あまえる悪魔と召喚主

もこもこ悪魔と召喚主

へくちっ

室内の暖かい空気と冷たい空気の温度差が鼻腔をスン……とくすぐり、思わず肩を震わせた。くしゃみってどうして止まらないんだろ。ぐずぐずと鼻をすすって、手をさする。

「さむ」

寒いのは分かっている。思わず口にしてしまったのは、冬の口癖みたいなもので別段意味があったわけではない。吐く息は当たり前のように白く、ここ最近で一番の寒さは雪が降りそうな予感がした。

しかし、冬の寒さをウィーネは嫌いではない。冷たい空気は軽やかで、吸うと胸の奥がスッと綺麗になるような気がする。

今日は休みの日であるのに珍しく、アシュマを撒いて外出した。休みの日だけど図書室で勉強する……という手は割と使える。いつも部屋でしているのと同じ程度の予習と復習を済ませただけで、何も言わずに出てきたのだ。アシュマはまだウィーネは勉強していると思っているだろう。

もちろん、そんなに長くうろうろするわけではない。ちょっと本屋に寄って、雑誌に載っていた焼栗クレ・ショをおやつに買うだけのつもりだった。暖かい部屋に戻って焼栗を食べながらダラダラするなんて、よい休日ではないか。

「さ、行こ」

「……ウィーネ」

それなのに、冬の気温よりももっともっと冷え込んだ声が、ウィーネの隣から聞こえた。思わずびくんと肩を揺らして、ばっと振り返る。そこには、眉間に皺を寄せて極めて不機嫌な顔をした悪魔が人間の姿で立っていて、ウィーネは目を丸くした。今日は黙って出て来たはずで、まだ一歩も踏み出していないのに、なんで隣に居るのだ。

「アシュマ! 何よ、どうしてこんなとこに……」

「マフラーと手袋はどうした」

ウィーネの言葉をぴしゃりと遮って、えらく怒った声でウィーネを睨んでいる。これはどうやら相当ご立腹の様子だが、黙って出てきた事に対して怒っているわけではなさそうだった。だから、その怒りの理由が全く分からない。きょとんとしていると、イライラした様子でもう一度聞いてくる。

「お前はマフラーと手袋をしていない。なぜだ」

「忘れた」

ちなみにウィーネは別段薄着というわけではない。お気に入りのもこもこコートをちゃんと着ている。アシュマが言うようにマフラーと手袋はしていないが、単に忘れてしまっただけだ。少し寒いけれど、用事を済ませたらすぐに帰ってくるつもりだったから、取りに戻ろうとも思わなかった。

「なに?」

首を傾げると、アシュマの顔はますます不機嫌になる。しばらく意味不明の睨み合いが続き、急に手首を掴まれた。

「来い」

「え、ちょっと、何よ!」

ウィーネの手を引いて、アシュマはグイグイと歩いていく。「もう!」とか「ちょっと!」などと言って反抗するのだが、アシュマの力に到底叶うはずもなかった。

大きな通りを少し歩くと一本細い道に入る。石畳の路地の両脇に、くすんだ緑や赤い縁取りの扉が愛らしい店が並んでいる。魔術学校の女子生徒に人気の界隈だったが、がやがやと賑やかなわけではない。そうした店の中のとある一軒の前でアシュマは足を止めた。見覚えのあるお店の外見は、この間ルフィリアに勧められた雑貨屋だ。もらった雑誌にも載っていた。

あ、ここ……と思ったが、何も言えないまま、手を引かれて店に入った。

店の中はほんわりと暖かく、飴色に磨かれた木製の棚に小物入れや布の鞄など、可愛い小物がたくさん置いてある。自分にはかわいらしすぎるかなと思ったが、見るのは大好きだ。アシュマに連れて来られたのも忘れて、「わあ」と顔を近付けようとした。

……が、アシュマの手はまだ外されず、店の奥の服飾品が並んでいるところに連れて行かれる。

そちらには雑貨屋特有の可愛い服が並んでいる。たっぷりと布を使った重ね着風ワンピースや、レースが裾から覗く切り替えの可愛いスカート、ちょっと変わった形のコートやファーの付いたポンチョなどは特に素敵だ。肌触りもよさそうで、こんな時でなければ思わず手に取ったに違いない。

