あまえる悪魔と召喚主

001.魔法の媚薬、再び

このような感情、自分には無縁だと思っていた。
自分に愛など無いのだと思っていた。
愛されぬ存在には、いっそ愛など不要なのだ、と。
愛など知らぬと思っていた。
愛など忘れたと思っていた。
しかし、この気持ちは何だ。
あの少女を見ていると、心の奥底からふつふつと湧いてくる、守りたい、触れたい、この思いは……。

赤い髪を風にゆらし、瞳を苦悩にゆがめて、1人の男子生徒が中庭を歩く男女を見つめる。
視線の先にいるのは男女2人だが、見つめているのは女子生徒の方だ。
黒い髪の少女。
人を寄せ付けぬこのような自分に、臆する事無く接する希有な少女むすめ

それに答える術を知らない自分。
それでも少女はこ

「あーーーー! もう、何よこの駄文! スランプだわ!」

図書室のすみっこで、1人の女子生徒が何やら書き付けたノートの頁をちぎってぐしゃぐしゃにした。自慢の金髪は天然の緩い巻き髪で、可愛くハーフアップにされているが、綺麗な顔に付いた唇はむっすりとへの字を描いている。青い瞳は何か考え事をするように空をうろうろと彷徨い、やがて、諦めたようにふーと息を吐いた。

「ちょっと休憩にしましょうか……」

コトンとペンを置いて、んー……と伸びをする。ふと、視線を動かすと、その先に見慣れた金色の髪が見えた。

自分と同じ色と質の髪は短く、自分と同じ色の瞳は子犬のように隣に立つ女子生徒を追い掛けている。

「アニウス……あの子、まだ追い掛けてるのね」

ふうん……と、「あの子」……アニウス・セヴェルの双子の姉、ルフィリア・セヴェルは唇を尖らせた。

アニウスの隣に並んでいるのは、一つ上の学年のウィーネ・シエナだ。最近、弟のアニウスはこのウィーネに何かとまとわりついていて、よく一緒に図書室で勉強している。ルフィリアはこの弟のことは嫌いだが、ウィーネにまとわりついていることだけは褒めてやってもいいと思っていた。

「アグリア先輩だわ……!」

並んで歩く2人の間に、赤い髪の男が割り込んだ。割り込んだ形であるにも関わらず、ごく自然に褐色の手がウィーネの肩を引き寄せて自分の隣に並ばせる。この赤い髪に褐色の肌の、体格のいい男子生徒はアシュマール・アグリア。ウィーネ・シエナの恋人であり、魔術学校でもっとも有名な男だ。

弟のアニウスは、ウィーネ・シエナにまとわりついた結果、何がどうなったのかは知らないが、アシュマール・アグリアを交えた3人で勉強するようになった。ウィーネと親しく話をしようとした男子生徒は、もれなく無言の圧力にさらされ、膝を屈せざるを得ないという。だから今まで誰も……確かネルウァ・セルギアとかいう男だったか……くらいしか、アシュマール・アグリアが親しく話す者はいなかった。それなのに、アシュマール・アグリアと弟は、どうやら言葉を交わす程度の仲になったらしい。

ユール・ログの前日にアグリアをダンスの練習に誘い出したことがあるが、それが出来たことが今でも信じられない。今となっては遠巻きに見るだけで精一杯だった。

「もっとよく見ておけばよかったー」

そう思っているが、ルフィリアの心の中にもうアシュマール・アグリアに対する恋心は無い。あるのはもっと別の、そしてもっと建設的で素敵で、夢のある意欲と情熱だ。

「燃えるような深紅の……ううん、真紅色ルビーの髪に、仄昏い瞳……瞳は……うーん」

悩む……とルフィリアはノートに顔を突っ伏した。

ルフィリア・セヴェル。……現在、「創作」という情熱に取り付かれている。彼女は同じ趣味嗜好を持った女子生徒を集めて魔術学校に文学同好会を立ち上げ、その会長の任に就いていた。

****

黒板の文字を最後まで熱心に筆記したウィーネ・シエナは、いくつかの質問事項に赤線を引いてから席を立った。隣に座っているアシュマが何かを言う前に、たたたと教師のもとに駆けて行き、ノートを見せながら、授業中に疑問に思った点を確認している。

