それなり女と魔法使いのショコラ

002.変な顔? 私が?

そういうわけなので、自信作のつやつやショコラをお土産に持っていた結菜は、召喚された瞬間も、どことなく慎重にジーノの寝台に落ちた。

「うわ、うわ」

「ユイナ?」

紙袋がひっくり返らないようにバランスを保ちながら現れた結菜に、ジーノが眼鏡を直しながら近付く。

「何も変わりありませんでしたか?」

「ん」

チョコレートは無事だっただろうか、結菜が紙袋を覗いていると、ギシ……と寝台が少し傾いた。ジーノが寝台に片腕をつき、もう片方の手で眼鏡を外して、顔を上げた結菜の唇に唇を重ねる。少し触れて、幾度か唇を動かされて、かすかな音を立てて離れた。

離れていく瞬間の、裸眼のジーノの真剣な眼差しはいつ見ても胸がそわそわとしてしまう。鋼色の瞳が離れていく様子に見惚れていると、ジーノが眼鏡を掛け直した。

「ユイナ、それは?」

「あ。……うん。ジーノに」

「私に?」

寝台に腰を下ろしながら、ジーノが首をかしげる。結菜は頷いて、隣に座ったジーノに紙袋を開いて見せた。ジーノは紙袋の中身を覗き込み、視線で「受け取っても?」と結菜に問う。

結菜が頷くと、ジーノは紙袋の中から小さな紙箱を取り出した。綺麗な白い箱に桜色のリボンが掛けられている。紐を引くとそれはスルリと軽やかに解けた。

ジーノへのお土産であるのに、なぜか結菜の方がワクワクした風であるのをちらりと見て、白い箱に視線を戻す。紙の素材であるが、とても丁寧に作られている様子に感心しながら蓋を開けた。

そこにはつやつやとした黒に近い焦げ茶色の物体が、6つ並んでいる。

「これは……」

なぜかジーノが言葉を濁し、眉間にかすかに皺が寄った。無表情ではあるが、結菜の目にはどこか怪訝そうに見えて、「あれ?」と首をかしげる。

「苦手だったかな、チョコレート」

「チョコレー?」

「チョコレート」

「ふむ。これはチョコレーというのですか」

ジーノが、箱に鼻を近づけて、「ふむ」と頷く。そして、心配そうな不思議そうな表情の結菜の方を向いた。

「予想外です」

「え?」

「とても甘い香りがする」

それを聞いて今度は結菜がキョトンとした。甘い香りがするのは当たり前だ、チョコレートだし。予想外ってどういうことだろう。そう思っていると、ジーノが続ける。

「最初見たときは、ソル・フォルドかと思いましたが、違うのですね」

「フォルド?」

固形ソルフォルドです」

「そる、フォルドって……? チョコレートと似たものがあるの?」

「ありますが、ユイナは見たことがありませんでしたか」

結菜もこちらに何度か来て、リュチアーノの文化や暮らしに触れてはいる。しかし一週間に一度二日間だけ、それも、ジーノと過ごすために来ている結菜には、まだまだ知らないことの方が多い。

しかしチョコレートに似たものがあったならば、見たら絶対に覚えているはずだ。

「その、フォルドって、食べ物?」

「ふうむ……食べ物といえば食べ物ですが」

見てみますか? と言ってジーノが立ち上がった。ついでにお茶にしましょうと、結菜の持ってきたチョコレートを持って居間へと誘う。

深夜のお茶会というのはなかなか楽しいものだ。暗い居間に、ジーノがほのかな魔法の灯りを灯してお茶の準備をする。こちらにはほうじ茶によく似た香ばしい飲み物があって、淹れ方は結菜も教わっていた。マアムに教わった通りの茶葉を計り、湯を沸かしていると、ジーノが隣にやってきて戸棚から何かを取り出した。

