あまい悪魔と召喚主

魔法の媚薬!

「よう、ウィーネ。お前さ、どーすんのさ」

「何がかしら、セルギア君」

冬の一番寒い時期。これから暖かくなる前の、ぐっと一気に温度が下がるこの時期。ウィーネ・シエナの通う魔術学校は、とあるイベントで一気に浮き足立つ。暖かな春に向けて、いろんな意味で人肌が恋しくなる季節である。こうしたイベントを持ってくるのは、お菓子屋の陰謀だとか経済大臣の策略だとかいろいろ言われてはいるが、お楽しみのきっかけはいつでも大歓迎の若者達には、そんなことは関係ない。楽しむことが出来ればそれでよいのだ。

ウィーネ・シエナは、腐れ縁の同級生ネルウァ・セルギアにへらへらと話しかけられて、丁重な口調で返しながらも不機嫌そうに顔をしかめる。そんな表情のウィーネを見て、相変わらず軽薄な顔つきでネルウァは自分の眉間を指差した。

「おおう、眉間に皺ですよ。しーわっ。ウィーネさん、し……」

「ウィーネ」

ネルウァの会話も、ウィーネの背後に現れた大きな人影とその声によって凍りついた。その人影を見上げて、すぐ目を逸らし、もう一度ちらりと見遣ってネルウァは笑みを強張らせる。

「よ、よう、アグリア」

「ああ」

ウィーネの髪を後ろから繊細に撫でていたその人影は、呼ばれて初めてネルウァの存在に気付いた……とでも言うように、というか、実際呼ばれて初めて気付いたのだが、ちらりと一瞥したのみで再びウィーネの黒髪を愛で始める。アシュマール・アグリア……という、ウィーネとネルウァの同級生だ。

ウィーネは、はあ……と溜息をついて、髪を撫でるがっしりした腕を後ろ手に掴みそれを止めさせる。腕を掴んだまま、その人影を振り向くように見上げて、にっこりと笑った。

「おはよう、アグリア君。……髪を触るのは止めくださ……って、うおおぉぉぃ!」

自分の腕を掴んだ手を持ち上げ、アシュマールはウィーネの指を咥えようとした。ばしっとウィーネが腕を払って未遂に終わるが、品行方正な口調が思わず素に戻る。その様子に周囲の生徒達がちらちらと3人の様子を伺っているらしく、げふんげふん、と咳払いして、ウィーネは姿勢を正した。

「前の方はたくさん空いているのだから、折角なのであちらに座ってはいかがかしら」

「いつも君は親切だね、ウィーネ。だが、折角なので隣に座らせてもらおう」

お決まりのやりとりに、ふへっ……とネルウァは笑って、ウィーネを見遣る。

「相変わらず、頑固ものだねえ、ウィーネさん」

「なんのことかしら、セルギア君」

「いい加減あきらめて、アグリアと……ふごうっ!」

ゴスッ!……と、『六界に生きるあらゆる魔生物辞典』の角でウィーネがネルウァの額を突いた。両手でネルウァが間一髪それを止める。

「あっぶねええええええ、暴力! 暴力反対!」

チッ……と舌打ちして、ウィーネは『六界に生きるあらゆる魔生物辞典』を引っ込めた。それを合図に、隣に座ったアグリアが、机の下でウィーネの腰に腕を回す。ウィーネは「ちょっと何よこの手!」……と小さく抗議の声を上げているが、アシュマールはそれを無視した。表向きはさほど力を入れていないのに、ウィーネが動くのを許さないほど拘束している。そのような攻防を机の下で繰り広げながら、低い気配でアシュマールが口を開いた。

「ところで、何の話だセルギア」

「えっ、俺!? 何、何がっ!?」

アシュマールの中低音の声色に話しかけられると、ネルウァは逆らうことが出来ない。周囲にそれほど魔力を振り撒いているわけでもなく、ただ見られているだけなのに、まるで闇の界から這い出てきた黒い悪魔に睨まれているような気がするのだ。その赤みを帯びた瞳に囚われたら最後、見たくも無いのに目が離せず、逆らえない。最近やっと慣れてきたのは、恐らくアシュマールが手加減しているからだろう。そうに違いない。慣れた……などというのも、恐ろしい。

