序章 旅の始まり

001.旅は道連れ、世は情け

魔法と剣の国、オリアーブ。

この国は多くの立派な騎士と、賢い魔法使いで支えられた平和で豊かな国だ。

今でこそ平和を謳歌しているオリアーブだが、1年ほど前、この国は危機に陥った。

グラネク山の山頂に住まう魔竜。この魔竜が、ふもとの村々に姿を現しては、炎を吐き、人々の生活を苦しめていたのだ。オリアーブ国王は信頼のおける1人の騎士に、この竜の退治を命じる。騎士は仲間たちと共に果敢に戦い、この竜を倒した。……だが、魔竜は最後の力を振り絞って、呪いの息を吐いたのだ。1人その気配に気付いた騎士は、魔竜の吐く呪いが麓に届くことを怖れ、その全てを受け止めた。その呪いを受けた騎士は、彼の相棒だった魔法剣と共に、塵となって消えたという。

命燃やした騎士は竜殺しの騎士と讃えられ、その命が惜しまれた。

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その日、ピウニー卿は拠点にしている小さな村の小さな酒場で、チーズと果実酒を嗜んでいた。小さな酒盃に入れた紫色の液体はふくよかな香りで、ピウニー卿は満足気だ。また、少し青いカビの生えたチーズは、癖があるが果実酒と共に口に含めば、さらに芳醇な味わいだった。

ピウニー卿は最後の一口を煽る。うむ。実に美味い。

「おおおおおおう! ちょっと、誰だ、このボトル開けたヤツ!これは、竜殺しの騎士様がキープしてた自慢の果実酒で……って、うおあああああ! 極上のアオカビチーズまで千切って、ちくしょう!誰だ、泥棒か!意地汚い食べ方しやがって!」

なにやら、酒場の奥から店主の騒がしい声が聞こえてきた。まったく、興のない事だ。ピウニー卿は、やれやれと立ち上がる。不意に、ピウニー卿の身体が翳った。

「おい。お前、その入れ物なんだ」

店主の声が、えらく近くに聞こえた。どうやらピウニー卿に向かって怒っているようだ。

「まさか、お前が開けたんじゃないだろうな……」

人聞きの悪い。

そもそも自分がキープしていた酒を開けて何が悪いというのだ。ピウニー卿が、ふんと鼻を鳴らすのと、店主が怒鳴るのは同時だった。

「このネズミ野郎がーーーーーーーーーーーーーーーーー!!おいっ、タマ!こいつを食っちまえ!」

「にゃーん」

ほほう、猫の分際で私を食らうと? 出来るならば、やってみよ! とう!

ピウニー卿は、隣の戸棚へと飛び移った。

店主の目には、ふもふもした薄い黄色がかった丸いネズミが戸棚に飛んだように見えた。

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「にゃにゃにゃにゃにゃにゃーーーーー!」

猫がピウニー卿を追って戸棚から戸棚へとジャンプする。置いてある酒やら、スパイス瓶やら、漬け物瓶やらが落ちないかと、店主はハラハラものだ。

「お、おい、タマ、待てそっちは危ない、ちょ、わーーーーーーーー!!」

「にゃーーーーー!!」

ネズミ、じゃない、ピウニー卿はとーんとーんと、器用にきゅうりの酢漬けの入った瓶から、食用酒の入った瓶に飛び移った。それを追いかける猫が1本目の瓶をするりとかわし、2本目の瓶の脇を通る。その瞬間、瓶の陰に隠れていたピウニー卿が、パプリカの暖簾をかきわけて猫の眼前に現れた。猫がぎょっとした顔で、ブレーキをかける。

スキあり!

「ふにゃーーー!」

ピウニー卿が、(針のような)剣を抜いた。間一髪で顔を背けた猫! だが、ピッ……と、セピア色の自慢の毛を掠めて、驚いた猫は足を踏み外しかける。

「にゃっ!」

しかし、かろうじて踏ん張った!

「ふしゃーーーーー!!」

そして猫も負けてはいない。シャキーンと爪を出して、ピウニー卿の身体を払う。おおっと! ピウニー卿は間一髪のところを一歩下がって直撃は免れたが、剣を下げていたベルトが運悪く猫の爪に引っかかってしまった。

「なぬっ!?」

「にゃにっ!? うにゃうにゃうにゃーーーーー!?」

前足に何か気味悪いものがひっかかった感覚に、猫はパニックに陥り、きゅうりの酢漬けと食用酒、それにパプリカ、吊るしているたまねぎ、各種調味料、食器、諸々巻き込んで戸棚から足を踏み外した。

「うおおおおおおお!! やめてええええええ、タマーーーーーーーー!!」

店主の悲痛な声と、ガシャーーーーンガラガラ、という(お約束の)食器やら、ガラスやらが粉砕される音が響く。

ゴン。カランカラン。

最後に金属で出来たボウルが落ちてきて、酒場は静寂を迎えた。

床には、酒と酢と調味料を頭から被って悲惨な状況になった猫と、その猫の前足に引っかかっているネズミが居た。

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「まったく、役に立たない猫め!……せっかく綺麗な毛並みだから置いてやっていたものを、ネズミ一匹捕まえられないなんて……。もう二度とうちの敷居を跨ぐなよ!」

店の裏口から放り出された猫とネズミは、ころころと裏路地を転がってぐったりした。店主の言った通り、元は綺麗だったのだろう、猫のセピア色の毛並みはどろどろで、しょんぼり耳が下がって無残なものだった。猫は、面白く無さそうに前足に引っかかったネズミを払うと、妙に人間くさい、長いため息をついた。

