結局、アルマを下がらせた後に少しだけ資料をリューンは確認していた。帝国の属領になったとはいえ、あまりに帝国に対しておんぶにだっこというわけにはいかない。
……あとは、自分の後宮の維持。カリストの税金を使うことにはなっているがそれも気が引ける。貴族達から没収した財が相当なものだったから、しばらくはそれで大丈夫だが、出来れば自分ではなくて、他の建て直しに使わせたい。……だとしたら、やはりお金を稼がないといけない。何か事業でもやるべきなのだろうか。こっちで公爵が個人的にできる事業ってなんだろう。明日からその辺りを調べてラズリにでも、聞いてみるか。
リューンは長椅子に足を乗せ、少々お行儀の悪い格好で書類を読んでいた。冷たいアイスティーで喉を潤すかと、グラスに手を伸ばしたとき、ガチャリと扉の開く音がする。
リューンはため息をついた。ノックぐらいしろというのに。
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身を起こして扉を見やると、そこには覚えのある威圧感があった。光を控えめにした室内でも、彼の存在は圧倒的だ。アルハザードその人が、ゆっくりと部屋を横切りリューンに近づいてくる。
「陛下」
「まだ起きていたのか」
「寝ていたほうがよかったのですか」
「俺はどちらでもかまわんがな」
「はあ、しょっぱなから寝ているところに来るのは、よい趣味とはいえませんね」
リューンは椅子から降りてショールを肩に掛けた。立ち上がり、上着を脱いだアルハザードからそれを受け取り、外套掛けの側に行く。
アルハザードはそれを目で追いかけていたが、机の上に無造作に置かれた資料を手に取り眺めた。
「貿易か」
「貿易というほどのものではないですけどね」
「政はラズリ達に一任しているわけではないのか」
「一任してますよ。……それは、政に口を出すためではなくて、個人的なお金稼ぎです」
「ほう。稼いでどうする」
「自分の生活資金くらいは稼いだほうがよいかと思いまして」
リューンは資料をアルハザードの手からそっと取り上げると、机の上に戻してトントンと纏めた。
その様子を眺めながら、面白い女だ……とアルハザードは思う。先ほどの会見のときなど、いっそ胸が梳くようだった。自分の態度に怖れを見せることなく素晴らしい勢いで対応する。態度は大きいが、それを隠して化ける力もある。彼女が大人しく慎ましくしていたときは、取るに足らぬ女かと錯覚しそうになったほどだ。
その雰囲気は今まで自分の周囲にまったく居なかった類だ。この女のもっといろんな顔を見たい。
「冷たい飲み物でも?……お酒はありませんが」
「酒を飲みに来たわけではない」
「私の後宮入りは明日のはずですが」
「俺がそんなものにこだわると思うか」
アルハザードはぐいとリューンの手を引いてその身体を抱き寄せた。ショールがふわりと床に落ちて、華奢な肩と鎖骨が現れる。何の装飾も無いノースリーブの夜着は酷く心許なく、リューンの美しい身体を強調していた。
そのやわらかい細い身体を鋼のような身体に抱き込んで、アルハザードはその背をゆっくりと撫でた。さらにその手を首筋へと滑らせ、まとわりつく髪の毛を払っていくと、先ほどつけた跡が、まだ少し赤みを帯びている。
その印を満足気に見下ろして、今度は顎を掴んで上を向かせてその唇を奪う。リューンの柔らかな唇を舌でなぞると、身を引くようにアルハザードの二の腕を掴んできた。それを逃げられぬように抱きしめて、黒髪に指を通して頭を固定する。
アルハザードの長い口付けと、唇の入り口をいつまでも弄ぶ舌の動きに、やがてあきらめたようにリューンの唇が開いた。舌を挿れ口腔内をゆっくりと舐めまわす。リューンの舌を見つけるとそれを絡めとり、何度か遊ばせて、もう一度深く口付ける。
それは甘く、深く、アルハザードを誘っているようにも感じられた。リューンがぎゅ……と、自分の服を掴む指に力が込めてくるのが分かり、我に返ったアルハザードは唇を離すと、ふ……と笑った。
「嫌がっている割りに随分と誘うではないか」
「では、はっきり嫌と言えばお帰りいただけるのですか?」
アルハザードの顔が不機嫌そうに歪む。恐らく予想していた解答と違っていたからだろう。
「お前」
「はい」
「俺が怖くはないのか」
え? 顔が?……と聞き返しそうになって、さすがにリューンは自重した。
アルハザードはリューンを抱き締めたまま、真っ直ぐ見下ろしている。その顔は意外そうな顔をしていた。
「……陛下は、何か、私が怖いと思うようなことをなさっているのですか?」
「どういう意味だ」
「陛下は私を脅かしているとか、怖がらせているおつもりなのですか?」
