誘う悪魔と召喚主

003.何の話だ

「ひー、やっと試験終わったし、学校中浮かれてんなあ、めんどくせぇ」

魔術学校の食堂のテーブルにウィーネとアシュマが並んで夕食を取っていると、向かいにネルウァ・セルギアがよいしょと座った。ネルウァはウィーネの同級生である。優等生のウィーネとは全くタイプの異なる、成績も底辺でサボり魔な男子生徒だった。しかし、なぜか入学したときから何となく受ける授業が被り、しょっちゅうウィーネをからかってくる。いわば腐れ縁の男だ。

「浮かれている?」

相変わらずウィーネばかりを見ていたアシュマが興味を示して、ネルウァに視線を移す。

ネルウァはアシュマの正体を知らないが、尋常ではない魔力を感じ取っているらしく、本能的に怯えを見せる。だが、ネルウァという人間性ゆえか、この男を味方につけておけば安泰……という妙な意識を働かせて、最近ではすっかりアシュマに話しかけることに慣れた様だ。それでも、ウィーネを愛でているときに邪魔をするとじろりと睨まれてしまうので、タイミングと話題が肝要だが。

アシュマの視線をやり過ごしながら、ネルウァは肩をすくめる。ウィーネはネルウァが何を言わんとしているか知っているのだろう、機嫌悪そうにデザートの白いプリンを口に運んでいる。

「前にも教えたろ。ユール・ログの篝火舞踏会ボールルーウ。着飾って貴族よろしく踊るわけだ」

むう……と不機嫌にウィーネがため息を吐いた。

秋と冬の間にあるサーウィンの宵闇祭、それが終わったあと冬期の試験があり、もう1つ……魔術学校ではイベントが開催される。それが『ユール・ログの篝火』だ。

このイベントは聖夜祭……とも呼ばれており、世界各地で一般的に行われている。とある聖霊の誕生日を祝う……という静かな祭だが、魔術学校においては六界の1つ炎界から炎を押戴き、その炎で篝火を焚く。さらにその炎の周りで舞踏会を開催する……という、洒落たものになっている。年若い生徒たちにとって、この舞踏会は社交界の真似事のようなものだが、野外で篝火の元で行われるだけあって、そう肩肘を張らずに参加できる楽しいイベントだった。もちろん、篝火を通して炎界の力を感じ取る……という意図と共に、魔法に関わる職業でいずれ国にも仕えることになるだろう生徒達に、社交的な振る舞いを身に付けさせるという狙いもある。踊る踊らないは自由だが、参加は必須になっている。

そしてウィーネはこのイベントが大の苦手だった。
仮装をさせられるサーウィンの宵闇祭よりも、さらに苦手だ。

何せ、「踊る」という行為がウィーネは苦手なのだ。音楽を聴いたりするのは好きだが、身体を動かすのは苦手なのである。思い通りに身体を動かすことが出来ないし、すぐに息切れしてしまう。それなのになぜわざわざ出席せねばならないのか。ウィーネは今年こそ、隅で大人しくしようと決めていた。だから先生達がわざわざ開いてくれるダンスの自主練習にも行かないつもりだ。

「あー、めんどくせーな。俺、今年は食べ専門になろ。つーか、ウィーネお前踊れんの? 今日さ、自主練の日だろ?」

痛いところを突かれたウィーネはむっとしたが、「踊らないわ」といつものすまし顔で答えた。一方アシュマは「ウィーネは踊るのか?」と首をかしげる。

「私は別に興味ありません。単位が要るから会場には行くけど」

話は終わり……と言わんばかりに、ウィーネは立ち上がった。それに合わせてアシュマも立ち上がる。2人並んで部屋に戻ろうとしたところに、ネルウァが声を掛けた。

「なあ、ウィーネ、お前今年の休みはどうすんだ?」

その言葉にウィーネが振り返る。さっきよりもさらに不機嫌な顔になって、ちらりとアシュマを見た後、しぶしぶ……といった風に口にした。

「転送装置の切符を勝手に送ってきたのよ」

「おや、そりゃ用意周到なこった」

せいぜいお気をつけて……と、ネルウァがへらへら笑って片手を挙げた。

****

「転送装置とは何のことだ、ウィーネ」

「別に」

「……ウィーネ?」

最近のウィーネは、どことなく不機嫌だ。……と言っても、ウィーネが不機嫌なのはいつものことだが、アシュマの眼にはそこに、ふわふわとした曖昧な感情が混ざっているような気がした。

