのはショッピングモールであるとか、キュートなアバター…つまり、仮想世界での自分自身の姿形のことである…で、幻想的世界をただ歩くだけ…といった、安全なインターフェースばかりになっている。そもそも、危険の多い濃密な世界を求めるユーザーは、そうしたユーザーが想像するよりはるかに少ない。

そんな中、ジャパン第13番都市の小規模ながらも技術力の高さで高名なメロヴィング・カンパニーが、あるヴァーチャルリアリティシステムを利用した仮想世界体感サービスを発表した。これまでに無いリアルな世界描写と、スタイルの自由度を提供する。そして、相手から与えられる行為の受け取り、感覚表現の全てをユーザーの選択に任せる…というものだ。これにより、相手の攻撃を受けることをユーザーが選択することが出来る。さらに、痛覚神経等、感覚的フィードバックによるショックが大きい部分に関しては、あらかじめフィードバックを遮断し、万が一の場合に痛みでショック死する危険性を減らしているという。つまり、プレイヤーはこの世界で痛みを感じることがない。

こうしたシステムで考えられるのは、もしもプレイヤー同士が戦闘を行った場合、決着が着かない…ということだ。何しろ、相手の攻撃を受けるか受けないか…という判定は、自分が選択するのだ。好き好んで、相手の攻撃を受ける人間など居ない。それでも、かつてのコアなサービスを懐かしむゲーム愛好者からは、ハードな戦闘行為を安全に楽しむことができるのではないか…と期待が寄せられた。

そんなサービスの、クローズドαテストプレイヤーの公募が始まった。

公募条件は、ジャパン第13都市トキオに居住している、12歳~60歳までの男女。
接続制限は20時から23時までの3時間、自宅で接続するための専用の端末が配布される。
時間的・空間的制限の中でプレイができる者であれば、身体的疾患を持つものでも端末を持たない無収入者も問わない、ということだった。
ただし、当選したものは守秘義務が課せられる。自分がテストプレイヤーだということを明かしてはならないし、その権利を他人に譲渡してはいけない。

このような制約はあるものの、当然のことながら多くの希望者が集まり、数少ないテストプレイヤー枠が一体誰の手に渡るのか注目された。公募が締め切られて2週間。当選者へ通知が終わった…との正式発表があった。誰がテストプレイヤーであるかは秘密にされているため、当選者への通知も当然極秘裏に行われた。

こうして、メロヴィング・カンパニー提供による仮想世界体感サービスクローズドαテストが開始された。

「世界は君たちのもの」

そんなキャッチコピーで大々的に宣伝されたサービスの正式名称は決まっていない。
ただ、クローズドαテスト用に便宜上のサービス名が与えられている。

サービスの名前は、「エクス」という。

このテストによりプレイヤーからどのような情報を搾取するか、については公表されていない。

****

「よう、コーチョー! なあなあ、これ治せる?」

「おや、アンリ。治せる…とは何のことですかな?」

「これ!」

ジャパン第13番都市トキオ・ゴタンダにある孤児院に、アンリと呼ばれた14、5歳程度の少年が興奮気味に入ってくる。纏わりつく小さな子供たちを引き離しながら、片手に何かを持って振り上げ、ニッ…と笑ってみせた。アンリが手に持っているのは随分傷ついた腕時計だ。

アンリは、孤児院の談話室でくつろいでいた「コーチョー」の下に駆けていくと、自慢げにそれを見せた。

「シナガワまで行ったんだ。そしたら夜逃げした古物商の差し押さえ現場に当たってさ、ソッコー行って、戦利品ゲーット!」

「またおかしなことに首を突っ込んで。…ほどほどにしなさいアンリ」

怪しげなことを言っているアンリを咎めているものの、その声は飄々としていてそれほど怒ってはいなかった。コーチョーは懐から老眼鏡を取り出して、手を差し出す。アンリはそれをコーチョーの手の上に置いた。老眼鏡をかけたコーチョーは、それを離したり近づけたりしながらまじまじと見つめた。

「ふむ。それほど年代物ではありませんが、自動巻きというのは珍しいですな」

「自動巻き? 何それ」

「電池などの電気機構で動かさず、腕に装着して腕を振ることによって動かす時計のことですよ」

「えっ、そんなこと出来んの?」

「ええ。その代わり、常に身に付けていないと動きませんがね。持ち主が居なくなると死んでしまう時計です」

「じゃあ、これが動かないのは…」

「リューズ(手巻き用のゼンマイ)は付いていないようですね…。手に持って、少しばかり振ってご覧なさい」

コーチョーから腕時計を返されて、アンリは思い切りそれを振った。コーチョーに「もうよいですよ」と言われるまで、正味1分ほど振っただろうか。アンリが手の中の時計を覗き込んでみると、文字盤の上で細やかな針が確かチクタクと動いてた。アンリの顔が綻ぶ。

「うわ…ホントだ、動き出した…!」

「腕にしておけば、ずっと動いたままですよ」

「ホントかよ。…って、それって…」

期待満面のアンリに、コーチョーは茶目っ気を含ませた視線を向けた。

「まあ、差し押さえ商品ならば問題ないでしょう」

「だよな!」

アンリは嬉しそうに笑って、腕時計を付けてみた。金具式のバングルは、少年の腕には大きいようだ。む…として表情が沈むアンリを見て、「貸してご覧なさい」とコーチョーが再び手を差し出す。

「大きいのでしょう。金具を調整しておいてあげますよ」

「取るなよ、コーチョー!」

「ええ、ええ、分かっております」

「ほんとにー?」

冗談めかしてコーチョーを見やるアンリに、小さく笑って胸元から鎖の付いた何かを引っ張り出した。

「では、腕時計が直るまでこれを貸してあげましょう」

そう言って、アンリの手のひらの上に何かを落とす。「これも自動巻きですよ」と渡された懐中時計は古びた金色をしていて、新品には無い重みを感じてアンリは驚いた。

「腕時計が直るまでの間ですよ?」

「あ、ああ。ありがとうな、コーチョー!」

コーチョーは言いながら入れ違いにアンリから時計を受け取り、じっくりとそれを眺めるとやれやれと立ち上がり自室へと足を向けた。そうだ、とコーチョーは振り向いた。

「アンリ、そういえば今日は帰ってくるのが早かったですね。いつもご帰還は20時頃になるのに」

「ん? いっつもコーチョー、18時には帰って来いっていうじゃん。俺はヒンコーホーセーになったの」

「品行方正? もう19時ですが…。まあ、あまり無理をしてはいけませんよ」

「わーかってるって」

ひら…と手を振って、アンリも自分に与えられている小さな部屋へと戻った。扉を閉めて、恐る恐る手の中の懐中時計を見てみる。裏を返してみると、うっすらと文字が彫られてあった。

「ルーノ?」

少しだけ首を傾げたがアンリはその言葉をすぐに忘れて、「へへ」と笑って、宝物か何かのようにぎゅうっと懐中時計を握り締めた。