しかし、今日は何故かアシュマに無理矢理連れて来られたのだった。当のアシュマは、側にあった棚からひょいひょいと迷いなく何かしら選び、店員に渡している。

購入した品物を持って、アシュマが振り向いた。にこりともニヤリともしない表情でウィーネの格好を上から下まで見遣り、眉間の皺をさらに深くさせる。怒っている証拠だ。

「な、なに」

理由は分からないが、ものすごく怒っているのだ。

「ウィーネ……」

だが、怒られるような覚えは全くない。むしろウィーネが怒りたい気分だ。今日は一人で出かけようと思っていたのに、いきなり不機嫌な顔で現れたかと思うと無理矢理こんなところまで引っ張られて、しかもずっと怒っているなんて理不尽すぎる。

そう思うとなんだかムカムカしてくる。再び「なによ」と言いかけて、その代わりに、ぷしん!とくしゃみが出た。同時に、チッ!と盛大な舌打ちが聞こえる。

そして、もふん……と首に何かが掛けられた。

「ふへ?」

くしゃみをした直後でうまく反応できずに顔を上げると、さらに、そのもふんもふんがぐるぐるとウィーネの首に巻き付けられる。

手で触れてみると極上の肌触りのボアマフラーだ。どうやらかなり長さがあるらしく、2周ほど巻き付けられると、ウィーネの顔が半分隠れた。

おまけに耳の上に何かがかぶせられ、ぐっと引っ張られた手に手袋が押し付けられる。

あっという間に、マフラーにぐるぐる巻きにされ、イヤーマフをかぶせられ、ぽむぽむの手袋をさせられ、ちょっと出かけるにしては大げさな格好になってしまった。鏡に映った自分をちらりと見てみると、そこにはもこもこにされたウィーネがいる。

「ちょっと何するのよ」

「そんな薄着で出るからだ」

「薄着ったって別に……」

言いかけて、店員の視線とくすくす笑いに気が付いた。しまった、まだ店内だった。羞恥でマフラーから覗いたウィーネの頬が赤く染まる。しかしアシュマは、店員の視線など全く気に留めず、ウィーネだけを眺めて満足そうだ。先程の不機嫌な顔は何処にやったのか、口許に笑みすら浮かべているアシュマが憎らしい。ウィーネは顔を赤くしたままアシュマの手を引くと、慌てて店を出た。

「ウィーネ」

「……」

「おい、ウィーネ」

手を引かれるのも悪くはないが、アシュマはその中にあるウィーネの不機嫌さを感じ取った。ウィーネが不機嫌なのはよくあることだが、今日は寒いからあたたかい格好をさせてやったのに、一体何故不機嫌になったのか理解できない。そもそもなぜコートを1枚着てきただけという薄着で外に出て、そのくせ「寒い寒い」というのか。温度差や低温に弱いくせに、わざわざ手や喉を冷やす全く無防備な召喚主にアシュマの方が不機嫌になる。

それにいつも思うのだが、怒ったウィーネは訳の分からぬ方向に突然歩き始めるのだ。

「ウィーネ、待て」

ずんずんと街の通りを歩いていくウィーネの手を、アシュマが引っ張った。足を止めたウィーネが、アシュマを振り返る。白に近い生成りのマフラーに、ふっくらと暖かそうなイヤーマフも同じ色で、ウィーネの黒い髪によく似合っている。マフラーから覗く頬はほんのりと赤く、愛らしい召喚主の姿に使い魔は思わず瞳を細めた。見立てた通りよく似合う。

「行くぞ。焼栗クレ・ショを買うのだろう」

「な、どうして知って……」

「熱心に雑誌を読んでいたくせに」

ぽかんとしているウィーネを見て、アシュマは、ふん……と笑った。いつも談話室で読んでいる雑誌を、珍しく部屋で見ていたウィーネを知っている。ちらりと中を見てみると、先ほどの雑貨屋と、冬になるといつも出ているという焼栗の屋台の記事を、特に熱心に読んでいたようだった。

アシュマはウィーネの手をそっと握り直した。腰を抱くのもいいが、どうやら冬の街の恋人同士はそうやって歩いている者が多いからだ。しかし、当たり前ではあるが、いつもと異なる布越しの手の感触を見下ろす。