転送装置とやらのことを聞き出そうと、すたすた歩いているウィーネに追い付き、肩を引き寄せる。いつもの行動であるのに、何故か身体がびっくりしたように揺れた。

首をかしげて見下ろすと、眉をへの字に曲げて困ったような顔をしている。

「どうした」

「別に」

だが、聞いても答えない。

「ウィーネ、転送装置とは何の話だ」

「ねえ、あ、アシュマは……」

「ん?」

足を止めた。何か言いたげなウィーネの言葉を待つ。どうやら不機嫌に加えて、何かに困っているらしい。そして何かをアシュマに期待している。だが、その先は複雑すぎて分からない。

アシュマはウィーネの横髪を一房取って、耳に掛けた。なぞる手の動きに、くすぐったげな顔をする。そうした表情がアシュマは嫌いではない。アシュマが表情を緩めると、促されるようにウィーネが口を開こうとした。そのときだった。

「アシュマール・アグリア先輩?」

別のほうから掛かった声に会話は邪魔されてしまった。苛立ち紛れにジロリと声のした方を睨むと、その視線に声の主が身を竦めて立ち止まる。

金色の髪に勝気な青い瞳、人形のように可愛いが、どこか自信に満ちた女子生徒が立っていた。

ウィーネが一歩離れた。

「私、部屋に戻るわ」

そう言って、アシュマが何か言う前にその場を去る。それを機嫌悪く見送ったアシュマは、改めて声を掛けてきた女子生徒を見た。アシュマの知らない女子生徒だ。……といっても、アシュマはほぼ全ての女子生徒の名前を知らない。

人間ごときが邪魔をするなと、首を捻りあげたくなったが、ウィーネとの契約によりそれは叶わない。アシュマは表情を消した。

「俺に、何の用かな?」

女子生徒は去って行ったウィーネにちらりと視線を向け、すぐにアシュマを見た。態度は丁寧だが、苛立ちのために視線は鋭い。悪魔に睨まれた蛙のように女子生徒は竦んだが、意を決したように微笑んだ。そうした態度だけは評価してやってもよい。

「私はルフィリア・セヴェルと申しますの。ぜひ、先輩とユール・ログの篝火舞踏会に参加したいのですが」

アシュマが眉をぴくりと上げた。

****

アシュマはよくああした女子生徒から呼び止められる。

はっきり言えば、モテる男なのだから当然だ。最近は少なくなってきたが、今まで似たようなことは何度もあった。ウィーネはその度に、自分には関係無いとばかりにアシュマから離れていた。そもそも告白とかお誘いの場に、自分が居るのは明らかに邪魔だ。今日の女子生徒も似たような人だろう。学年章は一つ下で、人形みたいに綺麗な子だった。見たことないし、転校生なのかもしれない。

ウィーネは知れず、顔をしかめた。

以前は何とも思わなかった。むしろ、アシュマの気を逸らすことが出来ると思っていたのに、今は何だか別の気持ちでモヤモヤする。だからといってアシュマを咎める権利は無いし、そもそもそんなことをする理由が無い。

アシュマに伝えたいことがあったのだが、何だか気勢が削がれてしまった。

「もう、……言うの止めよう」

ぽつりとつぶやいて、ウィーネは女子寮へと踵を返した。アシュマを待つ必要なんて、どこにも無いのだ。

「ウィーネ先輩!!」

掛けられた声に振り向くと、息を弾ませた男の子がいた。背の高さはウィーネと同じくらいで、ずいぶんと華奢だ。金色の髪に青い瞳の顔は愛らしく、まるで女の子のようだった。制服を着ていなかったら間違えていただろう。「先輩」と呼ばれたから、ウィーネよりも学年は下のはずだ。

「……あ、僕、アニウス・セヴェルって言います。最近転校してきました」

「……そう、セヴェル君? ……私に何か用?」

「あ、……やっぱり、覚えてない……ですよね」

どことなく見覚えがある風に感じて、ウィーネはまじまじとアニウスを見る。だが、ウィーネは人の顔と名前を一致させる作業が得意ではない。ましてや学年が1つ下ともなれば、授業で会う事はほとんど無い。校内ですれ違っただけでは当然覚えることなど出来ないし、ウィーネ先輩……と呼ばれる謂れも無かった。正直に謝る。

「ごめんなさい、どこかで会ったかしら」

それを聞いたアニウスは少しだけ肩を落として、なんとも切なげな顔で首を振った。その表情を見て、なぜか罪悪感を感じてしまう。

「いえ……いいんです、大した事ないですから。……ウィーネ先輩、今、お1人ですか?」

「そう……だけど」

「……あの、僕、この間、図書室で、ウィーネ先輩に韻文のヒントをもらった……」

「ああ」

それか……と思ってウィーネは思い出した。先日、自習室を使う前に寄った図書室に居た子らしい。図書室は今は人が少ないから、座っている子は目立つのだ。図書室で探していた本……『魔法陣と魔力のうねりを制御する法 実践例99』……を見つけて自習室に向かう途中、その子の側でメモ用紙を拾ったのだ。