それは小さな木箱で、結菜が覗き込むとジーノが蓋を開けて見せてくれた。

「あ! チョコレートみたい!」

中にはチョコレートとそっくりでつやつやの、黒に近い焦げ茶色の物体が幾つか並んでいる。しかし、想像される 甘い香りが全くしなかった。それどころか、なんだかおかしな香りがするような気がする。ジーノが一つ摘んで結菜に見せてくれたので、思わず受け取って匂いを嗅いでみた。

「うわあ!」

その香りに驚いて、結菜が目を丸くした。すぐそばにあったジーノの顔から、ふ、と吐息が溢れる。香りは想像していたものと全然違っていた。不愉快な匂いではないが、なんとなく香ばしい。

「これ、食べ物?」

「おそらく食べ物の部類に入ると思います。かじるなら少しだけにしてください」

「かじってもいいの?」

ジーノから許可をもらって、結菜はチョコレートもどきの端っこを少しだけかじってみた。

「うわあ!」

もう一度同じ悲鳴をあげる。それは鰹出汁と醤油を合わせてぎゅぎゅっと凝縮したような、濃い旨味がした。旨味と言っても美味しいわけではない。むしろ少し生臭く、かなり塩辛い。もちろん美味しくはなかった。見た目がチョコレートにそっくりなので、どうしても舌はチョコレートの味を求めてしまい、味わった途端にびっくりしてしまう。ただ、この味は知っていた。

「これって、もしかしてマアムさんがスープとかソースに使ってる?」

「ええ、よく分かりましたね」

つまり「固形フォルド」とは、スープの素なのだそうだ。市販されているものもあるが、大体は各家庭で作るもので、ジーノの家の食料棚に置いてあるものはマアムの手作りらしい。それにしても、本当にチョコレートにそっくりだ。材料がソースやスープに使われるものなら、もっと表面がパサパサしていたり色むらがあったりしてもよさそうだが、どこからどう見ても一流パティシエによって作られた、美しいチョコレートに見えた。

だが、実際にはおやつにかじるものではない固形スープだったとは。ジーノが怪訝そうな顔をしたのは、大事そうに抱えた贈り物が庶民的な固形スープだったからかと思ったら、結菜は少しおかしくなった。

「ジーノ、だから変な顔したのね」

「変な顔? 私が?」

「うん。チョコレート開けた時、これを私に贈り物?、みたいな顔、してた」

結菜がそういってクスクス笑っていると、しばらくの間じっと結菜を見つめていたジーノが指を持ち上げて頬を撫でた。

「ジーノ?」

結菜がジーノを見上げると、するりと腰に手が回る。

自分の表情が「変な顔」と評されたのは初めてだ。別段、表情を浮かべぬようにしているつもりはないが、自分のそれが極端に現れないことは知っている。だから、このように言われるのは新鮮で、……そして全く不愉快ではなかった。

ジーノの顔が結菜に重なる。コツンと眼鏡の縁が当たって、一度離れ、眼鏡を外して本格的に重ねる。ジーノの唇が結菜の唇をなぞり、自分の腰に引き付けるように回った両腕に力が込められた。腰がぶつかり手のひらが背中をさする。静かに見えてやや強引なジーノの行動が結菜は好きで、応えるように思わず背中に手を回そうとした。そのとき。

自分の手に先ほどの固形スープ……固形フォルドを持っていたことに気がついた。

「って、待って!」

「ユイナ?」

「ちょっとまって、ストップ!」

「すとっぷですか」

「私いまこれかじった!」

「知っています」

あっさりと頷きながら、なお腰を引き寄せてくるジーノの腕から逃れる。このフォルドとやら、出汁を凝縮しているからなのか、かなり濃厚な鰹出汁の味がするのだ。つまりキスするには香りが気になった。甘いチョコレートを食べた後ならまだいいが、鰹節の香りはつらすぎる。

「続きはチョコレート食べてお茶飲んでお風呂入って歯を磨いてからにする」

「先は長いですね」

ジーノが長い溜息を吐いたのがまたおかしくて、結菜は小さく笑った。