「さきほど、ウィーネ・シエナに『どうするのか』……と聞いていただろう」

「え」

「それに、生徒達が何故か浮き足立っている」

「お前、知らねーの?」

ふ……とアシュマールの瞳が細くなった。それを見て仰け反ったネルウァは、慌てて言葉を繋ぐ。

「す、すみません、すみません。あー、えー、なんつーか……ヴァレンティヌスの日……」

「ネルウァ」

ネルウァの声を、低くく唸るようなウィーネの声が遮る。余計なことを言うなこのバカ男が……とでも言いたげな視線は……だが、アシュマールと比べればたいしたことは無い。相変わらずウィーネの腰をいやらしく触っているアシュマールが、首を傾げてネルウァとウィーネを見比べて……最後にネルウァを見た。その視線を受けて、ネルウァは覚悟を決める。

うん。

すまねえ、ウィーネ。

「しかたねーな、この俺が、昼休みに、教えてやるよ」

「それは親切にありがとう」

「じゃあ、ごゆっくり! ウィーネとごゆっくり!」

「ちょっとネルウァ!」

片手を挙げたネルウァはそそくさと去っていった。後に残されたのは、スカート越しに太腿の柔らかさを堪能しているアシュマールと、「いい加減離してよ!」と歯噛みするウィーネ。……そして、微妙なクラスメイトの視線だった。

****

「ハァーイ! かわいい子猫ちゃんたち。思いをこめて、ごーりごーりすりつぶしてね」

やたらテンションの高い声が響いているのは、魔法薬物学の実習室だ。今日はなぜか、女子生徒だけを集めての特別授業となっている。授業のお題はずばり。

「『男を仕留める魔法の媚薬ショコラトル☆効き目はヴァレンティヌスの日限定!』……のポイントはね!……ここなの! ここがまず第一段階なの!」

乳鉢を使い、真剣な顔で焙煎した木の実をすりつぶしている女子生徒の間を、くるくると忙しく駆け回っているのは魔法薬物学の教師リウィス・ドルシスだ。きらびやかな衣装と濃い化粧だが、それが不思議とよく似合う。ちなみに性別は男だ。

「あはん……いい、か・お・り。焙煎したテブローマの実を細かく、こまかーくすりつぶしてね。このとき! まずは自分の魔力を込めるの。そうすると、自分のいっちばん強い魔力が絡んじゃうの。ここがポイントなのよう」

テンションの高いリウィスと、真剣な女子生徒達に比べて、どフラットな素面で乳鉢を使っているのはウィーネ・シエナだ。魔法薬物学の授業を取得しているウィーネも、もちろんこの授業に参加している。……いや、参加させられている。女子生徒が全員強制参加なのだから仕方が無い。

なぜ、女子生徒だけが強制参加なのか。

それは、近々やってくる冬のイベント、ヴァレンティヌスの日が迫っているからだ。

「好きな男の人にショコラトルを渡して思いを告白する、ヴァレンティヌスの日! 今年は可愛い子猫ちゃんたちからたーくさんリクエストがあったから、先生思わず特別授業開いちゃった」

そう。

ヴァレンティヌスの日。

お菓子屋の陰謀なのか、経済大臣の策略なのか。ウィーネの住まうこの国には、1年に1度、好きな男性にショコラトル……と呼ばれる黒い色の甘い菓子を渡して、思いを告白する日があるのだ。この「ショコラトル」は、焙煎されたテブローマと呼ばれる豆から作られる菓子で、高級ではあるが一般人にも普及している。ただ、魔術の道を究める者においては、また別の意味がある。

テブローマ……と呼ばれる実は、術者の魔力をきわめてよく吸収し保つ性質があるのだ。しかも吸収するのは魔力だけで、特殊な効果……呪いなどといった危険なもの……は、吸収しない。だから、非常時に魔力を補填する薬としてもよく使われる。

そのようなテブローマの実に自分の魔力を込めて「ショコラトル」を作り、好きな相手に贈る。

それが、ヴァレンティヌスの日なのだ。

「ハイ! ゴリゴリすりつぶしてぇ。もうね、貴方のすりつぶしちゃうくらい好き☆って、気持ち込めるのよ」

別段あげる相手もいなければ告白したい人間も居ないウィーネは、リウィスの太い声を右から左に流しつつ、淡々と作業をしている。すると、リウィスがそんなウィーネの頬をちょいとつついた。