「……邪魔だな」

アシュマはウィーネの片方の手から手袋を剥ぎ取ると、改めて互いの指を絡め、自分のコートのポケットの中に突っ込んだ。これで寒くはあるまい。

「あ」

「来い」

寒さではない理由でウィーネの顔が真っ赤になっていたが、アシュマはそれに気が付かなかった。

寒い冬の通りを、可愛いマフラーの中から真っ赤にした顔を覗かせた少女と、その少女の手をコートのポケットの中に大事にしまう赤い髪の青年が並んで歩いていく。

****

冬の季節に焼栗の屋台は、首都や首都に近いこの街ではよく見かけるものだ。屋台用の鉄板や釜に大きめの栗をたくさん入れて、じっくり焼いたものをほくほくと食べる。ウィーネの家でも冬になるとよく作っていた。

しかし楽しみにしていた焼栗のおやつも、なんだかそれどころではない。

ウィーネの手を引くアシュマは、いつもの通り手をつなぐだけならまだしも、その手をコートのポケットに入れているのだ。街中で仲良くそんな風に歩いている恋人達はよく見かけたけれど、自分がまさか使い魔と一緒にそんなことをするとは思わなかった。手をつないでいるだけなのに、いつもより親密な気がしてしまうから困るのだ。だって、別に親密にする必要などないのだから。

時々、ポケットの中できゅっと手を軽く握られたり、指でスリスリと撫でられたりする。その度にウィーネは顔を上げてアシュマをちらりと見るのだが、アシュマは決まってウィーネを見ているので慌てて目を逸らした。

そんなことが数回続いて、気が付けば焼栗屋さんの前にいた。

「えっと、一包み下さい」

ウィーネが量り売りの単位のひとつ分を頼むと、屋台のおじさんが紙袋に焼栗をゴロゴロと入れてくれる。

「かわいいね、彼氏とデートかい?」

「え?」

「彼氏の分とお嬢ちゃんの分と、一個ずつオマケしといたよ」

男女で手をつないで来ているのだから、デートと思われても仕方がない。分かってはいるが、急にそんな風に言われて否定も肯定も出来なかった。顔を赤くしてお礼を言ったウィーネを、屋台のおじさんは初々しいと思ったようだ。一方アシュマは至って余裕で利口ぶり、紙袋を受け取って「よかったな、ウィーネ」などと言ってこちらを覗き込むから見ていられない。

「ウィーネ、食べないのか」

「食べる」

さっきから熱い顔を隠すようにもこもこのマフラーに顔を埋めていたが、アシュマに手を引かれてベンチに座った。アシュマが持ってくれている紙袋から温かい焼栗を取り出して、切れ目に力を入れるようにパキッと割る。

焦げ目の付いた薄い茶色の中身を出すと、隣のアシュマにぱくりと指ごと食べられた。

「アシュマ! 食べないでよ」

「なるほど」

「な、何がなるほどなの……」

「殻を割って食べるのかと思っただけだ」

真顔でアシュマが答える。ゴロゴロとした栗は硬そうで一体どのように食べるのかと思っていたが、堅い殻ごと食べる訳ではないらしい。ウィーネのやり方を見ていたアシュマは、自分も一つ取り出して、真似してパキンと割った。

中身を取り出して、ウィーネに差し出す。

「ほら」

「う」

差し出されれば、食べるまで退かないことをウィーネは知っている。大人しくぱくんと口に入れた。

香ばしい香りとホクホクの甘い味が口の中に広がって、何だが懐かしい味がする。

「美味いな」

「ん……」

そんな風に言われて、胸の奥が変な心地になった。しかし胸の奥を知られたくなくて、自分の顔も見られたくなくて、ウィーネは立ち上がる。

「ウィーネ?」

「ちょっと、行ってくる」

「何処に」

今まで甘く響いていたアシュマの声が再び不機嫌になった。だが、それは聞かないフリをする。

「すぐ戻ってくるから、待ってて」

「おい、駆けるな、転ぶ」

バタバタと駆けていくウィーネを、本来ならば捕まえるのだったが、「待ってて」と言われ、その言葉の響きに不思議な魔力を感じてアシュマは見送った。以前言われた「おやすみ」にも似た、どこか不思議で甘い言葉に聞こえる。

最近は、訳の分からぬ事ばかりだ。

手に持っている焼栗は、悪魔の嗜好に従えば何が美味なのか分からない代物だ。ショコラトルも同様で、それを美味だと感じるのはウィーネの魔力を感じるからだろうか。

試しに一つ割ってみる。中身を先程と同じように食べてみたが、ただ栗の味がするだけで、美味しいとは感じなかった。

「ウィーネ……?」

戻ってきたと思ったら、両手に何かを持っている。そろそろと歩いている様子に怪訝な表情になって、アシュマはベンチから立ち上がると、ウィーネがこちらに来る前に追い付いた。

