教える悪魔と召喚主

悪魔の見立て

その店は、普段は女性の出入りが多い店だ。ただ、男性客が居ないというわけではない。大半が女性に連れられて肩身を狭くしながら商品を選ぶ様子を待っているが、時に、女性客を連れて堂々と好みの商品を物色する男性客もいる。今日訪ねてきた若い青年は、後者の客のようだった。

隣に並んでいるのは少女といってもいいような年頃だ。魔術学校の生徒かもしれない少女は、長い黒い髪と白い肌……そして生意気そうにふっくらと潤んだ唇が可愛らしい。慣れぬ店に明らかにおどおどとしている少女とは正反対に、連れている褐色の肌の青年はどこか泰然としていた。彼もまたこうした高級な店に女性を連れてくる年齢にしては若く見えたが、一般人にはとても見えない端正な風貌と雰囲気を持ち合わせていたので、全く不自然ではない。

どのような年齢であろうが、客は客。若い女の店員が、2人に向けて美しい礼を取る。

いくつかの言葉を交わし、不安げな少女の手が店員に引き渡された。店員はにこやかな笑みを少女に向ける。こうした場に出て緊張している少女の心を、出来る限り解きほぐすのも店員の大切な心得だ。いつもの丁寧な言葉遣いを少し緩めて、親しみやすさを意識する。

「お客さま、こちらにどうぞ。彼と一緒にお買い物ですか?」

「あ、え、いや」

違う、と首を振りかけた少女の言葉をさえぎるように、青年がにっこりと笑って引き継ぐ。青年は目元が鋭く冷たいが、唯一、少女を見下ろす時だけその鋭さがひどく甘くなる。そうした視線も店員に戻る時には、警戒心の強い慇懃で丁寧なものになった。

「ええそうです。アルバースの日だから驚かせようと思って」

「何言ってるの、アシュマ、ちが」

「ほら、早く行こうウィーネ」

「は、はあ? 何今の」

早く行こう。

……という言葉に反応した少女は、黒水晶のような綺麗な瞳をまん丸に見開き、にこやかに笑っている青年を見上げた。そんな2人のやり取りを微笑ましく見遣りながら、店員は少女を奥の部屋へと促す。

「まあ、優しい。素敵な恋人さんですわね。あ、男性はここから先はご遠慮くださいね」

「何故?」

一緒に奥の部屋に行こうとしていた青年が止められ、急に剣呑な光を帯びる。しかし、その低くなった気配を察したように少女が青年の胸板に触れてそっと押しやった。

「アシュマ! ……何故、じゃない、ちゃんと計るからこっちこないでお願い!」

むっとしていた青年だったが、少女からそのように言われて不承不承足を止めた。自分の胸板に乗せられた細い手をそっと取って一撫でし、「しかたないな……」と離す。奥の部屋へ連れて行かれる少女の背を名残惜しげに見送って、青年は店内へとぐるりと視線を向けた。

****

「デザインは、お客さまがお選びに? それとも、あちらの女性の方がお好きなものを?」

少女を連れて行った若い店員に比べて、いくらか年嵩のベテラン店員が青年に話しかけた。青年はめぼしい商品を手に取り物色していたが、店員の言葉に顔を上げる。あくまでも丁寧な物腰を崩さずに、店員に向けて静かに頷いた。

「彼女が欲しいというものがあれば、それを。他にいくつかは……」

声のトーンを落として、青年が店員に何かしらを伝える。店員はふむふむ……とそれを聞き届けると、得心したように頷き、簡単な手続きを行った。そうして、再び店内を案内する。

「では、品物はそのように手配いたしましょう。早速ですが、どのようなものをお探しに?」

「特別に美しいものと、普段から気兼ねなく着けられるようなものを」

店内の一角へと案内される。並べられている商品は色も細工も様々で美しいが……それでいて、決して身につけるのを躊躇うほどではないものが並べられている。店員は、その中のひとつを手に取る。

「でしたら、まずはこちらのセットはいかがでしょう? 最高級の手編みレースと刺繍を施してありまして、見た目の美しさもさることながら、実用性ももちろん兼ね備えております」

