「どうしてアグリア先輩が居るんですか」
「俺も生徒だ。勉強して当然だろう?」
胡散臭い笑みを浮かべたアシュマール・アグリアがアニウス・セヴェルに首を傾げてみせた。
放課後、魔術学校の図書室で、いつものようにウィーネと勉強するためにやってきたアニウスだったが、何故か目の前にはウィーネではなくアシュマが座っていた。
泣いているウィーネを見かけた後、週末の休暇を経て3日が経過している。もしかしたらしばらくウィーネは来ないかもしれない。そう思っていたが、週明けに登校するとウィーネがいつものように挨拶をしてくれたのでホッとした。
ということは、放課後に図書館に行けば一緒に勉強が再開できるかもしれない。そう思って楽しみにしていたのだ。それなのに、目の前にいるのはウィーネの恋人であり、ウィーネを泣かせた張本人。一体何の用事だと聞いて当たり前というものだ。
あの日、「恋人ならば優しくするべき」といった会話をした後、アシュマはすぐにアニウスの前から立ち去った。直後に学校中の魔力が停止するという事態が発生し、すぐさま全生徒に自室待機が命じられたため、ウィーネを探しにいくことは出来なかった。大規模な魔法実験による魔力のショートだったらしく、状況はすぐに復旧したが、結局その日は図書室にも行けなかった。
2人は仲直りしたのだろうか。けしかけたのは自分だが、いざそうなってしまうとわずかに悔しい。
「予習はしてきたのか」
「アグリア先輩には関係ないでしょう」
素っ気なく言い返して、アニウスは召喚の上級本に視線を落とした。もはや勉強どころではなかったが、このまま仲良く話をする気にもなれない。
そんな風に、本にも集中出来なくて上の空でいたからか、憧れの先輩がすぐそばに来るまで気が付かなかった。
「……どうしてアシュマがここに居るの」
「セヴェルと同じ質問をするなウィーネ。お前と共に勉強するために決まっているだろう」
「はあ?」
頭の上から聞こえて来た会話は、片方はアシュマ、そしてもう片方は確かにウィーネだ。声をかけられるまで気が付かなかった失態に、思わず「ウィーネ先輩!?」と声を張ってしまう。
ウィーネが声の大きさに瞳を丸くした様子を見て、アニウスは慌てて肩を竦めた。ここは図書室だ。あまり騒がしくしてはいけない。
「すみません」
「ううん、えっと」
「俺の事は気にせず、いつものように勉強すればいい」
そんなこと出来るか! アニウスは心の中で盛大に毒付いて、思わず縋るようにウィーネを見つめてしまう。だが期待とは裏腹に、ウィーネはうろうろと視線をさまよわせたあと、「邪魔しないでよ」とだけ言って、特に追い払わずに座ってしまった。
しかもアシュマール・アグリアの隣に。
そしていつものように、「分からないところがあったら聞いてね」と少しだけ口元を緩めた。
仕方が無い。
確かにあの男も魔術学校の生徒だ。図書室で勉強する権利は当然あるし、しかも小憎らしいことに成績も優秀だ。アニウスは今まで培って来たウィーネとの関係を壊したくなくて、おとなしく頷く。
ただし、席を移動した。アシュマとは反対側のウィーネの隣を陣取って、予習してきた召喚の上級本を広げる。
「じゃあ、少し教えて欲しいんですけど」
「いいわよ。どこ? ……あ、この本」
アニウスが広げた本を見て、ウィーネが小さく首を傾げる。思わず首筋を見てしまったが、そこにあった痕は消えていて、そこまで考えて、ハッと我に返る。
一体どこ見てるんだ、自分は! と邪な考えを慌てて追い出して、アニウスは頷いた。
「アグリア先輩が持って来てくれました」
「アシュマが?」
ここで名前を出さないほど、アニウスは不誠実な生徒ではなかった。それを聞いたウィーネは少しの間きょとんとして、次の瞬間、頬をぽっと染める。
「そ、そう」
言って、チラチラと隣のアシュマを気にするそぶりを見せる。すぐにアシュマはそれに気付き、読んでいた本から視線を離す。わずかに口角を上げてウィーネを見た。
「なんだ?」
「あ、あの……セヴェル君に本、渡してくれたの……」
「ああ」
「ありがと」
「別に」
何でも無い事のように言って、アシュマは軽く指先でウィーネの横髪に触れた。ウィーネは慌てて伸ばされたアシュマの手を掴んで、バタンとテーブルへ押し戻した。
「アニウス君、ごめんね。早速やろう。見せて?」
そうして気を取り直したように、アシュマに背を向けアニウスに向き直る。だが、その顔は言い訳のしようがなく赤くなっていて、見ているこっちが照れてしまうほどだ。
あまりに赤くて「顔が赤いですよ」と言いかけて、口を閉ざす。
それはどこからどう見ても、恋している少女の顔だ。すっごく可愛い。
そんな可愛い表情ごしに、アシュマの方をちらりと見やると、もう本に視線を戻していた。どうやらウィーネの染まった頬に気付いていないようだ。
だって自分の恋人のこんな可愛い表情を見たら、どんな男だってデレデレするに決まっている。狙っている女子が自分に落ちた瞬間を見たら、どんなクールな男であっても喜びを隠せないはず。それなのに、あろうことか素面だ。もったいない……!
アニウスは一瞬表情を消す。
しかし次の瞬間にはにっこりと、天使の如き愛らしい笑顔を浮かべ、期待に満ちた眼差しを憧れの先輩へと向けた。昨日予習してきた詩が掲載されているページを開いて、一緒に見えるようにと顔を寄せる。
ウィーネのこの照れたような表情は、アニウス一人で堪能することにした。
視界の端に赤い眼差しが強く煌めいた気がするが、アニウスは見ないフリをした。一度アシュマに向き合ったからか、変なところで変な度胸がついてしまったようだ。
「ウィーネ先輩、ここの詩なんですけど……」
そう。アニウスは心に決めたのだ。
ウィーネの裏に隠された恋心と照れた顔は、この男にだけは教えるものか!……と。