エウロ帝国帝都ヴァイスディアス。王城の応接室で、リューンは初めてアルハザードと対面した。獅子王アルハザード。エウロ帝国皇帝として、政では柔軟で公明正大、戦においては軍神と呼ばれ、魔力も剣技も恐らく右に出るものはいないだろう。
だが、リューンの感想は、「その設定に忠実すぎてやばい」というものだった。吹きそうだ。室内の真面目な雰囲気も手伝って、たった今、リューンの笑いの沸点は異常に低い。
顔がまず精悍で甘くなく、さらに若く繊細なところが無いのがいい。齢30を超えて、少し滲み出てきた苦味というか渋み……というのだろうか。こういうパターンの場合、大概女みたいな美青年か、クール系の美男子か、野生的なくせに色気のある肉食系が定石だと思うが、その肉食系が当てはまる。当てはまるっていうか、そのものだ。
金髪はほどよく短く、群青色の瞳は、今は剣呑そうに細められている。ええ、ものすごく見られてます。獣が獲物を狙うごとく……っていう詩的な言葉が似合う。おいおい誰だよ「獅子王」とかいう2つ名つけたのは。そのまんまじゃねーか。……などと考えていたら、(面白すぎて)正視できません。とはいえ、これが「獅子王」ですっていわれて出てきた人が、線の細い美形だったらそれはそれで驚愕だ。
そもそも背が高い。そうとう高い。多分2mはある。200cmとは言わない、あえて2mといおう。で、筋肉質? 着やせというか、筋肉そのものがはちきれんばかりに見えてるわけじゃないけれど、肩幅広いしどこもふわっふわしてないからあれは多分すごい胸板だね。腹チラしたらすごい腹筋だろうて。でもここまで筋肉系美男子、いや、美中年? ああ、そうだそうだ。男子というには経験豊富すぎるし中年というには落ち着きが無い、まさに今男盛りっていう、その設定! そのもの! テンション上がってきた! そのものすぎる、基本に忠実すぎる。私を笑い死なす気ですか。だから、邪悪に笑うなというのに。
「ということでよろしいですかリューン様」
リューンが遠い目をしながら現実逃避をし始めたところで、エウロ帝国宰相ライオエルトが声を掛けた。銀髪碧眼に華奢な眼鏡を掛けている美青年で、当然、彼を見たときもリューンは吹きそうになった。銀髪。なぜ銀髪。日本人25年、異世界2年。リアル銀髪初めて見た。線の細い美青年といえば銀髪かい。その上眼鏡男子とか。しかもあれ絶対脱いだら細マッチョなんだろ。
……ってまた現実逃避しそうだから、話しかけるの止めてもらえませんか。無理ですか。
「ラズリ」
「はっ」
脳内で、笑いを噛み殺しながらも表向きは無表情と笑顔のギリギリラインで、リューンはラズリへ書類を見聞するよう促した。一応現実逃避しながらもライオエルトの話は聞いていたので、いくつか質問もある。
……それにしても、今現在の、この席の配置には苦笑せずにはいられない。
****
リューンが到着早々通された控えの間でシドとラズリと共に待っていると、扉がバーンと開き重苦しい威圧感が部屋を占領した。王城で一番最初に見た要人1発目、その威圧感の持ち主は皇帝アルハザードその人だったのである。シド将軍から紹介されたけど、こんなの紹介されなくても分かる。こんな威圧感を持つ人は他にいまい。だが、ノックくらいはしろ。
ノックしろと言いたいのを堪え、席を立ち、旅装の端を摘んで淑女の一礼を取る。ローブは頭から外しているが、耳上くらいから留めて下ろし、髪の短さは隠しておいた。
「お初にお目にかかります。リューン・アデイル・ユーリルにございます。……此度はカリスト王国への度重なる温情、国を代表して御礼申し上げ……」
リューンは、その口上(以後、だらだら続く予定だったが)を最後まで言うことが出来なかった。アルハザードは部屋に入るなりつかつかとリューンに詰め寄り、その顎を取り顔を検分するように上を向かせた。
おいおい、なんだこの不躾な態度。なるほどかなり上から目線な人だな。まあ、これで腰が低かったら逆に怖いけど。それにしてもすごい威圧感。なんというかこう、溢れんばかりの男の色気+魔力+眼力+あとなんかいろいろ放出している。
それで、顔見たら筋肉系俺様皇帝だったわけである。でもさすがにここでニヤニヤするのはいただけない。
リューンは顎をつかまれているなど気にも留めない風に、にっこりと笑って首を傾げた。
「……国を代表してお礼申し上げます」
「お前がリューンか」
「リューン・アデイル・ユーリルにございます、皇帝陛下」
アルハザードは顎を手に取ったまま、じっとリューンを見下ろした。その群青色の瞳を見返しながら、リューンは思う。背ぇ高いなーこの人。この距離感だとすっっごく見下ろし視線になるな。ああ、顔の左……鼻筋から頬に掛けてに刀傷痕がある。戦場で戦った証だろうか。軍神でも怪我することがあるんだな。いや、軍神だからこそ、かな。
