首都レムスにあるフェルミ邸の居間で、エヴァンジェリスタは一枚の手紙に目を通していた。エヴァンジェリスタの前には姉のルクレツィアが座っている。
ちらりとその様子に視線を移し、手紙に戻し、もう一度姉を見た。
大きなソファにちょこんと座っている小さな様子は確かに愛らしいが、ルクレツィアはすっと背を伸ばして真っ直ぐに手紙を読むエヴァンジェリスタを見つめている。
一つ歳上のルクレツィア。エヴァンジェリスタにとって大事な姉だ。多少過保護なのは自覚しているが、エヴァンジェリスタはこの賢くて可愛い姉のことを慕っている。昔から勉強の時間をさぼりがちだったエヴァンジェリスタに、根気よく……そして容赦なく勉強を教えてくれたのはこの姉だった。貴族の娘にしては珍しく首都の女学院だけでは飽き足らずに大学へ進み、いくつか飛び級をして、今は研究員や教員の口を望まれているほどの才女である。
そのような姉であるから、エヴァンジェリスタが軍務に就きたいと言ったときは反対するかと思っていたのだ。しかし、いい顔をしない両親を説得してくれたのもまた姉だった。姉には頭が上がらない。
姉は確かに背も低く、顔は童顔で幼げだ。その為か、女学院を卒業して夜会に出るようになった時、幼女趣味と噂のあったとある貴族から声を掛けられ、あまつさえ庭で不埒な行為に及ばれそうになったこともある。街を歩いていると「お嬢ちゃん」と声を掛けられることも多々あった。見知った者や親しい友人ならばいざしらず、華やかな貴婦人の輪には入り辛く、初見の紳士には遠慮して声を掛けられ難い。大層嫌な思いをしてきたはずだ。
だが、その瞳はエヴァンジェリスタよりも遥かに大人で澄んでいる。その様子に幼稚な雰囲気も卑屈な影も無く、なぜこの姉が幼女趣味の男から付け狙われるのかが理解できない。そのような輩、本当の姉の魅力など知らぬ屑共だ。本気で殺してやりたい。
だからこそ、エヴァンジェリスタは早く姉に身を固めて欲しいと思っていた。いつまでも自分の手では守れない。エヴァンジェリスタにも伯爵家の嫡男として、また軍人としての責務もあり、常に姉至上主義では居られない。信頼できる真っ直ぐな男に姉を託したかった。
そこに飛び込んで来た縁談の相手が、姉の文通相手であるジャンティーレと知った時、あの男なら……と思ったものだ。士官候補時代から腕を競い合ったジャンティーレは、エヴァンジェリスタとはまた異なる剣筋と戦い方を知っている男である。そして何より一途で誠実な男だった。その外見と身のこなしから「黒の貴公子」だの「黒豹」などという訳の分からぬ渾名が付けられているが、そのような渾名が似合わぬ真面目で堅物な男だ。余裕ぶった見た目とは裏腹に緊張しいなところがあるが、性格からいっても、しっかり者の姉とは釣り合いが取れるだろう。
見合いは上手くいったようで、マッツェリア家でもフェルミ家でも、2人が仲良く並び歩いている姿をよく見かけるようになった。ジャンティーレがどことなくぎこちないのが気になるが、結婚すればすぐにも慣れるだろう。
そう思っていたのだが。
「……姉上。ジャンには話したのですか?」
「明日にでもお話しようと思っております」
「明日? この日程でいけば、出発は明後日でしょう!?」
エヴァンジェリスタが持っていた手紙をテーブルにバサリと投げて、はあ……とため息を吐いた。
「どうしてそんなに急に」
「お話……しようと思っていたのですが、どうしても出来なくて」
「なぜ?」
「ジャンティーレ様は……恐らく、私とのお見合いを快く思っていないのではないでしょうか」
長い睫毛を伏せがちに、ルクレツィアは息を吐いた。エヴァンジェリスタは物憂い姉の表情を見て、ぽかんと口を開ける。
「はあ?」
「正式に婚約したわけでもありませんし、そのような女からこんな話をされたとて、『そうですか』としかお思いにならないでしょう」