「こちらは?」

しかし、青年が興味を示したのはそれよりもさらに見た目も手触りも美しいもので、身に付けるのを躊躇うほどの……装飾性を帯びている。店員は少し驚いたように動きを止めたが、青年の淡々とした瞳の色に、決して冗談を言っているわけではなく、また冷やかしではない本気を見て取って、丁寧な商品説明を行う。

「こちらは……、実用性よりはむしろ装飾性に重点を置いております。もちろん、実用に耐えられぬというほどではありませんが。……もしお求めでしたら、こちらの……こうしたものとセットをお勧めしております」

「なるほど」

青年が深く頷いた。店員が取り出した商品を並べると、揃いの色が徐々に重なっていく様子が目に映る。それを身に着けた時の少女の姿を思い浮かべたのか、青年の口元が少し綻び、満足そうに他の商品を見渡した。青年が気に入った様子を得た店員は、さらに別の商品も薦める。

「気分によってはこちらを合わせても、魅力的な組み合わせとなりますね」

「ではまずはこれを……それから」

青年は店員を引き連れて、店内をゆっくりと吟味する。

****

「疲れた……」

部屋に戻ったウィーネはぐったりと寝台に倒れ込んだ。アシュマに連れていかれた店は、確かに大変素晴らしく、確かにウィーネ憧れの店だった。これが、たとえば、お金を貯めて自分で選びに行ったのであればとても楽しかったであろうに、よりによってアシュマに恋人面して連れて行かれようとは思ってもみなかった。普段は意地悪な悪魔のくせに、相変わらずいいこぶった丁寧な物腰で人間に化けているのが癪に障る。

ウィーネはプレゼント用に包んでもらった紙袋をちらりと見やる。お客さまが好きなものを……と言われて、いくつかの品物を店員とアシュマに一緒になって勧められた。選ばなければ話が終わりそうに無かったから、しぶしぶ選んだ品物は若々しいデザインで、普段でも使うことが出来るかな……といった風だ。あの店の中では割りとリーズナブルな部類で、それでもさすがというべきか、身に着けたときのフィット感は心地よく、装飾性だけではなく使いやすさも重視した素晴らしい商品である事がよく分かった。

部屋には自分だけのはずなのに、ウィーネはなぜかきょろきょろと挙動不信に周囲を見渡して袋を手に取った。

綺麗に包まれたリボンをするりと解いて、かさかさと包んである紙を広げてみる。

「はあ……」

そこにあったのは、とても綺麗な下着ランジェリーだった。胸を包み込む白いチュールレースにアンティーク風の刺繍。刺繍は立体的な薄紫の花を細かくたっぷりとあしらっている。ご丁寧に上下セット、さらにレースを重ねた薄地のキャミソールも付いていて、それほどいやらしいものではなくどことなく爽やかで、確かにこれならばウィーネが着ても健康的に見えるだろう。

普段に着てよいのですよ。……などと店員に微笑まれたが、どの普段に着ればいいのか。もらったものがもので、もらった相手が相手なだけに、この品物を一体どうするべきなのか、ウィーネには判断が付かなかった。

つまり、アシュマがウィーネを連れていったのは、首都で一番高級な下着店ランジェリーショップの支店だったのだ。どうやらアルバースの日のお礼のプレゼントだったらしいが、どこをどう思いついて、女へのプレゼントに下着……という高レベルな考えに至ったのか、全く想像が付かない。それでも、あんな高級なお店で下手に言い争ったりするのが、みっともないことだということはウィーネにも分かる。さらに言えば、ウィーネを連れるアシュマの様子があまりにも堂々と自然だったので、隙が無かった。

そんなわけで、しっかりとウィーネはスリーサイズを計測された。計ってもらったサイズは向こう3年間店に保存され、季節ごとの新作の案内が届くそうだ。

羞恥プレイにへとへとに疲れたウィーネは、しばらく買ってもらった下着ランジェリーを眺めていたが、のっそりと起き上がる。嫌々もらったにしては丁寧にたたんで、普段下着を入れている場所とは違うところに大事そうにそっとしまった。

