崩れた壁や棚、そしてめちゃくちゃになった魔法陣。その真ん中で呆然と座り込むフラウ・ウァレンスを、魔法薬物学の教員リウィス・ドルシスが冷たく見下ろしている。
「……まあまあまあ、やってくれちゃったわね。ウァレンスセンセ」
「ドルシス……」
気楽な口調とは裏腹の、蔑むような一瞥を投げるリウィスをフラウは力なく見上げた。
「ウィーネちゃんの生徒情報を閲覧した痕跡が気になって調べてた矢先よお。……急に闇の魔力が暴発したからまさか……と思ったら、センセの研究室辺りがぁ……」
ふん……と口元を歪め、肩を竦める。太い声にくねくねとした口調。だが、容赦の無い眼差しをフラウに向けていた。
「……全く魔力を感じられない場所になってるんだもの。怪しいじゃなあい?」
どうやらウィーネを連れ去ったあの悪魔が、邂逅しているときに周囲に結界を張っていたらしい。
「で、残っているのは闇の界への魔法陣と、吸収の魔法陣の2重陣?……まさかウィーネちゃんに手を出しちゃったの?」
「……あの……女子生徒は……」
言い掛けた答えに、確信を得る。なるほど、やはりウィーネ・シエナに手を出したのだ。く……と笑って、リウィスは腕を組んだ。心底バカにしたような口調で、言い捨てる。
「バカじゃないの?」
「あ……あの女子生徒は……何者なんだ」
「ウィーネちゃんは人間よ。ちゃんと普通の女の子」
「けど、……じ、上位2位のっ……悪魔が……悪魔が呼び出されて……ウィーネ・シエナの使い魔だと……!」
「あは?」
くす……と笑って、リウィスが肩をすくめて見せる。
「気のせいじゃない?」
「き、きのせい……?」
「そうよう。ウィーネちゃんの魔力は確かに珍しい純粋な闇属性……だけど量はそんなに多くないでしょお。上位2位なんてそーんな怖いの、使い魔に出来るはずないじゃなあい」
「だが……この目で、この目でみたんだ! あんな悪魔……っ」
「召喚しちゃったの? やだー、こわーい」
「ふざけるなっ!……こ、こ、校長は知らないのか! ……なぜ、なぜあんな危険な女子生徒をのさばらせておくんだ……!」
「危険……?」
リウィスが首を傾げた。不意に真面目な表情でフラウを見やる。
「ここは魔術学校よ? 勉強したい生徒がいたら受け入れるのが当然でしょ? それに、センセの言う『悪魔』が学校に危害を加えたことは一度だってないもの」
心底不思議そうな口調で言い切った。そして、くるりと周囲に視線を巡らせ、壁際の棚に並べられた様々な色の輝石に順に目を留めていく。いくつかの石の中には、力の弱い六界の存在が閉じ込められているようだ。使い魔にしては数が多すぎるし、使役するための単発だとしても様々な属性があった。さらに部屋の中央の召喚の魔法陣。僅かに残る、血痕。ウィーネをどうにか使って、召喚の魔法を試したと見える。呼び出されたであろう存在にリウィスはもちろん心当たりがあったが、それを口に出さずに冷えた眼差しを向けた。
「それに比べて、ウァレンスセンセときたら……。ウィーネちゃんを閉じ込めて、怪我させて、魔力を奪い取った痕跡があるんだけど……詳しく調べれば分かるわよねえ」
カツ……と硬質な足音をひとつ響かせてフラウに近づき、その顔を覗き込むように身体を低くした。リウィスがフラウの髪を不意に掴んで上を向かせる。先ほどまでのふざけた口調が一変し、ドスの効いた低い声で言葉を吐いた。
「教員でありながら生徒をそんな目に合わせる男が知った風な口をきくでないよ、フラウ・ウァレンス」
言ってすぐに、ふん……と鼻を鳴らし、投げるようにフラウの髪から手を離す。
「じ、じ、自分は、けんきゅうのっ、ために……」
「それで、17歳の女の子の魔力を奪って怪我させたの? どれだけ怖かったでしょうね」
「……っ」
言葉を失ったフラウを見てリウィスは身体を起こした。本当にバカな男だ……と思う。生徒を自分の研究に協力させるのはいい。しかし、同意の無い生徒を無理やり実験に使い、挙句怪我をさせるなど。教員としては失格だ。だからこのような目にあう。……しかも今回手を出した生徒はウィーネ・シエナだという。いろいろな意味で、最悪の事態が起こらなかっただけ奇跡的だ。