中身を見るつもりはなかったのだが、ちらりと見えた韻文……「こずえに花のふるえるころ」……ウィーネが見た事のある詩歌だったのですぐに分かった。発音は滑らかに……単語に濁音は使わないように……と、頭を捻った覚えがある。だからつい、「こずえ」ではなく「こぬれ」……という発音をアドバイスした。呪文構築の韻文は、ウィーネの得意な科目だ。

「途中で音楽表現が出てくる詩ね、……円舞曲ワルツとか」

円舞曲……という言葉に、先ほどの舞踏会の事が連想されてウィーネは少し顔をしかめたが、すぐに表情を戻してアニウスに微笑んだ。その表情にアニウスが「はい!」と大きく頷く。

「詩は出来たの?」

「おかげさまで。……ウィーネ先輩に比べると、全然まだまだですけど……あの、よかったら……ウィーネ先輩の見解を聞かせてもらいたくて」

「見解?」

「……僕、ウィーネ先輩に言われたところを見直してみたので……よかったら、で、いいんですけど……」

アニウスが頬を紅潮させながら、うつむいた。男子生徒のくせに、その仕草が小さなお姫様のようで可愛い。ここで「いいえ」と断ることは出来ただろうが、今はアシュマが女子生徒に呼び止められていたこともあって、ウィーネの男子生徒に対する寛容さは大きくなっていた。アシュマも別の女子生徒と話しているのだから、自分が別の男子生徒と話していたとて悪くは無いだろう。なんとなく、思考がそんな風にずれた。

それにアニウスの女の子のような、……女のウィーネですら庇護欲をそそられそうな愛らしい顔を見ていると、邪険には出来なくなる。

「そうね……少しだけなら」

小さく返答すると、アニウスは明らかにホッとしたように顔を綻ばせた。ありがとうございます!……と、ウィーネを慌てさせるほど大きな声でぺこりと頭を下げると、ここではなんだから飲み物を買って談話室にでも……と誘われた。ウィーネも同意して、購買の方へと2人して足を向けた。

「あの、あの、……ウィーネ先輩って、いつも男の先輩と一緒にいますよね?」

道すがら、小動物か何かのように控えめに、だが切り込んだ質問をアニウスが口にした。いつも一緒に居る男の先輩、心当たりは1人いるが「いつも一緒にいる」と明言するのも悔しかった。

「別に、いつも一緒にいるわけじゃないわ」

そういって、ふと、なぜアニウスは自分の名前を知っているのだろう……という疑問が浮かぶ。それを質問しようとしたとき、ウィーネは目の前に見えた光景に足を止めた。

「そうですか、でも見かけるときはいつも隣にいるから、……あ……」

アニウスも、ウィーネの視線に気付いたように足を止める。2人の視線の先には、広い教室へ入ろうとする1組の男女が居た。赤い髪に褐色の肌の男子生徒、それに並ぶように金髪の可愛らしい女子生徒が寄り添っている。女子生徒が楽しげに笑って何かを男子生徒に話し掛けると、それに答えるように男子生徒の口角が上がった。笑っているようだった。

教室はダンスの自主練習に開かれている場所だ。

そして男子生徒は、間違えるはずない。アシュマだった。

「ウィーネ先輩?」

動きを止めてしまったウィーネを、気遣うようにアニウスが覗きこんできた。その空気がウィーネにも伝わって、きゅ……と唇を引き締めて首を振った。

「……なに?」

なんでもない風に振舞う。……だが、ウィーネの心中はまったく穏やかではなかった。言葉では言い表せない、何か、焦りとか諦めとかが込み上げてきて、同時になぜかムカムカと腹が立った。いつもウィーネを抱き寄せたり、お前が欲しいと言っているくせに、他の女子生徒と一緒にいるなんて。

「……あれ、いつもウィーネ先輩と一緒にいる人ですよね」

「別にいつも一緒にいるわけじゃないってば」

「……でも」

まだ何か言葉を言い募ろうとするアニウスに、ウィーネは視線を向けた。その視線を受けて、アニウスはなお続ける。

「あの人、ウィーネ先輩の恋人じゃないんですか? ウィーネ先輩がいるのに、あんな……」

「関係ないってば!」

思わず声を荒げる。どうでもいい。自分には関係ない。現に、ウィーネとアシュマは付き合っているわけではないし、恋人ではないし、召喚主と使い魔という関係でしかない。アシュマが他の女子生徒と一緒に居ようが、ウィーネには関係ない。そのはずなのに。

