指定された音楽を流しながら指定されたお題を書くという試み。
曲:Michelle Branch- I’d Rather Be In love
お題:ウィーネ
「どこ行こっかな」
女子寮の自室で黒い髪の毛を丁寧にブラッシングしながら、ウィーネは今日の予定を頭の中に思い浮かべる。そして結局何も思い浮かばない事に、にんまりと笑った。予定が無いってなんて素敵なんだろう。
テスト期間が終わったのはつい昨日のことで、独特の開放感に学校中が浮かれている。ウィーネはテストだからといって一夜漬けをするタイプでもなく、テストが終わったからといって上手に浮かれることのできる生徒でもなかったが、一種の緊張感から抜け出せるのはやはり嬉しかった。
お気に入りのふっくらスカートに気楽なカットソーを合わせて、ウィーネは街に出掛けることにする。
それに今日はなんといってもアシュマが居ない。なんでも闇の界に行かねばならぬなどと言っていて、昨夜は散々だったのだが、朝起きたら居なかったのだ。
ちょうど街中の服や雑貨を売っている店では、安売りが始まっている頃だ。人ごみは苦手だが、少しくらい買い物を楽しんでも罰は当たらないだろう。
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買い物をしている間は楽しくて、いくつか欲しかった品物が半額で買えたりほくほくだった。大きな紙袋を手に、魔法学校近辺の可愛い店のある裏路地をぶらぶらと歩くのは心地がいい。いろいろ買った後、ほどよく購買意欲の下がった心持ちでお店の窓を冷やかしながら散歩し、いつも歩いている公園にやってきた。そしていつものように、ジェラートリ売りの屋台に目を向ける。ジェラートリは白いクリームを冷凍の魔法で加工したもので、口の中に入れると甘くてとろりととろける夏には欠かせないデザートだ。それをビスコティと呼ばれる素朴な焼菓子にその場で挟んで売ってくれる。
「ちょっと休憩しようかな」
たくさん歩いて少しお腹も空いたところだ。
「ええと、イチゴ味のをお願いします」
「ひとつでいいかい、お嬢ちゃん」
「え?」
聞き返されて首を傾げると、ジェラートリ売りのおじさんが、イチゴ味を挟んでくれながらにっこりと笑った。
「いつも珈琲味とイチゴ味を買ってくれてるだろ?」
「あ」
珈琲味はアシュマがいつも食べている味だ。ここの公園のジェラートリは、この夏、よく2人で来ては休憩するときに使っていた。アシュマは姿形がとても目立つから、お店の人も覚えているのだろう。
「今日は、ひとつで」
「はいよ。イチゴ味ひとつね」
ウィーネはイチゴ味のジェラートリを挟んでもらって、ベンチに腰掛ける。
今日はとても楽しかったけれど、今、ちょっとだけ、本当にほんの少しだけ、何かが足りないような気がしないでもない。その理由をウィーネは知っているけれど……落ちかけた日のせいにした。暑さと涼しさの境界を感じる夏の夕暮れというのは、ちょっとした寂寥感を誰の胸にももたらすものだ。
「それに今日はアシュマなんて関係無いし」
「何がだ?」
「……え?」
さく。とジェラートリを齧ったと同時に、人の気配と声が聞こえる。それはいつものように唐突に現れるのではなく、いつものようにウィーネを驚かす事も無く、ごく自然に現れた。
ぽかんと顔を上げると、黒い格好なのに全然暑苦しくなさそうなアシュマが歩いてきて、すとんとウィーネの隣に座った。
「出掛けていたのか」
「買い物してた」
「そうか」
いつものならべたべたとくっついてくるのに、アシュマは小さく笑ってウィーネを見ているだけだ。その視線に落ち着かないものを感じて、ウィーネはムッとすることでそわそわした気持ちを隠した。
「アシュマも」
「ん?」
「食べるなら買ってきたら?」
そしてなぜか、ウィーネのまったく意図しないどうでもいい言葉が、ウィーネの口から飛び出した。一体何を言っているんだ私は……と、ますます顔をしかめることになったが、アシュマは別段気にしていないようで、その代わり、ふわりと体温が近付く。
「我はこれでいい」
ウィーネの手元に合わせて顔を低くしたアシュマの赤い髪がウィーネの頬をくすぐったかと思うと、それはすぐに離れた。手元を見ると、ジェラートリが一口アシュマにかじられている。
「……ちょ……」
っと、何するのよ。
……と、言いかけて、ウィーネは口を閉ざした。かじられたジェラートリを見下ろして、自分も一口かじる。
クリームの柔らかさとビスコティのサクサク感は絶妙で、どちらかが一方的に硬すぎる事も無く柔らかすぎる事も無く、かじった途端にちょうど良い大きさが一口口の中で解けた。
気が付けばもう夕方で、広場の石畳が低くなった太陽の薄橙に照らされている。
「行くか?」
「これを、全部食べてから」
「そうか」
アシュマの指先が持ち上がりいつものようにウィーネの髪をすくったが、今日はそれを煩いなとは思わなかった。