****

シャワーを終わらせて出てきたウィーネは、バスタオルを巻き付けたまま呆気に取られた。

「あれ……?」

用意していたはずの部屋着と下着が無い。

代わりに、どこをどう隠す用途なのかまったく分からない薄布が3枚……「これを着ろ」と言わんばかりに置かれていた。クリーム色の薄布に織りだけで表現した美しい柄、触れるとうっとりするほど柔らかな手触りの一枚レースの上下。同じ柄のレースで作られたキャミソールは、フロントがオープンになったベビードール風だ。緩めのフリルが可愛らしく色気を抑えている。しかし、どう見ても向こうが透けていた。

先ほどのものとは違う……見覚えの無い下着ランジェリーだ。

ウィーネにプレゼントしてくれた下着の色っぽさなど、いっそ可愛らしいひよこちゃんに見えるほど、実用性のない潔さだ。着たら絶対にいやらしく透けるだろうに、どことなく初々しい形なのが憎らしい。

犯人は分かっている。

間違いなく、例の下着店で買ったものだろう。しかし、いったいいつの間に買ったのか。一緒に買った可愛い方の下着を着ろと要求されると思っていたのに、どうやらあっちは偽装フェイクだったようだ。多分、犯人は外でいまかいまかと待ち伏せしているのではないか。文句を言いに外に出たいが、着るものが無い。……正確に言うと、目のまえの薄布3枚しかない。

薄布か裸かの2択で、外に出れば犯人が居る。いっそ、ここで篭城してやろうかとも思ったが……。

ぷるっ……と肌が震える。何も着ないでバスタオル一枚で立っているからだ。ウィーネは仕方なく薄布を身に付けた。

ないよりもマシかと思って着てみたが、むしろ裸の方がマシなくらいに恥ずかしい。しかも無駄に付けごこちがいいのが、また憎らしい。

ウィーネはバスタオルで身体を隠すと、そうっと部屋に通じる扉を開けた。そこには予想に反して誰も居らず、闇の魔力の気配もない。

「アシュマ……?」

小さい声で呼んでみたがやはり返事はなく、折角着てやったのに居ないとか、一体何のためにこんな格好をさせたのかと、少しばかり理不尽な怒りを覚えた。着るのは嫌だが、着て何も言われないのも何となく悔しいのだ。そもそも、警戒しながら出てきた自分がバカみたいではないか。

ウィーネは、てててと部屋を横切りクローゼットを開けた。部屋着を手に取ろうとした時、ひょいと身体が宙に浮く。

ぱさりとタオルが落ちて、身体があらわになった。

「あ、アシュマ……!」

「ああ」

「ど、こ行ってたの。ちょっと離してよ」

「随分な格好をしているなウィーネ」

唐突に部屋に現出した圧倒的な闇の気配は、本性の姿を取っているアーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアス……ウィーネの使い魔だ。ただでさえ大きな悪魔の本性に蝙蝠羽を広げ、小さなウィーネの部屋はアシュマの漆黒でなお一層狭く見える。アシュマは軽々とウィーネの身体を漆黒の自分の腕に乗せ、薄布から伸びている白い脚をうっとりと撫ぜ始めた。

「やめてよ、何その言い方! アシュマでしょう、この下着だけにしてたの」

「そうだ。我が見立てたのだ。思った通り、よく似合っている」

「な、似合っ……」

アシュマは一切悪びれることなく言い放って、満足そうにウィーネの首筋に頬を擦り寄せる。ウィーネは真っ赤になって反論する言葉を失った。その隙にアシュマはウィーネの身体を抱えたまま、寝台に腰を下ろした。

「ウィーネ……」

空気を絡め取るような低く掠れた人外の声がウィーネを呼び、アシュマの纏う雰囲気が一層濃くなる。その声と魔力にウィーネの身体の芯がそわそわと疼いたが、頭を振ってアシュマを押し退けた。