………………。
それにしてもいつまで見てるんだろう、いい加減顎外してほしいんですけど。
リューンの笑顔が、不思議そうなきょとんとした顔になって、やっとアルハザードは手を離した。「ついてこい」……と、リューンの横を通り過ぎる。シドが案内するように先んじて歩き、隣の部屋への扉を開いた。ラズリが一礼し、先ほどまでアルハザードがいた辺りに立っていたライオエルトが、にっこりと笑って「宰相ライオエルトです」と名乗り、アルハザードについていくよう促した。ああ、まだ誰かいたんですか。……と思ったが、かろうじて口に出さず、リューンはぺこりとそれに一礼し、つかまれていた顎をさすりながらアルハザードの後ろに続く。もちろん、心の中で銀髪眼鏡テンプレキタコレ-! などと呟きながら。
そうして、ソファの部屋に通され、アルハザードはリューンの手を取った。
室内に入った途端手を取られたのも予想外だったが、そのままアルハザードはリューンの手を引いて2人掛けのソファの傍らに座ったのだ。視線だけで、隣に座るよう促される。しかもこのソファがまた狭い。多分、2人がけの体で作ってはいるけれど、実際に2人で座ることなんて想定されていないんだろう。だから2人の距離はかなり近い。嫌がらせか。多分嫌がらせだ。帝国なら、もっと広いソファ用意しろ。ちなみにこの狭いソファで、隣のアルハザードは肘掛けに身体を預けて、上半身だけは少しリューンから離れている。それは嫌だから離れている、というわけではなく、多分全身よく見えるように遠くから眺めているんだろうと予測。いい加減視線が痛い。
まあ、それはいい。視線は無視すればそれでいい。だが、問題は、ラズリから離されている事だ。本来は、リューンが下座に、アルハザードが上座に向かい合って座り、それぞれの部下が隣に控えるはず。それなのに、今は上座にリューンとアルハザード、下座にラズリとライオエルトが座り、シドはアルハザードの傍らに起立して控えている。(ちなみに、ラズリとライオエルとは1人掛けのソファを2つ並べている。)
これでは書類の内容について、ラズリと打合せできない。今更打合せすることもないといえばないが、後宮という文化に馴染みのないリューンは、いくつかの質問をする前にラズリに確認しておきたかった。
そもそも、今日のこの場はリューンを後宮に入れるための書類へサインする場だった。後宮へ入る際の条件や決め事を書類にし、受け取り側の皇帝と差出側の後見人のサインをしたためる。その後見人として、帝国は……というか、アルハザードはリューン本人を指定してきた。表向きはリューン・アデイル・ユーリル女公爵となっている。そうして、この会見……となったのだ。
簡単な形式上の話なので、帝国側は代理人が出てくるだろうと踏んでいたのだが、いきなり一発目に皇帝が出てきたのでリューンは正直ドン引いた。
余談だが、この一連のリューンの行動に驚いていたのは、宰相ライオエルトだ。まず、彼女は皇帝陛下の不躾な態度に一切怯むことなく彼の瞳を真っ直ぐ見つめ返していた。常人なら、まず威圧感に身が竦む。次に顎を捕まれた事に戸惑い萎縮するだろう。……加えて彼女は女性。20歳とはいえ、世間知らずのお姫様なら尚更だ。であるにも関わらず、皇帝の威圧感や雰囲気に飲み込まれること無く、一種飄々とした雰囲気で応対していた。ライオエルトの記憶を遡ってみても、この皇帝にそんな態度を取った女性は居ない。あのアルハザードが会う前から興味津々だった理由が分かる気がした。
彼女は獅子王の前に捧げられる供物になるのだろうか、それとも獅子王に望まれるような女になるのだろうか。
****
ラズリはライオエルトから渡された書類の記述事項を確認していく。ここに来るまでに、帝国の後宮という制度については一通りリューンに説明をしてきた。その説明と大幅に変更が無いか、主が好みそうにない箇所は無いかを確認していく。……概ね問題はないが、一箇所気になるところがあった。ここは恐らくリューンも突っ込みをいれてくるだろう。ならば先手を打たねばなるまい。そのために、自分に書類を検分するよう指示したのだから。
「宰相閣下」
「なんでしょう」
「リューン様が入られる宮ですが」
「陽王宮の月の宮ですな」
「後宮に入ると伺っておりました」
「おや、ご不満ですか?」
