付録

ある魔王様の元旦

肌寒い空気に葉月が肩を少し強張らせた。

隣に並んだ八尾は、そっと震えた葉月の肩を抱き寄せた。新年だからと付けている香りはいつもと少し違っていて、どこか慎ましい。思わずその首筋に鼻を突っ込み深呼吸したくなるが、その衝動をぐっと抑える。

しかしその衝動が少し溢れて、ふんふんと葉月のこめかみ辺りに唇を寄せた時、にっこりと笑った葉月が振り向いた。慌てた八尾は鼻の下を伸ばす代わりに背筋を伸ばし、常の冷静沈着な表情で「どうした?」と眼鏡を直す。

「人、多いですね」

「あ、ああ。こっちへおいで葉月、はぐれないように」

日付が変わってすぐにやってきたまだ暗いうちの初詣は、こんな時間だというのに人が多い。しかし、葉月はそんな人ごみもどこか楽しげに見渡している。

今日は人間の世界でいうところの「元日ガンジツ」である。1年365日の内、最初の1日目だ。

なんでも人間というのはこの「ガンジツ」の前日に、そばを食べながら赤と白に分かれた対抗戦で歌を歌うというイベントに夢中になり、それが明けると「初詣」に行き、道々甘いものやソース味のものを楽しみながら歩き、神前もしくは仏前で祈ってから「オミクジ」というもので運試しを行い、おせちという祝い事の料理を食べ、その上、餅を入れた汁を食べるのだという。食べ過ぎではないか?

もちろん八尾と葉月の新婚夫婦もご多分に漏れず、つい先ほどまでそばを食べながら歌番組を見ていた。ちなみにそばは、魔界の料理長ニシュロクによる手打ちである。天ぷらは葉月が揚げて、相当な美味だった。あれほど美味いものは無いだろう。そんな葉月は、「お蕎麦すっごい長い……」と首を傾げていたようだ。

そうしてこの「初詣」である。前々から2人して一緒に着物を着て出かけようということにしていた。なんでも葉月は簡単にであれば着物を着せられるらしく、この日のために用意して、八尾も同じく着物である。

それにしてもこの「葉月に着物を着付けてもらう」という作業に生まれる邂逅ランデヴーは、今までに無い高揚感があった。厳かな緊張感の中にある、奇妙な色っぽさというかなんというか。いかにも直接的な欲望が主たる八尾にも、この独特の色めかしさは理解できた。特に紐を結ばれる時に腰に回される手と、一瞬、きゅ……と近付いてすぐに離れる距離感には変に胸が踊る。

それに加えて葉月自身、着物の似合うことと言ったら……。

八尾は愛する妻の着物姿にうっとりと瞳を細めた。この「キモノ」という衣装は日本独特のもので、露出している部分は少ないのに妙に色っぽい。髪を上げていてちらりと見えるうなじ、腕を少しあげたときに覗く白い腕はすぐにでも舐めたくなる。

しかし正直、着物姿の葉月は誰にも見せたくなかった。心なしか男共が常よりも葉月を見ているような気がする。男共はみな野獣だ、けだものだ。八尾はぴったりと葉月に身体を寄り添わせ、腰を抱き寄せた。

やしろに近付くにつれて、人ごみがひどくなってくる。

八尾は葉月の見ていないところで辺りを威嚇しながら、野獣おとこどもを警戒しているが、それでも人の波は防げない。

「あ、ごめんなさい」

「いいや、大丈夫か? もっとこっちに」

むぎゅん、と柔らかいものが八尾の胸板に当たった。これは葉月の胸なのか、それとも着物の厚みなのか。揉んで確かめたい欲を抑えて葉月を支え、なんとか参詣を終わらせる。オミクジとやらも引いて、葉月はスエキチ、八尾はダイキチだった。葉月には「すごい、大吉!」などと喜ばれたので悪い気はしない。いいことがあるのだそうだ。期待したい。

