来たときと同じ道をまた帰る。ウィーネがちらと隣を見ると、アシュマはきちんと手綱を持って前を向いていた。その様子にひとまずほっと息を吐いて、背中を背もたれに預ける。はあ……とため息を吐いて、ぼんやりと外の景色を眺めていると、とっとっと……と馬の足が速くなり、道を外れて森の中に入って行った。
慌てて身体を起こして、きょろきょろと周囲を確認する。
「ちょ、ちょっと、道外れて……アシュマっ」
「分かっている」
「分かっているって……迷ったらどうするの、この森道無いわよ」
「迷わぬ。我を誰だと思っているのだ、ウィーネ」
アシュマは手綱を離すと、ウィーネの肩を掴んだ。抵抗する暇を与えることなくそのまま引き寄せ、腰を深く抱いて自分の腕の中に囲む。
「あ、アシュマっ……やっ」
「ウィーネ」
ウィーネの名前を唱えるアシュマの声は急いていた。いつも余裕の動きではなく、早く、もっと、……とウィーネの身体をまさぐり始める。
「待って、何して、……こんなところで、いやっ」
「ウィーネ、糧はもらうと言った」
「い、った、けどっ、こんなところでなんて、やだっ」
「ダメだ。今すぐ欲しい」
「部屋に戻って……」
「ダメだ。馬車で戻らなければ怪しまれるのだろう。……それに」
アシュマの指が、ウィーネの整えられた唇に触れる。そうして、今度は不機嫌そうに表情を歪めた。その様に、びくりとウィーネが震える。それを見て、さらに眉間の皺が深くなる。
「これで終わりではない」
どういう意味と問うウィーネの言葉を塞いだのはアシュマの唇だった。
****
落ち葉を踏みながら馬は迷うことなく森を進む。御者台に座っている人物は手綱を持っておらず、膝の上に少女を乗せていた。車は御者台ごと四方を壁に囲まれているから、声は聞こえない。
どう見ても馬車を操作している者はいないが、車は転倒する不安定さも無く、重さを感じさせる気配も無く、木々の間の広い隙間を縫うように進む。その不思議な光景を見ているものは誰もいなかった。
「ウィーネ……魔力を……」
悪魔が、じゅるっ……と大袈裟な音を立てて柔らかい少女の唇を一度吸って離す。「やめて、やめて」……と少女が身じろぎをしたが、細い両手は抱き締めている悪魔の腕が拘束していて動かないし、足をばたつかせる事も出来ない。
ふっくらしたウィーネの唇を長く厚い舌がこじ開けた。柔らかなウィーネの舌を追いかけてめくり上げ、悪魔の舌に乗せられてはとろりと落とされる。逃げても逃げても楽しむように追いかけて絡まった。口腔内をうごめくぬるぬるとしていて温かい質感に、ウィーネの身体にぞくりとした寒気にも似た感覚が走る。戯れているのは唇と舌、それなのに下腹がくつくつと熱くなる。
時々アシュマが重ねる唇の角度を変えて、ウィーネの上唇や下唇を甘く挟む。舌を追いかけられる激しい感覚と、唇を撫でていく甘い感覚の両方に、下腹の熱が喉まで昇ってきて痛みを覚えるほどだ。押されて後ろに倒れ込みそうになる頭をアシュマの手が支え、さらに深く唇が繋がる。
ウィーネが愛らしく化粧で唇を整えたのは、マクセンのためだったのかとアシュマにもなんとなく分かり、いつまでもそれを付けさせておくのは面白くなかった。グロスを全て舐め取るように、ぐちゃぐちゃと音を立てる。唾液を啜り舌を吸い上げると、ウィーネの甘い魔力がアシュマの喉に流れ込んできた。
情欲に意識を囚われていたが、ふと気付くと、ウィーネの魔力に困惑と恐怖が交じっている。アシュマはそれに気付いて、少し力を緩めてやった。
唇が離れたが銀糸がつながっていて、やがてそれは顎へと伝い落ちた。緩めてやれば慌てて離れるかと思ったウィーネは、困ったような潤んだ瞳でアシュマを見上げている。途端に、アシュマの好む芳醇な甘い魔力の香りが、むせ返るように立ち込めた。その表情と感情の移り変わりはアシュマの予想に反した。
「あ……」
そうして、ウィーネがため息のような声を出した。「嫌がってる割に心地よさそうだな」とでも言ってからかってやろうと思っていたのに、ウィーネの少し開いた唇の隙間から見える桃色の舌を見ていると、悪魔の理性など霧散する。