「もう、なんなのよ……。レディにネズミを捕まえようとさせるほうが間違ってるんだわ……。ああ。ほんっとに、どろっどろじゃない」

「いたた……。おい、猫、投げるな、粗雑に扱うな、もっと丁寧に……ん?」

「え?」

猫の綺麗なグリーンの瞳が、ピウニー卿をしげしげと眺めた。ピウニー卿の艶々したこげ茶色の瞳も、同じように猫をしげしげと眺めている。
そして、同時にこう言った。

「ネ、ネズミがしゃべってるーーー!?」

「猫がしゃべっておるだとーーーー!?」

「うるさい、近所迷惑だーーーーー!!」

酒場から、店主のイライラした怒鳴り声が聞こえた。

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街道をセピア色の毛並みの猫が歩いていた。その背の上では、薄い金色の毛並みのネズミが髭をゆらゆらと揺らしている。

「いい天気だな。サティ」

「そうね、ほんっとーにいい天気ね」

「機嫌が悪いな。人参を食べたくらいで怒らなくてもよかろう」

「別に怒ってないわよ」

「いや、怒っておる」

「怒ってない」

「最後まで人参を残しておるから嫌いだと思ったのだ」

「もう、ピウニーうるさい。怒ってないってば! それより、騎士のくせにレディの背中に乗って移動するのは何事なのよ!」

「歩くのが遅いから乗れと言ったのは、サティだろう」

ピウニー卿はすとんと降りて、サティの横を歩き始めた。背中から重みが無くなったサティは、ピウニー卿の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩く。

サティの機嫌が悪い原因は、昨日まで滞在していた村の宿屋の娘さんが出してくれた食事のことだ。人の気配のあるところに立ち寄った時は、サティがかわいい猫のおねだりポーズを使って、人間の食べ物をもらっている。それをピウニーと半分こして食べるのが常だ。(騎士であるピウニー卿は、このような形で女性に借りを作りたくはなく、大いに不本意だったのだが、今は非常時であり仕方がない……ということで、サティと協力して、このような体制になっているのである。)

昨日の食事には人参のグラッセが1つだけ入っていた。いつもなら、ピウニー卿に頼んで剣で割って食べるところだったが、「いらないのなら私が食べるぞ」と言って、ピウニー卿がひょいぱくと1人で食べてしまったのである。人参のグラッセ、甘くて好きなのに! 騎士のくせに!

ピウニー卿いわく、「騎士たるもの、出された食事は全て食べなければならぬ」というのが信条だそうだ。それを聞いたサティは、好きなものを最後に残しておくたちだと、大層憤慨した。

酒場を追い出されてから1ヶ月。ネズミのピウニー卿と猫のサティは、こうして2匹で旅をしていた。あの日酒場の路地裏で、お互い人語を解し、話すことのできる猫、そしてネズミとして認識しあった2匹は、互いの身の上を打ち明けたのである。

この2匹には、とある共通の事情があったのだ。

それはこういう話である。

あるところに魔法剣を使いこなす1人の騎士が居た。その騎士は、人々を苦しめているというグラネク山の魔竜を倒したという。そして魔竜が死の間際に、最後の力を振り絞って吐き出した呪いをその身に全て受け止めて、騎士は塵となって消え果てた。

「その話知ってる。竜殺しの騎士って人でしょう」

「ああ。だがな」

その物語には続きがあった。

実は、魔竜が最後に吐き出した呪いによって、誰にも気付かれることなく騎士はちいさなネズミへと姿を変えてしまったのである。ちなみに、騎士が手にしていた剣は、律儀にも、主と同じネズミサイズになったという。

「へー。で、それが貴方だと」

「へーって。おい、サティ。感想はそれだけか」

「うーん。あのね……」

そして、もう1つはこうだ。

あるところに古代魔法にも造詣の深い女魔法使いが居た。世俗とあまり関わりたがらない師匠に代わって、オリアーブの魔法師団や魔法研究所からの依頼を引き受けていたという。

あるとき、研究に身を捧げる余り暴走した魔法使いが、死霊術に手を出した。突如暴れ狂ったその死霊使いを、女魔法使いは力の限りの魔法で応戦した。だが、死霊使いが最後に放った呪いを全てその身に受け止めて、女魔法使いは塵となって消え果てた。

「ほほう……。王都には確かに魔法師団と魔法の研究所があるが、そのような出来事があったとは」

「魔法研究所は有名だけど、事件があったのは奥の方だし、あまり騒ぎにならなかったのかもね……。……それで」

その物語には続きがあった。

実は、死霊使いの呪いによって、誰にも気付かれることなく女魔法使いは小さな猫へと姿を変えてしまったのである。ちなみに、戦いの最中で杖は失くし、杖無しの猫の魔力ではあまり強い魔法は使えない。

「あー。それがお前さん、と」

「あー、って。ピウニー。感想はそれだけ?」

「うむ。……なんというか、その、似たような話だな」

「んー……まあ……、そうね」

そういうわけなので、2匹は同じ境遇として意気投合し、この魔法を解くことの出来そうな人物、サティの師匠であるということわりの賢者の元へと共に旅をすることになったのである。

旅は道連れ、世は情け。


ピウニー卿はキンクマハムスター、サティはシンガプーラをモデルにしております。