……確かに顔は怖い。美形といえる顔だけれど今は笑ってないし、笑ったら笑ったで邪悪だし。……威圧感も確かにすごい。だが、リューンにとって、それは怖いという部類のものではない。先に待つものが何であれ、この人の前でやましいことが無い限り、結果的に自分の身が危ない……なんてことはないだろう。正しい為政者とは、本来そういうものではないか。
それともなにか。この人は、たった今特に理由もなく自分の首を刎ねるつもりか。
そんなことを今までしてきたのか。
ベアトリーチェのように。
そんなことは、ないはずだ。
事実リューンには皇帝陛下に対するやましいことなど何も無い。いや、あるか。……だけど、それは自覚していることだ。その先に待つのが不興を買った結果の死だとしても、そんな覚悟はとうに出来ている。
答えないアルハザードにリューンは、ため息をついた。もとより、答えが返ってくるとは思っていない。
瞬きを1つして、やはりその目を真っ直ぐに見上げる。
「陛下は、理不尽に力を行使したりはしないでしょう。剣であれ、魔法であれ」
「この状態はお前にとって理不尽だと思うが?」
「そうですね。私にとっては、理不尽です。でも、仕方なくだろうがなんだろうが、私はそれに同意している。ですが、私にとって本当に怖いのは、」
……リューンは眉を潜めて、俯いた。
「理由の無い力を行使されることで、そして、恐らく陛下はそれをなさらないでしょう」
アルハザードの群青が一瞬躊躇うように揺れ、ゆっくりとそれが降りてくる。アルハザードがリューンの首筋に顔を埋めて、その肩に重みがかかった。同時に、首筋が濡れる感覚。ぬるぬると塗れた何かが表面を探っている。身をよじるリューンを逃さぬように抱きしめて押さえ、アルハザードは徐々にその動きを大胆にしていく。
****
月の宮のリューンの寝台の上で、アルハザードはリューンを組み敷いていた。
耳朶を食み、柔らかな胸の頂を指で摘んで刺激する。その度に、リューンの身体が微かにぴくりと反応し、その震えをアルハザードの手に伝える。わざとじゅるりと大きな水音をたてて、耳の裏に舌を這わせ嬲りあげると、彼女の手がアルハザードの肩を掴んで逃れようとした。
力任せにその手を剥して、寝台に押さえつける。唇に唇を重ね、荒々しく舌を求めて絡めあう。2人のそれは口腔内で卑猥な音を響かせていた。何度も何度も角度を変えて唇が離れては近づき、近づいては深く重なる。
リューンの身体を楽しんでいたアルハザードだったが、すぐにも違和感に気がついた。それは「声」
どんなに初めての女だろうが、彼が触れ、愛撫してやれば女は必ず甘い吐息を零す。時に小さく、時に大きく、嬌声を上げる。だが、リューンにはそれが無い。息はわずかに上がっているようだが、それが行為によるものなのか、単に体力が無くなってきたからなのかはよく分からなかった。
それに、全く身体を動かさないというわけではない。時折逃れるように身をよじったり、身体がびくりと震えてもいる。だが、やはりそれも行為によるものなのか、単なる筋肉反応なのかは判然としなかった。
アルハザードは手を下腹に下げ、ゆっくりと秘所を探った。そこは十分といっていいほどに濡れている。指をゆっくりと一本挿れると、すんなりとそれを受け入れた。リューンの表情を見下ろすと、アルハザードの視線から逃れるように目を逸らし、眉を寄せている。指を動かしてみると、動きに合わせて甘い光が瞬くように見え隠れしていた。しかしそれでも、口は少し開いているが、声は出ていない。指の動きに合わせて息が上がり、胸が上下し、そして何より、彼女の身体からは蜜がとろとろと溢れているというのに。
「リューン」
「は、い、陛下」
指を2本に増やす。圧迫感があったのだろう、少しだけ眉が歪み表情が変わる。だが、リューンは懸命にも見える表情でアルハザードを見つめ、呼ばれたあとの用事を待っているようだ。その顔を見ながら、ぐちゅりと音を立てて指を出し入れする。指を曲げ、内壁を擦ると、リューンのく……と瞳が揺れた。……寝台に雫が落ちるほど濡れそぼっているその奥からは、まだ足りないと愛液が溢れてきている。だが、リューンから反応は、無い。
「感じぬか」
やはり聞かれたか。リューンは、視線を逸らした。
感じないのではない。彼女は、充分感じていた。アルハザードの手は、今までのどんな男のどんな行為よりも優しくて容赦が無く濃密だった。だが、それを伝える気にはなれない。
彼女は性行為のときにその「作法」たる、声が出ない。出す方法が分からないわけではない。ただ、出ないのだ。
