恋する悪魔と召喚主

003.倒錯的

「で、なんなんだよ」

「あの女子生徒だが」

「ああ?」

魔術学校の学食で、窓際のテーブルに陣取って、アシュマールとネルウァは座っていた。ネルウァはアイスティーをすすりながら、出来るだけアシュマールの視線から外れ、それでも、その瞳の動きを見失わないようにチラチラと伺っている。

正面から目を合わせたり、アシュマールが発する魔力を探ろうとすると本能的な恐怖を感じるが、それをしなければ話せないほどではない。ネルウァは持ち前の図太さを発揮して、なんとか常日頃の軽薄な態度を取り戻そうと努力した。アシュマールは特にネルウァのそんな態度を気にせずに、腕を組む。

「先ほど、君と話していた女子生徒や、……他の女子生徒などにも多く見られる感情の機微を……なんというか君は知っているか」

「……はぁ?」

「先ほどの女子生徒は、君に何かしらの感情を抱いていた。ああ、最後はなぜか俺にその気持ちを向けていたようだが。……俺をしょっちゅう呼びつける女子生徒にも共通している」

ネルウァの口がポカンと空いた。

「……アグリア……質問の意味がよく分からねえんだが……」

アシュマールの顔が一気に不機嫌そうな顔になった。その表情に、ネルウァはぎくりと背筋を強張らせる。手をぶんぶんと振った。

「あああああ、すまん、すみませんすみません、……えっと、どの女子生徒だって……?」

「俺を呼びつけては、付き合おうとか好きだとか言ってくる女子生徒と、……先ほどセルギアが連れていた女子生徒だ」

「……アグリア、お前……それ新手の嫌味か……何か?」

「何がだ」

アシュマールのその説明で分かった自分が凄い。褒めたい。小一時間褒めたい。いや、むしろ自分に聞いたアシュマールがすごいというべきか。……あの会話だけで、ネルウァはアシュマールの求めている答えが分かった。さすが俺。

つまり、アシュマールに告白してくる女と、自分が付き合っていたさっきの女……それらに共通する感情。それは……。

「それは恋。……だな」

「恋……?」

「そう。恋。間違いないね」

……恋。

あの甘くて苦く愛しく苦しい……、人の子から零れる感情を「恋」という……と。なるほど。それでは、

「ならば、恋をさせるにはどうすれば?」

「……恋をする、じゃなくて、させる?」

「そうだ」

「誰にだよ」

「決まっている」

しゃあしゃあと言ってのけるアシュマールの顔を見て、ネルウァの脳裏に浮かんだのは1人の女子生徒だ。ネルウァはその女子生徒を思わず哀れんだ。いや、ってかあいつら付き合ってなかったのかよ。……で、アシュマールが口説く……と。

「マジかよ、想像できねぇ……」

「何が、かな?」

「いや……」

この男の場合、「口説く」……じゃないだろう。「狩る」とか「殺る」とかの方がしっくりくる。そもそも「恋」という言葉が、こんなに似合わない男は居ないぞ……?

そう言いたかったが、ネルウァは口を閉ざした。命は大事にしなければ。

****

「……ウィーネ・シエナ……君は、アシュマール・アグリアとはなんとも無いと聞いた」

「はあ」

まあ、なんとも無くはないが、何かあると思われるのも腹立たしい関係ではある。ウィーネは曖昧に頷いた。

ウィーネの眼前に居るのは、ヴェスハ・シアヌス……とかなんとかいう男子生徒だ。アシュマやネルウァには無い、煌びやかな印象の一般的にモテそうな男子生徒だ。ブレザーに留めてある学生印章を見ると、ウィーネよりもひとつ上の学年のようだった。

もう今日の分の授業の予定は無かったので、アシュマと書庫で別れてから購買でふらふら雑貨を見ていたら捕まったのだ。「ちょっといいかな?」とかなんとか言われたので、やはり曖昧な返事を返すと、講堂の裏に連れて行かれた。しかし、放課後に講堂の裏とか……なんだろうか、この雰囲気は。