「……さて」
「たのむ……」
「センセに就任したばっかりのところ申し訳ないんだけど、学校は辞めてもらうしかないわねえ」
「た、たのむ! たのむ、助けてくれ!」
フラウがリウィスの大柄な男らしい足にしがみついた。リウィスは気持ちの悪いものが張り付いたような表情で、ぺっぺとそれを振り払う。
「ちょおおおっとお、やめてよう。アタシ、男にキョーミないんだからっ!」
「学校を出て行けば、あの、悪魔に殺されてしまう!」
「だから悪魔とか知らないし。そんなこと知ったこっちゃないし」
言いながらもリウィスが面白そうなものを見るような表情になった。なるほど、フラウのいう『ウィーネの使い魔』とやらには、そういう制約が為されているのかもしれない。フラウは振り払われてもめげずにリウィスの足に取りすがる。
「頼む、頼むから! ……学校に残って、研究させてくれ! 光のっ、光の召喚の道を探りたいんだ……っ!!」
「あはん?」
リウィスが人差し指を顎にあてて、キュートなポージングを取った。
魔術学校は魔術・魔法の学び舎だ。それがどのような道であったとしても、学びの心と向上心があれば、魔力の強さも属性も目的も種族すら問わず、すべての者にその門戸は開かれる。フラウの目的が何なのか、だが、その道すがらに研究という名の志があるならば、学校に残留する余地はあるだろう。ただし、教員として何の罰則も無い……というわけにはいかない。
「それには何の咎めもなし……というわけにはいかないわよ?」
ここは魔術学校だ。全ての裁定を下すのは、リウィスではない。
「ウィーネちゃんに何をしたのか。そして何が起こったのか。そしてなぜ、魔生物生態学が専門のあなたが光の召喚の道を探りたいのか……あの御方、校長先生の前で嘘偽ることなく釈明なさいな」
「あ……あ……」
呆けたように頭を掻き毟るフラウから興味を失ったように、リウィスが一歩下がって部屋を退出するそぶりを見せた。その後姿に、フラウの焦ったような声が届く。
「あれを……あの悪魔を……校長は……知っているのか?」
「さあ? 悪魔っていうのが何のことかアタシには分からないけどお、……それも校長センセに聞いてみたらっ?」
ふんふん……と鼻歌すら交えながら、リウィスがフラウの研究室を出て行く。
……ウィーネ・シエナ。
量は多くないが純粋な闇の魔力を持つ女子生徒が、夏休みの課題の使い魔召喚に失敗したことがあった。
それは魔術学校においては些細なことだったが、看破出来ないことが起こった。学校中の魔力計が捕らえきれないほどの闇の魔力を感知し、それが一瞬で収まったのだ。校長の信頼を得ている教員数名が、その魔力の跡をたどって見つけたのは、学校地下の修練場に残された魔法陣だった。その魔法陣は、あらかじめウィーネ・シエナが召喚の教師に提出していた魔法陣そのものだ。その後、使い魔の課題を免除する……という名目で提出させた韻の呪文は完璧で、なぜこの二つを組み合わせ、なおかつウィーネ・シエナの闇の魔力を注いで召喚が失敗したのか……失敗したのなら、あの時感知した魔力は何だったのか、関係者は首をひねった。
その後、現れた同じ闇の魔力を持つ転校生。
その転校生とウィーネが二人揃っているときに限ってたゆたう闇の魔力。時々膨らみあがるその魔力は暴力的で、とても人間のものとは思えない。まるで闇の界から突如噴出したかのような強さと量で、明らかに人のものではないとしれる。あれは圧倒的だ。人のものではない……としたら、闇の界のものだろうと断定された。闇の界には人間に認識できる12階位の階層がある……というが、間違いなくその上位5位以上はあるはず。あまりに巨大なため、それ以上の細かなところは計り知れない。
ウィーネ・シエナと転校生が、そうした魔力に関わっているのは明らかだった。……となると、その闇の存在が現れたタイミングはひとつだ。夏休みの課題を実践した際、ウィーネはあの存在を召喚したのではないだろうか。