「感じないわけではない」のだと、行為中に伝えることは簡単だ。だが、それは男にとって逆効果だった。感じるのであれば……と、もっともっと、リューンが声を上げるまで責め立ててくる。そしてだんだん男がむきになり、行為が荒々しく乱暴になってリューンは心が冷めていく。そうなれば身体すら反応しなくなり、男達は面倒になって、離れていく。声を上げぬ女など、つまらないから。
そもそもリューンにとって、閨事は別に欲しいものでもなんでもなかった。面倒なただの行為。気持ちなど無い。そんなものは15歳のときに置いてきてしまった。特別に好きな男がいたわけでもない。むしろ男は嫌いだ。そんな風に思いながら行為を強いられると、どんどん声が出なくなった。
……いや、最初から彼女は声が出なかった。始めは恐怖で、いずれは冷めて。そして今は、ただ出ない。さらに言えば、演技で出す声など絶対に無い。
そのはずなのに、アルハザードの手のどれほど巧みなことか。
だが、アルハザードには悪いが「感じている」などと教えてやるつもりはなかった。彼も離れていくといい。他の男たちと同じように。それこそリューンの望むところ。
リューンは視線を逸らしたまま、無表情に答えた。
「早く終わらせてください」
「なんだと……?」
アルハザードは今まででもっとも低く冷たい声を出した。
喉から搾り出される野獣の唸り声のような声。周囲の気配が凍った気がする。……リューンは思う。怒るといい。怖くは無い、怒らせているのは分かっているから。
……でも、何故だろう。
怒らせたことに、きりきりと胸が痛む。こんなに甘い行為をくれるのに、彼にそれを伝えられないことを思って。
息の詰まりそうな沈黙は一瞬だった。アルハザードがリューンを見下ろしていると、視線を動かしてこちらを見上げてくる。この女は冷めた顔をしているだろうと思ったのだ。しかしリューンの黒い瞳と目が合った途端、アルハザードは今まで感じたことのない怒りとも嗜虐ともいえぬ感情が湧き上がった。なぜ。この女は、「早く終わらせろ」と冷めた瞳で俺に言いながら、
泣いているのだ。
****
アルハザードは、今までにないほど自分の中心が熱く猛々しくなっているのが分かった。どんな女にも感じたことのない激しい欲情と征服欲が心を支配する。彼は、後宮に通いが無いとはいえ、気まぐれに女は抱く。それは生理現象のようなものだ。精を解放したという程度にしか歓びは無い。
だが、今リューンに感じているのは、そのような「処理」するための感情ではなかった。女を支配し、自分のものにしたいという愛欲的なもの。
アルハザードはリューンを組み敷きその中に自分を突き立てた。彼女のそこにアルハザードのものは相当きつい。充分に濡れてはいたが、普通ならば一気には入らないだろう。だが、アルハザードは無理やり奥まで埋め、その行為は強引に挿れたことに対する背徳的な感覚を彼にもたらした。リューンはアルハザードの身体の下で、苦しげに眉を潜めている。
きつい締め付けは、アルハザードですら早急に動かせなかったほどだ。奥は充分に濡れているのに、締め付けて離さない。少し動かせば奥からぐちゅりと液が溢れ、たまらず胸を揉みしだけばさらに締まり、中がうごめく。
「……くっ……リューン……っ」
アルハザードは、あまりに余裕の無い自分に舌打ちしそうだった。両手で腰を抱え、中をかき回すように動かしていく。
リューンは未経験の圧迫感を体内に感じていた。物理的に、かなりきつい。「早く終わらせてくれ」と頼んだのが間違いだったのだろうか、彼はいきなり奥まで挿れてきたのだ。彼のものは今まで見たことないほど大きく、到底無理だ……と、そう思った。しかし彼は容赦してくれない。
アルハザードは激しく動き、リューンの身体もそれに合わせて大きく揺らされる。寝台の軋む音が一定のリズムを刻み、それに合わせて結合している部分が互いを打ち付けて音を立てる。あまりにアルハザードの陽根とリューンの秘所が密着しているからだろう。水音が濃く、低い。だが確実に内奥から液は零れ、男の抽送を助けている。
時折大きく角度を変えて、リューンの内奥を探るように彼は動く。引き抜かれる度にリューンの中が疼き、突き上げられる度にアルハザードの存在を感じる。リューンにとってそれは、今までに無い甘美な仕打ちだった。止めてほしい、こんな感覚知りたくなかった。……せめてもの救いは2人の間に愛情が無いことだろうか。彼は1回で離れていく手はずなのだから。
リューンは、背筋を這い上がってくる感覚に眉を潜めシーツをぎゅと握り締めた。アルハザードがさらに強く身体を叩きつけてくる。内奥に密着している彼のものがびくびくと震え、やがてそこから熱い精が注ぎ込まれてくるのが生々しく感じられた。