マクセンに苛立っていたことなどどうでもよくなり、ウィーネの切ない感情を欲しいと飢えた心地を覚えた。
「ウィー、ネ」
再び唇を重ねて動かすと、つられるようにそこが開く。遠慮なく侵入しながら、アシュマはウィーネの曲線に手を這わせ始めた。ふかふかとした裏起毛のコートの下はニットのワンピースだ。制服とは違う格好はアシュマの興味を引いていたが、厚手の生地は少女の肉付きを隠してしまい少しばかり物足りない。
「や……だ、なにやってるのアシュマ……おねがい、やめ、て、」
「我慢出来ない」
「だって、だれかきた、ら」
「もうしばらくは誰も居ない。……ウィーネ」
奥に触れたい。
ウィーネのどこかにある、何かが欲しい。
奥に触れれば、アシュマが欲しいと思うウィーネの何かが見つかるだろうか。だが、アシュマには……悪魔には、一体何が欲しいのかが分からない。だから、ウィーネごと求めるほかないのだ。
ウィーネの全てを。
「欲しい」
一言そう言うと、アシュマの手がウィーネのニットワンピースをたくし上げる。腹に触れ、厚手のタイツの中に手を入れた。何かウィーネが抗議の言葉を口にしているようだが、アシュマの耳には意味を為して届かなかった。ただ鈴の鳴るようなその声が、アシュマの内側を疼かせた。
長い指がウィーネの中を探り、つう……と形をなぞった。ぬるりとしたぬめりを指に感じて、それ以上は侵食しない。タイツと下着に手を掛けて、それを一気にふとももまで下ろす。
ひやりとした温度を感じて、「やだぁ……」とウィーネが首を振った。
アシュマはふるふると首を振るウィーネを前に向かせると、ふとももと腰をまとめて抱き上げた。アシュマに背中を向けるような形でウィーネを膝の上に乗せ、少しだけ身体を持ち上げる。
ウィーネの剥き出しになった裂け目に、何かが擦りつけられる。それがアシュマの欲の塊だと認識したと同時に、ぐつ……とウィーネの入り口を割って入った。
「ん……あぁっ……は……」
口付けを交わしただけでどれほども触られていない場所だったが、ゆっくりと挿れていくときつく締め上げるように奥へと誘い込む。一気に貫くものではないが、容赦の無い侵入だった。
「ふ……きついな」
ため息混じりにウィーネに囁く。抜けないように片方の手を添えて、もう片方の手でウィーネの額にそっと触れた。顔を後ろに傾かせて、ウィーネの唇に触れる。初めての口付けのように慎み深く唇同士を触れ合わせながら、つながりあっている下半身をがつんと大きく揺らした。
「やぁぁんっ……!」
「は、あ。ウィーネ」
ウィーネの嬌声を合図に、抱えている腰を引きつけるように動かし始める。ウィーネから溢れる蜜液がアシュマの質量に押し出され、互いが触れ合った部分を濡らす。にちにちと粘着質な音をたてながら、ウィーネの柔らかくてきつい内側がアシュマの硬く熱い欲望を咥えて、互いを擦り合わせた。
不安定な姿勢に、ウィーネがアシュマの足に掴まる。ウィーネが動かないように、アシュマは後ろから抱き締めた。そのまま深い抽送を繰り返す。時々ぐるりと大きく腰を押し付けると、アシュマを包み込んでいる柔肉がやわやわと収縮して奥へと誘い込んだ。咥え込んでいるすぐ上の小さな膨らみを捏ねまわすと、内奥がきつく締まってひくひくと小刻みにうごめく。ウィーネが激しく感じている証拠だ。
「アシュマ、……や、だめ、も……う」
「出す、ぞ、ウィーネ……我の……」
アシュマの吐息から余裕が失われ、感に堪えぬ風な声で呻いた。いつも冷静なアシュマの余裕の無い声を聞いていると、ウィーネの胸が表現出来ない奇妙な充足感で満たされる。甘く満たされたその感触が一気に高鳴ってウィーネが達すると、同時にどくどくと奥でアシュマが脈動した。鼓動を一つ打つたびに、どくんと熱い飛沫が吐き出される。全ての精を吐いてもまだ余韻に腰を揺らしていると、溢れる液に白が混じって量が増えた。
ウィーネは力の入らなくなった身体をくたりとアシュマの胸に預ける。逞しい腕がそれを受け止めてやさしい手つきでなでた。
