その日ウィーネは朝から不機嫌だった。何しろ昨日の夜は気を失ってしまったのだ。
最近なぜだかアシュマの機嫌が悪く、その癖しつこい。いつもの不適な笑みはなりを潜め、悪魔の本性が真顔な様子は見慣れたウィーネにもかなり怖い。何しろ全身は黒光りする鋼のようで、血の色をした文様が脈々とその表面を張っている。頭には角、背にはコウモリ羽、瞳は紅、舌は長くて牙もある。その魔力は当然のことながらウィーネの手には負えず、アシュマが指一本振れば街など簡単に吹き飛ぶという。冷静に考えるとそんな存在と一緒に居てよく平気だ。
無理矢理貪られることも、無理矢理快楽を刻まれることも、ウィーネは決して受け入れているわけではない。それなのに、あんな悪魔なのに、触れてくる手が優しいと時々感じてしまう事がある。
そう感じる度に、これは自分の使い魔なのだと言い聞かせる。使い魔は召喚主の魔力が欲しくてあんなことをしているだけだ。
そう言い聞かせているのに、アシュマの行為には、ウィーネの魔力を求めない時がある。魔力は要らないと宣言することもある。糧を与えていないのに、助けてくれたこともある。そのことが、いつもウィーネの心をかき乱した。まるで、ウィーネ自身を求められているような気がして仕方がない。そんなことなど無いはずなのに。
—— 使い魔だからでしょう?
その証拠に、アシュマにいつも確認すれば、必ず「そうだ」と返ってくる。その事はいつもウィーネを安心させるが、同時に心のどこかをチクチクと刺した。
ウィーネはただの召喚主。アシュマはただの使い魔。それ以上の何があるというのだろう。恋人? あれはただの偽装で、アシュマにとっては別にどっちでもいいことのはずだ。
ならば、ウィーネにとってはどうなのかと考えると、恋人なんてあり得ない。闇の界の上位二位の悪魔は、とてもウィーネの手には負えず、どうしても受け入れることが出来ない。
それに、もしもウィーネよりも質の高い魔力が他にあったら、アシュマはそちらに行くに決まっている。アシュマの至上は質の高い魔力なのだから。
しかし、だから何なのか。ウィーネは別にアシュマが使い魔でなくなっても困らない。使役したことなんて無いし、いなければ無理矢理いやらしいことをされなくて済むではないか。
そうやって何かと理由を付けてアシュマを拒もうとするくせに拒めない。アシュマがウィーネを求める理由を反芻しては、心を痛める。
どうせ、アシュマは使い魔なんだから。
何もかも、それが理由に決まってるんだから。
いつもの堂々巡りの思考の果てに、いつもの答えを出してウィーネは強気に頷いた。
すると、繋がれた手がきゅ……と握り返されて、ウィーネを思考から引き戻す。
「ウィーネ?」
「何よ」
「第15読書室ではなかったのか」
「あ」
考え事をしながら歩いていたからか、気が付くと目的地に到着していた。
「お前はすぐにぼんやりする」
「してないもん」
「していた。我が手を引いてやらねば、気付かないところだったではないか」
言いながら笑うアシュマに、むうう……と顔をしかめながら、ウィーネは教室の扉を開けた。どうしてだか、アシュマと一緒にいるようになって、ウィーネは自分が頼りない子供になってしまったように思うのだ。だからこそ後輩のアニウス・セヴェルと一緒にいると、しっかり者の自分を取り戻せるような気がして気分がよかったのだが。
そんな風にグルグルと思い詰めていたからだろうか。
いつものアシュマの悪戯に、いつものように対応出来なかったのは。
****
「や! 止めてよアシュマ、ここ学校……あっ!」
常になく激しく拒絶したのは、ここが学校の、しかも読書室という場所だったからだ。しかし、アシュマも常にないほど有無を言わさぬ強引さで、ウィーネを押さえつける。
いや、アシュマが強引なのはいつものことだが、そこには常にない切羽詰まったものがあった。
「場所など我には関係ない」
「私はあるの! 何なのもう……」
「ウィーネ……」
ジタバタと暴れているウィーネを、アシュマは読書用の机に仰向けに押し付けた。容赦無くブラウスを捲り上げ、腹に唇を付ける。
ちゅう……と大きな音を立てて吸われ、痛みを覚えた。どうやら痕を付けているらしい。
「やめて、痕付けないで、見える!」
「見える所に付けるのはこれからだ」
「……なっ、何言って……ぁ」