その様子をちらりと見たネルウァ・セルギアが、「ひょー」と訳の分からぬ奇声を発した。

「いつもとおんなじだなガリ勉ちゃんは」

「何がだ」

「ああん? 態度だよ、態度。他の女を見てみろよ」

言われてアシュマは教室を見渡してみる。ウィーネ以外の女子生徒など興味も無いので全く見ていなかったが、改めて見てみると、そもそも女子生徒の姿があまり無い。この授業は今日最後の授業だったはずだから、それほど急いで教室を出る用もなかったはずだ。しかし、それとウィーネが普段通り教師に質問に行くこととは何ら関係がないように思える。

「……少ないな」

「次の授業が女子だけの特別授業だからだろ、例の」

首を傾げたアシュマにわざとらしく耳打ちする。

「ヴァレンティヌスの日だよ。だからいつものようにドルシス先生の特別授業があるんだ」

「ああ……なるほど」

教師から回答をもらったらしいウィーネは、ちらりとアシュマの方を伺ったが、そのまま何も言わずに教室を出て行く。

「お、つれないな、ウィーネのやつ。いいのか、追い掛けなくて」

「特別授業なのだろう? 例の」

アシュマがウィーネの背中を見送って、口許に笑みを浮かべた。ヴァレンティヌスの日と聞いて、思い出す。ああ。あれはよかった。……もう一度、アレを味わうことが出来るのか……と、舌舐めずりをする。

急にニヤニヤ嗤い始めたアシュマをちらりと見たネルウァ・セルギアは、背筋に薄ら寒いものを覚えて視線を外した。

****

魔法薬物学の実習室の黒板に、男らしい文字でこのように書かれている。

『今宵の媚薬ショコラトルは一味違うの。いろんなフレーバーで貴女色に染め上げて☆』

周りをキラキラした魔方陣で囲んで、ピンク色のふわふわした煙が漂っている。教師の前には8色の薬酒ポーションが置いてあり、実習室には甘い香りが漂っていた。

「……と、いうわけで、今回は、とおおおっても良い香りの薬酒ポーションをほんの一滴入れちゃいますっ☆ みんな、基本のショコラトルの作り方はもう大丈夫ね! 後輩ちゃんにも教えて上げたかしらん?」

ウッキウキな様子の魔法薬物学教師リウィス・ドルシスがくねくねと実習机の間をすり抜けていく。それぞれの実習机には先輩生徒と後輩生徒がついていて、基本のショコラトルを作っていた。ショコラトル……というのは、テブローマの実をすりつぶしたものに魔力を込めて作る魔力補填薬だが、甘く作ったものは極上のお菓子としても楽しまれる。

冬にやってくるヴァレンティヌスの日に女から男へ、思いと共にこのショコラトルを渡すという習慣はこの国にもすっかり浸透しているが、いったいどのような謂れがあるのかはあまり知られていない。恐らくそれほど重要視されているわけではなく、要するに甘いお菓子を使って若い男女が楽しく過ごすことが出来ればそれでよいという趣旨だろう。

それはともかくとして、そうした魔力補填薬にもなる菓子であるので、魔術学校の実習で作成するのは道理に叶ったことではある。今回のヴァレンティヌスの日特別授業は前回の応用編で、基本のショコラトルを8属性の特徴を詰めた薬酒ポーションで香り付けしたり、中を少し柔らかいクリーム状にしたりするらしい。

また、基本のショコラトルの作り方は先輩生徒が補助して後輩生徒に教えている。

ウィーネの担当は金髪巻き毛の可愛らしい美女……といっても過言ではない華やかな女子生徒だった。その顔はウィーネもよく知っている顔だ。

ルフィリア・セヴェル。いつも一緒に勉強しているアニウスの双子のお姉さんのはずだ。顔も背の高さもアニウスによく似ていた。そして彼女はユール・ログの前日と当日、アシュマを踊りに誘っていた女の子でもある。それもあって、ウィーネは少し気まずかったが、出来る限り表情には出さないように淡々とルフィリアに指示を出していた。

「……で、ここで魔力ですの?」

「違うわ。魔力はすりつぶすときに充填したから、ここでは方向性ベクトルを決めて」

「ベクトル?」

ルフィリアが首を傾げている。他のテーブルはキャッキャと女子っぽい会話で楽しげであるのに、ウィーネのテーブルは至極真面目で、通常の授業の様相だった。

「ええっと……」

リウィス・ドルシスの教えによればここで想い人の顔や名前を浮かべ脳内に循環させる……ということだが、そのものズバリを指示するのは気が引けて、なんとなく通常の魔法学的解説でお茶を濁してしまう。

