誘う悪魔と召喚主

005.恋は盲目

アニウス・セヴェルがウィーネ・シエナに会ったのは、冬と秋の境目の頃だった。秋の半ばに転校してきたアニウスは、その頃はまだウィーネ・シエナが密かに有名な生徒だということは知らなかった。

それは サーウィンの暗闇祭という祭の、前夜祭が学校で行われた時の事だ。その日は全ての生徒と教師が仮装をして、お菓子をもらったり配ったりするイベントが行われていた。

アニウスはもともと上流階級の出で、気位が高い男子生徒である。同じ出自同士の会に出席したことはあっても、こうしたお祭り騒ぎに近いイベントは初めての経験だ。転校したばかりということもあったし、生来のプライドや性格が邪魔をするので、まだ親しい級友も居なかった。イベントは特に面白くも無く、アニウスは適当にお菓子の交換をして適当に中庭を歩いていた。そこに彼女がいたのだ。

まず黒い髪が目を惹いた。長い髪はもつれそうなものなのに、ストンと素直に落ちて乱れがほとんど無い。そのてっぺんに悪魔の角を模したらしいカチューシャを留めている。服装はたっぷりとした白いレースのペチコートを覗かせた黒いジャンパースカートで、丈はとても短いが、膝上靴下ニーハイソックスが足全体を隠していた。ちらりと見えるふとももの白い肌が絶妙だ。退廃的な格好をしているのに、後姿はどこか落ち着いた雰囲気だった。顔を見てみたくて、思わず、「あの」と声を掛ける。

振り向くと、また予想通り……いや、予想以上だった。大きくてぱっちりとした黒い瞳に長い睫毛。そうした瞳は顔を派手に見せがちだけれど、少し伏せられた睫毛は量が多くなくて女子生徒を淑やかに見せている。大人びた表情にふっくらとした唇がアンバランスで、そこがまた魅力的だ。

こんな女子生徒がいたなんて。
悪魔の格好をしているけれど、アニウスには黒い髪の天使に見えた。

祭の決まりに従って呪文を唱えると、彼女は優しく笑ってくれた。その笑顔に自分の顔が熱くなる。お菓子を貰う時に触れた彼女の手の感触も忘れられない。この学校に来てよかったと、楽しい気分になる。

お菓子のやり取りをしたら、どこかに行ってしまったのが残念だった。

それからすぐに女子生徒のことを調べてみた。一つ上の学年のウィーネ・シエナ、校内でもかなり有名な生徒だ。しかも、そのウィーネに声を掛けた……というだけで、これまで親しくも無かった級友からうらやましがられた上に、勇者扱いされたり同情されたりした。不思議に思ってさらに聞いてみると、普段はアシュマール・アグリア……という男子生徒がそばにいて、とても近づけない雰囲気なのだという。

アシュマール・アグリアは、豊富な魔力と妖しい美貌で女子生徒憧れの男子生徒だ。当然、そうとうモテる……にも関わらず、並いる女子生徒の告白を一切受けず、あからさまにウィーネ・シエナ一筋らしい。そうしたアシュマールがそばにいるために、ウィーネに声を掛けることが出来ないほどなのだ。その表情は別段怒っているわけでもないのに、睨まれるとひとたまりもないという噂だ。ウィーネに気がある男子生徒は、誰も近くに寄り付けない。

そのくせ2人に聞くと、「付き合っていない」と否定する。ウィーネらの同級生から掻き集めた情報によれば、アシュマール・アグリアが一方的にウィーネに迫り、付き合っている風に見えるとか。……意外とウィーネ・シエナは押しに弱いのかもしれない……などと思う。

あの綺麗な先輩と、もっと話してみたい。けれど、そのような男がいるなんて。

ふわふわと巻いた金髪に透き通るような青い瞳のアニウス・セヴェルは、昔から「女の子のように可愛い」と評されている。アニウス自身もそういう自分を利用してきた。可愛い顔でお願いをしてみせれば、大概の女性が言うことを聞いてくれることも知っている。

ウィーネには通用するだろうか。
あの綺麗な先輩と学校生活を過ごせたら、どんなに楽しいだろう。

アニウスは魔術学校の生徒らしからぬ表情を浮かべて、作戦を練り始めた。

****

魔術学校にはセヴェル姓の生徒がもう1人居る。それがルフィリア・セヴェルだ。

ルフィリア・セヴェルの天敵は双子の弟だ。アニウス・セヴェル……という彼女の弟は、なぜか自分にそっくりな可愛らしい顔をしていて、小さい頃から「まあ、まるで女の子みたいに可愛い」とか「お姉ちゃんに似て可愛い」とか、よく分からない理由で可愛いと言われている。セヴェル家において、「かわいい」は自分だけでいいはずだ。それを自覚しているルフィリアは、いつだって女の子だからこそ女の子らしい可愛さを追求しているのに、アニウスは何の努力もしていないのに、男であるという理由だけで「女の子みたいに可愛い」と言われる。