「ウィーネ……僕と、付き合ってくれないか」

告白キタよ……。

ウィーネはハァ……とため息をついた。アシュマに付きまとわれるようになってから、数度、この手の告白があった。今まではほとんど無かったというのに、何故なんだ。しかも、よく知っている人ならまだ分かるが、何故会ったこともまともに見たことすらない先輩に告白されねばならんのか。

「シアヌス先輩。……私は先輩とお会いしたのは今日が初めてですし、お話したこともありませんが」

「分かっている。だが、君は今正式な相手がいないのだろう?……それならば……」

「すみませんが、お付き合いはできません」

「なぜ?……やはりアグリアのことが?」

「いや、アシュ……じゃない、アグリア君は関係ありません。私は初見の方とお付き合いできるほど器用ではありませんし、今は男性とお付き合いするよりも勉強のことを考えたいのです」

「……」

きっぱりと断られ、ヴェスハはがっくりと肩を落とした。自惚れるわけではないが、恋人がいない女子生徒に告白して断られたことは今までに無い。

それに、そもそも学生生活の告白の儀において、「話したことが無い」という理由で断られると話が進まない。大概が「じゃあお友達から」で始まるのが通説だったはずだ。ヴェスハは信じられなかった。

ウィーネ・シエナは真面目で堅物、品行方正で近寄りがたい雰囲気の女子生徒だ。……いや、正確には「だった」悪く言えば真面目女、よく言えば慎ましやか。

時折、ネルウァ・セルギアのような校内でも有名なチャラ男と話しているのを見かけるが、ああいう生徒が真面目な女子生徒をからかうのはよくある話で、それでウィーネの品性が下がる……などということはない。

華やかで明るい女子生徒がモテる一方で、ウィーネのその真面目さ……慎ましやかさに惹かれる男子生徒も居たが、そもそもウィーネ自身に色めいた雰囲気が無く、誰もなんとなく「ウィーネ・シエナには手は出さない」という暗黙の協定が出来上がっていた。

だが、最近は……いや、夏休み明けにアシュマール・アグリアという男が転校してきて、その男がウィーネを構うようになってから状況は変わった。誰もが深く関わろうとしなかった、真面目なだけが取り柄のウィーネに「男」が出来た。すなわち「抜け駆け」だ。

……だが、本人に聞いても2人は付き合っては居ない……という。これはどちらに聞いても一貫していた。休み時間に手を握られたり腰を抱き寄せられたりしているが、それでも……? ということは、アグリアの一方的な恋慕ということになる。それならば……と、破られた均衡の上に焦って告白をしてくる男子生徒が増えたというわけなのだ。

それに。

ヴェスハは目の前のウィーネをまじまじと見つめた。

綺麗に梳かれた黒い髪。白い肌。ふっくらとした唇。豊かではないが長い睫。伏目がちの黒い瞳。……その黒い瞳は今、不思議そうに自分を見ている。今までずっと、真面目で難攻不落なところが魅力だったのに、どこか妙に色っぽく見えるのは気のせいだろうか。

ウィーネ自身は気付いていなかったが、アシュマに激しく身体を求められるようになって、ウィーネは男を知った女の、……「少女」という「女」特有の……細やかで危うい色気をちらつかせるようになった。まして、今は、先ほどアシュマと書庫で抱き合ったばかりである。

ヴェスハは学生。盛りのついた若者らしく、その匂いを嗅ぎ取った。断られた腹立たしさも手伝って、ヴェスハはウィーネの肩をがしっと掴む。

「ウィーネ・シエナ……、どうしてもダメだろうか?」

「え、ちょ、シアヌス先輩?」

「アグリアならよくて僕がダメということはないだろう」

「いや、アグリアにいつ私がよしって言ったと……」

「だがまんざらでもなさそうじゃないか」

「あれは……」

あの悪魔の押し売り商法だと言っても納得してもらえそうにない。

「ならばはっきりとアグリアが好きだといえばいいのに、……好きでもない男に触れられて平気なくせに、勉強のことを考えたい……というのは説得力がない。それとも……」

ヴェスハの声が低く、物騒なものになった。腰を押し付けるように近寄られ、熱く潤んだ瞳が近づいてくる。

「それとも男なら誰でもい……」

「何をしている」

ぞっとするような低い、……まるで闇の界から這い出てきた悪魔のような声がヴェスハの耳に響いた。あまりの恐怖と存在感にヴェスハは一瞬で萎え、声のする方向に振り向くことすら出来ない。