****
馬車は何事も無かったように森の中の獣道を進んでいる。どのように道を選んでいるのか、衝撃は少なく木々にぶつかる事も無い。
御者台でアシュマはくったりと自分に身体を寄せてくるウィーネを抱き、その髪に顎を埋めていた。アシュマの中に渦巻く不愉快な感情は今は収まっている。
感情の正体は嫉妬だ。
……それは、女子生徒と一緒に居たアシュマに対して、ウィーネが向けてきた感情と同じだ。卑小な人間ごときに闇の界上位2位の悪魔が嫉妬をするなど不快極まりなく、一思いに消してしまえばすっきりするだろう。……だが契約は為された。狂おしいその糧を思えば、あの人間1人放っておくことなど、どうということも無い。たった今ウィーネは自分の腕の中にあり、これからもこの存在を離すつもりはないからだ。問題は、嫉妬という激しい感情……その根幹のような気がした。
しかし。
「アシュ、あ、……あふ」
行きと同じようにウィーネはアシュマの腕の中で眠っていた。交わった後は、ウィーネは必ずこうしてアシュマに己を預けて眠るのだ。眠っている合間にアシュマの名前らしい何かをむにゃむにゃと口にしていて、その様子を眺めていると気分がいい。ウィーネの体重と体温は心地がよく、この匂いを抱いていると安心した。
安心?
何に?
それは分からない。この心地よさの正体が何なのか。
「ウィーネ……」
アシュマの……今は人間の中低音の声がぶれる。唸るような重低音が重なり、辺りの空気が揺れて……すぐに戻る。
埋めていたウィーネの髪から、アシュマが顔を上げた。片方の手を一振りすると、馬の足が止まる。目の前には何も無かったが、アシュマには魔力の壁が見えていた。……ここからは、シエナ家の……ウィーネの父ウィウスの領域になる。人間の張った結界は、いかに腕のいい魔法使いが張ったものであろうとも、アシュマにとっては児戯に等しい。視線だけで構造を理解し、指一本で術者にすら分からぬように造り変えることも可能だ。だが、今はまだ、少なくとも夜以外で、怪しい動きをするつもりは無かった。
この境界を越えればあちらに魔法馬車の動きは察知されるだろう。アシュマは視線を横に振って、道に戻るように馬に命じる。
アシュマはウィーネの頬に自分の頬を擦り寄せた。
「ウィーネ、起きろ。……もうすぐ着くぞ」
顔を離して見下ろしていると、むずかるように眉が歪み、ウィーネの瞼が震えた。
****
「おかえりウィーネ!!」
馬を厩舎につないでいると、家の裏口からすらりとした細身の男が出て来た。マグネティよりは少し背の低い若い男だ。男は詰襟のコートを着崩していて、腰に剣を佩いていた。男はウィーネの姿を見るなり駆け寄り、ぎゅう……と抱き締めてくる。傍らのアシュマが、眉間に縦皺を寄せたが男は気付いていないようだ。
抱きつかれたウィーネは顔をしかめて、腕から逃れた。
「フィン兄、ちょっと抱きつかないでよ」
「冷たい! ウィーネ、折角かっこいいお兄ちゃんが帰ってきたっていうのに冷たい!」
ウィーネに引き剥がされながらも男はめげずにウィーネの整った頭をくしゃくしゃにした。乱れた髪を機嫌悪く直しながら、ウィーネは「はいはいおかえりなさい」と面倒そうにあしらう。
男の名前はフィンティ・シエナ、ウィーネの長兄だ。騎士団に所属している。シエナ家で一番ウィーネを甘やかし、一番ウィーネを溺愛しているが、一番ウィーネに敬遠されている報われない兄だ。ちなみに、ウィーネとは8つ歳が離れている。物静かなマグネティや、懐いているアルカディに比べるとどうしても年齢が離れているし、17歳の少女にとってやたらと自分を構う歳の離れた兄……というのは、それだけでどこか得体の知れない生き物なのである。
その得体の知れない長兄という生き物から、ウィーネは身体を離した。不本意な事に、先ほどまでアシュマにいいようにされていた上に、あまつさえ腕の中で気持ちよく眠りこけていたのだ。そんな自分にどことなく触れて欲しくなかった。うっとうしいし、恥ずかしいのである。