闇を統べる魔王にとって神に祈るなどという行為は馬鹿げているが、参道には物珍しい屋台も出ていて楽しげな雰囲気だ。参道に戻ると、周囲に漂ういい匂いが気になった。

「葉月、何か食べたいものはあるか?」

「私、綿菓子が好きなんです」

「綿菓子?」

そう言って、葉月はキャラクターものの袋に入った綿菓子を指差した。葉月は赤いほっぺたの黒いクマがこちらを威嚇している絵柄の袋を選んで嬉しそうだ。葉月が嬉しいならば八尾も嬉しいので思わず指で頬をこちょこちょと撫でると、照れたように首を傾げる。

「高司さんは? 何か欲しいものありませんか?」

「俺は…そうだな…」

どれどれと周囲を見ていると、なにやらホットケーキを焼いたような香りが気になった。

「葉月あれは?」

「あ。ベビーカステラ」

「カステラ、焼いているのか?」

「そう、焼きたては美味しいですよ」

「じゃあ、それにしよう」

仲良くベビーカステラも買って、楽しく歩き始める。途中で芹沢や山下に会って邪魔されてしまったが、ここは広い心で許すことにした。焼きたてのベビーカステラをつまんで葉月に差し出すと、手で取ると思っていたのが、そのまま口でぱくりと取っていった。

「おいしい、まだあったかいです」

自分を見上げてほんのり笑う仕草……「ん、そうか」と短く頷いたが、鼻息が荒くなってしまった。悶々としていると、八尾の着物の袖をくい…と葉月が引っ張る。

「高司さん」

「ん?」

「はい、これも」

いつのまにか綿菓子の袋を開けていた葉月が、ふわふわとした綿菓子をちぎって八尾に差し出した。八尾はそれを指ごと舐める。ぎょっとした葉月が抗議する前に意地悪く笑って、だって指先に飴がついてしまっていたから…と言って黙らせた。

「甘いな」

葉月の指が。そう言ったつもりだったが、愛しい葉月は当然別の意味に解釈した。

「……お砂糖ですから、元は……」

指を舐めた羞恥がいまだに残る顔で俯いて、照れたように話す葉月が可愛い。

せっかく着た着物ももったいないし、もう少し屋台を楽しもうと思えばそれも出来るが……。

「葉月、カステラが冷めないうちに帰ろう」

そう言って慌しく妻を抱き寄せて、八尾は参道から早々に抜け出した。早く帰りたくてしかたがなかった。よく考えたら、着物の葉月をいいように出来る年に数回のチャンスなのだ。何をこんなところでぼさっとしているんだ。

****

そんな訳で色々と切羽詰まっており、呑気に出店の端まで歩くなどという真似は出来なかった。裏道でぎゅっと葉月を抱き寄せると、闇色に包まれて、次の瞬間には2人の住んでいるマンションへと戻ってくる。

「ちょっと! もう、高司さん。人ごみであんなことしたら、誰に見られているか……」

「誰も見ていないし、見ていたとしても夢だと思うだろう。それよりも、葉月……」

怒った顔の葉月もまた可愛くて、着物の姿でそんな顔されても襲いたくなるだけだ。ちょうど姿を現したのが寝台の横だったのは、もちろん八尾の計算通りである。葉月が羽織っていた着物用のコートに手を掛けると、特に抵抗は無くストンと素直に落ちる。八尾はコートを始末しようとしている葉月の背中に腕をまわし、帯の下の腰のまるみを撫でて、ぐ……と強く引き寄せた。

「葉月」

そうして口づけを強請る。鼻と鼻を触れ合わせるように互いの距離を駆け引きすると、ふわんとしたものが触れた。

綿菓子だった。

「葉月!!」

ぱくりと綿菓子を口に入れると、その向こう側に少しむっとした葉月の顔が見える。

「ダメです。高司さん。……帰って来たばかりでしょう? 折角の着物なんですから……」

「折角の着物だからじゃないか!」

「何がですか」

「な……何がって……!」

何がって、ナニに決まっているだろう。

腕から逃れようとする葉月を逃すまいと、綿菓子で甘くなった唇で葉月の唇に触れる。ぎゅ……と抱き締めて葉月の動きを封じて、今度こそ葉月の唇を味わった。

「ん……」

唇の隙間を舌でなぞると、腕の中で身体がぴくりと動く。軽く角度を変えると、葉月が八尾の腕をつかんで唇を開いた。すかさずぬるりと潜り込み、すぐに葉月の舌を探り当てる。擦り合わせ、裏も表も味わうと、徐々に葉月の力が抜けていく。

