おねだり悪魔と召喚主

トリック・オア・トリート

夏の休みが終わりいくらか経過して、いつの間にか秋も終わろうとしている。

毎年この時期、魔術学校ではとあるイベントが開催される。ネルウァは、つるむのは嫌いなくせにこの祭りだけは何故か楽しみにしていたらしい。一方ウィーネは特に興味がなかった。

「なあ、お前らもう衣装決めたのかよ」

ネルウァ・セルギアがウィーネ・シエナを振り返った。今日の授業、「魔法世界の文化と歴史学」にてイベントの詳細が説明されるはずだ。普段は授業の参加に積極的ではないネルウァが珍しく出席しているのはそのためだった。

「あら、今日は真面目に出席しているのね。セルギア君」

相変わらず澄ました顔のウィーネに、ネルウァがふへえと顔をゆがめてみせる。

「お前さ、去年は大した仮装してなかっただろ。今年はなんかやれよ、おもしろくねーな」

「仮装?」

「アグリアは知らねーか」

ウィーネ・シエナの隣で黒髪を弄んでいたアシュマール・アグリア……ウィーネからはアシュマと呼ばれているのだが、その手を止めてネルウァの方に不機嫌な視線を向けた。赤く煌いたように見える眼光に相変わらず身を竦ませる。

「……俺の知らない格好をしていたのか?」

「ちょっと待てよ、だからそこで何で俺を睨むんだよ、おい、ウィーネ!」

「ウィーネ。仮装とは何だ」

「知らない」

つーんと顔を逸らしたウィーネにアシュマは少しばかり眉根を寄せた。さらに追い詰めようとしたところで、「魔法世界の文化と歴史学」の教員が入ってきた。なにやらカタログのようなものが配布されている。カタログには「好きな物をえらぶように」というメモと、「おすすめ」というメモが貼っていた。表紙を見ると、仮装用の衣装カタログらしい。

前を向いていたネルウァがカタログを持って、ウィーネとアシュマを振り向いた。

「ほれ、どれにすんだ。俺は決めたね」

聞かれてもいないのに、ネルウァがカタログを指差す。そこには「ドキッ。女子生徒を狙い打ち! 吸血鬼の牙とマントをセットで」とあった。それをちらりと見下ろして、ウィーネは「ああそう」と頷く。

「仮装?」

「おうよ。サーウィンの暗闇祭。何日か前に報せ来てたろ?」

「見ていないな」

アシュマが腕を組んだ。学校には生徒に対してさまざまな連絡配布方法があるが、そのうちのひとつを使って生徒全員にすでにイベントの告知がされているはずだった。だが、アシュマはそのようなものには興味が無い。ウィーネはちゃんと確認していたのだろうが、アシュマには教えていなかったのだろう。

アシュマは別段それを気にした風も無く、カタログに視線を落とす。

****

涼しさが寒さに変わるちょうど境目の季節、この国は「サーウィンの暗闇祭」という静かな宵闇の祭が開かれる。魔術の研究が主となるこの国は、魔法の要となる六界との結びつきを非常に重要視している。今でこそ学術対象として魔術学校などを中心に研究が進められているが、いまだ魔術という不思議に対する畏怖の念から由来する祭も残っているのだ。サーウィンの暗闇祭もそのような祭儀の一つである。

サーウィンの暗闇祭が行われるのは、六界がこの界にもっとも近づく時だと言われている。それにより、魔力の影響を受けやすい者……たとえば、幽霊だとかこの界に留まっている六界の精霊だとか、そういったものを活性化させてしまうのだ……と。元は、それらを沈めるために幽霊や精霊が好きな甘い食べ物を家々の玄関に捧げて、家の中には誰もいないのだとその夜だけは部屋を真っ暗にする、そういう静かな祭だ。

だが、そうした静かな宵闇の前夜祭として、最近では賑やかなパーティーがところどころで開かれる。

この前夜祭では、皆が幽霊とか精霊のような生き物を模した格好をする。その格好で甘い物を貰ったり渡したりする、そういうお祭だ。この格好をしている者は皆参加者とみなされて、誰に甘い物を貰っても構わないのだが、その時にかならず呪文を唱える。

<サーウィンサーウィン・トリック・オア・トリート>
(ねえ、サーウィン。あまいものをちょうだい。そうでないと、いたずらするんだから。)