「何をしている」

「これ」

まだ不機嫌な顔のアシュマに、ウィーネが何かを差し出した。ほんのり湯気の出ているそれは、どうやら2つのコーヒーカップのようだ。アシュマに差し出された方にはブラックの珈琲が入っている。ウィーネはアシュマの分と自分の分の飲み物を買ってきたらしい。

「アシュマは、いっつもブラックだから」

「我が買ってきてやるのに」

「別に! ……いつもアシュマが買ってくれてるから、それだけよ!」

アシュマがニヤリと笑うと急に顔を背け、なぜかぷりぷりと怒りながら甘いミルクティーを持ってベンチに駆けて行った。すぐにウィーネに追い付いて片方の腕で腰を支えてやると、今度は大人しくなって一緒に座る。

飲み物を脇に置いて、アシュマは焼栗の殻をパキりと割ってやった。

「ほら、食べるといい」

「自分で……」

「いいから食べろ」

むぐ、と唇に押し付けられて、仕方なく口に入れてもくもくと噛む。別に誰が割ったって美味しい味に変わりなく、しかめ面をするわけにもいかずにちらりとアシュマの方を見た。

アシュマの紅茶色の瞳が何かしら期待するような表情で、こちらを楽しげに見つめている。何よ、と聞くと、焼栗の袋を差し出した。

「食べないのか?」

「た、食べるもん」

袋の中はまだ温かくて、嬉しくなる。

「まだあったかい」

「ああ、温かいうちに食べるといい」

言われて一つ取り出し、きゅっと力を入れて殻を割る。中身を取り出して口元に近付けた。

「ん」

「!」

しかしそれはウィーネの口には入らずに、ウィーネの唇を掠めてアシュマの唇が咥えていった。ペロリと口の中に入れ、得意げな顔でウィーネに向かって笑う。

「美味いな」

「いまの、いまの……わた、わたしの!」

「まだまだたくさんあるだろう。何をつまらぬことを言っている」

「だって!」

思った通り。

やはり、ウィーネの手に触れたものの方が美味だ。魔力か、他の何かか。分かりやすいのは、恐らく魔力だ。ウィーネの愛らしい魔力に、アシュマは大変いい気分になった。珈琲を一口飲んでみる。ほら、いつもよりも美味しく熱く感じるではないか。

「甘いな」

「変なこと言わないでよ、それブラックなのに」

「お前の魔力だろう」

「……また、そればっかり」

「ウィーネ?」

どうしてかしょんぼりしてしまったウィーネの耳元に頬を寄せた。

さて、ウィーネが触れ、ウィーネがこの使い魔のためにしつらえたものならば、どのようなものも美味だし楽しいことに悪魔は気が付く。魔力の変化に伴って、アシュマが感じるものも少しずつ変化し、足りないものが増えていく。

しかし、本当にこれらの味わいの感じ方を変えているのはウィーネの魔力だけなのだろうか。

それらの変化や力の源は、果たして召喚主にあるのか、使い魔にあるのか。

答えを見出さぬまま、悪魔は少女の手を強請ねだる。

「ウィーネ」

ぐる……と、悪魔の喉が鳴って、欲深な唇や手を少女の身体に絡める。

「こんなところで、やめて」

しかしつれない少女は、人間に化けた悪魔の顔を押しやって困ったようにふっくらとした唇を尖らせた。

一番食べたいのは、この少女だ。

だが今のところアシュマはそれ以上ウィーネを追い掛けるのを止めて、少女の身体が寒さに当たらぬよう少し身を寄せた。魔力を使って冬の気温を避ける事も出来たが、寒い方がウィーネも逃げないし、互いの体温を使って身体を温めるという楽しみがある。

2人の手はいつのまにか一緒に紙袋を持っていて、それはまだほんのりと温かい。

「あ……!」

黒い髪の少女が、不意に空を見上げた。

空からはちらりちらりと雪の粒が降りて来て、それを見上げて少女が小さく笑う。その横顔を赤い髪の青年が、そっと伺うように見つめていた。


「ショコラトル」「ヴァレンティヌスの日」は実在のイベントやお菓子とは関係ありませんってば!