ウィーネの横から魔術学校の男子制服を着用した腕が伸びてきて、その腕がウィーネの肩をさらった。見たくは無いが注視せずには居られない……恐る恐る視線を向けると、その恐怖感の源らしき人物が立っている。

浅黒い肌に赤い髪の男だ。

その男はウィーネの肩を抱き寄せるように立っており、無表情でヴェスハを見つめている。別段相手は殺気を放出しているわけではない。武器も構えてはいない。ただ立っているだけ。それなのにヴェスハは命の危険すら感じた。

「あ……」

「アシュマ……じゃない、アグリア君。あの、先輩は何もしてないわ」

奇妙で絶対的な恐怖感は、ウィーネの声で霧散する。ウィーネを見下ろした男は、無表情と思っていた瞳を一瞬不機嫌そうに歪ませて、ふん……と鼻を鳴らした。

「知っている。だが気に食わない」

「ま、待て……。僕は何も……」

「男からもその香りか」

「香り?」

いつも表情を動かさないか、邪悪な笑いを浮かべることしかしないアシュマが、こんなに不機嫌なのはウィーネは見たことが無い。それに「香り」というのは何のことだ。アシュマが放っている魔力の方が常人には怖い。そう思いながら、ウィーネはアシュマの手を押さえた。

「あの……そういうことですので、私は先輩とはお付き合いできません」

「付き合う……?」

アシュマの瞳が明確な意思を持ってヴェスハを見た。その視線を受けて哀れなヴェスハは声を張り上げる。

「待て、アグリア、僕は本当に何も……、ウィーネ・シエナ! この話は無かったことにしてくれ……!」

じわじわと後退し、腰を抜かしそうになりながら、ヴェスハはウィーネの前から走り去ってしまった。
走り去ったヴェスハを見送りながら、ウィーネはアシュマを見上げる。

「……ありがとう、助かったわ」

「何が?」

アシュマがウィーネを見下ろす。……しまった。「助かった」などと言ったのは不味かったか。また糧を要求されるだろう。ウィーネは慌ててアシュマの腕から逃れようとしたが、それは叶わなかった。

「ちょっとアシュマ……離し……」

「離して」と命じるのを躊躇っていると、アシュマが首をかしげたまま不思議そうに自分を見ている。常とは少し様子の違う自分の使い魔に、ウィーネも首をかしげた。

「アシュマ?」

「ウィーネ、今の男も、」

「何?」

「恋か?」

「……何ですと?」

この悪魔から「恋」などという言葉が出ると、どえらい破壊力だ。

「ちょっと意味が分かんない」

「あの男はお前に恋をしていたのか?」

「いや、知らないし!」

学生特有の告白の儀が行われた……ということは、一般的にそういうものなのだろうが、ウィーネにその自覚は無い。というか、「恋をしている」ならまだしも「恋をされている」という自覚ってどういうものなの?

「まあいい」

何がだ。

「ウィーネ……お前は恋はしないのか?」

「……は?」

「お前は恋はしないのか、と聞いている」

「また訳の分からないことを言い出した……」

何を言ってるんだこの悪魔は。盛大にドン引いたウィーネだったが、いまだにアシュマの腕の中にいることに気付いて身をよじった。何故かその腕の拘束が、強くなる。

「ふむ……」

いつの間にかウィーネを抱きすくめている格好になっているアシュマが、ウィーネの首筋に唇を近づけてきた。熱い息がかけられただけでゾクゾクと疼くウィーネは、慌てて腕から逃れようと暴れるがピクリとも動けない。