「く、……葉月」

葉月の足の間に八尾の片方の足を入れると、着物の裾が開けてバランスを崩す。背中を支えながら、もつれあうように寝台に倒れた。葉月の両手を掴んで押し付けると、困ったような葉月の顔が視界に入る。その表情を見て急いた気持ちが少し収まるが、欲望は収まらない。

着物の襟を掴んで両側に開くと、内側でいくつかの紐が緩んで鎖骨から胸元辺りが露になる。帯が邪魔で身体が少し反れているが、むしろ身体を差し出されているようにも見えて、たまらない。

白い肌に顔を埋め、きつく吸い付く。顔を上げると赤い痕が付いていて、なんともいえない満足感を得る。二カ所、三カ所と付ける箇所を増やしていき、片方の襟を強引に引いた。

「や……!」

ひやりと葉月の敏感な肌が冷えたが、途端に温い粘膜で覆われる。ほんの僅かに露になった色づいた胸の頂きを、八尾が口に含んだのだ。それだけではもちろん飽き足らず、口の中で舌を動かし、ぷくりと膨れたそれを飴でも弾くように舐める。

そわそわとした疼きが葉月の下腹に響き、それを追い詰めるように、互いの身体とは雰囲気の全く異なる八尾の生々しい硬さが押し付けられる。

「だ、め、高司さん、着物、よごれちゃ、う」

「大丈夫だ」

「なに、が」

「汚れてもあとでなんとかする」

「それ大丈夫って言わな、……んっ」

胸から唇を離し、身体を起こすと葉月の着物の裾を割った。バサリと広げると白い太ももがそこにあって、奥は見えない。そんな奥ゆかしさが堪らず、その見えない奥を暴きたくて手を入れて指で探る。そこにレースの感触を確認し、八尾はわずかに眉を寄せた。

着物の時は下着を着ていないものだとシャイターンに聞いていたのに、着ているではないか! ……八尾は葉月に大人げなく抗議しようとしたのだが、すりすりとしつこく撫でまわして気が付いた。

これは。

「葉月、……こんな下着、持っていたのか」

「……ん、だって、あ、着物用は、持ってなく、て」

葉月の着けている下着は、いつもよりも圧倒的に後ろ側の布が少ない。すなわち、中に指を挿れるのに容易く、お尻の丸みを全て堪能できる形になっていたのだ。

こんな下着で外を歩いていると分かっていたら、もっと何かしらいろいろ想像できたのに、出かける前に確認しておけばよかった。……だが、もう大丈夫だ。こうした下着の存在を知ったからには、今後有効活用できるだろう。

「葉月、後ろを向いて」

「……あ」

下着ごしに葉月の足の間を擦りながら、ゆっくりと身体の向きを変えさせる。背中に作られている帯結びを強引に崩して身体を近付けると、先ほど少し緩くなった襟元に後ろから手を差し入れ、たぷたぷと胸の膨らみを愉しんだ。

やはり後ろからというのも好い。

何より今日は髪をアップにしているからうなじがよく見える。片方の胸の頂を指でつつきながら、もう片方の手は開いた裾から秘部を探す。繊細な下着の中に指を挿れるのは簡単で、とろりと溢れた様子はすぐに確認できた。

うなじのくぼみに舌を這わせる。

「……ん、」

もう葉月の身体は抵抗できなくなっていて、内側から響く愉悦を堪えるように細い指がシーツをぎゅっと握りしめている。

がさり、がさりと衣擦れの音が聞こえて、葉月の下半身がいよいよ全て空気に触れる。八尾も着物を開き下着を下ろしたようで、大胆に葉月の着物の裾をたくし上げた。着物のひやりとした感触が太ももをくすぐって両脇に離れ、硬く熱いものが押し付けられる。

