解けぬ悪魔と召喚主

悪魔の恋心

「絶対あいつが怪しいけど……でも、あれはさすがに予想外だしな……」

昼休み、昼食を早く終わらせたネルウァ・セルギアはぶらぶらと中庭を歩いていた。木陰に冷却の結界でも作って、女を誘って昼寝でもしようかと思っての事だ。

考えていたのは、アシュマとアニウスが何やら揉めていたところに遭遇した時のことだ。アシュマはアニウスから「恋人ならば優しくしてやれ」とアドバイスを受けて、何やら邪悪な笑みを浮かべていた。

これまでの勘からいって、こりゃあウィーネにとっていいことは起こらねえぞと思ったが、もちろんネルウァは手加減しろとか、そういう類のアドバイスをするつもりは無い。

それよりも重要なのは、あの時、急にアシュマが表情を消して立ち去った後の事だ。

アニウスは知らないだろうが、ネルウァはあの表情を知っている。あのような表情をしたアシュマが急に立ち去ったことが、過去に1度あった。その時は、アシュマが立ち去った直後に強い魔力を感じてすぐに収まったのだ。

魔術学校ではどこかで誰かが魔法の研究をしている。そうした実験によっては、たまに魔力の圧が高くなったり、魔力の揺らぎを感じたりすることがある。だからさほど気にしていなかった。他の生徒もそうだろう。

だが、さらにそのすぐ後、ウィーネとアシュマの2人が揃いも揃って何日か学校を休んだのだ。

下世話な想像をする生徒もあったが、正式に教員から「体調不良」との説明を受けて納得せざるを得なかった。2人はあれだけ仲がよいのだから、一緒に風邪を引いたりすることもあるかもしれない。

しかし、それだけなのか?

あの魔力を感じた直後に休んだ2人。

さては何か大きなことをやらかしたんじゃなかろうかと、ネルウァは疑っていた。

そうして、今回は学校全体の魔力の停止ダウンだ。ただ、それをアシュマの仕業だとするのは魔力が大きすぎたし、さすがにそこまでの魔法を使う事は出来ないか……。

「やっぱりあいつ、何かでけえことに関わってるのかもしれねーな。それなら余計に敵には回すなってことだよな」

でけえことには巻き込まれない方がいいが、あの男は味方につけておくに越した事はないだろう。結局は、そういう結論に至る。

「昼寝でもするか」

少しばかり奥まって人気の少ないところに、大きな常緑樹が植わっていて、ちょうどその下に座り心地のよい芝が生えている。ネルウァは時々そこで女と逢瀬デートを楽しんでいた。

魔法の通信具を取り出して、こいびとに連絡を取る。

返答はすぐに返って来た。次の時間は臨時講義があるから無理、だそうだ。残念。

なら夜は食事に出よーぜと欠かさず次の約束を取り付けておいてから、頭を巡らせる。女が居ないのは残念だが、今日は幸いなことにさぼる授業すら無い。やっぱり昼寝のスケジュールはそのまま決行だと、芝生の方に足を向ける。

が、先客が居た。

****

「こっちも食べるといい。クリームとフルーツだ」

「え、なんでそんなものまで買ってるの」

「お前が好きそうだろう」

そんな会話が聞こえて来る。聞き覚えのある声は、今話題の同級生2人のもの。……すなわち、アシュマール・アグリアとウィーネ・シエナだ。

どうやら2人は昼食を食堂で取らずに、持ち運べるものを買って木陰で食べているらしい。どこでそんなハイスペックな彼氏彼女みたいなこと覚えたんだこの野郎と思ったが、そういや食堂のお弁当コーナーに「夏は木陰でピクニック気分」とかいう煽り文句のポスターが貼ってあったと思い出す。

ネルウァはなぜか身を隠して、そっと声のする方を伺った。

ちょうど正面より少し斜めの方向から見えるのは、目的の木陰だ。具合のよい方向に影が出来ており、その木陰の芝生の上に座った女子生徒と男子生徒が、色とりどりのサンドウィッチを広げている。