唇を腹に這わせながら下着を押し上げると、そのまま桃色の頂きを口に含む。強く吸われて、その細く鋭い刺激に言葉の続きは紡げなかった。痛いわけではなく、つんと細い線が背中を走るような表現しがたい感覚だ。しかし、その刺激にウィーネの身体はいうことを聞かなくなる。
思い切り口に唾液を含ませて、ちゅ、じゅる……と卑猥な音を立てながら吸い付いている。その音に恐る恐るウィーネが見下ろすと、大きく舌を出してそれを舐めながらアシュマがこちらを見ていた。
ぺろりと舐め取りながら、眼だけでアシュマが嗤う。紅く光る瞳の奥には確かな情欲が見え隠れしている。これが単に魔力に対する飢えだけなのだとしたら、悪魔はなんと怖い生物なのだろう。その飢えた瞳の煌きに眼を離すことが出来ず、ウィーネが泣きそうな顔で見つめていると、一度、ちゅ……とそこに口付けて、空いている片方が指で摘まれ、擽られた。
「ふ、あっ……」
「ウィーネ」
アシュマの声が掠れている。人間の時にアシュマが発する声は少し低くて情緒的で、ウィーネの心を揺らすには十分だ。何度聞いても聞き慣れることなく、いつだって過剰に反応してしまう自分が嫌になる。
両方の胸を弄る舌と指の感触で、ウィーネは自分のその場所がツンと硬くなっていることが分かった。自分の思いとは裏腹に、ウィーネの身体はいつもアシュマにもっと触れて欲しいと反応する。アシュマが繰り返す動きに、ウィーネの声が上がりそうになる。
「やめ、て」
代わりに、拒否の言葉を口にした。それでもアシュマは瞳を細くしただけで、見せつけるように舐めるのを止めない。
「やめて、ったら……!」
ウィーネがアシュマの額に触れた。そのままアシュマの前髪を掴んで引っ張る。しかし、その行為の何がおかしいのか、悪戯をする猫でも見るような表情になって再び笑った。ちゅるりと音を立てて吸い、わずかに歯を立てて舌でころころと転がす。
「やめ、て、あ……しゅま、やあ……」
ぞくぞくする。胸に愛撫を受けているだけなのに、アシュマの髪に絡めていた指に力が入らず、かくんと腰が震える。
それを合図に、アシュマの身体が密着した。机に寝かせているウィーネの上半身に身体を重ねて、背中に腕の片方を回す。ウィーネの鼻先にアシュマの頬が触れたかと思うと、首筋に濡れた何かを感じる。
首に口付けされたのだと分かったと同時に、ちゅっ……ときつく吸われた。「いっ……」その強さに思わず声が出て、「見える所」に痕を付けられたと知る。
「や、やめ……っ」
「……止めるはずがなかろう」
言って、付けた痕を愛しいもののように、ゆっくりやんわりと舐めた。それでも反論しようとすると、下半身の深い場所に何かがくつりと入り込む。
「あ、あ」
いつのまにかウィーネの下着を少し下ろしたアシュマの指が中に入っていた。ぬめりを確認していた指は、くっと角度を変えて激しく動き始める。
「すごい音だな」
「やだ、いや、あ、あ、……んっ」
わざと音をたてているのだろう。ぐちゃっぐちゃっ……と、あり得ないほどの水音が響いて、羞恥と心地よさに声があがる。
「この音、外に聞こえてしまうかもしれぬな」
「!」
やだ、止めてよと叫びたかったが、口を開ければ嬌声になる。じっとこちらを見ているアシュマに必死で頭を振ったが、止めてくれるはずなど当然なく、いつのまにか二本に増えた指が、遠慮なくごぽごぽと出し入れを繰り返す。
「っん……んぅっ」
ウィーネの声が完全に甘いものになった時、アシュマの指が一番奥で止まった。今度は、そっと膣壁をさすり始める。
「ウィーネ……」
「……ふ……ぅ……」
達しそうなところで止められて、急に優しい声になる。指を中に収めたまま、不意打ちのように胸の頂きを甘噛みされた。
「っあ!」
ひくんと膣内が収縮した。達する直前の身体が、胸に触れられただけで押し上げられたのだ。ひくひくとアシュマの指を締め付けている。
「我の指をこんなにも締め付けて」
「アシュマ……いやあ」
「胸に触れただけで、そんなに心地よかったか?」
「や、め」
「お前は我のことだけを感じていればいい、今のように」
くちゅ、と指を引き抜いた。
アシュマは下着の片方を足から抜くと、その足を持ち上げて肩に乗せた。手早く己のものを取り出して、ぐ……と押し付ける。
「いやっ、止めてよ!」
「止めぬ」
「止めてよぅ……」
弱々しくなった声にアシュマの瞳がふっと揺らぎ、ウィーネの耳許に唇を触れる。