もたもたしていたら、実習室をうろうろしていたリウィスが2人の手元を覗き込んだ。

「もう! だめよウィーネちゃんったら! あのね、ルフィリアちゃん、ここではね好きな人の顔を1人だけ! いい、1人だけよ、思い浮かべるのよっ☆」

「名前……?」

「そ。ウィーネちゃんも、ね、ほら!」

……言いながら、くるくるとリウィスは他のテーブルへと去っていく。リウィスが去った後、ルフィリアがちらりとウィーネを見て、もう一度手元に視線を戻した。真剣に、均一の速度で混ぜながら問う。

「だから、方向性ベクトルですのね。分かりましたわ。……ウィーネ先輩は、どなたの名前を浮かべますの」

ごっ

……思わず鍋の底をヘラで突く。かあ……と真っ赤な顔をして、ふるふると小さく頭を振った。

「別に、私は誰の名前も」

「アグリア先輩ですか?」

「ちがいます」

そこは思い切り否定して、ウィーネは視線をショコラトルを混ぜるヘラに戻す。浮かんできたアシュマのことを頭から追い出すが、追い出そうとすればするほど浮かんできてしまうし、その度に甘い気持ちどころか、ちくちくと切なく胸が痛む。胸の奥が無理矢理暴かれそうで、ウィーネは見て見ぬ振りをした。

ダメダメ、絶対だめ。だってあんなのただの使い魔だし。

しかしルフィリアは遠慮なく追い討ちをかけてくる。

「でも、恋人なのでしょう」

「ルフィリア、話していると焦げてしまうわよ。しっかり混ぜて」

違うともそうだとも言わず、手を止めたルフィリアに注意を促す。そうしてウィーネは全速力でぐるぐるぐるぐる掻き混ぜた。「あれは使い魔あれは使い魔あれは使い魔……恋人はまねごと恋人はまねごと恋人はまねごと」と脳内で唱える。

そんなウィーネの様子を今度こそ怪訝そうに伺って、ルフィリアは混ぜる手は止めずに続ける。

「……ウィーネ先輩」

「何?」

「アグリア先輩の瞳って何色ですか?」

「え?」

予想外の質問にウィーネは顔を上げる。ルフィリアは至極真面目な顔で、……真面目すぎる表情でウィーネを見つめていた。2人の女子生徒は互いに鍋を混ぜながら顔を見合わせている。

「えっと?」

「ウィーネ先輩なら知っているかと思って」

……確かに知っている。アシュマール・アグリアの瞳の色も、そしてアーシュムデウ・アクィナス・ラクシュリアスの瞳の色も、どちらもウィーネは知っているし、すぐに思い出せる。本性を現したときのアシュマの瞳の色は血のように昏く真っ赤に煌めいていて、ウィーネを捉えて決して離さない捕食者の色だ。しかし、ルフィリアが知りたいのは人間に化けた時の瞳の色だろう。鋭いあの瞳は……。

「……紅茶の色、かな。少し赤みの強い」

「ふむ」

どうしてそんなことを知りたがるのか、答えは一つしかない。目の前にあるのはショコラトルで、掻き混ぜる時に込めるのは魔力の方向性……つまり、想い人の名前や姿だ。

ルフィリアはアシュマのことを思い浮かべているに違いない。

「アグリア先輩は、普段どのような色の服を着られるのですか?」

ほら、やっぱり。

より具体的に思い浮かべれば、媚薬としての力は強くなるとリウィスは言っていた。魔法学的にもその通りだ。

そして問われると、やはりアシュマの普段着の姿がふっと思い浮かぶ。いつも黒を基調にした服を好んで着ていた。黒い細身の上着ジャケットやシャツ……本性を現した時も黒くて、まるで鋼みたいな身体だけどそれは闇の魔力の塊だからだろうか。アシュマは「お前の髪と同じ闇の色だ」といつも楽しげに嗤っている。

「黒、が多いかな」

「なるほど」

ルフィリアの声に色めいたものや憧れめいたものは無く、まるで事務的な聞き取り調査のようだった。しかしウィーネはそれに気が付かない。

ルフィリアの聞き取り調査は続く。

「あの髪の色、鮮やかな赤ですが染めてらっしゃいますの?」

「や、違うと思う」

「まあ、地毛!」

地毛とも少し違うような気がするが染めているわけではないし、かといってあれは悪魔が人間に化けているのですとは言えずに曖昧に答えておいた。ルフィリアはその解答にいたく満足げで、「なるほど、地毛であの色……」と頷いている。

