やさしい悪魔と召喚主

004.魔生物生態学教室

「よう。お2人さん、今日も仲いいねえ」

魔生物生態学の教室に揃ってやってきたアシュマール・アグリアとウィーネ・シエナの2人に、先に到着していた同級生のネルウァ・セルギアが声を掛けた。だが、ウィーネはじろりと冷たい一瞥を投げて、チッ……と舌打ちしてそっぽを向く。

「はああ? なんでそんな機嫌悪いんだよウィーネ」

「べっつに……」

ふんと鼻を鳴らして、席に着いた。さらにウィーネの機嫌が悪いのも特に気に留めぬ風に、ごく当たり前にアシュマール・アグリア……アシュマが隣に座る。いつもは「前に座ったら」とか「隣に来ないで」とか言うのだが、ウィーネは何も言わないことにした。最近気づいたのだが、そういった攻防を繰り広げた方が余計に目立つ。

ウィーネの機嫌が悪いのは、ネルウァがきっかけでアシュマが「身体に痕をつける」という訳の分からない事を覚えたからだ。いつの間にか寝てしまった身体には、かなり際どいところにいくつか痕が付いていた。おまけに目が覚めたら、アシュマがクッションを抱えるように自分に絡み付いて一緒に寝ていたのだ。

アシュマはいつもウィーネが眠るまでずっと側にいるが、朝目が覚めたら居ない。それなのに今日に限ってあんなふうに……あんな、あんな、優しく抱きしめて眠ることないじゃないか。しかも、その腕と胸があったかくて心地よい……などと一瞬でも思ってしまったことが苛立たしい。

「あーーーーもうっ」

「何なんだよ、機嫌悪ぃな。アグリアと喧嘩でもしたか?」

いつもの品行方正なウィーネが、珍しくイライラしながら奇声を発している様子に、ネルウァが面白いモノを見るような表情になる。が、すぐにその表情が凍りついた。

「喧嘩……? そのように見えるのか?」

「お、よ、よう、アグリア。いや、見えねえよ。全然見えねえ! 仲いいな、いっつも!」

アシュマの笑みを含んだ声に、ネルウァが慌てて頭を振る。ネルウァは悪魔の正体を知らないが、この男に逆らってはいけない……ということは本能で知っているのだ。ウィーネとアシュマは、主にアシュマが迫りウィーネがそれを軽く流している様子だったが、まったく流れていないことが横から見ていても分かる。

今日もまた距離を取ろうとしているウィーネに対して、アシュマは無理やり腰を引き寄せていた。さらに出来るだけ顔を近づけないようにウィーネが仰け反ったりしているが、アシュマは全く気にしていない。

アシュマから離れつつ、きょろきょろとウィーネが教室を見渡した。

「……なんか、今日、女子生徒が多いわね」

「ああ。知らねーの?」

アシュマから視線を外したネルウァが、つまらなさげに半眼になる。壇上とウィーネの顔を見比べながら何か言おうと口を開いた時、教室の入り口が開いた。途端に女子生徒のため息と、ざわつきが教室に広がる。ウィーネもそれにつられるように視線を動かした。

白衣を着た男の教師が教室に入ってきたところだった。均整の取れた端麗な顔は神経質そうだったが、いかにも女子生徒が好みそうな男だ。情報の早い女子生徒の何人かはすでに見知っているようで、数人は、ほう……と息を吐いて見惚れ、大胆な数人は親しげに声を掛けていた。

「おはようございます! ウァレンス先生」

「ああ。おはよう、君達」

甘さの混じる爽やかなマスクで華やかな女子生徒に挨拶をしている。その度に白い歯がきらめき、ウインクでもしそうな勢いだ。その様子にウィーネはげんなりした。

「うわ、今ウィンクした」

そう思ってたら本当にした。

至極嫌そうにウィーネが眉をしかめる。ウィーネが一番嫌いなタイプの男である。……しかも。

「あの先生」

「昨日見た男だな」

アシュマがウィーネの腰を撫で回していた手を離し、腕を組んで物騒に瞳を細める。ちらりとそれを見たネルウァが絶句するほどの底冷えした瞳だったが、それも瞬きの間だ。すぐさま興味を失ったように、手をウィーネの太腿に戻した。その手を押しやりながら、ウィーネもまた興味を失ったように視線を外す。……だが、