「離してよもう、着替えるから!」

「着替える? 何故」

「恥ずかしいの! それに寒いし」

「恥ずかしい? 何処がだ。勿体無い」

そう言って、いつものように寝台に押し倒したりはせずに、自分の太腿の上に座らせた。やんわりとした動作で力など何処にも入っていないように思えるのに、押し退けようとしたウィーネの手首は難なく止められて、その身体はすとんとアシュマの上に収まる。アシュマが魔力を纏った手で一撫ですると肌寒さが消え、濡れていた髪がふんわりと乾いた。

アシュマが何かを確かめるように、ウィーネの頬や首筋に触れている。

「勿体無い。……愛らしいのに」

「……は?」

悪魔の信じがたい台詞に思わずぱくぱくと開いたウィーネの唇を、アシュマがぺろりと舐めた。

「ん……あ」

そのまま、ゆったりとした所作で唇の上と下とをなぞられて、確認するように咥えられ、少し引っ張られて弄ばれる。

黙らされて、はふ……と息継ぎすると、アシュマの顔が離れた。

思わずおとなしくしてしまって、さらによく似合う、愛らしいなどと褒められて、いつものように反論できない。からかわれたり、皮肉を言われたり、上から目線の発言をされた方が上手く対処できるのにどうしてしまったのだろう。心臓が苦しいけれど、決して嫌な苦しさでなく、とくとくと脈打っている。

胸が高鳴っている自分に気が付かれたくなくて、むむう、とウィーネはわざと顔をしかめた。つんとそっぽを向く。すると、離れていたアシュマの顔が、追いかけてきた。

「や」

嫌だと背けたが、今度はいつものように強引に手で押さえられた。

そうして、いつものように強引に唇が合わさる。ただ、やはり今度もいつもとは違っていた。押し付けられるように濡れた何が入ってきて、それはふんわりと甘く爽やかな香りがしたのだ。

「んや……?」

思わずその紅い双眸と、その向こうにちらりと見える黒い捻れた角を見上げる。口の中に入っているのは、さらさらとした柔らかな甘さの、ふわふわとしたお菓子だった。その美味しさに気を取られてもくもくと口の中で転がすと、途端にサラリと溶けていく。

「なにこれ、飴菓子マーシュ?」

「ああ、美味いか」

「ん……うん。美味し」

「そうか」

「これって、王室御用達の飴菓子屋さん?」

「何処の用達かは知らぬが、そうらしいな。今日はアルバースの日だろう」

その店のお菓子が人気だということくらい、ウィーネだって知っている。下着の店に連れて行かれた時も言っていたが、やはりアシュマはヴァレンティヌスの日にウィーネがあげたショコラトルのお礼を用意したらしい。

ウィーネがショコラトルをあげたのは、別にこんな見返りが欲しかったわけではない。ショコラトルは作り手の魔力が練り込まれる菓子である。だから、自分の魔力を練りこんだショコラトルが、糧の代わりになるかと思っての事だった。もっとも、アシュマは食べるだけ食べて「美味だがこれくらいの量では糧にもならぬ」と鼻で笑うのだが。

だから、そのお礼を用意しているなんて思ってもみなかった。
また、褒美を要求されるのだろうか。

けれども、アシュマの腕の中に閉じ込められるとウィーネは抵抗できなくなってしまう。

アシュマは飴菓子を口に入れると、再びウィーネに覆いかぶさった。今度はおとなしくそれを受け入れてしまい、おまけに美味しく味わってしまった。ウィーネを抱えているアシュマの大きな硬い腕があまりに自然で心地よく、少しだけ体重を預けると呼応するように長い指が髪を梳きはじめる。

口の中でほろほろと溶ける飴菓子はさっきとは少し違う味で、こくのあるショコラトルの香りがした。もっともっとと味わう前に、絶妙のタイミングで口の中で無くなる。

「美味しい」

思わず、くふ、と笑ってしまった。

それがよくなかった。
そもそもウィーネは、透けた下着しか身に付けていない状態なのである。

は……と、何かを堪えるようなアシュマのため息が聞こえた。「アシュマ?」と問いかけたウィーネの唇がねっとりと塞がれる。大きな手が下着越しの柔らかな胸を包み込み、揉みほぐすように動き始めた。