「なぜ、そんな風に思うのですか!」
理知的な姉の瞳が切なげに揺れていて、エヴァンジェリスタは思わず声を荒げた。エヴァンジェリスタの目から見ても、家人の目から見ても、2人の仲は良好だったはずだ。漏れ聞こえる話は初々しく、ジャンティーレの姉を見る目は恋をする男そのもので、姉のルクレツィア自身もそれを受け止めているように見えていた。
しかし、ルクレツィアは首を振って苦笑した。
「ジャンティーレ様は最近お忙しいようですし、このようなことで患わせてもなりません」
「確かにジャンは今忙しいですが……」
確かにここのところジャンティーレが忙しく、ルクレツィアと会う時間は取れていない。それもここ最近急にだ。恐らく、王太子が面白がって悪戯に仕事を押し付けているのだろう。黒の貴公子ジャンティーレが見合いをした、というのは今や宮廷の華やかな話題の中心なのだ。ジャンティーレは変に真面目なところがあるから、何の疑問も持たずに押し付けられる仕事をきりきりとこなしているに違いなく、帰宅が夜半を過ぎる事も多いと聞く。
「しかし、ジャンティーレは時間を作って姉に会っていたと思いますが」
「ええ。とてもお優しい方。……ですが、無理をなさっておいでのように思います」
「無理? たとえば?」
訝しげな弟の声に、ルクレツィアはどう言うべきかと思案する。
最初は見合いを断ろうとしていたジャンティーレと同じく、ルクレツィアもまた見合いの話はこれまで避けて来た話題だった。結婚して家庭に入るよりも本を読み、時に文字をしたためて、文壇に立っている方が自分には楽しいと思っていた。そんな自分が見合いをする気になったのは、相手が文通相手のジャンティーレだと分かったからである。
侯爵家の嫡男ともなれば女性の扱いにも長け、いくらかは軽薄なところもあるのではないかと思っていた。しかし文通するにつれ、会ってもいないのにそのような印象を持ってしまった自分を恥ずかしく思った。ジャンティーレの手紙は華やかでも軽薄でも無かった。無骨で飾り気の無い文面に、ところどころ現れる拙い優しさと思いやりがルクレツィアには好ましく思えた。
お会いしてみたい。素直にそう思えた。
自分の背の低い幼い容姿が、周囲にどのように見られているかは知っているつもりだ。それに反抗したくて女ながらに学問の道に進みたいと思っている節もある。自分など黒の貴公子には釣り合わぬだろうことは分かっているが、それでも会って話してみたいという思いは募る。
だから初見で思い切り子供扱いされてしまったのは、やはりショックだった。自分の容姿はどうしてもそのように見えてしまうらしい。
それでも見合いを断らなかったということは、多少は自分にも機会があるのかもしれない。そう思っていたのだが、ジャンティーレのルクレツィアの扱いはそう変わらなかった。
誕生日の席で見たジャンティーレは、背の高い黒の貴公子にふさわしい出で立ちで、挨拶にくる女性たちを見事にエスコートしていたように見える。しかし、ルクレツィアに対してはそうしたそぶりは一切見せないのだ。
一緒に庭を歩いたときも、図書室を見せてもらったときも、茶会を開いたときも、ジャンティーレはルクレツィアには指一本触れなかった。エスコートの為に手を取る、などということすらしてくれないのだ。しかも、最初の間は普通に会話をするのだが、しばらく経つとこちらを見なくなる。顔を手で覆ってため息を吐いたり、うろうろと視線をさまよわせたり……明らかに、2人でいることに困っている様子なのだ。
それでも時折このように誘ってくれるのは、見合いの相手に恥をかかせないようにとの意趣なのだろうか。ジャンティーレは優しいから、面と向かって断れないのかもしれない。それで自分に会ってくれているのかもしれなかった。
