冬期の休みは魔術学校の生徒達にとっても特別な休暇だ。年末年始を挟むために、その間は実家に帰る生徒が多い。ウィーネ・シエナは去年、最初の冬期休暇だったというのに面倒だという理由で実家に帰らなかったため、今回はわざわざ父親が帰りの便を手配したようだ。
この国は魔術が発展している国だけあって、国のそこかしこに魔力を使った施設が設置されている。2点間をつなぐ転送装置もその一つだ。その名の通り、2箇所の地点を転送によって一瞬で行き来する装置で、距離や使用者の魔力などの制約を受けるが、その制約をクリアすれば利用できる優れた施設だ。ただし、利用者の魔力をかなり消費してしまうことから、魔術を生業とする者や魔力を有している者しか利用が出来ない上に、金銭的にもかなり高額な施設だった。当然、学生のウィーネはそう頻繁に使う事は無い。だが、今回は父親が転送装置の利用切符をわざわざ手配して送ってきた。つまり、今年こそはどうしても帰ってこい……ということなのだ。
ウィーネの実家は国の外れのかなり田舎で、こうした転送装置でも使わなければ1日2日で移動する事は出来ない。だから去年は帰省を見合わせたのだが、今年は仕方がない。
荷物をまとめて魔術学校の寮を出ると、校舎への渡り廊下でテンションの高い声に呼び止められた。
「あらあ、ウィーネちゃん。今年は実家帰っちゃうの?」
「はい。ドルシス先生。おはようございます」
振り向くと、華やかな羽飾りの付いた変わった衣装を着たスキンヘッドの教師がポーズを決めたところだった。 魔法薬物学の教師、リウィス・ドルシスだ。決めポーズからの投げキッスを、ちゅ、と1つウィーネに届けると、あはん……と首を傾げた。
「昨日は楽しんだ?」
「……え?」
「やだ! ユール・ログの篝火よっ。今年はウィーネちゃん、踊らなくて済んだの?」
「あ。……はい。踊りませんでした」
「そ。楽しかった?」
楽しかったか……と聞かれると、さんざんな目にあったし、寝起きは最悪だ。だが教師の手前、アシュマに好きにされて自分の気持ちがもやもやしていますなど言えなかったので、あいまいに笑って頷いた。
「はい。おかげさまで」
「そう? 踊っても踊らなくても、楽しめたのならよかったわ」
低いゴツい声でドルシスはウィーネに笑うと、うふん、と嬉しそうに何度も頷いた。
「ところで、アグリア君は? 帰省かしら」
「帰省?」
「そ、一緒にいないなんてめずらしいじゃない?」
「いつも一緒にいるわけじゃ……」
「そーお? 実家に帰っちゃったのかしらね」
実家? ……アシュマの実家? 闇の界だろうか。アシュマは闇の界に里帰りでもしているのだろうか。年末年始を実家で過ごすために……悪魔が?