それにしても、染めているかどうかまで気にするなんて……随分と熱心なんだな、とその熱意にウィーネの胸が少しそわそわした。痛いようなもどかしいような、どことなく落ち着かなくなって、胸の奥に閉まったはずの気持ちがゆらゆらと揺れる。

「では、好きな食べ物は?」

「は?」

「好きな食べ物ですわ。どのようなものを食べますの? 男の方だから甘いは苦手とか、逆にイケるとかいろいろあるでしょう?」

アシュマが好き嫌いをしたことがあっただろうか? 一緒に外に食事に行って折角ウィーネが美味しいと言っても、何故か不機嫌な顔になったり、ご機嫌な顔になったりするのでよく分からない。甘いものが苦手……というわけではなかったはずだ。一緒に甘いものも食べる。ただ、辛いものだとか、そういうウィーネが嫌いなものを食べたことは見たことがない。

「あ、でもそういえば、ブラックの珈琲はよく飲むかな」

飲み物と言えばアシュマはよく珈琲を飲んでいたが、ミルクも砂糖も入れないはずだ。……甘いものが苦手、というわけでは無さそうだけど、甘さが控えめの方がいいのだろうか。

ウィーネは入れるクリームと砂糖を少し控えめにして、闇色の薬酒ポーションを一滴垂らしてみた。中に使う柔らめの部分が、少しだけ苦みのあるビターショコラトルになる。前回も少し甘さ控えめに作ったが、それよりもさらに苦味の効いた香りの良いものになるはずだ。

ウィーネはそれらを心持ち丁寧に混ぜた。アシュマにはこれくらいのほうが、ちょうどいいかな?

そんな風に考えて、別にアシュマのために作ってないし!……と顔をしかめる。

「やはりよくご存知ですのね」

「そ、んなこと……」

不意に言われて、ウィーネはふるんと頭を振った。いつものウィーネの調子が全然出ないのは、話題がアシュマのことだからだ。勉強のことなら、どんな質問でも答えられるのに。いや、違う。以前はアシュマのことを話題に出されても「あんなの知りません」と堂々と言い返すことが出来た。でも今はそれが出来ない。

けれど、そんな自分に気付いてはいけない。

「別に。いつも同じ授業になるからよく見かけるだけよ」

「……」

ルフィリアは答えず、ショコラトルのクリームを仕上げながらまじまじとウィーネを見つめる。そうした視線に気が付いたウィーネが顔を上げて、遠慮がちに聞いた。

「……貴女は、アシュマ……アグリア君にショコラトルをあげるの?」

「気になりますの?」

「違うわ。でも、いろんなことを聞いてきたから、そうなのかしらと思って」

嘘。本当はとても気になった。アシュマは以前は、他の女子生徒からのショコラトルを受け取らなかったという。それは恋人としては確かに嬉しいことなのだけれど、恋人であることに未だ納得のいかないウィーネには嬉しくも何ともない。しかし事情は複雑で、もしもアシュマが他の女子生徒からショコラトルを受け取ったりすることがあれば、それはそれでいい気分にはならなさそうで嫌になる。

はあ、もう考えるのやめよう。さっと作って、自分で食べればいいや。

もちろん、アニウスやネルウァにあげるなどという考えも浮かばなくも無かったが、こんな風に手作りしたものをあげる気にはなれない。

「自分で食べよ」

「何をおっしゃっているのウィーネ先輩」

「へ? あ」

ぽつりとこぼした独り言は、どうやらルフィリアに聞こえていたようで、胡散臭いものを見るような顔でウィーネを見ている。

「ウィーネ先輩は……」

「な、何?」

一体何を言われるのか、びくびくしていると意外なことを言った。

「髪をアップにしたりしませんの?」

「え、えっ?」

「真っ直ぐな髪ですから難しそうですけど、首が細く見えて似合うと思います」

「あ、え?」

「まあ、今は冬ですからアップにすると寒いでしょうけど」

今日のウィーネは長い髪を邪魔にならないように一つに束ねている。どうやらそれを見て、言ったようだ。

ショコラトルの形を整えながら、ウィーネは首を傾げた。ルフィリアの真意がよく分からない。不思議そうな表情のウィーネに、ルフィリアは綺麗な髪飾りを売っているという新しく出来た流行の雑貨屋の名前を勝手に教えてくれる。