ならば、おとなしく身を引くべきなのだろうとルクレツィアは思っている。
しかし、そのことを話すと何故かエヴァンジェリスタは、はあ……と盛大なため息を吐いて頭を抱えた。
「エヴァン?」
「……あの、ヘタレ童貞が……」
「え?」
「いえ、こちらのことです」
弟にも随分と迷惑をかけてしまっているようで、申し訳なく思う。この一つ違いの弟が、姉のことを誰よりも心配していることを知っている。身体の大きさはまるで大人と子供のように異なるが、エヴァンジェリスタはいつまでもルクレツィアの可愛い弟だ。
「心配かけて、ごめんなさいね。でも大丈夫よ」
「心配するのは当たり前です、姉上。だが、早急に判断するのは止めた方がよい」
「……ならば、少し頭を冷やして考えてみるわ」
「姉上!」
「私、少し浮かれていたみたいだから」
そう言ってルクレツィアは苦く笑った。そんな姉の寂しげな笑みを見て、エヴァンジェリスタは心の中で舌打ちする。むしろ浮かれているのはあの男のはずだ。
「ともかく、この件については分かりました。姉上がそう言うならば」
エヴァンジェリスタはルクレツィアに同意したが、頭の中でどうしたものか……と思案をはじめた。
****
「そろそろかな……」
ジャンティーレは檻の中の黒豹よろしく、うろうろと部屋を行ったり来たりしていた。今日はルクレツィアが久しぶりにマッツェリア邸にやってくる日なのだ。夕食を共にして、図書室に置いてある本を何冊か見繕い、客用の居間にある自慢の暖炉の前で読むことにしていた。
ここ最近ジャンティーレは多忙で、ルクレツィアとの時間が取れないでいたから緊張する。本当なら毎日でも会いたかったが、いまだ結婚していないのだからそれは叶わない。
……結婚。
結婚すればルクレツィアのあの笑顔を毎日見られるのかと思うと頬が緩む。まだ若いからという理由で結婚など想像もしたことがなかったが、毎日ルクレツィアがいる……という妄想であるならばいくらでも可能だ。
夫婦なのだから寝室は一緒、ということは必然的にあの愛らしいルクレツィアが毎日ジャンティーレの寝台にいるということであり、夫婦なのだから当然夜を営むこともあるだろう。というか可能であれば毎日営みたい。いや可能であればではない、可能だ。可能なのだ。夫婦なのだから。
もちろん夜を営むだけが夫婦ではない。一緒に庭を散歩したりするのは当然ながら、街に買い物などに出かけて恋人気分で逢瀬を楽しむというのも素敵だ。領内であればジャンティーレも案内できるし、レモンの畑やリモンチェッロの醸造所を見ても楽しそうだ。そのどれにも隣にルクレツィアが並んでいて、その肩を抱き寄せたりなんかして。
じっと手を見る。
実はジャンティーレは一度もルクレツィアに触れていない。ほんのちょっとの触れ合いすらない。エスコート術は頭に叩き込まれているからうっかり手を出しそうになるのはなるのだが、隣に並んだときの体温と気配ですら瞳の奥がチカチカし始めるので触れるのが怖いのだ。
「ジャンティーレ様」
「ロリス?」
「ルクレツィア様の馬車が来られました」
「今行く!」
執事のロリスに呼ばれたジャンティーレは挙動不審気味に足を止め、ルクレツィアを出迎えるために玄関へと駆けた。ロリスが扉を開けるのも待っていられず、体当たりせんばかりに扉を開けると、門扉に止まったフェルミ家の馬車が見える。
「ルクレツィア殿!」
白い息を吐いて寒さに鼻を少し赤くしながら馬車の許にやってくると、白い毛皮の縁取りが付いたマントとフードを被っているルクレツィアが今まさに下りようとしていたところだった。手を貸そうとしていた御者がジャンティーレのために場所を空ける。そうして思わず、手を差し出す。
「ジャンティーレ様」
駆けてきたジャンティーレに驚いた風に目を丸くしたルクレツィアは、差し出され手に嬉しそうに手を乗せた。手袋のしていない手の滑らかさと冷たさに、ジャンティーレは我に返った。
