獅子は宵闇の月にその鬣を休める

007.初夜の後に獅子へ語る

「リューン・アデイル・ユーリル……いえ、カリストと、異世界において魂とその存在を同じくする人間が、岩倉龍です」

リューンはアルハザードに全てを話した。カリスト王国と、異世界の日本に存在する2人のリューン。年齢が7歳異なる、姿の同じ2人の人間。運命すらも少しずつ似ていること。……数年前の出会い。リューンは何も出来ない自分を嘆く王女だったこと。龍は汚職に塗れた政治家の父を持ち、自身も政治家の卵だったこと。そして2人の死。その2つの死によって、今のリューンが在ること。精神は龍であること。

「私は、……龍は、上司の政治家に関係を迫られて逃げているときに、リューンの死を見ました。混乱して、ベランダから身を投げたんです」

「関係を迫られた……?」

「ズボン下ろしながら追いかけてきましたからね。まあ、どこにでもロクでもない上司ってのはいるもんです」

あははと笑って見せたけれど、アルハザードの顔が怒るでもなく不機嫌でもなく、ただ真剣で、リューンは困る。

「それで……私達は死にました。私がリューンとして生きることによってリューンの人生をもらい、龍の人生は終わりました。……リューンは癒しの魔力で自分の身体を治して、その身体を私にくれたんです。それが、龍とリューンの話です」

「お前は……龍なのか」

「どうでしょうね……私はリューンとして生きることを決めたので、リューンだと思っています」

くすくすと笑って、シーツに包まる。

「私達は同じなんです。結局2年前に、2人とも死んでしまった。たまたまそのとき、龍の意識の方が少し強くて、リューンの身体を使うことができた。だから、私は龍の記憶を持っているけれど、……実際、自分が龍なのかリューンなのかは判然としません。でも、リューンでいいんです」

突拍子も無く信じがたい話だったが、アルハザードの魔力は何よりも真実と伝えている。リューンは足を立てて包まったシーツごとそれに凭れ、他人事のような表情でアルハザードを見やる。

「私達は少し違ったけれど概ねよく似た運命を生きていました」

「……?」

「龍は15歳のときに、父親に強姦されたんです」

「リューン……」

「泣いても叫んでも父は決して止めなかった。それどころか、泣けば一層激しく動く。大人しくしておけば、ただ挿れて揺らして終わるだけってことに気づきました。だから」

リューンは淡々と言って、自嘲気味に肩を竦めた。

「最初は恐怖で声が出ませんでした。……徐々に諦めに変わって……その行為に冷めて、声を上げなくなりました。今は、理由も無く、ただ声が出ません」

悲しげに、首を振る。アルハザードは何も言わずに黙って聞いていた。その表情はリューンからは伺えない。

「そしてリューン。……彼女は、私と7歳年齢が異なっていました。だから彼女が15歳のときに、私が15歳の時にされたような、何かが、起こるかもしれないと分かっていました。……でも、言えなかった。彼女の父親は既に死んでいたし、ほとんど誰も来ない宮に彼女はいた。だから、何も起こらなければいいと甘く見ていた。甘かった。本当に」

リューンの表情が初めて動く。苦しげに息を吐いて肩が揺れる。アルハザードは思わず彼女の肩を引き寄せた。シーツがリューンから滑り落ち、裸の身体がアルハザードに包まれる。

「リューン……」

「彼女が、リューンが15歳のときに、ベアトリーチェは張形を使って彼女を強姦しました。……無論リューンは拒んだ。拒まれたベアトリーチェは、後になって彼女の当時の侍女の首を刎ねたのです」

「な、ぜ」

「リューンに甘言を吹き込んだ不埒者として。……リューンの周囲ではよくあることです。彼女がベアトリーチェに苦言を呈すれば、リューンの周りの適当な者が死んでいく。……だから。だから、リューンは抵抗しなかった。何をされても。どんなことをされても黙って耐えた。それから、時折リューンはベアトリーチェに責められました。3年間も」

リューンを抱き寄せているアルハザードの身体がぴくりと震える。冷徹な獅子王ですら眉根を潜め、心が締め付けられる。……筆舌しがたい、あまりに厭わしい出来事に対する、それは確かに怒りだった。怒りの矛先はベアトリーチェか、龍の父親か。……彼女の身体をさらに深く自分の胸に押し付けて背中に手を回し、頭を撫でる。だが、彼女の告白はまだ続いた。

「ベアトリーチェのその行為は、何の理由もありませんでした。私は1度だけ見たことがあります。……楽しむためですら、無かった。無表情で、前戯もない。リューンの両手を押さえて薬を張形に塗って何度も出し入れするだけ。ただ、その動きだけは激しかった。……リューンの身体が壊れてしまうほど」

「リューン」

「2年前のあの日もそうやって、リューンは耐えて。……そして、翌朝には冷たくなっていました。私が気をつけろと言っていたら。逃げろと言っていたら。私がその場に居たら……彼女はあんなに苦しめられなかったのに、私は何にも出来なかった」

「リューン、もういい」

「……でも、そうやって罪の意識に逃げることも許されません。リューンは私なのだから」

アルハザードの胸に熱い雫が触れる。リューンの涙だろう。そして急に襲われる罪悪感。知らなかったとはいえ、自分は感情に任せて彼女の身体を激しく貫いたのだ。力も魔力も帝国の頂点に立つ獅子王が、1人の女の身体を気遣って罪悪感を感じるなど初めてのことだった。リューンの背中を撫でる手は自分でも信じられないほど優しく、囁く声は戸惑うように揺れていた。しばらくの間、そうして、僅かに苦しそうな色を滲ませて、アルハザードは問いかける。