そんなわけで、ルフィリアは弟が嫌いだった。

その天敵である弟から、何気なく「最近気になっている女子生徒」の話を聞いた。いや聞かされた。

あれがその女子生徒だよ、と指差された先で視界に入ったのは黒い髪の女子生徒ではなく、赤い髪の男子生徒だった。名前はアシュマール・アグリア。暗い炎を思わせるような赤い髪、褐色の肌、角度によっては紅く見える鋭い双眸、怜悧で端正な顔、しっかりとした体躯、美しいという風ではなく妖艶。妖艶であるにも関わらず男らしい雰囲気。

なんて素敵な男性ひと

ルフィリアは普段から、自分の愛らしい容貌に合わせて好みの男性の理想もまた高かった。それも、正統派の美男子ではなく、どこか影のある冷たい男が好みだった。少女小説を読んでも、白馬に乗って駆ける金髪の王子様よりも、お姫様をさらう悪い騎士に憧れる、そういう女子であった。そういう悪い男が自分にだけ甘く傅く、もしくはそういう悪い男が実は切ない理由で愛を失ってしまい、ヒロインによってその愛を取り戻す……などという路線の話が好きだったのだ。アシュマール・アグリアは、そんなルフィリアのまさに理想の男に見えた。

しかし邪魔な者が居た。

ウィーネ・シエナ……それが邪魔な女子生徒であり弟の想い人だ。腹黒い弟のことだ、ウィーネ・シエナの情報は彼自身の愛らしさを存分に発揮して、様々な女子生徒や、あるいは男子生徒から聞き及んでいるに違いない。もちろん、その隣にいるアシュマール・アグリアのことも。

アニウスはアシュマール・アグリアが邪魔。ルフィリアはウィーネ・シエナが邪魔。

ルフィリアはこうして、天敵である弟と初めて利害が一致したのだった。

踊りに誘ってみたらどうかな、と弟のアニウスが言う。手始めに、練習に誘ってみたら……?と。だが、そう簡単に落ちそうに無い。観察してみると、ウィーネ・シエナとアシュマール・アグリアは、ほとんどぴったりといつも一緒に居る。弟の話によれば、そもそもアシュマールの方がウィーネにつきまとっているらしい。ならばますます難しいだろう。正攻法は使えないね、と、アドバイスされる。

弟からのアドバイスなど腹立たしい事この上ないが、彼は昔からこうした作戦を考えるのが得意なのだ。アニウスは、もしもアシュマールが踊りの誘いを断ったらこう言えばいい……という魔法の言葉を教えてくれた。自分の魅力ではなくそうした小手先の言葉を使うのは気が進まないが、案の定、いい顔をしなかったアシュマにそれを告げるとニヤリと笑って食いついた。

最初の一睨み、含みのある悪いその笑顔、放たれる気配は今までに感じた事がないほどで、恐ろしい猛獣を前にしたようだった。しかし彼を前にした多くの女子生徒がそうであったように、彼女もまた、恋心によって盲目になっていた。ただただ、踊りの練習に付き合ってくれたアシュマール・アグリアに心が沸く。

連れている間は爽快だった。踊りの練習に来ている女子生徒からは羨望の眼差しを、男子生徒からは驚愕の眼差しを向けられている。当然だ。ウィーネ・シエナ以外の女子生徒を寄せ付けなかったアシュマールが、初めて連れたウィーネ以外の女子生徒が、ルフィリアなのだから。

良くも悪くも、ルフィリアは素直で自分に自信のあるごく普通の女子生徒だった。だから、わざわざアニウスがアシュマールを見せた意図や、2人が踊りの練習に行くところにタイミングよく居合わせたことに気付かなかった。

何度も言うが、恋は盲目なのである。

****

こうしてユール・ログの篝火舞踏会の当日がやってきた。

あふ……とウィーネは欠伸を噛み殺して、会場になっている庭園の、そこかしこに置かれた篝火の一つを見つめていた。すぐ近くで焚かれているから温かく、じっと目を凝らしていると炎の精霊達が楽しげに踊っているように見える。

会場には外気を遮断する結界が張られていて、薄着でも寒さは感じなかった。

昨晩……というよりも、今日の午後ギリギリまでずっとアシュマはウィーネを離してくれなかった。トイレとシャワーだけ許してくれて、後はずっと寝台でウィーネを抱き寄せていた。ただ、激しい行為はしてこなかった。ほんの少しの甘い愉悦を味わい、あとはやんわりと抱き寄せる。その暖かさに不覚にもうとうとしてしまい、また目が覚めると同じ目に合わせられる。もどかしくて、だがもどかしいとは言えない。踊りの練習に行っていた女子生徒のことも、ウィーネを誘ってきた男子生徒のことも結局はうやむやになってしまった。もちろん、ウィーネの感情もうやむやのままだ。