「ん、もう、ウィーネ・シエナちゃんったら。どうしてそんなに無なの! 無の境地なの! 枯れてる、枯れてるわよ!」

「はあ」

「ウィーネちゃん。今年は、あげる相手が居ていいじゃなあい」

ウィーネの手がぴたりと止まる。同時に周囲の女子生徒が、微妙な視線を送ってきた。半分は嫉妬、半分は生温かい視線だ。あげる相手……いた覚えはないが、言葉の続きは予想できる。ウィーネが何かを言う前に、リウィスがあはん……と一回転した。

「でも、大丈夫。名前は言わないで。名前はね、ショコラトルを練る練るしちゃう時に、ちゃんと、あなたが、思いを込めて、心の中で唱えるのよ」

「ドルシス先生」

「というわけで! まだまだもう少し先の手順で、相手の名前を脳内で循環させちゃうから! みんな、思い浮かべる人決まった? 1人だけよ、ひとり、げんてい!」

「ドルシス先生、別に私は」

「ウィーネちゃんも決まった?」

うっふふ……と笑って、もう一度ウィーネの頬をつついてリウィスは行ってしまった。結局「そんな相手いませんよ」という間もなかった。ウィーネは真顔だ。想い人にショコラトルを作っている女子の顔とはとても思えない。

手順は進み、テブローマの油と実の粉、ミルク、砂糖などを混ぜ合わせて鍋で練りこむ作業となった。この段階で、想いを捧げる名前を思い浮かべるらしい。

ウィーネ以外の女子生徒は難しい顔をして、テブローマ……もう既にショコラトルといえる状態だが……を鍋にかけて練っている。脳内には、それぞれ想い人の名前を思い浮かべているのだろう。粉にしたときに練りこまれた魔力と絡まりあって、溶け込んでいくのだ。

もっとも、想いが練りこまれるだけだから、特別な呪いなどにはならないので安心して欲しい。その属性の魔力が回復する……という効果しか無い。それでも、若く華やかな女子生徒達の恋心を真剣にさせるだけのロマンはあった。

大切な人ね……。

ウィーネは不機嫌な表情を浮かべた。

彼女と今、校内で噂になっている男がいる。彼のせいで、ウィーネ・シエナの平穏無事な学生生活は脅かされているのだ。何故か、その男の顔がウィーネの脳裏に浮かんだ。

アシュマール・アグリア。

褐色の肌に赤い髪。まるで戦士のような身体つきの、そのくせとびきり上質の魔力を持つ男子生徒だ。夏休み明けに転校してきたこの男子生徒は、瞬く間に妖しい魅力で魔術学校の女子生徒を魅了したが、当人が興味を持ったのはたった一人の女子生徒だった。それがウィーネ・シエナである。

それには理由がある。

ウィーネは手に持った木べらを今にも折れそうなほど握り締めた。

アシュマールの本当の名は、アーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアスという。闇の界に生きる悪魔がその本性だ。ウィーネの夏休みの課題で呼び出されて使い魔になり、契約を交わした。もちろん好きで契約を交わしたわけではない。別の小さな魔を呼び出したはずなのに、ウィーネの魔力に惹かれて勝手に召喚されて勝手に契約を交わされたのだ。その使い魔が、ウィーネを求めるためだけに人の姿を取って、魔術学校にもぐりこんでいるのだ。

彼はウィーネの闇の魔力を好んで啜る。
しかし、その啜り方、貪り方が尋常ではない。

ゴスッ。

ウィーネはアシュマ……アーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアスの呼び名であるが、……アシュマのことを思い出し、木べらで鍋の底をど突いた。

「あの悪魔め……」

半眼で、アシュマとのあれやこれやを思い出す。

ウィーネの魔力が欲しいならば、その類の魔法陣を描くと言っているのに、アシュマはそれでは満足しないのだ。あの悪魔はウィーネの身体から直接魔力を取り込むことを欲し、何かと理由をつけてそれを実行する。