黒い髪の女子生徒がもぐもぐとサンドウィッチの一切れを頬張っていて、その隣で赤い髪のパンキッシュな男子生徒が水筒に入れているらしい飲み物を飲んでいた。もちろん、女子生徒がウィーネで、男子生徒がアシュマだ。

アシュマは珈琲(多分)を飲みながら、ウィーネを邪悪な笑み(にしか見えない)で見つめている。

会話からして、ウィーネが食べているのは、おそらく最近食堂で売り出し始めたクリームと新鮮なカットフルーツを挟んだスイーツサンドウィッチだろう。かなり人気で、昼休みが始まったらすぐに買いに行かなければ売り切れてしまう逸品だ。

「え、でも、」

「2、3切れ食べたくらいでは太るまい」

「太るって言わないでよ!」

「太らないと言っている」

一切れ渡されたウィーネは葛藤していたようだが、アシュマがぱくりと食べているのを見て、自分も食べる気になったようだ。

「せっかくだし、もったいないから、食べる」

「ああ」

くっくとアシュマが笑っている。ウィーネは、文句を言いながらも食べる瞬間は期待に満ちた顔で、おいしそうに頬張った。そうして、ぱあっと顔を輝かせる。

「おいし!」

「よかったな」

「ん、ありがと」

にこっと笑って、ウィーネがアシュマに頷く。見ていたネルウァは、砂糖でも口から出てきそうな気分で、うへえとうめきそうになった。あのガリ勉な真面目ちゃんが全開笑顔とは、恋とは恐ろしいもんだ、うん。

しかし、次の瞬間のアシュマを見て、ネルウァは仰け反る。

あの男が。

あの悪魔みたいな男が。

ウィーネの笑顔を見て少しだけ瞳を大きくして、その後こちらの目を覆いたくなるような爽やかで優しい笑顔を浮かべたのだ。

怖!

何あれ、怖!

戦慄した。

何だあの、庇護欲と情欲が程よくブレンドされた年頃の男が年頃の女に向ける、大半が喜びでほんのちょっと下心のあるむず痒い笑顔は。恐ろしい。あの男があんな表情を見せるというだけで恐ろしい。そもそもびっくりするくらい、あの見た目にマッチしない。

そして、何が一番恐ろしいかって……。

ウィーネがその笑顔に、完全に気付いていないことだ。

パッと笑顔を向けた後、ウィーネはすぐにサンドウィッチに視線を戻した。普通なら自分を見つめる相手の笑顔に気が付いて、ちょっと照れて恥じらうとか、視線を絡めていい雰囲気になってそのまま……とかだろうが!! ガン無視かよウィーネ。お前、気付かないと殺されるぞ。

「こいつぁ、恐ろしいぜ」

あの悪魔みたいな男は、確実にウィーネに恋をしている。そうとしか見えない。それなのに、そんな恐ろしい男の笑顔が一方通行とは。

そういえば恋人同士になっても、ウィーネのアシュマへの態度は相変わらずだ。ただのツンデレかと思っていたが、もしかしてウィーネはアシュマの気持ちに気が付いてないのか? マジで? 怖え!