熱の籠もった……そして、微かな怒りと戸惑いの孕んだ瞳でリューンを見下ろして、アルハザードは自分を抜いた。リューンの秘所から先ほど放ったばかりの自分の白い精が流れ出てくる。それを見て、制御できない怒りが沸いた。そう。途中からもしかしたら、と思っていた、が。
アルハザードはリューンを再び組み敷き、ベッドに縫い付けた。なぜかは分からないが、怒りが制御できない。心が震え、苛立ちが自分の身を焦がす。
「お前、初めてではないな……?」
リューンは目を見開いて、驚きの表情でアルハザードを見上げた。その表情は予想外だったが、湧き上がる苛立ちを押さえることは出来ない。手首を掴む腕がぎりぎりと強まり、絶対零度の声で問いかける。
「修道院に入りたかったのは心に決めた男でもいたからか。……誰が相手だ」
リューンの身体がびくりと跳ね上がり、ハッとした顔でアルハザードを見上げる。……一瞬だが、アルハザードの表情も困惑したように動いた。
それは意外な質問だった。確かにリューンは「初めてではない」。だが、アルハザードがそんなことにこだわることは無いと思っていたのだ。後宮には既に3人の姫が居て、気まぐれに迎えた4人目のリューン。確かにリューンは20年間宮に閉じ込められていたが、こちらの慣習的に男を持つことが許されぬほど若い年齢ではない。過去を見れば、未亡人が後宮に上がった例もあったから、後宮に入る条件が処女の姫君、などということも無い。それともアルハザードが処女嗜好なのだろうか。そんな風には見えないが。いずれにしても。
観念したようにリューンは瞬きをした。少し悲しげな顔をして、アルハザードを見上げる。
アルハザードは特に比類無い黒魔法の魔力を持っている。それにより、「嘘を見抜く魔法」も使えるはずだ。実のところ、最初に面会したときも、アルハザードはそれを使っていた。術式など使わず、意思のみの力で使えるのは、その魔力が極めて精緻で質がよく量が高いからだろう。
同じように特上の「癒しの魔力」を持つリューンはそれに気づいた。自分に対して向けられた魔力とその魔力の流れ……「エウロ帝国皇帝アルハザード・ウィーグラフ・エウロの後宮に帝国領カリストのリューン・アデイル・ユーリル公爵が上がることに異存のある者は?」と問われた時に、その魔力は流れてきた。
そして、さきほど「誰が相手だ」と問うた時、アルハザードはそれを、恐らく無意識に使ったのだ。魔力が流れ込んだのを感じた直後、アルハザードの顔に戸惑った表情が一瞬見えたのをリューンは見逃さなかった。リューンの初めての相手が誰なのか、彼はそんなに気になったのだろうか。苦笑が浮かび上がりそうになるのを自重した。
「陛下」
「なんだ……」
「答えますから、手を離してください。手首に痕が付くと、侍女が心配します」
落ち着いたリューンの声に、アルハザードは眉をピクリと動かして手を離した。リューンの手はかなり強く掴まれていたのだろう、赤い痕が付いている。これは明日まで残るかもしれないな、と思いながらリューンはさすった。改めて体を起こし、アルハザードに向き直る。真っ直ぐにその目を見返した瞳は、今までに一番強い意志の力を持っていて、こんなときなのにアルハザードはそれを美しいと思った。黒曜石のような、硬質の輝きだ。
「さて、どう話せば真実となるのか」
「……どういう意味だ」
「リューンの処女を奪ったのは、ベアトリーチェです」
「……何だと……」
リューンから淡々と紡がれた言葉がアルハザードの魔力に絡まる。最も意外でおぞましいリューンの言葉に、獅子王ですら咄嗟の反応が紡げない。魔力が告げるのは、「真実」……だが、完全ではない。完全ではない真実……?
「半分だけ本当、でしょう?」
「リュ……」
「もう1人のリューン、……龍、つまり私の相手は、実の父」
アルハザードの魔力が告げる。一致した。完全な真実としてそれは当て嵌まった。だが……。だが、それはあまりにも現実離れしていて、あまりにも昏い。アルハザードは自分の鼓動が早くなっているのを感じた。これは怒りだろうか。それとも焦りなのだろうか。リューンに向けられていた怒りは、既にまったく別の者に向かっている。だが、それ以上に触れなければならないことがあった。
「……龍……?リューン……、もう1人とはどういう意味だ」
「それを聞くのであれば、もう一度魔力を。陛下」
……リューンは魔法に気づいていたのか。「もう一度」という言葉を聞いて、アルハザードは苦々しい顔になり、手のひらをリューンの頬に添える。
「龍……と、リューン。2人が何者か真実を答えよ」
リューンは何かを決めるように目を閉じて、そしてすぐに開いて頷いた。