アシュマはウィーネの身体を講堂の壁に押し付けた。赤みがかった茶色い瞳で、ウィーネの黒い瞳をじっと見据える。

「ウィーネ……」

魔の声ではなく人の声だ。

優しく響く中低音の声は、正面の唇から紡がれているはずなのに直接耳に注がれているようで背が震える。なんだこれは。なんという演技をしやがるのか。人の機微に疎い悪魔のくせしてからに……! そう思って警戒していると、アシュマの指が壊れ物を扱うかのようにそっとウィーネの頬に触れた。ガラスに口付けるようにふわりと耳元に唇を寄せる。

「俺と付き合ってくれないか……?」

ウィーネの心臓が跳ね上がった。

その瞬間。

ニヤリとアシュマが笑った。

不覚……っ!

ウィーネが自分の鼓動に気付いた瞬間、先ほどまで耳元を優しく口付けていた唇が、べろんとウィーネを味わい首筋をしゃぶる。思った通りの心地よい甘さと苦さ。それにウィーネ自身の戸惑いに加えて、ほんの僅かに混じった期待……それらの全てがアシュマに向けられていて……堪らない。アシュマの身の内に欲望が滾り始める。

「うなっ」

その感触にウィーネから妙な声が出た。首筋から唇を離すと、アシュマが邪悪な笑い声を喉の奥から響かせる。

「今のがそうだ、ウィーネ」

「なななな何が?」

「恋だ」

「どこがっ」

「今のが」

「だから何がっ」

「だからこ……」

「それは聞いたというのに! っていうか、違うし! 変なこと言わないでよ……ふおぉっ」

アシュマがウィーネを静かに抱き寄せる。再び耳元に唇が寄せられた。

「……俺にはお前だけだウィーネ……」

「な……」

今度は切なげな声がアシュマから零れ、ウィーネの頬に唇が触れる。再びウィーネの鼓動が速くなる。それに呼応するように、今度は立ったままアシュマの手がウィーネのスカートの中に侵入してきた。急いたように指が動き、下着にかかった。いよいよ腕の中でウィーネが暴れるが、暴れれば暴れるほど余計にそれがアシュマを誘う。

「分かったか? 今のが……」

「あああああアシュマ!」

「何だ」

「どこで覚えたのよそんな台詞……っ」

「そんなことはどうでもよかろう。それよりこれだけではとても足りぬ……。ウィーネ……足を開け」

「人の話聞きなさいよ!……ちょっと……!」

「ウィーネ……ああ……想像以上だ……」

アシュマの声が急いている。興奮している証拠だ。

不味い。
これは不味い。
なんという倒錯的な罠だろう。
自分を求めるアシュマの声が甘く聞こえて、鼓動が収まらない。
なんでこんな悪魔にほだされてるんだウィーネしっかりし……

バサッ……

アシュマの背から魔力で象られた仮初の羽が生え、節から折れてウィーネの手を持ち上げて掴む。

「ちょっと、アシュ……待ってここで……」

「ウィーネ……」

アシュマの腕がウィーネの片方の足を持ち上げた。アシュマの瞳は既に赤く、頭からは角が伸びている。唇がウィーネの仰け反る首筋に寄せられ、蛇のようにそこを人外の舌が這い始めた。まだ人型を保っているものの、それを外して異形の身体で……本性の姿でウィーネを貪ることを望んでいるのだ。

首筋を這い回る舌の動きに徐々にウィーネの足が立たなくなってくる。瞳の奥が解けるように熱くなり、口を開くと荒い息ばかりが零れ落ちる。

このままだとここで襲われる。理性が崩れる前に、命じなければ。

「ぅ……ぁ……、アシュ、マ……」

「ウィーネ、我を……」

「……アーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアス。私の部屋に戻って……」

アシュマの手の動きがぴたりと止まって、ウィーネの背を抱き寄せる。

「望みのままに、我が召喚主」

次の瞬間にはもう、魔術学校の学生寮、ウィーネの部屋に2人は居た。