言われた方は、こう返答して用意した甘い物を手渡す。

<シー・オール・ハロウ>
(どうか、おとなしくして。)

旧来の伝統を大切にするべきで、前夜祭としてこのような賑やかなイベントはけしからん、という意見もある。だが、若者というのは総じて楽しいイベントが大好きだ。もちろん、こうした派手やかなイベントの裏にはお菓子屋のたくらみなのだとか、服飾屋の作戦なのだとか、経済大臣の策略なのだという声も多く聞かれる。しかし、普段とは違う格好で、美味しいお菓子を交換して交流を深め合う。そんな機会があるのならば、なんだっていいのだ。

もちろん、魔術学校でも前夜祭は行われる。

その日は、教員を含めて学校の人間全員がめいめい仮装をして過ごす。授業もそのままの格好で受けるのだ。また、あらかじめお菓子を配るスタッフに選ばれた生徒や教員は、サーウィンの幽霊祭用の飾りの付いた特別な砂糖菓子をいくつか学校から支給される。休み時間を使って生徒達はお菓子を持った生徒を捕まえ、お菓子を貰う呪文を唱えるのだ。

そして、この日ばかりは灯火の魔法は禁止される。

学校中の明かりは全て落とされ、校舎内の灯りは怪物の顔を模したランタンのみだ。今年初めて仮装をした1年生は、陽が沈むに連れて暗くなっていく校舎に戸惑いながらもわくわくするものだ。仮装の衣装は自分で用意してもよいし、学校側から借りても構わない。ともかく、こうして学校側のバックアップの元、六界の魔力に近づくとは何かを生徒達は学ぶ。

「ウィーネはな、去年すっげー手抜きだったんだぜ」

「セルギア君、余計なことは言わなくてい……」

「猫耳つけただけで、何が仮装かってんだよ、なあ?」

「猫耳?」

チッ……と大きく舌打ちしたウィーネが、半眼でネルウァを睨む。授業用の教科書「図説・六界とロムルスの並行世界」を掴んで立ち上がりかけたウィーネに、「暴力!暴力反対!」と大げさに頭を抱えた。ネルウァの態度を見ながら大きくため息を吐いたウィーネは、教科書から手を離して、頬杖を付く。ウィーネはこうしたイベントが苦手な性質だった。

「あんな格好するの恥ずかしいのよ。あれだけでも拷問だわ」

「仮装してねーほうが珍しいだろうが」

「それでも、そっちの方がいいのよ」

ウィーネとネルウァの会話をさえぎり、アシュマの手がウィーネの顎を掴んだ。

「それで、今年は猫耳とやらをつけないのか」

アシュマが真顔でウィーネを見下ろしている。その手を振り払って、「アグリア君には関係ありません」と顔を背ける。その様子にネルウァが「つまんねー!」……アシュマが「おい、ウィーネ」……と声を掛けたと同時、ぬ……と別の人影が姿を現した。

「わ、わわあわわわたしはっ、ウィーネ・シエナさんには、こ、こここ、これが似合うと、おも、思い、思う、ますっ」

「うおおおっ!?」

「きゃっ?」

「……」

ウィーネの後ろから唐突にカタログを指差し、どもり声で口を挟んだのは、ディディ・ユリス……「魔法世界の文化と歴史学」の教員だ。ウィーネの肩くらいしかない低身長と、顎まで伸ばした前髪で見えない顔、そして独特なしゃべり方が特徴の女性教員である。今まで全く気配を感じさせずに入ってきたディディに、ウィーネとネルウァは仰け反り、アシュマだけが驚かずに見下ろしている。

「そそ、それに。これ、これ、これはっ、あああああアグリア君にも、ぴ、ぴぴったりです。ふたりでセット!」

「ほう」

初めてアシュマが興味をそそられた様だ。ウィーネは怪訝そうに眉をしかめ、一呼吸置いて、ディディが指差すページを覗き込む。その衣装を見て、ウィーネがぎょっとして首を振った。