闇の界上位2位に位置する悪魔の帰省など想像が付かず、そもそも六界に年末年始という概念があるかどうかも甚だ疑問で、ウィーネは首を傾げて沈黙した。そんなウィーネの微妙な表情を、ふう……と瞳を細くして見つめていたドルシスは、あはんと笑って、小さな子供にするように頭を撫でた。
「まあ、また会えるわよ」
「……別に、何も言ってません」
「うふ」
「先生……」
「ん? なあに、ウィーネちゃん」
「……先生、アグリア君って、実家って……」
「どうしたの? ウィーネちゃん、アグリア君の実家、知らないの?」
「え?」
不意打ちの質問に、瞳を丸くしてウィーネが顔を上げる。思いのほか真顔のドルシスと目があって、思わず2度3度瞬きした。ウィーネは顔をしかめて、力いっぱいぶぶぶと頭を振る。
「し、知りません。関係ないし!」
「あらあ」
「それじゃあ、失礼します!」
「はあぃ。よいお年を、ウィーネちゃん」
くすくす笑うドルシスに背を向けて、ウィーネはトランクをごろごろ引っ張って早足に歩き出した。
「いやーん、もう、ほんっと、可愛い子猫ちゃんなんだから」
その背中を見送りながら、ドルシスはうふっ! と笑った。
****
魔術学校がある都市からずいぶん離れた、列車を乗り継いでも3日はかかるような田舎の街。この辺りでは唯一転送装置が設置されているその街から、さらに2時間ほど魔法馬車を走らせた郊外に、離れの付いた小さい屋敷があった。小さいといっても過ごしやすそうなその屋敷の裏には、今はすっかり収穫の終えたブドウ畑が広がっていて、川のせせらぎを伝って少し歩けばシレナタの林がある。
屋敷の居間には立派な暖炉が供えてあり、パチパチと薪の爆ぜる心地のよい音を立てている。暖炉のそばにある調理台には鍋が掛けられていて、室内にはどことなく甘く芳醇な香りが漂っていた。年代ものだがよく手入れされた座り心地のよいソファに、主人と客人が向かい合って座っている。上に座した恰幅のよい中年の紳士が、機嫌の良い顔で珈琲を口に運んだ。
「いやはや、こんな田舎によく来てくれたね。街からだって2時間は掛かっただろう?」
中年の紳士の言葉に、客人が「いえ」と慎ましく首を振る。客人はまだ若い青年で、端正だが鋭い表情はきつく冷たく見える。しかしあくまでも丁寧な言葉遣いと態度で、主人には好印象に写ったようだ。
「もともとどこに行こうと決めてなかったので、遠さは全く気になりませんでした」
「だが年の瀬だろう。君も帰省するのではなかったのかい? ああ、おいお前! そろそろワイン、いいんじゃないか? 君も飲んでみるかな? うちのブドウで作ってもらったワインでね」
「いただきましょう」
主人が首をひねって食堂に声を掛けると、奥からふんわりした雰囲気の愛らしい女性がエプロンで手を拭きながら出て来た。この黒い髪の女性は主人の妻だ。
「あらあらもう、さっき火にかけたところなのに。ちょっと待ってね、ふふ、もうそろそろいいかしら」
妻はにっこりと客人に笑いかけると、暖炉に掛けてある鍋を覗き込む。ふんふんと香りを確かめて小さく頷くと、近くにあった棚からガラス製のカップを2つ取り出した。
カップにワインをよそっている妻をよそに、主人が話を続ける。
「ああ、話の腰を折ってすまないね。……帰省しなくても大丈夫なのかい? 親御さんも心配しているだろう」
「いえ、心配するような両親はいません。もともと帰省する場所は特に無い身ですから」
少しだけ憂い気味な表情を見せて、客人は声を落とした。
様々な意味にも取れる言葉だったが、そうした客人の様子を主人はとても誠実に受け取ったようだ。客人の赤い髪と褐色の肌、……この国ではあまり見られない珍しい容貌を観察した後、少し難しい顔をしてふむう……と唸った。温めたワイン……モルドワインを2人に出しながら、妻も、「まあ……」などと言いながら、気遣わしげに眉尻を下げる。
