「サティ、機嫌は直ったか」
「だから、怒ってないってば」
「うむ」
「何よ」
「サティは機嫌が直ると、尻尾の動きがゆっくりになるな」
「もうほんとに、ピウうるさい」
「名前を略すな」
「騎士様なら、もうちょっと厳粛に出来ないの?」
「別に誰も聞いてないのに、構わんじゃないか」
「分かった分かった、ちょっと髭!髭揺らさないで、むずがゆい」
「む。勝手に揺れるんだ、仕方なかろう」
夜。街道から少しはなれた森の、木の下で2匹は休んでいた。周囲の様子が分かるほど、月の大きな晩だ。サティは丸くなって、その喉の毛皮にピウニー卿が埋まっている。大体、こういう感じで2匹、ではない、2人身を寄せ合って眠るのが常だった。
サティの毛皮は艶やかで絹のような触り心地だ。いつも河原を見ては水浴びをしているし、猫になっても使うことが出来たという、浄化の魔法で汚れひとつ無い綺麗な毛皮を保っている。ピウニー卿の毛皮もふわふわと柔らかで温かい。サティと比べると身体が小さいから、相手の毛皮を思い切り堪能出来るのは大体ピウニー卿で、それがサティには不満だった。
「おい、サティ、締めすぎだ。ちょっと緩め……」
「んー、いいじゃないちょっとくらいふかふかしても……」
「……しっ……サティ、静かに……」
常とは違うトーンになったピウニー卿の声に、サティも声を抑える。前足を少し緩めて、ピウニー卿を解放した。ピウニー卿は腰の剣を抜くと、前方に睨みをきかせる。とても凛々しい姿だが、ネズミである。サティは身体を起こして、自分の身の魔力を集中させた。杖が無ければ使うことの出来る魔法は限られるうえに、猫のサティの魔力はとても低く、初歩の初歩程度の魔法しか使うことは出来ない。だが、無いよりはマシだろう。
グルルル……。
茂みの向こうから聞こえる唸り声。
恐らく、野生の狼か。
「下がっていろ」
「え」
「安心しろ」
ピウニー卿がサティを庇うように一歩前に出て振り向いた。ゆっくりと、頷く。
「サティは、私が守る」
ピウニー卿のYの字の口元がちまちま動き、その可愛らしい動きに反して重々しい口調で言った。……それは、眼前の敵から必ず守るという、騎士の固い決意だった。小さな丸い耳がぴこぴこと忙しなく動いている。サティのグリーンの瞳が驚愕に広がって、何かを言いかけたその瞬間、茂みの奥から狼が飛び出した。
「ピウニー……!」
とう!
ピウニー卿が大きく跳躍した……!
キャイン……!
狼の吼え声が響く。ピウニー卿の剣が、狼の前足を薙いだのだ。体格差もあってピウニー卿の身体は狼の下を潜り抜ける。……だが、
低!
攻撃の位置低!
とう!……ってかっこよく跳躍したのに、最下段攻撃!
狼の横を前転してしゅたっと剣を構えたピウニー卿の身体を、サティは咥えて横に飛んだ。もちろん、剣が刺さらないように気を使うのも忘れない。サティは駆けた勢いを殺してターンすると、すぐに止まって眼前の狼を睨みつける。
ぽとりとピウニー卿の身体を落とすと、尻尾を大きく膨らませた。
「……くっ、不覚……っ!」
「ピウ、私も一応魔法使いの端くれなんだから、バカにしないで」
「バカになどしておらん」
「だったら1人で突っ込まずに、多少は頼りなさいよ」
「……」
前足を傷つけられて、気が昂ぶったのだろう。狼は鼻に皺を寄せ、さらに大きな唸り声でこちらを睨みつけている。ピウニー卿は、むうと唸って髭を撫でた。サティが猫でありながら魔法を使うことができるのはもちろん知っている。軽んじたわけではない。だが、ピウニー卿は騎士なのだ。自分以外の者を守る、それがピウニー卿の騎士としての矜持だった。サティにそんな風に言われるとは、思ってもみなかったのだ。
「……ああ、すまなかった」
「分かればいいのよ」
「サティ、魔法で気を引けるか」
「乗って」
サティが頭を下ろすと、心得たピウニー卿がそこに登る。
「限界まで近くに行って、魔法で私が気を引く」
「その隙に私が狼の身体に飛び移って、魔剣の魔力を狼に送り込む。気絶くらいはさせられるはずだ」
「了解。しっかり掴まってて」
サティが、たっ……と地面を蹴ったのと、狼が再び跳躍したのは同時だ。
<ニータ・ヴィ・ラニマーク!>
(雷撃の鞭!)
狼の牙がサティに届く前に、サティはもっとも小さな雷撃の呪文を唱えた。バチィ……!と小さな雷の音が狼の足元で響き、その衝撃に、狼がキャイン!と鳴いて、後ろに飛んで頭を低くする。さらにそれを追撃するようにサティが距離を詰めると、狼が顔を上げる瞬間にピウニー卿がその頭上に飛び移った。
喰らえ!
ピウニー卿が思い切り狼の眉間に剣を刺し、カッ……!とそこが光る。その瞬間、魔力が膨らむのを感じた。……これが、ピウニーの魔法剣……!?と、サティがハッとした瞬間。
キャウウウウウン……!
狼が思いっきり頭を振って、ピウニー卿を放り投げた。綺麗な放物線を描いて、ピウニー卿は木に激突し、ずるずると地面に落ちる。その末路を狼は確認しないまま、キャインキャイン……!と鳴きながら、いや、泣きながら、森の奥へと帰っていってしまった。
去った狼にほっとしたサティは、すぐにピウニー卿へと意識を戻す。
「ピウニー……!」
激しく木に叩きつけられたピウニー卿は、地面の上でぐったりとしていた。目を閉じ、かくりと落とされた前足は、剣を握ってはいなかった。サティの小さな胸に嫌な予感がよぎる。
「え……やだ……ピウ……ピウニー……!死んじゃったの?……お願い、目を開けて」
悲痛なサティの声にも、ピウニー卿は答えなかった。