「あっ」
「ジャンティーレ様?」
手を引かれない事を怪訝に思ったのか、ルクレツィアが小さく首を傾げている。直接触れたルクレツィアの手の柔らかさとこちらを見ている潤んだ瞳のあどけなさにジャンティーレは言葉を失ったが、奇跡的にルクレツィアを馬車から下ろすことが出来た。
「今日はお招きありがとうございます」
「え、いえ」
すはー、と一呼吸してみる。いまだ触れたままの手の柔らかい感触があまりにも心地よくて、なぜ今まで触っていなかったのだろうと後悔した。一度触れるととても離す気にはなれず、エスコートするにしてはしっかり握り締めてしまう。ほんわりとした心地は菓子のようだ。
「あ、あの?」
「……は」
いつの間にか室内に入っていた。それでも離されずににぎにぎされていた手とジャンティーレとを見比べて、ルクレツィアが困ったように笑っている。その笑顔にジャンティーレの頬が熱くなり、思わず顔を逸らして手を離した。
「こちらへ。夕食の時間が来るまで、図書室をご案内しましょう」
「あ、はい……」
ぎこちなく、お招きありがとうございますと挨拶を交わした。先ほどまでしっかりと握られていたはずの手は離れてしまい、つながれることなく2人は歩き始めた。
****
いつもは昼間だったが今日の招待は夜だったことに、ルクレツィアは少しだけ心を躍らせた。男と女の逢瀬は、やはり昼よるも夜の方がどことなく雰囲気が濃密になるような気がするからだ。
無論、そのようなこと……はしたなくも口には出来ないし表情にも出せない。けれど、やはり窓から覗く夜の星をジャンティーレと眺めている、というだけで心臓はドキドキと心地よく打つ。
しかし、そんな心浮き立つ自分を冷静に嗜める自分もまた、心の中にいる。
馬車を降りたとき、寒さに頬を染めながら駆けてきてくれたジャンティーレに、思わず胸がきゅっと掴まれたような心地を覚え、手を握ってエスコートされた時はまるで恋を覚えた少女のようにときめいてしまった。もちろん自分など、少女というには薹の立った年齢だと分かってはいるが、男に恋を覚えたのはジャンティーレが初めてなのだから仕方がない。
しかしジャンティーレはすぐに手を離し、それからはずっと視線を合わせてはくれないのだった。時折、話が盛り上がったりすると楽しそうな笑顔でルクレツィアを見下ろしてくれるものの、すぐに、ふい……と視線をそらされてしまう。
その表情の移り変わりの意味がルクレツィアは飲み込めなかった。やはりジャンティーレにとってこの見合いは義務に過ぎないのだろうか。
こぶりのフルートグラスに、綺麗な黄色い液体が注がれている。
ジャンティーレの実家マッツェリア領で作られたリモンチェッロは、雪に埋めても凍らぬ程の強い酒精だ。割って飲むのが普通の度数なのだが、やはり一番美味なのは氷が出来るほどの温度で冷やしてストレートで味わう飲み方だろう。食後に暖炉の間へと場所を移した2人は、ジャンティーレの計らいで、お茶の代わりにリモンチェッロを楽しんでいた。普段はジャンティーレがあまり酒が得意ではないということでルクレツィアも遠慮していたのだが、今日は、ジャンティーレの前にもレモネードが置かれている。
グラスを少し持ち上げて頷き合うと、ルクレツィアは一口含んだ。
レモンそのものをかじっているような爽やかで生き生きとした酸味と、上等なシロップの濃厚な甘み、それらを強い酒精の香りが包み込んで、一気に鼻腔に駆け抜けていく。
若くて爽やかな香りに、ルクレツィアは感嘆のため息を吐いた。
「とても美味しい」
「よかった。俺……私は酒の味は分からないけれど」
「このレモネードも美味しいですわ。近い味わいです」
「リモンチェッロから酒を抜いただけですからね。子供の頃から飲んでいる。好物ですよ」