そうした空気を打ち消すように客人は小さく笑って、モルドワインの湯気に「美味しそうだ」と頷いてみせた。主人が「飲んでごらん」と促し、2人して熱いワインを口にする。
「美味しいだろう。冬はよくこうして飲むんだよ」
「ええ。身体が温まりますね」
「そうだろう」
ほっとした雰囲気に主人がほう……と息を吐き、「それならば」と話を続ける。
「今日の宿はどこに?」
「宿は街に取ってあります。折角ここまで来ましたから、いろいろ見てみようかと思っていまして」
「見てみるものなど何も無いが、……だが学校の友人が居たらアレも喜ぶだろう」
「そうだといいのですが」
くす……と青年が笑うと、妻が主人の隣に座った。主人が妻の腰を優しく抱き寄せて、仲睦まじい様子を見せる。2人の話を聞いていた妻が、「それなら」と手を組んだ。
「街の宿だと遠いし、こちらに来るのも不便でしょうに。あなた、どうせなら離れを使ってもらったら?」
「おお、そうだな。君、滞在する間、家の離れを使うといい」
「え?」
それはとてもいい考えだ! とでも言うかのように、楽しそうに妻がはしゃいで手を叩いた。
「ねえ、そうするといいわ。あの子もきっと喜ぶでしょうし。どうせなら休みの間いたら? お友達がいれば一緒にお勉強も出来るでしょう」
「いや、しかしそれは……」
戸惑ったような青年に、主人が首を振った。
「遠慮することはないんだよ。妻はにぎやかなのが好きでね。家は息子らばかりだから、君が1人増えたところで心配することは無いし、離れは広い割りに誰も使っていないんだ」
「ご迷惑なのでは?」
「もちろん、家にいる限りはいろいろ手伝ってもらえるとありがたいがね。それに君の予定が無ければ……の話だ。街に用があれば逆に不便だろうし、無理強いはしないよ」
どうだい? と、主人が人懐こい穏やかな笑みを浮かべた。妻もにこにこと、屈託無く笑っている。客人はしばらくの間迷っていたようだが、2人の顔を見比べて、やがて頭を下げた。
「……いや、そう言われると助かります。ぜひ、お願いします」
「ああ、よかった!」
真っ先に喜んだのは妻だ。うふんと主人に向けて笑うと、「美味しい料理、たくさん作らなくっちゃ!」とまたはしゃぐ。何歳になっても少女のような面影を残す自慢の妻を愛しげに見て、主人もうんうんと頷いた。
「もうすぐ娘も帰ってくるだろう。君がいるなんて知ったら驚くぞ」
ふふふ、と主人も楽しげに笑って、そわそわと窓の外を気にし始める。客人も静かに落ち着いた笑みを見せて、つられたように窓に視線を移した。
「それにしても、あの子にこんな素敵な男の子がいるなんて、ねえ? あなた」
それを聞いて、少しばかり主人が顔をしかめる。
「ななっ!? あの子にはまだ早いぞ、あくまでも友達だろう。なあ? そういうのはまだ早い」
「あら、まだ早いだなんて。私達だって初めて会ったのはこのくらいの歳だったじゃない」
その会話に客人はきょとんと瞳を丸くして見せ、苦笑しながら首を振った。
「彼女とは一緒に魔術学校で授業を受けている間柄です」
「そ、そうか。や、だがまあ、その……その辺りは、まだ学生だということを忘れないでくれたまえよ」
「もちろんですとも」
自信満々に客人は請け負って、モルドワインを口に運んだ。端正な客人の顔からは、確かにそれ以上の他意はない様で、あくまでも主人らの言う「あの子」の学友なのだろうと思わせるに足りた。
「ウィーネはもうすぐ帰ってくるだろう。荷物は宿に? 明日一緒に取りに行くといい」
「そうしましょう」
「あら。見て、魔法馬車よ。帰ってきたみたい。うふふ、ウィーネ驚くかしら」
妻が立ち上がり、ぱたぱたと窓に近付いて外を覗き込んだ。客人の青年も立ち上がると、ちらりと窓の外を見遣る。見れば遠くから馬車が近付いてくる。
「ウィーネ……シエナ君の、馬車でしょうか」
「ええ、きっとそうよ。今の時間に馬車……なんて、ウィーネしかいないわ」
楽しみ楽しみ、と言いながら妻が窓を離れる。客人はまだその場を動かずにじっと窓の外を眺めながら、光の具合によっては紅にも見える紅茶色の瞳を細めた。
