教える悪魔と召喚主

[閑話] 悪魔みたいなあの男

ねっみぃなー。

あーあと大きな欠伸を噛み殺す事も無く、あんぐりと口を開けて涙目なネルウァはだらだらと教室に入った。魔法学校の第1限目は大概さぼるのだが、今日は「魔法薬物学」だったから仕方なく出席だ。この授業の担当教員は変なオネエ言葉を使うスキンヘッドで、奇怪な風貌の癖してさぼる生徒への風当たりがえげつない。

「ぅはよー。はー、だっり」

ネルウァは適当に級友に挨拶をしつつ、教室の角に陣取った。投げるように鞄を置いて座ると、全体重を椅子の背もたれに掛けてくつろぐ。この授業が終わったら、今の目当ての女でも誘って中庭で昼寝でもしようかと目論んだ。ネルウァが把握している女の予定からいくと、確か彼女は2限目は授業がなかったはずだ。

となると、2限目は代返を頼むべきか。

ネルウァはきょろきょろと周囲を見渡した。……が、いつもそれを頼んでいる腐れ縁の生徒の姿がない。彼女はネルウァとは比べ物にならないほど真面目でガリ勉な生徒で、出席すべき授業にぎりぎりに来る事などないはずだ。

などと言っていると、口元を隠しながら涙目になっているその女子生徒が、男子生徒を伴って教室に入って来た。

ウィーネ・シエナとアシュマール・アグリアだ。

ネルウァはにんまりと笑って、口の動きだけで「こっちこっち」とアピールした。しかしつれないことに、ウィーネはネルウァを一瞥しただけでぷいと顔をそらし、そのくせすたすたと歩いて来てネルウァの前の席……すなわち、現在教室内で空いている席の一番端っこにアシュマと並んで座った。ウィーネは以前は授業をよく聴くために前の方の席を取っていたのだが、最近では後ろでひっそりと受ける事が多い。

その理由は、ウィーネの隣にいる男だ。

「ウィーネ……」

2人の真後ろだけあって、ひそひそと小さな声でウィーネの耳元に何かささやいている様子がよく見える。ウィーネはそれをしっしと避けながら、それでもアシュマがしつこく鼻をウィーネの黒髪に突っ込もうとして、とうとう手で押しやられていた。

多くの女子生徒が憧れるアシュマール・アグリアの顔はウィーネの手でむにむにと圧し潰されたが、いっこうに気にする事なく、むしろニヤニヤと笑いながら、ウィーネの両手を取って引き寄せようとする。慌てて振り払ったウィーネは、その手をペチンと叩いた。

朝からお熱いことだねえ……と若干辟易しつつ、ウィーネはよくあのアシュマール・アグリアという男にあんな暴力(顔を押し退けたり手を払ったりなどは十分暴力である)を振るう事が出来るなと感心した。ネルウァは最近ようやくアシュマと話すコツをつかめるようになったが、未だに馴れ馴れしく触れたりなどは出来ないし、正面から視線を合わせる事は到底無理だ。

あ、ウィーネ、アグリアのおでこを叩きやがった。だが叩かれた方はなぜか非常に嬉しそうだ。まあ分からなくはない。ネルウァにも経験があるが、なかなか落ちなかった女がやっと自分に落ちた時は、軽く叩かれる程度のスキンシップはむしろ可愛いと思うくらいだ。「やだやだ」なーんて言いながら胸ぽかぽかとかな。

しっかし、そんな普通の男と女の常識が、目の前の悪魔みたいな男子生徒に通じるとは思えない。いや、むしろウィーネ限定で通用するのかもしれないが、そうだとしたら御愁傷様としか言えないな……。

「セルギア君」

「ぬあっ」

2人のじゃれ合いを眺めていたネルウァが唐突に呼ばれた。がたんと音立てて背もたれに預けていた身体を起こすと、ウィーネがいつもの猫被りスマイルでこちらを振り向いている。その隣には、おそらくウィーネが他の男に目を向けたのが気に食わないか。はたまた、いちゃいちゃを邪魔されたのが気に食わないか。あるいは両方か……そんな、ど底辺の不機嫌な表情でアシュマが睨んでいる。

「な、なんだよ」

「アグリア君のこと呼んでたでしょう? 何か用じゃないの?」

「なっ、あれはお前のことを呼ん……」

どうやらウィーネは興味関心をネルウァに向けようとしているようだ。しかも絶対にこっちに向けちゃいけないタイミング……つまりアシュマにとっていちゃいちゃを邪魔されたくないという絶妙の合間。どういうことだこの女、俺を殺す気か。

案の定、アシュマール・アグリアの気配が一気に冷え、目が据わった。

「ウィーネを呼んだのか? 何の用で?」

「ち、ちがうちがう!」

やべえ、別の意味で殺される。本当はウィーネを呼んだので間違っていないのだが、ネルウァは慌てて首を振った。首が取れそうなほど振った。

「じゃあ、何だ。俺に用事か」

「や、それも、ちがう」

おい助けろよ! とウィーネに視線を向けるが、既にこちらに背を向けて教科書を熱心にめくっている。言い訳を募ろうと口を開きかけたとき、がらりと教員用の扉が開いた。

「ハーーーーァイ! 今日もかわいい子猫ちゃん達っ、おっはー!」

底抜けにイラッとするオネエ言葉と、投げキッスを「んーまっ」と向けて来るテンションの高い教員が入って来た。朝から肉の丸焼きを食べさせられてるかと思うくらい、濃くてうんざりする授業が始まる。

2限目をさぼるのは諦めた。