再びアシュマから発せられる気配が冷たくなった。魔力を放出しているわけではなく、ただ男を見据えている。

釣られてウィーネが視線を上げると新しい教員と目が合ったが、それはすぐにさりげなく逸らされた。誰か……と問う前にネルウァが答える。

「フラウ・ウァレンスだってよ。ほら、魔生物生態学の教員、欠員してたろ? あれの新しい担当だとさ」

「こんな時期に?」

「知るかよ。いつものことだし」

魔術学校は教員達の研究施設も兼ねており、各自専門性の高い研究がなされている。そしてこれは、こうした研究に携わる人間独特の性格なのだろうが、当然、健全とはいい難い研究も行われているのだった。そうした研究の中、ある日教員が部屋ごと消えてしまったとか、うわ言のように「スライム、スライムが……」とつぶやくだけになってしまったとか、顔だけ透明になってしまったとか……実験の果てに教員を継続できなくなった者も大勢いる。それゆえ、人員の入れ替わりが激しい。もちろん、教員がどうなってしまったか……というのは極秘で、生徒に知らされることはないが、前任の魔生物生態学の教員は、研究していたペットの触手生物と結婚できる桃源郷を探しに旅立ったという噂だった。

フラウ・ウァレンスというのは、その魔生物生態学の新任だ……というのだ。説明されたウィーネはふうんと興の失さげな返事をしたが、不機嫌になったネルウァに首を傾げる。

「随分、とげのある言い方ね」

「ツレが、あっちに行ったんだよ」

ほれ……とネルウァが顎で示す方向を見ると、先生に色っぽく挨拶をしているのは、確か先日までネルウァが連れていた女子生徒だ。どうやら、自分の彼女がフラウ・ウァレンスの取り巻きになってしまったことに立腹しているらしい。

「ああそう」

実にどうでもよかった。……が、そんなウィーネの生返事も気に掛けず、ネルウァはぶつぶつと言葉を続ける。

「あいつさあ、……なんっか気に食わねえんだよなあ。気持ち悪ぃ」

「気持ち悪い?」

聞き返したのはアシュマだ。珍しい。その珍しさに調子付いたのか、ネルウァがちらりとアシュマに視線を傾けて言った。

「まあ、いけすかねーやつだよ。××××が××××って噂だけどな。くっそ、××野郎が」

「……もう、下品ね……」

ネルウァの言葉に呆れ顔でウィーネがため息を吐く。不意にぐい……と太ももを引き寄せられた。アシュマが不機嫌そうにウァレンスを見ながら、瞳を鋭くさせる。

「あれの×××は××なのか」

「アシュマまで、何言ってんのよ」

「噂だよ、うーわーさ。なんか×××をうまく××研究してるとかよう……」

「ちょっと、2人とも静かにしなさいよ……!」

話している2人をウィーネがたしなめる。それで2人の話は終わり、フラウが壇上に立った。ネルウァは不満そうに、アシュマは無表情に戻って、正面を向く。

****

「……というわけで、火、土、水、風、……そして光と闇。六界に住まう生物がそれぞれ身の内に蓄積している力は、その界を司る魔力のみ……ということになる」

フラウが正面の板にそれぞれの属性を現す魔法語を記述し、振り返ってにっこりと笑う。その度に、ああ……と女子生徒がうっとりとざわつく。フラウは瞳を潤ませた女子生徒を眺めつつ、いつになく物分りのよい生徒達を褒めるリップサービスも忘れない。

「では人間も含めてこの界に住まう生物がどうか……というと、持てる魔力は少ないけれど複数の界の属性を身の内に蓄積することができるんだ。君達もそれぞれ、得意な属性が2つや3つはあるだろう?」

言いながら、フラウは小さな板状になった水晶と細々とした道具を取り出す。

「そこで、今日はみんなの魔力の属性を測ってみようと思うんだ」

昼寝していたネルウァが胡散臭げに顔を上げる。授業など聞かずウィーネの髪で手遊びをしていたアシュマがその手を止め、板書とフラウの言葉を書き留めていたウィーネが不思議そうに首をかしげた。