そうして、少しばかり作戦指針を考える。アシュマの一方的(に見える)恋心を叶えるために、それをウィーネに教えてやるのは効果的か、否か。

もちろん。答えは否だ。

こんな面白い事、ウィーネに教えてやる訳がないだろ。

「ま、人の恋路を邪魔する者はナニに蹴られると言うし、ここは退散……」

そう決めて踵を返した時だ。

急に背中に冷たい視線を感じて、金縛りにあったように動けなくなった。それでもかろうじてグギギと首を回し、後ろを振り向く。

案の定、遠くから、アシュマール・アグリアが紅い視線をこちらに向けていた。あの怒るでもなく咎めるでもない、単なる視線と、威圧するような冷たい魔力。

『違う、別に、邪魔しようなんて思ってねえよ!』

ネルウァは必死で首を振り、邪魔はしていないしするつもりもないという意志をアピールする。動けない身体を必死で後退させて、この場をやり過ごす案を考える。

そうだ、ひらめいた。俺マジ天才。

声は出さずに口元を動かして身振り手振りで、アシュマに意図を伝える。

それを見たアシュマの片方の眉がぴくりと動いて、掛かっていた魔力の圧が一気に引く。

ネルウァは「うまくやれよ!」とぐっと親指を立てて頷き、そんな余裕のジェスチャーとは全く逆の、這々の体でその場を逃げ出した。




「アシュマ? なに、どうしたの」

「いや、なんでもない」

突然、林の奥に視線を持ち上げたアシュマに、ウィーネは首を傾げた。昼休みにサンドウィッチを買ったアシュマに腕を引っ張られて木陰にやってきて、昼食ランチを食していたのはついさっきのことだ。

たくさん食べてお腹いっぱいだったが、さらに別のサンドウィッチをアシュマが進めてくる。今食堂で一番人気のフルーツとクリームを挟んだスイーツサンドウィッチもあって、一個だけなら……と言い訳しながら結局二個食べた。

一応「太るからいらない」と断ろうと思ったのだが、せっかくだし……。

だけど、食べ過ぎだったかも……お腹をさすりながらそう思っていると、隣におとなしく座っていたアシュマが耳元に唇を寄せて来た。

「んひゃ! なに、なんなのよ、急に!」

「太ると心配しているのか?」

「べ、べつ、に!」

嘘。本当は、すごく、ものすごーく心配している。けれど、それをアシュマに指摘されるのは何故か恥ずかしくて慌てて首を振った。

だが、アシュマは、ふ……と意地悪く笑って、ウィーネにとって斜め上の発言をする。

「言ったろう2、3切れでは太らぬ。毎晩、我と運動しているからな」

「は」

一瞬、何の話をしているのかと思ったが、すぐにその意味が分かってウィーネの顔が真っ赤になる。そうして、迫って来たアシュマの額をペチンと攻撃して、ぐいぐいと押しやった。

「ちょっと何言ってるのよ、バカ! 変態!」

「変態とは何だウィーネ」

「うるさい!」

もう! と言って腰を浮かしかけたウィーネだったが、膝の上に何か重みを感じて動けなくなった。

何だ、と思って膝を見たら、アシュマがごろんと転がって頭を乗せている。

「なにやってるのよアシュマ!」

「膝枕だ」

「はあ!?」

「膝枕という」

「知ってるわよ」

「なら聞くな」

「……な!」

もちろん、勝手に膝枕しないでと訴えた少女の声は聞き入れられる事は無かった。

むしろ、人間に化けた悪魔から「恋人というのは膝枕をするものである」ということを説教され、さらに「そんなにしたいならお前もしてやろう」と言われて、無理矢理芝生の上をゴロゴロされる。

この膝枕という行動を悪魔はいたく気に入ったようだった。少し寝返りをうてばウィーネの腹に顔が触れるし、さらにそのまま進めば、

「ちょっとひっくり返らないで、どこ触って、あ」

「少しおとなしくしておけ」

「これ膝枕じゃな、ちょ」

膝枕だったはずが、いつのまにか太ももの上でうつ伏せになっているアシュマは、片方の手でウィーネの腰をがっしりと掴んだ。もう片方の手はスカートの中に侵入させようと試みる。

木陰は涼しく芝生は柔らかで、いい膝枕日和である。


ネルウァ・セルギア作
『木陰でお昼寝大作戦 作戦暗号コード

ひ・ざ
(自分の膝をばんばん叩きながら)

ま・く・ら
(片方の手を枕に、横になるジェスチャーを)