「リューン……俺は、……俺の手はお前を苦しめたか」

リューンはハッとした顔でアルハザードの胸から顔を離し、彼の群青を見上げた。驚いたような瞳で、しかし、はっきりと首を振る。

「いいえ。決してそんなことありません」

彼の手は今までの誰よりつらくなかった。優しくて、甘かった。……だけど、それを伝えることはできない。悪いのは自分だ。アルハザードが気を病む必要は無い。

「そうか。それならば、よい……」

「え?」

「お前の話は分かった。リューン。長旅で疲れているのに負担を掛けた。もう休むがよい」

アルハザードはリューンの頬を指でそっと撫でた。瞼に口付けを落とし、唇を啄ばむように小さく吸った。リューンの肩を支えて寝台に横たえて、自分もその隣に横になり、彼女の身体をやさしく抱き寄せる。

そうした柔らかく甘いアルハザードの行動に、リューンは戸惑った。これは皇帝の同情だろうか。哀れみだろうか。「慈悲」なのだろうか。気を使わせてしまったのだろうか。……なんであんなにも優しく口付けをするんだろうか。止めてほしい。

いずれにしても、自分は、

リューンは彼を悦ばせることはできないのだ。

****

アルハザードは隣で身動ぎする気配に意識を浮上させた。リューンが抱き寄せていたアルハザードの腕を外して身体を起こし、寝台の横に置いてある水差しから水を飲んでいるようだった。昨日の行為が疲れを誘ったか……。アルハザードは目を閉ざしたまま、リューンの話を思い出していた。

彼女の話は信じ難く、不思議で、そしておぞましいものだった。女が女を犯す?……しかも実の母親が、無表情で前戯も無く、リューンが、死に至るまで。……思いがそこまで至ったとき、怒りで心臓が激しくのた打ち回った。何に対する怒りだろう。彼女を死に追いやったことだろうか。人間として、非道なことを行ったからだろうか。……狂った女……目の前に居れば100回死なせてやったものを。……無論、龍の父親という男も同じだ。リューンの感覚をあんな風にしてしまった男、男……達も。アルハザードの胸中に、これまでどんな敵にも覚えたことのない冷たい怒りが沸き、グルルと喉が鳴るのが分かる。

……アルハザードは、昨夜の閨を思い出す。確かにリューンは声を出していなかった。だが、柔らかく暖かいリューンの肢体に自分を埋めたときの得も言われぬ悦楽は、他のどんな女にも感じたことの無いものだった。そして、彼女の瞳の奥に揺らめく理知的な輝きと、自分を真っ向から見つめて憚らない視線が、何よりも心を騒がせる。

恐らく、リューンは何も感じていないわけではないのだろう。ただ、声が出ないと言っていた。そして、自分の……アルハザードの手は、彼女を苦しめて、いない、と。……それならば。自分はあの身体と瞳を手に入れ、自分の内に留めておきたい。あんな話を聞いても、彼女が例え許さないとしても、彼女にとっては残酷かもしれないが、恐らく自分のこの欲望は止められないだろう。そして止めるつもりも無い。

やがてリューンが自分の隣に身を滑らせて戻ってきた。身を横たえてしばらくするとアルハザードの方を向いて、華奢な身体を伸ばして、彼女よりも大分広い幅の肩にそっと掛け布を掛け直す。その行為に、思わず彼女の腰を引き寄せた。リューンの身体の方が少し冷たくなっているのを感じ、その肩を自分の腕で包み込む。自分の肩など気遣わなくともよい、お前が温まればいいのだ……。

****

朝……室内が明るい。アルハザードが隣でゆっくりと起きた気配にリューンは気づいていた。彼は気だるげにベッドから身を起こして服を調え、リューンの前髪をそっと指で梳き、頬を優しくなぞっていた。その甘い雰囲気が心地よくて、なんとなく起きることが出来ずに、どれくらいそうしていただろう。……やがてアルハザードは名残惜しげに指を離すと、リューンの瞼の横に口付けを落としてベッドを離れた。扉の閉まる音にほっと安堵して、リューンも瞳を開けて身体を起こす。

甘い余韻と、意味不明の安堵感。終わった。何もかも。彼が何も気に留めてなければいいけど。そんな風に思いながら覚醒する。

「リューン様……お目覚めですか?」

「お目覚めです」

しばらくして聞こえたノックと、続くアルマの声に返事をしてベッドから降りた。一応シーツを被ってはいたが、何も身に着けていないらしいその姿に、アルマが「リューン様!」と驚きの声を上げて、慌ててガウンを取りに行く。

「あー、いい、いい。このままお風呂入る。アルマ、悪いけど服出しといてもらえる?」

「は、はい」

アルマはもちろん、アルハザードが昨晩リューンの元に来訪してきたのを知っていた。ということは……。ぶんぶんと頭を振って、アルマはリューンの着替えを用意しに動いた。

リューンは浴室に行く途中にちらと、外套掛けに目をやった。彼の上着がそこに掛かっている。忘れ物……。

忘れ物とか忘れ物とか忘れ物とか……。忘れ物フラグ誰かクラッシュしてください。

いやいや。フラグとか無いから。気のせい気のせい。リューンは頭を振りながら、それを見なかったことにした。