「いや、絶対いや、なにその羞恥プレイ! 無理無理、絶対無理!」

だが、アシュマはにんまりと笑った。

……その笑顔を見て、ネルウァは薄ら寒いものを覚えた。人間のはずなのに、悪魔が笑ったように見える。

「……よいではないか。その格好ならば、俺も付き合おう」

「アシュマ、何言ってんのよ、私は嫌よ!」

慌てて首を振るウィーネに、だが無常にもディディから追い討ちが掛けられる。

「……あ、あああああの、ま、まじめに仮装した方が、単位、も、ももも、貰えます」

「だったらこっちがいい……!」

ウィーネが指差したところには、髪を前に垂らしたかつらと真っ白なワンピースのセットが掲載されている。井戸から這い上がるその姿を見た者は呪われる……といういわくのある女幽霊の仮装で、その様相に全員が首を振った。

「……み、みみみ、ミス・サ・ダーコですか。だ、だだだ、だめ、です。うう、ううる、うるわしく、あ、ありませんっ!!」

「それ、お前がやったら洒落になんねえ、怖い」

「お前の顔が見えない。つまらぬ」

それよりも、やっぱりこっちだろう……。そう言ってウィーネ以外の全員が納得したのは、やはりディディが指差した仮装だった。そこにはこう書かれている。

『限定入荷! 闇属性の2人にぴったり。『悪魔と召喚主』のペアセット!』

ウィーネは眉間に皺を寄せて額を押さえた。

****

サーウィンの暗闇祭開催当日。

ネルウァ・セルギアに「馬子にも衣装」と、古のことわざを使わしめたウィーネ・シエナは、否が応でも目立っていた。

ウィーネ・シエナは真っ白なブラウスに真っ黒の膝上のジャンパースカート。スカートの裾からはこれまた真っ白なペチコートが何重もフリルになってはみ出している。スカートの裾と膝上ニーハイソックスの間から、ちらりと覗く太腿の絶対領域が絶妙のバランスを誇っていた。背が少し高く見えるのは厚底の編み上げ靴を履いているからだろう。いわゆる、ゴスロリ……などと言われているジャンルの衣装だ。おまけに頭には黒い角のカチューシャを付けている。胸元には赤い宝石のブローチを付けているのが、お菓子配布係の証だ。

一方、アシュマール・アグリア……アシュマは、すらりとした身体を白衣に包んでいる。銀縁に四角いガラスの眼鏡を掛け、赤い髪は後ろに撫で付けてオールバックにしていた。ストイックな風貌であるのに、褐色の肌に白衣はむしろ妖艶で、普段は冷たい相貌が銀縁眼鏡によってさらに冷ややかに煌いている。

この国に伝わる狂気の医者とその医者が召喚したといわれている使い魔。……その仮装、らしい。

はっきり悪目立ちしている上にお菓子配布係にされてしまったウィーネ・シエナだったが、誰も<トリック・オア・トリート>の呪文を唱えてこなかった。なぜならば、常に背後にアシュマが睨みを利かせていたからだ。今日こそウィーネ・シエナに声を掛けるチャンス……と思っていた男子学生も、「やあ、ウィーネ・シエナ!……トリック・オア……」と言い掛けた所で、アシュマと目が合う。別段アシュマは何もしてはいないのだが、静かに見下ろされると「あ、やっぱりなんでもない。ごきげんよう」などと言いながら、そそくさと行ってしまうのだ。アシュマを置いてお菓子の配給を受けに行った帰りに、後輩から1度声を掛けられて1つ、お菓子を渡しただけだ。この格好に言及されないことにはホッとするが、これはこれで、いたたまれない。

いたたまれないまま最後の授業が終わり、その教室で一息ついていると相変わらずの軽い調子でネルウァが話しかけてきた。黒いマントに黒いタキシード、ステッキをぶんぶんと振り回し、にやりと笑うと牙が覗く。吸血鬼の仮装らしい。

「よう、ウィーネ。サーウィンサーウィン・トリック・オア・トリート?」

「シー・オール・ハロウ」

半眼のウィーネが「ほれ」と箱を開けて、ネルウァにお菓子を差し出す。ウィーネの配布している砂糖菓子は蝙蝠の形をしている。全部で5つ。2つ減ったから残り3つだ。

「はい、どーも。アグリアは?」

「……ドルシス先生にお菓子貰いにいってる」

「え、あいつが!?」

生徒たちの噂によると、リウィス・ドルシスの配布しているお菓子はかなりのレアもの。王室御用達の飴細工職人が作ったという、サーウィン祭限定のものだとか。それを聞いたウィーネが、鼻息も荒く行ってくる! と走り出そうとしたのを押さえると、「待っていろ」と言って、どこかへ消えた。