葉月の下着を少し下ろすと、すぐに中に押し込まれた。

「は……」

「……あ、たかし、さん」

ぬちゃりと音がして、奥まで入るのは簡単だった。激しく抜き差しはせずに、奥をくすぐるように腰を押し付ける。葉月の呼吸が色づいて、2人の肌と肌の間が熱く湿っていく。

「あ、……ん!」

ぐ、と角度を変えると、小刻みに膣内おくが収縮する。知った反応であるのに新鮮な心地よさがあって、葉月を求める貪欲な己は収まる事を知らなかった。

「葉月……く、う」

八尾は葉月の両腕を掴むと、大きく引き抜き、一気に奥を突いた。何度もその動きを繰り返し、着乱れた着物と揺れるうなじを見ていると、葉月の何もかもを手に入れたような気がして雄の支配欲が満たされる。

「葉月、は、……づき、俺の」

「……っ、や……ああ……あ!」

八尾は葉月の掴んでいた両腕を解放すると、すがるように腰を抱き締めた。いっそう密着した互いの身体を、ぴたりと重ね合わせたまま激しく揺らす。

いくらも経たないうちに達してしまった葉月の奥が纏わり付いて、八尾の熱をその粘膜できつく包み込んだ。誘われるままに精を吐いて、達して揺らぐ葉月の腰を捕まえる。

びくびくと震える葉月の反応を最後まで堪能していると、再び八尾の猛りが力を帯びる。

闇の魔王が着物の妃を抱いて、1度や2度で終わるはずがないのだった。

****

「葉月、もうちょっとこっちへ来て」

「もうダメです」

「葉月が腕にいないと眠れない……」

しゅーん……とした声が、葉月の後ろから聞こえてくる。寝台のすみっこに転がった葉月を、反省した魔王が呼んでいるのだ。

着物を着た妃との交わりに魔王ルチーフェロは大変興奮したらしく、いつも激しい情交はより激しいものになった。激しいというよりしつこく、しつこいというより粘着力がある。

すっかり夜が明けて窓の外は明るくなって、ようやく離してくれたころには折角の着物はめちゃくちゃだ。紐や留め具で重い布が引っかかっているだけという状態になっていた。今は2人お風呂に入って身体を洗い流し、さっぱりと温まった身体で寝台に潜り込んだところで、結局着物の後片付けは後回しにしてしまった。

こういう風に我を忘れて貪ったあとは、必ず葉月にこうして怒られる羽目になる。だが、怒られても止められないし、どんなに怒っても葉月は魔王の貪欲さを受け入れてくれるから、どうしても甘えてしまうのだ。

「葉月」

「知りません」

「葉月、……こっちを向いて。折角のお正月なのに」

「……もう」

しょんぼりとした魔王の声に、葉月が諦めたような優しいため息を吐いて振り向く。途端に、ぱ……と瞳の端が紅く煌めいて、ルチーフェロの腕が伸びた。転がるように葉月に抱きつくと、その背中に腕を回して閉じ込める。

ふわりと柔らかな葉月の身体は、闇の魔力の頂点に立つ魔王の欲望を満たし、心を満たす。

「高司さん?」

「ん?」

少し怒って、そして許してくれる瞬間の、葉月の困ったような優しい声色がルチーフェロは好きだった。そんな風に魔王が愛する柔らかな声で、葉月がうっとりと言ってくれる。

「あけまして、おめでとうございます。……また1年よろしくお願いしますね」

「葉月、……当たり前だ。1年と言わず、ずっとずっと、これから先も」

こうして、一緒に抱き合っていよう。

魔王と妃が過ごす初めての元日はこうして昼まで寝過ごすことになってしまったが、そんな始まりもまた、幸せな1年を予感させるのだった。