「止められぬのだ」
背筋がぞくぞくするほどの妖艶な声で言って、同時に一気に奥まで貫かれた。ぎゅうとウィーネがアシュマの背中に手を回し、制服のシャツにしがみつく。動き始めたリズムに、2人の短い吐息のような声が重なり始めた。
またいつもみたいに抵抗できない。
一度、軽く達していた身体は容易く次を求め始め、それに呼応するように今日のアシュマの動きは激しい。まるで獣か何かのように理性的でない。
いつもと同じなのにいつもと違う愉悦。一度達しても、何度も何度もやってくるそれに、ウィーネが声を我慢するようにアシュマの身体に顔を押し付ける。
悔しい。
気持ちまで引きずられてしまうのが、悔しかった。
ウィーネから一度自身を引き抜いたアシュマは、その身体をひっくり返す。
「あっ」
やだ、と反抗する暇を与えられることなく後ろから再び挿入された。くちゃんと音を響かせながら、アシュマがウィーネを揺らす。激しいけれど痛くなく、身体はいっぱいなのにもっと欲しいと際限が無い。時々ウィーネを覗きこむ瞳はウィーネを甘やかすように細められているのに、その瞳に応えるのは怖かった。
あまりの甘美な感覚とアシュマの声に心が締め付けられ、ウィーネの身体が思わず逃げた。
その行動に、アシュマの瞳が急に鋭くなり、声が低くなった。
「何故逃げる」
こんなにも感じて、こんなにも甘い声をあげて、身体も魔力もアシュマを欲しがっているというのに、ウィーネ自身だけは何故逃げるのだ。アシュマと繋がりあっているこの状態では、絶対に逃げられぬとウィーネは分かっているはず。それなのに、ウィーネは逃げようとするのを止めない。
いつもはウィーネが逃げを打っても、それを楽しむ余裕があった。逃げようとしても逃げられないことをアシュマは知っているからだ。
しかし今は違う。
逃げようとされるだけで、頭ではなく心臓が妬けたような心地がした。
逃がしたく無い。逃げる素振りすら押さえ付けたい。だが、掴んでいる手を離したく無い。ウィーネの中に留まっていたい。
「痛っ……!!…… …… アシュマっ、なに、す、…… やっ、痛い!!」
急に首筋に熱を感じて、思わずウィーネは叫んだ。
重なり合っているアシュマが、後ろからウィーネの首筋に噛みついた。それはいつもの甘噛みとは全く異なり、ウィーネを押さえつけるために噛んでいる。ぷつりとうなじに何かを刺されたようなきつい痛みがして、身体が一気に強張る。しかし、その強張りすら許さぬように腰が叩き付けられていた。
「ぃ、う」
「っく……」
アシュマが噛みついたままくぐもった声を出した。その声がまるで愉悦を我慢しているように聞こえたウィーネの下腹が、また、かあ……と熱くなる。
首筋の痛みはすぐに気にならなくなっていた。
まるで初めてアシュマとしたときのように、あったはずの痛みが交わりあっている快楽に上塗りされていく。
ウィーネの手と、それを後ろから押さえ付けている手の指が絡まりあった。ウィーネが達する瞬間、アシュマの指を巻き込んでぎゅうっと握りしめると、そこだけはまるで恋人同士のように熱く力が込められる。同時に中に挿れられているアシュマの熱が大きく爆ぜた。
まるで全力疾走したかのような疲労感にウィーネの身体から力が抜ける。
「は、あ……ウィー、ネ」
アシュマの声もまた、掠れた吐息が混じっていた。体力など底無しのはずの悪魔が荒い息を吐いていて、どこか戸惑ったような声でウィーネを呼んだ。
しかし、それを不思議に思うことも……そして例え不思議に思ったとしても、どうしたの? と聞く余裕も当然無かった。ウィーネの膣内からずるりとアシュマが引き抜かれ、身体を起こされて背後から抱き締められる。
「ウィーネ、ウィーネ」
アシュマはウィーネの首筋に顔を埋めた。また噛まれるかと思ったのか、ウィーネが条件反射で身体を震わせたが、アシュマはそっと噛んだ場所を舐め始める。時折、優しく吸い付いて何度も何度も舐めた。そこには血が滲んでいて、アシュマにはその血が濃く甘く感じる。
その血を味わいながら、アシュマは困惑する。
何故
今
自分はウィーネを傷つけたのか。
噛みついた一瞬をアシュマは覚えていなかった。いや、正確にははっきりと覚えていたが、自分がそのような行動を取った理由が分からなかった。手も腰も塞がれていたからといって己の牙でウィーネを押さえつけるなど、愚行にも程があった。ウィーネは逃げる動作を行っただけで、アシュマの腕力から本当に逃げられるはずがなかったのだから。