目の上が微妙に熱い。感情が高ぶって泣きそうなのだと思ったが、どうにか堪える。そもそも、アシュマのあんな場面を見たからといって泣きそうになるのがおかしい。

「恋人じゃ、ないんですか?」

「違うわ」

「……なら、明日の舞踏会は一緒には」

ユール・ログの篝火舞踏会のことを言っているのだろう。この日は男子生徒が女子生徒をエスコートして、ダンスを踊る日だ。当然、パートナーのいる生徒は一緒にやってくる。そうでない生徒は、もちろん意中の生徒を誘って参加する。1人で参加すれば、そうした者同士、会場で誘ったりする。この日をきっかけに付き合い始める生徒達も多く、また、翌日から学校は休暇に入ることもあって、休暇中にデートするなり会えない時間を楽しんだりと、恋を育むのが常套なのだ。

ウィーネは去年1人で参加して、数人の先輩に踊りを申し込まれ、散々な目にあった。今年は隅っこで大人しくしている予定だった。……だから、1人で参加することにしている。決めていた事なのに、心のどこかで隣にはアシュマがいると思いこんでいた。しかし、自分とてアシュマを誘っているわけではないのに、一緒にいる義理はお互いにないのだ。ウィーネは頭を振った。

「い……行かないわ、約束なんてしてないし」

「……そうなんですか……」

「そうよ」

「僕なら、絶対他の女子に目を向けたりしないのに……」

「……えっ?」

何か不思議な言葉を聞いた気がして、改めてアニウスを見る。アニウスはどこか怒ったような顔をして、俯いていた。

「何でもないです」

それ以上聞くことも何となく躊躇われて、少しの間沈黙が落ちた。だが、すぐにアニウスがウィーネに一歩距離を詰めた。

「だったら、……だったら僕が誘います」

「セヴェル君?」

「ウィーネ先輩、僕と一緒にユール・ログの舞踏会、行って下さい」

お願いします!……と頭を下げられ、ウィーネは慌てて首を振った。

「ちょ……ちょっと待って、困る、そんなの。私、誰とも参加しないつもりだったし……」

「それなら! なお、僕と一緒に参加してください。踊りだって踊れますし、ちゃんとエスコートします」

「踊り、は、苦手なの。踊るつもりないし、だから」

「そんな、勿体無いですよ。大丈夫です。苦手な人でも、僕、ちゃんとエスコート出来ますから!」

「な、そ、ちょっと顔を上げてよ、困る」

大きな声で頭を下げるアニウスはかなり目立っていた。徐々に注目を浴びている様子にいたたまれなくなって、ウィーネはアニウスに頭を上げさせる。

「ウィーネ先輩……どうしてもダメですか?」

まるで捨てられた犬のような顔で、アニウスに見つめられてウィーネは怯んだ。

どうしてもダメかと問われても、ウィーネは困ってしまう。誰かに誘われるなんて予想もしなかった。これまで告白めいたことをされたことはあったが、当たり前に断ってきたし、アシュマがあからさまにウィーネの近くにいるようになってから、なぜか一時増えていたそういうことも、今では全くなかったのだ。

しかし、もし誘いを受けたらどうなるのだろう。

なぜかアシュマの顔が浮かぶ。でも、アシュマに義理立てすることはないのだ。アシュマだって他の女子生徒とダンスの練習に行っているではないか。通例として、ダンスの自主練習に一緒に行く2人は、そのまま一緒に本番に参加することが多いという。だから、意中の人を予約するために、自主練習に誘う生徒だっているのだ。一緒に踊りの練習をすれば、一緒に本番に参加したくなるのも道理というもので、アシュマとあの女子生徒だって……。

今まで考えたこともなかったことばかりが、次々に浮かぶ。

もし、ウィーネの魔力が無くなったら。もし、ウィーネよりも美味な魔力が見つかったら。

もしそれがあの女子生徒だったら?

「ウィーネ先輩?」

黙り込んでしまったウィーネを心配して、アニウスが声を掛けた。ハッとして、改めてアニウスを見る。

ウィーネの心のどこかが囁く。

アシュマだってウィーネ以外の女子生徒と舞踏会に参加するのだ。それならば、ウィーネが別の生徒と参加したって、それは道理に叶っている。楽しめばいいではないか。別にアシュマにとってウィーネは、恋人でも何でもないのだから。

でも、そんな、あてつけみたいに。

「ごめん、私やっぱり……」

「ウィーネ先輩!」

アニウスが泣きそうな顔で、ウィーネの両手をぎゅっと握った。

「……僕、明日、舞踏会の日、誰も誘わず待ってますね。ウィーネ先輩が1人だったら、僕、ウィーネ先輩のそばにいますから」

でも、もし隣に誰か居たら諦めます。そう言って、びっくりするくらい愛らしい顔で笑って、ペコリと一礼して駆けていってしまった。

取り残されたウィーネはぼんやりとそれを見送った。

ユール・ログの篝火舞踏会は、明日だ。

もやもやした気持ちは無くなるどころか、もっと複雑に膨らんでしまった。だけどウィーネには、どうしようもない。