つれなくされたフィンティは、「なんだよー、ひさびさに会うのによう……」と拗ねたようにウィーネを離し、ようやくアシュマの存在に気付いた。馬をつなぎ後始末をしている姿に、フィンティは瞳を丸くしてしげしげと見やる。
「あんた……」
アシュマはフィンティに向きあって、常の通り丁寧な礼を取った。
「アシュマール・アグリアです。ウィーネの同級生で、休暇の間、こちらで世話になっています」
「ああ。聞いてる」
どこか慎重に頷きながら、不躾とも思えるほどの視線を投げかけて上から下までアシュマを眺めた。フィンティは、アシュマがシエナ家に滞在すると決まった直後に、父のウィウスから連絡をもらっていたらしい。じ……とアシュマを見つめると、アシュマもまた睨み付けるわけでなく、少し困ったような表情で首を傾げている。その様子をしばらく眺めた後、ふん……と鼻を鳴らした。
「……アグリア、な。ウィーネが世話んなったな」
「いえ。こちらこそ」
当り障りの無い挨拶をあいかわらずうさんくさげに見やったウィーネは、2人のそばを離れて家の裏口へと足を向けた。丁度そのタイミングでカチャリと扉が開き、兄のマグネティが出てくる。ちょうど鉢合わせたウィーネを見下ろして、ぽん……と頭に軽く手を乗せてから、「離れの風呂、修理してくる」……とだけ言って、離れに行こうとした。
マグネティに頷いたウィーネは、アシュマにマクセンのお菓子を持っていくから先に家に入ると伝えて、兄2人の横を通り過ぎた。
それを聞いたフィンティが、ウィーネを呼び止める。
「ウィーネ、マクセンのところに行ったのか?」
「……うん。年始に食べるお菓子をもらいに」
「子供生まれたんだろ? 見たか。俺まだ見てないんだよな」
「レリアさんがまだお店に出てないんだって」
「そっか。今年の秋に生まれたらしいぜ。休みの間に一緒に観に行くか?」
マクセンと一番仲がよかったのはフィンティだ。悪気無く、ウィーネの興味を持ちそうな話題を口にしたのだろう。だがウィーネは、先ほどの街での微妙な空気と……そして一気に怖くなったアシュマとのことを思い出して、何とか話題を逸らそうとした。
「フィン兄1人で行って来れば? 私は休みの間勉強が忙しいの」
「何だよそれ、ウィーネ仲がよかっただろ」
男というのは女の微妙な表情の変化には気付き難い生き物だ。……相手が17歳という年頃の少女であればなおさらである。またフィンティは直情的で、ちょっとデリカシーの欠けたところがあった。空気の読めないフィンティが話を続けるのと、アシュマがウィーネのそばに行ってバスケットを取り上げるのと、マグネティがフィンティの頭をこずいたのは同時だ。
「って! なにすんだよマグネティ!」
「…………」
マグネティがアシュマとウィーネに顎をしゃくって、台所へ行けと促した。ウィーネは苦笑して、アシュマと共に家の中に入る。
「なんだよ、マグ、ウィーネが……」
「兄貴な……」
2人が家に入ったのを見届けると、マグネティがはあ……とため息を吐いた。マクセンとウィーネに距離の近かったフィンティに比べて、マグネティは一歩引いたところでいつもウィーネの挙動を見ていたからよく知っているのだ。少なくとも当時、ウィーネはマクセンに対して淡い恋心を抱いていた。幼い頃と言っても、ウィーネにとってはたったの3年前のことだ。それに今朝、母親からマクセンのところにお使いを頼まれた時も微妙な顔をしていた。ウィーネが今マクセンをどう思っているかは知らないが、それでも機嫌よく笑いながら赤ん坊とマクセンを祝福する気にはなれなかったのだろう。
……今はアシュマール・アグリアという同級生も隣にいたし、初恋の相手のことをどうこうと言われるのは気分のいいものではないはずだ。
「あのな……マクセンは……」
「え、ウィーネの?……」
小さな声でマグネティはフィンティに耳打ちする。年末年始に、あまり話題にしてやるな……とアドバイスしたのだが……。
――― はつこい?
それに対して、人間離れした聴覚で聞き耳をたてている悪魔がいた。
地獄耳とはよく言ったものである。