「え、まじで? 限定もの?」

「そうらしいよ。もらった?」

「まだだよ。ちくしょう、俺も行ってこようかな」

ネルウァがそわそわと周囲を見渡していると、白衣の男が近付いてきた。赤い髪をオールバックにしている様相は普段とは全く異なるが、間違えようもない異様な存在感のアシュマだ。その後ろから、タキシードにウサギ耳の付いたシルクハットを被ったリウィス・ドルシスが駆けてきて、アシュマを追い越してウィーネの手を取った。

「やあーだーーー、ウィーネちゃん、ディディから聞いたけどなにそれ可愛い!」

「はあ」

「スカート短いわね。パンツ見えそう!」

「……はあっ!?」

ウィーネが素っ頓狂な声を上げて、リウィスに手を取られたまま後ろを向いてきょろきょろしていると、その様子にさらにキャッキャと笑う。

「大丈夫よう! 見えたって可愛い!」

「いやいやいや、そういう問題じゃなくって、うそ、なにこれ見えるの」

確かにスカートの丈は太腿上くらいなので、少し足を上げれば見えるだろう。リウィスの手を振りほどくと、スカートを押さえる。

「だっだだだだだ、だい、だいじょうぶ、ですでです。それ、見せパンって、という、やつ、で、すから。ですから」

さらにウィーネの背後から、ぬっ……と、小さいがリアルな造形の熊が現れた。ぎょっとしていると、くわっ……と開いた熊の口からディディの頭部らしきものがちらちら覗いている。まるで熊に飲み込まれたような風体だ。

「た、たたた、たしか、い、いいい一分丈3段フリルのペチパンツ、です、でです」

「だから、そういう問題じゃなくて」

「お、いいねえ、見せパン。っあーーー、着てるのがお前じゃなかったらなあ……」

「つーか、ネルウァうるさ……」

ぎゃあぎゃあと喚いていると、ふわりとウィーネの腹が抱えられた。後ろに立ったアシュマが片手でウィーネを自分に引き寄せていて、腰が密着している。

「ちょっとアシュマ、くっつかないでよ!」

「だが、これで見えまい」

「は? 何が?」

「お前のスカートの中が」

全員が、口をつぐんだ。否、笑いを堪えている。アシュマだけが、どうだといわんばかりの顔でウィーネを見下ろしていた。白衣で銀縁眼鏡を掛けたアシュマがゴスロリ悪魔の格好をしたウィーネを抱えていると、どう見てもセクハラをしているマッドサイエンティストにしか見えない。

「…………」

もしかしてこのマッドサイエンティストは、ウィーネ・シエナのスカートが周りから見えないようにかばっているのか? そう気付いた途端、ウィーネの顔が赤くなった。スカートの裾を押さえながら、じりじりとアシュマから離れ、さらに全員の輪の中から外れる。

「もーーーー、だから嫌だったのよこんな格好ーーー!!」

ウィーネがダダッ……! と駆け出した。ネルウァがひぃぃぃ……と腹を抱えて笑い、リウィスが、あらあらあら!……と頬に手をあてて身体をくねらせている。ディディは「ペチパンツもったいない」というような意味合いの言葉をどもりながら繰り返していた。

一方、アシュマはウィーネがなぜ駆け出したのかも、なぜ照れたのかも全く理解できないまま首をかしげた。折角スカートの中身を見られないようにしてやったのに、どこに照れる要素があるのかが分からない。それにあんなに走るとスカートが浮き上がり、また見えてしまうではないか。

……スカートの中身が?

アシュマはそこまで思い至って、胸の内に奇妙に苦々しい想いが沸き起こった。そういえばウィーネは、今日は度々男子生徒に話しかけられていたのだ。アシュマが後ろに立っていると大概の男子生徒は引き下がったが、ウィーネが普段よりも多く男子生徒に声を掛けられていたのは明白である。声を掛けてきた男子生徒は総じてウィーネの太腿を見ていたし、それを思い出すと妙に苛々する。

「ウィーネめ……」

アシュマはぽつりとつぶやくと、3人を残してウィーネの後を追いかけた。