聞かなくとも、もちろん客人は知っている。あの馬車に、彼の求める人物が確かに乗っている。黒い髪に黒い瞳、甘い魔力を纏った少女の気配は、先ほどからずっと客人の心を騒がせていた。
「アシュマール君を見てびっくりする顔が楽しみだな。あの子は真面目でね、滅多に驚かないんだ」
「分かります」
主人、ウィウス・シエナの声にアシュマールと呼ばれた客人が楽しそうに頷いた。やがて魔法馬車が家の玄関で止まり、御者に荷物を下ろしてもらう少女の姿がいよいよ見えた。
自分の姿を見たら、あの少女はどれほど驚くだろうか。驚いて、怒って、困惑して、焦って、様々な感情を向けてくるに違いない。ああ、こちらに向かってくる。寒さに手をさすりながら、白い息を吐いている。寒いのだろうか、風邪を引いてしまう。早く入ってくればいい。
今すぐにでも飛び出してあの身体を暖めて、それ以上に熱くさせたいと思ったが、客人は堪えてソファに戻る。
玄関の呼び鈴が鳴って、「ただいま……」と、少し疲れた、それでも充分に愛らしい声が聞こえた。
人に擬態した悪魔は嗤う。
楽しい休暇になりそうだった。
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「……セルギア、この文章はどういう意味だ」
「ぶわっ! ……なんだよアグリア、いきなり背後から声掛けるなよ、心臓が口から出るだろうが!!」
「セルギアの口から出ているのは珈琲だろう。心臓は口から出ていない」
「真顔で言うな! くそっ、何だ、どの文章だって?」
「これだ、『女を喜ばせるサプライズ このシーズンがチャンス』」
「……ああ、つーかなんでお前こんなのに興味……わあああああかった、分かった、分かったからそんな目で見るな怖えぇよ!!」
「驚かせる……ということか」
「驚かせるって言っても、突然『わあ!』ってびっくりさせるわけじゃねーぞ。思いがけない贈り物や、大事なことを忘れているフリをして、実は覚えてましたとか、そういう小っさいイベントを用意しろってことだよ」
「そんなものに女は喜ぶのか」
「喜ぶっつーか、『無い』って思ってたものが実は『ある』って分かったときって、余計に嬉しいだろ?」
「……ああ」
「ほんとに分かってんのかよ……って、だからにらむな、睨むな!っつってんだろ!」
「それが、なぜこの季節がチャンスなのだ」
「ユール・ログがあるからだろ。ユール・ログは恋人たちの聖夜って言われてて、学校でも舞踏会が開かれるしな。女はああいうロマンチックなイベントが好きなんだよ」
「だから、それと何が関係するんだ」
「いいか。女は口にはしないが『自分を誘ってくれないかな』なんて待ってるもんだ。だが男はつれないそぶりをする。女はがっかりする。だけど当日『君を誘いたい』なんて言ってみろ、がっかりした分反動で、がつんと喜びもひとしおってわけだ」
「……そういうものか」
「ただし、こいつにはリスクがあってな。女をがっかりさせている間に、別の男に持ってかれるかもしれねーだろ。タイミングが大事だ」
「それは心配ない」
「あっそ。ま、ユール・ログは、そういうイベントってこった。それに終われば冬の休暇だ。冬の休暇っつーのは、大概実家に戻るもんだ。学校の行事から離れて過ごしてる女に、ぽっと連絡なんか入れてみろ、絶対よろこぶだろ。冬の間はそういうチャンスが目白押しってことなんだよ」
「なるほど、な」
「サプライズっつーのはな、引いて、押す。この兼ね合いが重要なんだよ。高等テクニックだな」
「セルギア、君はユール・ログはそうして女を得て過ごすのか」
「はあ!? うるせーよ、ほっとけよ、いいか、いっとくけどな、俺は別のこの記事読んでたんじゃねーぞ、この隣のコラムをだな、ってかおい聞けよアグリア!!」
ユール・ログの前夜。
ウィーネが自習室で悶々と勉強しているころ、談話室でくだらない話をしていた男二人。