陽王宮月の宮は正確にいうと、後宮ではない。城にある皇帝と皇帝の家族が住まう場所、それが陽王宮という。現在は独身の皇帝が寝食を過ごしている宮だ。……そして、それとは別に存在する小さな離宮が白星宮で、いわゆる後宮とされるところである。後宮入りした姫たちは、この白星宮に住まい皇帝が渡るのを待つのだ。……だが、書類上指定されたリューンの住まいは陽王宮内にある月の宮。陽王宮の端に位置するが同じ室で、後宮ではない。住まう者の決められていない予備の宮で、歴史的に見て皇妃に順ずる寵愛を受ける女性や、皇妃に立つ前の女性が後宮から正式に陽王宮に入る準備のために使用する場所だった。つまり、ここに入るということはそれだけの寵を受けている姫君である、という証なのである。
……寵受けてないけど。
……もちろん、それはリューンも気づいていた。そしてまさに突っ込みたいところはそこであった。まだ会ったこともない女に、そこまでのことをする義理があったか? いや無い。確かに、リューンはカリスト王国の元女王だ。帝国としても一国の王となった身分の女性を蔑ろには出来ないに違いない。だが、それでも。これは若干やりすぎのような気がした。
怪訝そうな表情を浮かべたリューンをアルハザードが楽しげな笑みで見やり、低く獰猛な気配を纏わせた声で言った。
「陽王宮がよかったか? リューン」
「それはいや。無理」
……沈黙。「リューン様……」小さい声でラズリが嗜める。ライオエルトは目を丸くしてポカンとリューンを見た。シド将軍は恐れていたことが現実になったかと内心ひやりとし、……そして、アルハザードは表情は崩さぬものの、獰猛な気配を消してリューンを注視した。やべ、素が出た。リューンは小さく1つ咳払いした。
「……わたくしのような不勉強な者が陽王宮に上がるなど、恐れ多いことでございます。どうかお許しくださいませ」
沈黙を生んだ素の口調など最初から無かったように頑なな表情に戻すと、リューンは伏目がちに一礼した。その完璧な無表情に一同は我に返り、ライオエルトが沈黙を破るように話を進める。
「リューン様は、侍女以外の人員を全て私共に一任されました。その都合上です」
意味が分からない。しかも言葉濁すなあ。……リューンは怪訝そうに眉を潜めた。正直、理由を追求するのも面倒になってきた。
「要するに特に理由が無いと」
急に胡乱な表情になったリューンと、二の句が告げないライオエルトを面白そうに見比べながら、アルハザードは肘掛に預けていた身体を起こした。リューンの半分下ろされたフードに手を伸ばし、その中に手を入れる。おい待て待て近づくな手がいやらしい……と身を引いたリューンだったが、その動きは予想されたものだったのだろう、アルハザードの手はリューンを特に追いかけることもなく、だが、その代わり、爆弾とも言える一言を放った。
「姫君は俺に護衛を一任したろう」
「正確には……エウロ帝国に、ですが」
「この国で最も安全なのは俺に護衛されることだ、リューン」
「……はい?」
間が空く。アルハザードは薄く笑みを浮かべている。だがリューンは笑えない。
「陛下の側が安全と?」
「そうだ」
「それって」
リューンはあくまで真顔だ。
「一番危険だと思いますが。(いろんな意味で)」
「白星宮も月の宮も危険度は大してかわるまい」
「そういう意味ではなくて」
「俺の妃になるのであれば、どこに居ても同様に危険だ」
「……だから?」
「……2度は言わぬ」
……この俺様為政者が。リューンは心の中で舌打ちしたい気分だった。
獅子王の檻の中が一番安全? 一番危険の間違いだろう。いろんな意味で一番安全なのは、皇帝の側に居ないことなんだが、それは選択肢にないらしい。そもそも、この場合、どっち方面での安全性ですか。本気だろうか。本気なんだろうな。
リューンは溜息を吐き、それ以上の追求は諦めた。住む場所がちょっと違うだけだと思うことにする。ここでごねたら、自分が怪しい。
計画の修正が必要ですか。
はい/いいえ。
>いいえ。
……とにかく1回でヤリ捨てされる計画ですが何か?
「月の宮は気に入らぬか」
「いーえ……おこころづかいいたみいります」
自分としては丁寧に言ったつもりだが、怒りを通り越し諦観の念で遠いお空を眺めながら、リューンはすごい棒読みだった。
それはともかくとして、最終的に、アルハザードのこの一言でこの契約の締結が決まった。
「エウロ帝国皇帝アルハザード・ウィーグラフ・エウロの後宮に帝国領カリストのリューン・アデイル・ユーリル公爵が上がることに異存のある者は?」
その一言に、しんと室内に重々しい空気が下がる。喉が詰まるような声色は皇帝の発する威圧感と共に、その場にいる全員を圧倒した。1人、リューンを除いて。
全員が「ありません」と答え、そして最後、リューンに全員の視線が集められる。彼女は剣呑な雰囲気も表情の薄い瞳も取り払い、真っ直ぐにアルハザードを見返した。
その時ばかりは、アルハザードも一瞬目を見張る。
リューンは、真剣な顔で頷いた。
「異存ありません」……と。