ガスッ。

木べらに力が篭る。

さらに最近はネルウァが余計なことを吹き込んでいるらしく、人間の感情の機微など知らぬはずのアシュマが恋だのなんだのと言い出し、昼は人の声でウィーネに甘い言葉を囁き、夜は悪魔の声で不埒な言葉を聞かせる。その声を聞くだけで何故かウィーネの身体に戦慄が走り、それがさらにアシュマを煽るらしく、ますますエスカレートする。

別に、アシュマの、ことなんて、

「なんとも思ってないわーー!!」

「きゃーーー、ウィーネちゃん、お鍋が壊れちゃう!」

はっ。

ウィーネは我に返った。

木べらに力を入れすぎて、危うく鍋を壊しかけていたようだ。闇の魔力を悶々と湧き上げながら、ウィーネはリウィスを振り返る。

「すみません。思い込めすぎました」

「ま、まあ、随分熱い思いを込めてる人がいるじゃなーい。やっぱりアグリア……」

ガスッゴスッ。

「アグリア君のことではないです」

「あ、あらそう」

にっこり笑って、ウィーネは首を傾げて見せた。その剣幕に流石のリウィスも若干気圧されている。

ったく。……誰が、アシュマのことを考えながらショコラトルを作ってるだって?

……ん?

待てよ。

「先生」

「なあに?」

生徒に頼られるのは嬉しいものだ。リウィスはきゃぴきゃぴとした瞳をウィーネに向けた。

「テブローマの実は、純粋に魔力だけを吸収して保持しておく効果があるんですよね」

「ええそうよ。他の余計な力が乗らないから、魔力の補給にとおおおってもべ・ん・り。なのっ」

「ショコラトルにしても効果は変わりないのですか?」

「あったりまえじゃなあい。もとは苦いテブローマを経口補給しやすいように、考えられたお菓子なのよっ、ショコラトルっていうのは」

「なるほど……」

ウィーネは鍋で練っている黒い物体を見下ろした。

自分の闇の魔力が込められた、経口補給しやすいお菓子……。純粋に魔力だけを保持している。うってつけではないか。

木べらを握り直す。

それまでとはうって変わって、丁寧に、ウィーネ・シエナは鍋の中のショコラトルを混ぜ始めた。

脳裏に浮かぶのは自分の使い魔とその名前。
人に認識できる魔の12階位の内、上位2位の悪魔。
アーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアス。

これはいい糧が出来たではないか。

****

そうして、女子生徒達の思いがめいめい込められたショコラトルが出来上がった。ウィーネのものも、つややかで少し苦めのショコラトルだ。一口味見したところ、かなり満足のいく出来映えだった。もっとも魔力云々ではなく、ショコラトルとしての味が……だ。リウィスのこだわりで、高級な材料をふんだんに使ったからだろう。はっきり言って、とても美味。アシュマなどにあげるのはもったいないが、これであの押し売りに対応できるのであれば安いものだ。

ショコラトルを大事そうに抱えて教室を出る女子生徒に混じって、ウィーネも教室を出る。そこにリウィスが意味ありげな視線を送って、呼び止めた。

「ウィーネちゃん」

「なんでしょうか、ドルシス先生」

「ショコラトル、随分いいものが出来たじゃなあい」

「はい。おかげさまで」

「ウィーネちゃんは、闇の魔力が得意だった?」

「?……ええ」

「ってことは、そのショコラトルも闇の属性ね」

うふん……とリウィスが色っぽく笑って、ウィーネの頬に優しく触れた。

「アグリア君にあげるときは、気をつけなさいねえ」

「別に私はアグリア君にあげるとは……。気をつけるって、何がですか?」

「闇の魔力は底無し。溶け合えば溶け合うほど、深さが増すのよ」

「どういう意味ですか?」

「うふふ。おしえなーい」

きゃっきゃと笑いながら、くるんと一回転し……リウィスは職員室へと帰っていった。後に残されたウィーネは怪訝そうにその後姿を見送る。炎の魔力は溶け合えば威力が増し、水の魔力は溶け合えば流れが増す。光の魔力は溶け合えば高さが増し、闇の魔力は深さが増す。……魔術学校の生徒ならば誰もが知っている摂理だ。

なんで今更そんなことを?

ウィーネは何かに引っかかりながらも、教室を後にした。