こうしてウィーネ・シエナに関する一連の「予測」は、予測に違いなかったが、白金級の秘匿事項とされた。
そして、今回のフラウ・ウァレンスが起こした騒ぎ。
そこから繋ぎ合わせた情報から得られるもの。それは、闇の魔力の存在がウィーネ・シエナの使い魔である……ということ、そしてその使い魔は上位2位というとてつもない悪魔であるらしい……ということだ。悪魔は魔術学校に害意がなく、そして恐らく、その存在を無理やり暴こうとすれば魔術学校など闇に飲まれてしまうだろう。
つまりは、ウィーネ・シエナとその使い魔は、そっとしておくべきだ……という結論だ。悪く言えば、悪魔ごと見てみぬフリをする。ウィーネ本人がどう思おうとも、そうしておけば魔術学校の安全は確保される。それにウィーネ・シエナが真面目で勉強熱心な生徒であるのは間違いなく、彼女の前にもまた魔術学校は開かれるべきなのだ。
「ウィーネちゃんも割りと楽しそうに学校生活送ってるみたいだし?」
そして、その使い魔……上位2位の悪魔が、闇の界に在らず常にこの界に人のフリをして存在するとしたら、その存在は一体誰なのか。
「あらやだ、こわーい」
フラウ・ウァレンスが校長に釈明すれば、もう少し正しい情報が掴めるかもしれない。そうなればウィーネ・シエナに関する秘匿事項は増えることになるだろう。そしてそれは……ウィーネ・シエナの側近くにある転校生、アシュマール・アグリアについても同様だ。アシュマール・アグリアは、過去の魔術学校に存在したあらゆる者の持つ魔力を圧倒的に凌駕し、それらがすべて純粋な闇の魔力である。
もちろん、予測の範疇にすぎない。
だが、魔術を極めるものとして……そしてリウィスの性格上、こんなに面白い話はないではないか。
「こんな面白い子猫ちゃんたち、放っておくわけないじゃない。ねえ……?」
楽しげにくるくる跳ねながら廊下を行くリウィス・ドルシスもまた、大地の純粋な属性の持ち主である。
****
狭いが心地のよい作りの部屋に、月の明かりが差し込んでいる。
月明かりはその部屋に置かれてある狭い寝台を照らし、その寝台の上には月の明かりがいくら照らしても損なわぬ漆黒があった。
その漆黒は射干玉。その漆黒に走る文様は血の色。逞しい身体は一見して人と同じような形を為してはいるが、その頭には捩れた2本の角が生え、精悍な顔を彩る双眸も赤い。愛らしい部屋に全く不似合いな人外。その異形が胸に抱いているのは、魔術学校の制服を着乱した、うつ伏せの柔らかな少女の身体だ。
ウィーネ・シエナ。
アシュマの唯一の召喚主は、今、魔力をすべてアシュマ以外の男に奪われて昏睡していた。
「ウィーネ」
重く低い、掠れるようなアシュマの声が腕に抱く少女の名を呼んだ。
ウィーネの頬に走る傷はすでに治っていた。しかしアシュマは漆黒の指を這わせ、注ぎすぎぬように再び魔力を染み渡らせていく。魔力を損なう元になっていた傷も血の痕跡も消えていたが、それでも確認するように何度も頬をなぞった。白く柔らかな頬に少し沈む自分の指を見下ろして息を吐くと、ウィーネが凭れている胸がゆっくりと上下する。
「……ウィーネ・シエナ」
悪魔が再び低く呼ぶ。だが、ウィーネ・シエナはまだ返事をしない。
眠っている顔を見つめると、瞳の端に涙の跡があった。アシュマが無表情をわずかに歪めて、ちろ……とその瞳の端を舐める。涙はすでに乾いていたが、自分以外の者がウィーネをこうさせたのだ。恐怖に涙したのかも知れず、痛みに泣いたのかもしれない。いずれにしろ、自分の知らないところでウィーネは涙を落とした。そう考えると、アシュマの心中に言い様のない感情がうねる。
満たす魔力が水ならば、ウィーネの身体は今、からからに乾ききっていた。
アシュマの、悪魔の目的はウィーネの魔力だ。
だから、魔力の無いウィーネはアシュマにとって抱く必要も愛でる必要も無い身体だった。このまま寝かせておけば、時間は掛かるだろうがいずれ魔力は回復する。回復したら、また啜ればいい。それだけのはずだった。しかし、そうすることがどうしても出来ず、どうしても待てない。