「あ、ありがと。今度行ってみるわ」

「それがよろしいですわ」

「えっと、私はよく噴水広場の南にあるお店に行くわよ」

「そうですの? あそこの服は可愛いですけれど、ちょっと上品シックすぎません?」

「そうなんだけど、最近、明るい色の可愛いものも出てて……」

意外なことに、その後は2人でショコラトルの形を整えながら、好きな服のブランドとか化粧品とか、そんな女子らしい情報交換をして随分と和やかに終わった。

綺麗にラッピングまでしたショコラトルを、ルフィリアは鞄の中に大事そうにしまって、その代わりに何かをごそごそと取り出した。取り出した何かは雑誌のようで、それをウィーネに押し付ける。

「これ、今月のです」

「はあ」

思わず受け取ってみると、魔術学校で流行っている女子向けの地方雑誌だった。この魔術学校がある都市に特化した内容で、首都で流行の服飾情報や化粧品、新しくオープンしたお店やコーディネート術、男の子が喜ぶ10の仕草、連載形式の短い恋愛小説なども掲載されている。積極的に買ったことはないけれど、談話室に置いてあるから、ウィーネもいつもなんとなしに読んで、時々参考にしたりしている。表紙を見ると最新号だった。

「あげます」

「えええ?」

「それを読んで、ぜひ研究してくださいまし」

は? 研究? 何の?

そう問う前に、ルフィリアは答える。

「そういうの、アグリア先輩好きそうですし」

「は」

はああああああああああ!?

「ちょっと待って、なんでそこでアシュマの名前、ちょっと、ルフィリア、ルフィ……」

それじゃ! ……と可愛く礼をして、ルフィリアはもう振り向くことなく廊下の向こうへと駆けて行った。遠くから「ルフィリアちゃんっ! 廊下は走っちゃいけませんっ!」……と叫ぶリウィスの声が聞こえてくる。

それを見送りながら、はふー……とため息を吐く。

今までで一番意味不明だった。

……ルフィリアは確か、ユール・ログの時にアシュマを誘っていたはずだ。それなのにどうして今になって、アシュマの恋人(であることを認めたくはないが)のウィーネにあんなことを言い始めたのだろう。アシュマを喜ばせるため? ……それならば、ルフィリアがアシュマの好みそうなことをすればいいのであって、それをウィーネに勧める必要はない。

雑誌に目を落としてみる。

そこには、「今年のヴァレンティヌスの日は、お外でもあったかデートスポットで」……と、これまたよく分からないことを書かれていた。

「へんなの」

……でもこういうの、アシュマ好きなのかな。

「って、ばかじゃないの私!」

ぎゅ!……ともらった雑誌を押し込むように鞄に詰め込み、ついでにショコラトルも詰め込んだ。ルフィリアに合わせてラッピングしたけれど、ラッピングとか意味ないし。

「帰ろ」

「遅いぞ」

「んや!」

突然、すぐ後ろから聞き慣れた声が聞こえて、耳元がふうっと揺れる。びっくりしたウィーネは珍妙な声を上げて飛び上がってしまった。

「アシュマ! ちょっと脅かさないでっていつも言って……」

「驚くお前が悪い」

いつもの通り、ふ……とせせら笑ってウィーネの隣に並ぶ。不機嫌に歩き始めたウィーネの歩調に合わせて、特に急かすわけでもなく寄り添うように歩き始めた。

****

「成功、ですわ!」

ルフィリアは先ほど収集した情報を頭から零さぬように、懸命に書き留めた。書き留めているのはあくまでも空想の男、ルフィリアが考えた架空のヒーローの設定だ。

瞳の色は紅茶色。髪の色は天然の真紅ルビー。服の色は黒が基本で、ブラックの珈琲が好き。性格は冷静沈着で敵にも味方にも容赦無し。他の追随を許さないが協調性も皆無、それゆえ実力に従った地位には昇れない、いや昇らない男。他の干渉を許さず近寄る者もおらず、本人も常に影を好むように生きている。しかし唯一の例外、それが黒い髪の少女で、

その黒髪の少女は……

「んー……」

そこまで書き留めて、ペンを顎にあてながら考える。今考えている「黒い髪の少女」は、成績が優秀で品行方正。教師からの評価も高く、多少はお洒落もするが基本的には勉強の方が好き。

なんという地味な設定。

「殿方に対して、インパクトがうっっすいですわねえ。あの雑誌を読んで、少しは研究してくださればよいのですけど」

もうちょっと例の殿方好みのお洒落でもして、例の殿方に並び立つくらい女を磨いていただかないと張り合いがありませんわ。……今度は、香水のお店や装飾品のお店も教えてあげなければ。

こうして魔術学校文学同好会の会長は、公募に出すための恋愛小説の設定プロットを熱心に考え始めたのだった。