早速、「さあ君達、立って並んで!」……と、楽しげに呼びかけるフラウの前に、授業に参加している生徒達が並び始める。「君達も、ほら」……とフラウが近づいてきたので、ウィーネがよそよそしげにぺこりと一礼して、隠れるようにネルウァの後ろに並んだ。アシュマがウィーネの背に寄り添うように立つ。

教室の全員が並んだのを見て取って、実験が始まった。前方がざわめきはじめる。女子生徒の歓声をよく聞いてみると、フラウが生徒達の手に触れて何か作業を行っているらしい。フラウの嬉々とした声が響いている。

「やあ、君は火と風だ。……うん、君は土が少し多くて……水と、風だね。……ああ、君は光の属性が強い。これはとても珍しいんだよ。僕と同じだ」

フラウは光の属性も持っているらしい。だが、そんなことはどうでもいいウィーネが余所見をしながら順番待ちをしていると、ネルウァの順番が近づいてきたらしく、「なんだよそれ、そんなことするのかよ、聞いてねぇぞ……」とつぶやく声が聞こえた。一体何をしているのだろう。

そうして、とうとうウィーネの1つ前、ネルウァの番になる。

「じゃあこれで。指を突いて」

「ああん?」

綺麗に消毒をした針をフラウが差し出す。

「大丈夫。……僕に任せてくれれば痛くしないよ」

「ああ? ちょっと待、」

思わず身を引いたネルウァの手を引いて、遠慮なく、ちくんと針を刺す。

「いってえ!」

「いつだって初体験の時は、みんなそういうんだ」

「嘘付け、毎年属性計測してるけどこんなことしたことねえぞ?」

「これは特殊な装置でね? 属性の細かな割合まで計測できるんだよ」

言いながら、魔法で浄化した板状の水晶に血の着いた指をぎゅ……と押し付ける。見る見るうちに水晶の色が変わり、魔法語が浮かび上がる。さらに下に敷いた紙にその魔法語が転写され、フラウが頷きながらそれをネルウァに渡した。

「さあ、この薬酒ポーションで傷を消毒するように。うんうん。セルギア君は、風の属性がとても多くて8割。水が1割、……光も少し、混じっているね」

「ああ、そうですか。そりゃどうも」

ネルウァは、薬酒ポーションを染み込ませた柔紙と属性が転写された紙を、ぺっ……と奪い取ってウィーネに順番を譲る。

次に順番が回ってきたのはウィーネだ。その姿を見て、フラウが少し瞳を大きくし、すぐに細めた。……笑みの形に口元を緩めて、手を伸ばす。

「君は……ウィーネ・シエナ君だね」

「はい、先生」

「手を貸してごらん」

針を手に持ったフラウのもう片方の手に、ウィーネが自分の手を預けようとする。その時だった。

パリン!

「きゃ……」

小さな音を立てて、すぐそばにあった水晶が割れた。破片が飛んだことに驚いたウィーネが手を引っ込め、かばう様にアシュマが後ろから手を取る。

「ウィーネ・シエナ。破片が。……大丈夫か?」

「う、うん……」

ざわついていた生徒が何事か……と注目し、しん……とした沈黙が教室に落ちる。その中で再び「大丈夫だったか?」とウィーネに問うアシュマの声が響いた。その様子は誰が見ても、少し特別な関係にある同級生を、思わずかばった男子生徒の姿そのものだ。アシュマはウィーネの手を離し、静かな表情でフラウを見やった。さすがのフラウも、驚いた表情をしている。

そのフラウに、アシュマが丁寧な声で追撃した。

「……これでは計測ができませんね。ウァレンス先生」

「……あ、ああ」

「もう席に戻っても?」

「そ、うだな。計測は取り止めだ。……授業に戻ろう」

アシュマは頷くと何事も無かったかのように踵を返し、ウィーネをエスコートしながら席に戻った。生徒達も、それぞれ狐につままれたような表情で席に戻る。ネルウァが「何、おれ、めっちゃ刺され損なんですけど!?」……などと言いながら指をふうふうしていたが、アシュマはもちろん軽く無視して、机の下でウィーネの手を握っていた。