何故待たなければならないのだ。自分が魔力を注ぎその身体を満たせば……すぐにウィーネは回復する。そうすればウィーネの瞳が開き、黒い艶やかな瞳が恍惚に揺れ、愛らしい唇が震えるのを見ることが出来るのに。
だが、それは本来のアシュマの欲望とは異なるものだ。
この悪魔がたったそれだけのために、何の見返りも求めずに与えるなど。
「……ウィーネ。起きろ」
アシュマはウィーネの身体を持ち上げ、その唇に己の唇を当てた。ウィーネの唇は柔らかく、力の無いそこには簡単に舌が入り込む。長く厚い舌で、ずるりと口の中を舐め取る。自らの魔力を唾液と共に流し込み、温もりをなぞっていく。ウィーネの舌に己の舌を重ねて触れ合っても、いつもならば困惑しながらもアシュマに応じるその中は、今は何の反応も無く為されるがままだった。
ひとしきり流し込むと、アシュマはウィーネの服に手を掛けて、肌を傷つけないように丁寧にそれを剥いでいく。布を一枚取り去るごとに白い肌が露になり、少女らしい張りのある曲線が手に触れる。下着を取り除くと、とろけるような柔らかな胸がふるりとアシュマを誘い、内腿の付け根や下腹には、少し前の晩にアシュマが吸い付いてつけた痕が残っていた。
その白い身体を漆黒の筋肉の上に、仰向けに抱いた。双丘に大きな手が後ろから触れ、柔らかさを確かめるように揉み、弾くように触れる。首筋を後ろから唇で撫で、肌の柔らかさを咥えて堪能し、咥えた箇所を舌で嬲る。いつもならば反応するウィーネの身体はおとなしく、それでもアシュマは柔らかな手管を飽きることなく続けた。
「ウィーネ。こちらを見ろ。……我を……」
ウィーネの身体からはいつもの魔力は無いのに、その柔らかな肌の感触はアシュマをひどく興奮させた。この肌が快楽に赤く染まり、細い喉から可愛い声を上げるのかと思うと、それだけで体力的なものとはまったく別の意味で息が荒くなる。舌が吸い付く音と、肌に触れる音が部屋に響き、それがどれほど続いたか。やがて、ウィーネの呼吸が変わる。
「……は……ぅ……」
かすかに喉が動き、僅かに身体が仰け反った。それでも、瞳は開かない。
しかしその反応を慈しむようにきゅ……と抱きしめ、アシュマの漆黒の指が足と足の間を探る。入り口の少し浅いところに触れると、指にぬるりとしたウィーネの蜜が絡みついた。それを掬い取って手触りを確かめると、魔力が少しだが感じられる。悪魔の魔力が身体に染み込み回復し始めたようで、アシュマは指を沈める箇所を深くした。
奥へと入り込み、ウィーネがいつも声を上げるところを指先で繊細に擦ると、指一本でもきつい内奥がきつく締まり、うねった。挿れた指を抜いて、今度は2本に増やしてまたゆっくりと沈めていく。そこは、くぷ……と音を立てながらアシュマの指を飲み込み、少し抜くと纏わり付いた。指だけの抽送はウィーネの身体をやわらかくほぐし、解かしているようだった。
それはいつものように貪るような動きではなく、柔らかで慎重だ。
そしていつものように、ウィーネから魔力を奪わなかった。
「ウィーネ……我を……見るのだ。声を出せ」
指を抜き、後ろから己を宛がい挿れていく。
ウィーネの身体は少しずつアシュマを受け入れた。こんなにも小さな身体でこんなにも狭いのに、ゆっくりと動かすとそこは開いていく。ウィーネと交わるときにいつもアシュマを魅了する魔力は、今はまったく感じられない。それなのに、アシュマの身体にぞくぞくとした戦慄が走った。いつも交換している魔力は、今は一方的にアシュマから放たれているだけだ。それなのに、悪魔の息が熱くなっていく。
脈打つ少女の膣内に、やわらかくきつく、アシュマの猛々しいものが包み込まれた。腰を引き寄せて、出来る限り密着させる。
「目を開けるのだウィーネ。……そして……」
アシュマがゆっくりと動き始めた。甘い闇の魔力ではなく粘膜の交わる感覚だけが、たった今、悪魔を支配する。