それなのに、手と身体で押さえつけるだけでは足りず、牙を剥いてウィーネを傷つけた。
ウィーネを傷付けるのも、傷付いたウィーネを見るのも不愉快だった。それなのに、欲望に従ったゆえに不愉快な行動を取ってしまう。矛盾する己の行動を制御出来ていない。愚行だ。
しかし一方で、この行いに恐ろしいほどの満足を覚えてもいる。まるで、ウィーネの処女を奪った時のように。
アシュマはくたりと身を任せているウィーネを自分の方に向かせて、抱き寄せたままソファに座った。うなじが見えるように、後ろ髪を掻き分ける。
そこには悪魔の噛み跡が痛々しく残っていた。慌てて治したため、すでに血は出ていないが、赤い痣になっている。
そこをそっとさすっていると、ウィーネがもぞもぞと身体を起こした。
いつもよりもどこか労わるような気分でウィーネを抱き直した。自分の服もウィーネの服もいつものように調えて、浄化の魔法をかけて身体の汚れを拭う。
「アシュマ、痛、い……」
「ああ、そうだな。……お前の魔力が香っている」
そう言った瞬間、びくりとウィーネの肩が震える。ウィーネの身体をひっくり返すと、黒い瞳に涙を一杯溜めて泣いていた。
****
「ウィーネ……?」
泣くな。
いつものようにそうっと囁いて、アシュマがウィーネに重なろうとした。だが、ウィーネはそれを振り払う。
「いやっ!!」
いつもならおとなしくなるウィーネが、その時はアシュマも動きを止めるほど激しく拒絶した。泣きながらペチンとアシュマの手を振り払い、ごしごしと眼を擦って離れようとする。
「眼を擦るな、痛む」
「ほっといて」
「ウィーネ」
「ほっておいてよ、もう嫌!」
暴れるウィーネの両手を押さえて眼をこするのを止めさせる。案の定、眼の周りは真っ赤で痛々しく、治してやろうと手を伸ばす。
しかしそれも振り払われた。
「もうやめてよ! ひどいことするのに、どうして、こんな……にっ」
「ウィーネ?」
「どうして、こんな、に、やさし、く……」
ぽろ……と、零れた涙が頬を伝う。その涙は悪魔の眼にも綺麗に映り、アシュマはそれをそうっと拭う。涙の粒を人差し指で掬って唇に含めば、ウィーネの血よりももっと濃くてアシュマの好きな味がするのはどうしてなのか。
ウィーネはアシュマに問う。
どうしてこんなにやさしくするのか。
……それに対する答えをアシュマは持っていない。アシュマはウィーネに優しくしているつもりはなかったし、いつもの通りだと思っていた。しかも人間の性で言うならば、アシュマはウィーネに噛み付いたのだから、優しい行為とは程遠い。
ただ、自分の腕の中でウィーネがほっと安堵する様子を見せたり、身体がゆるりと重くなるのが好ましいと思うだけだ。
だからいつもの答えを言う。
「お前は特別だ。我の召喚主なのだから」
それが悪魔の唯一の答えであり、悪魔がウィーネに出会った理由だ。たとえ2人が恋人であったとしても、そうでないにしても、これだけは変わらない。ただ、最初にウィーネを求めた目的と、今のアシュマがウィーネに求める欲望は異なっている。アシュマはウィーネの魔力を美味だと思うが、それ以上に美味なものを知っている。それでもアシュマが必要とするウィーネとの関係は、互いが滅びるまで継続し己の魔力を交換し合うという、悪魔にとって永劫に続く甘美な関係に違いなかった。
だが、悪魔がうっとりと髪を撫でるその繊細な手つきと真逆の激しさで、ウィーネはアシュマの手を叩いた。
「……らい」
「ウィーネ、泣くな」
「きらい。アシュマなんて嫌い! もう触らないで、大っ嫌い!!」
それを聞いたアシュマの手が緩んだ。その隙に、転がり落ちるようにウィーネがアシュマの膝から下りる。僅かに残っていたウィーネの手もアシュマの手をするりと抜けかけたが、抜け落ちる前に軽く握られる。
「ウィーネ……」
いつもと同じ……いや、いつもよりも淡々とした声だった。立ち上がったウィーネの手を緩く取ったまま、ソファに座ったアシュマは表情の読めない顔でじっとウィーネを見つめている。
ウィーネもまた、ぼんやりとアシュマを見つめていた。
しかしウィーネはそっと手を抜き、唇を噛んでアシュマに背中を向ける。
アシュマはそれを追いかけることなく、ただウィーネが読書室を出て行く様子を見ていた。