そのくせ、着替えて出なければならない……という時間になると、気付けばアシュマは居なかった。待つ義理も約束する必要も無いのだから……と、ウィーネは自分に言い聞かせる。ウィーネは無理矢理アシュマを思考から追い出して、用意しておいたドレスに着替えた。仮装は嫌いだが、綺麗な服を着るのは嫌いではない。それくらいの、普通の女子らしいところは持ち合わせている。

ウィーネが選んだのはアイボリーのドレスだ。細い肩紐で吊るした形で、肩は大きく出ているが胸元が上に上がっているのでそれほど露出は高く見えない。スカートの丈は膝下で、曲線に添うようななだらかなラインでストンと裾を落としている。控え目に広がる裾と胸元に美しい古い意匠を黒い糸で刺繍してあり、その古い模様がウィーネのお気に入りだ。踊りを踊るつもりは無いから、スカートの丈よりも長いストールをふわりと身体に巻き付けて肩を隠す。ストールは同じアイボリーだが、端がオレンジ色でグラデーションになっていた。髪は3分の2ほどをアップにして残りを前に垂らす。前に垂らした髪に小さな髪留め、まとめた髪にはレースを使って作った花を1輪挿した。

ウィーネとしてはかなり気合を入れたが、周囲と比べると実は地味な服装だ。

そもそも舞踏会は篝火を焚いた冬の夜の庭で行うため、それに合わせて華やかな色のドレスを着る女子生徒の方が多いからである。庭は鮮やかな色で溢れ返っている。音楽が始まるまでの間にお相手候補を物色している人、すでにお相手と2人で来ていていい雰囲気の人、皆それぞれだ。それらを横目で見ながら、ついアシュマの姿を探してしまって、ウィーネは舌打ちした。

バカバカしい。

お腹空いたし、早いけど何か食べに行こう。そう思って踵を返したときに、聞き覚えのある声がウィーネを呼びとめた。

「よーう。ウィーネ、相変わらず辛気臭ぇ顔してんな」

「……セルギア君こそ、今日は珍しくお1人かしら?」

「くそっ、うるせぇよ!」

ネルウァ・セルギアだ。一応正装しているらしいが既にだらしなく崩していて、肩をそびやかしてしかめ面をした。去年は特定の彼女が居て意気揚々と参加していたが、今年はユール・ログのタイミングで付き合っている女子生徒が居なかったらしい。

「お前こそ、アグリアはどうしたよ? 今日こそ一緒にいねえなんて、珍しくないか?」

「別に、アグリア君とは約束してないし。関係ないわ」

「へえ?」

ふーん、と、どこか珍しいものでも見るように不躾な視線で見たあと、へっと笑った。そうしたネルウァをじろりと睨んでから、「料理取ってくる」と一歩踏み出した途端、再び呼び止められた。

「……ウィーネ先輩!!」

「セヴェル君」

振り向くと、黒に近い紺色のスーツに身を固めたアニウス・セヴェルが、息を切らせて駆けて来た。アニウスは並んでいるウィーネとネルウァを交互に見て、「あの」と遠慮がちに声を落とす。

「もしかして……ウィーネ先輩の」

「はあ? 俺? やめてくれ! そんな勘違いされただけでも殺される」

視線を向けられたネルウァがぶんぶんと頭と両手を振って後ずさる。その様子にウィーネは呆れて、一体誰に殺されるっていうのよ……と文句を言うと、「それも言ったら殺されるだろ!」と大げさに返された。なぜか腹が立つ。

一方2人のやり取りを見て、アニウスは、この男子生徒が確かネルウァ・セルギア……という生徒だと思い至った。優等生のウィーネ・シエナをやたら構う不良生徒で、その縁で、声を掛け難いアシュマール・アグリアにも普通に接することの出来る生徒らしい。

アニウスはほっとした顔を見せた。

「それなら、ウィーネ先輩にはお相手がいないということですよね」

「……セヴェル君」

「約束です。今日は一緒にいてもいいですよね?」

「あのねえ……」

視界の端に、「こりゃお邪魔ですな」とでも言いたげに、ニヤニヤ笑ってネルウァが一歩下がるのが見える。当然のことながら、助け舟は望めそうに無い。

アニウスは瞳をうるうると潤ませ、期待に満ちた顔で一歩ウィーネに踏み込んだ。そんな顔をされると断れない。踊りに誘われないならかまわないか、……そう思ってしまって返答しようと顔を上げた時、まっすぐこちらに向かって歩いて来る男子生徒の、紅の眼が見えた。