嬉しくて顔を上げると、ジャンティーレと目が合う。ルクレツィアが笑むとジャンティーレもつられたように笑って、常とは少し違う穏やかな空気だ。
穏やかになった雰囲気にほっと一息ついて、ルクレツィアはコトン、とグラスを置く。
「ジャンティーレさま、あの、少しお話がございますの」
先ほどまで天使のように穏やかな笑みを浮かべていたジャンティーレの顔が、みるみるうちに不安そうなものになる。瞳を伏せていてそうしたジャンティーレの表情に気が付かないルクレツィアは、少し寂しげに続けた。
「……明日から、暫くのあいだ首都を離れようと思っています」
「え?」
「実は、学園都市ロムルスの歴史と礼儀作法の教員枠に欠員がある……というお話があって……」
今までの心地よい安堵感から、急に頭をがつんと殴られたような気がした。暫くの間首都を離れるとは、どういうことなのか。……学園都市ロムルスの教員枠に欠員……ということは、考えられる答えは一つだ。
「ということは、教員として、ロムルスに就職する……ということですか!?」
ジャンティーレは、思わず手元にあったグラスを一口煽って席を立った。喉がかっと熱くなったように感じ、まだ半分ほど残っているグラスがルクレツィアのものだったと気付く。
しかし気が付いた時には遅かった。
頭の中で、冷静な自分と理性を失った自分がせめぎあう。目の前のルクレツィアをはっきりと認識できるのに、彼女に対する自分の壁が急に失われ、押し付けがましい自身の我侭が恋慕を言い訳に溢れ出す。
「なぜ」
「え?」
「結婚するつもりがないならどうして見合いなんてしたんだ!」
「ジャンティーレ様、あの……」
学園都市ロムルスは首都レムスの隣の都市であり、世界で最も有名な魔術学校を初めとした多くの高等研究施設が在る。その学園施設の教員ともなれば、王城に勤める騎士、国家に勤める文官に並ぶ憧れの職種だ。誰彼構わず就職できるわけでもなく、かなりの教養と専門的な知識が必要になる。もちろん、レムスからの通いでは到底勤まらないだろう。生徒も教員もロムルスに居を構える者がほとんどで、ルクレツィアもそうなれば首都レムスを離れる事になるはずだ。
ということは、必然的にルクレツィアはジャンティーレとは結婚する意志が無い、ということになる。ジャンティーレがロムルスに共に住めば別だろうが、そもそも侯爵家の長男であるジャンティーレにそのような選択肢は無い。そのことはルクレツィアも理解しているはずだ。ルクレツィア自身も伯爵家の令嬢なのだから。
それなのに、いくら才媛といえど……いや才媛であるならばなおさら、学園都市に就職するつもりなのに、侯爵家と見合いをした、というのだろうか。
あまりの話に、くらりと目眩がする。
同時に、ギリギリと胃が持ち上がるような焦燥感と凶暴な苛立、そして目の前のルクレツィアをどうしても逃したく無い……という気持ちに苛まれた。いつもならばルクレツィアには優しくしたいと思うあまりその身体に触れられずにいたが、今は酒のためかそうした歪んだ理性が取り払われ、ただ、目の前のルクレツィアが愛おしく、欲しいという気持ちに染まる。
「ルチア」
「……ジャンティーレさ、」
ジャンティーレはソファに座っているルクレツィアを見下ろした。座ったまま背の高いジャンティーレに見下ろされて、ルクレツィアは立ち上がるタイミングを逸してしまう。
ガタン……とジャンティーレがそのままルクレツィアに覆い被さった。
「ルチア」
「……え」
「ルチア、ルチア……!」
いかないでくれ、という言葉を紡ぐ事は出来ずに、ジャンティーレはルクレツィアの頬に唇で触れた。あまりに柔らかいその部分に「は」と息を吐いて、唇の端に滑らせる。
ちゅ、とルクレツィアの潤んだ唇にジャンティーレの少し硬い唇が触れた。